2016年11月28日

女たちによる“全然悪くない”リブート作 『ゴーストバスターズ』


先日、TOHOシネマズ川崎で
映画『ゴーストバスターズ』(2016年)を観ました。

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 <あらすじ>
素粒子物理学者で大学教員のエリン(クリステン・ウィグ)は
かつて「オカルト本」を出版していたことが発覚し、大学をクビになる。
原因をつくった元親友の科学者アビー(メリッサ・マッカーシー)に
抗議するため、エレンはアビーの「超常現象研究所」を訪ねるが、
思わぬ成り行きからゴースト退治に参加することになってしまい……。



本作は、1980年代にアイヴァン・ライトマン監督によって制作された
名作SFコメディ映画『ゴーストバスターズ』シリーズのリブート版です。
本作をめぐっては、「主要キャストが女性であること」をめぐって
映画ファンらの間で──相変わらずの──「論争」が起こっていました。
しかし、『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』(2011年)の
成功を知る我々からすれば、無意味な議論としか言いようがありません
(本作は『ブライズメイズ』チームが再結集した作品なのだから尚更)。

むしろ話題とされるべきは、「リブート作品」の在り方に関してでしょう。
本作の製作にあたっては、キャストの第一報がもたらされた段階で
「『ゴーストバスターズ』は主人公が男たちのチームだからこそ成り立つ。
 女性たちにあの世界観は再現できない」という批判が寄せられました。
私自身は依然として「女性(たち)にしか表現できない笑い」や
「男性(たち)にしか表現できない笑い」が存在する考えているので、
「女性たちにはあの世界観を再現できない」という指摘には同意します。

しかし重要なのは、本作が『ゴーストバスターズ』のリブートであって、
1980年代版の再現(モノマネ)を狙っているわけではないということです。
そもそも男たちの「世界観」を再現しようとしてはいないのだから、
「再現できないからって、それがどうした」という話でしかありません。
問われるべきは、この2016年版が1980年代版の代わりになっているか
(4人の女性が4人の男性の代わりとして機能しているか)ではなく、
あくまでも、本作が単独の作品として「面白いかどうか」であるはずです。



本作では「下半身ネタ」に限らず、女性のチームにしか表現できない、
あるいは21世紀ならではのギャグがふんだんに盛り込まれています。
マッカーシーが「女性にゴースト退治は無理」という声に腹を立てたり、
YouTubeのコメントに躍起になったりするギャグは自虐的ですが、
実際に本作は「全然悪くない」(劇中の台詞)仕上がりになっているので、
それらの自虐ギャグは女性たちの「勝利宣言」のように輝いていました。

メインキャストの4人全員(「ゴーストバスターズ」)に見せ場や持ち味、
特別な役割が与えられているのも、2016年版の特徴です。
ケイト・マッキノン演じるマッドなサイエンティストはカリスマ性が高いし、
ムードメーカー的存在のレスリー・ジョーンズも得意の個性を発揮。
実質的な主役であるウィグも単なるツッコミ役、マジメ役に留まらず、
男性秘書(クリス・ヘムズワース)にハマる変態キャラを魅せています。
(ちなみに、セシリー・ストロング演じる市長秘書も素敵なキャラ付け!)

本作のキャストとスタッフたちは、「女性にコメディは務まるのか」という
吐き気がするほど古めかしい論争に完全な決着をつけただけでなく、
オリジナルとリブートの関係をめぐる論争にもケリをつけました。
1980年代版に最大限の──文字通り「最大限の」──敬意を払いつつも、
2016年の女性たちにしか表現できない独自の笑いを追求した本作は、
複数回の鑑賞に堪える(=観る度に面白い発見がある)娯楽作品です。
一言で言うなら「おすすめ」。二言で言うなら「ぜひ、ご覧ください」。



 <追記>
それと、この映画を観に行ったら最後まで席を立ってはなりません!
1980年代版『ゴーストバスターズ』のファンを喜ばせる趣向が待っています。
本編中でも1980年代版のメインキャストがカメオ出演していますが、
とりわけ嬉しかったのは、かつて受付嬢を演じたアニー・ポッツの登場。
俳優業を引退したリック・モラニスの登場はあり得ないにしても、
ポッツという名女優を忘れていないところに「最大限の敬意」を感じます。


▲ 『ジミー・キンメル・ライヴ!』 (2016年6月8日放送)



 <追々記>
本編冒頭を飾る「幽霊屋敷」ツアーガイド役のザック・ウッズは
テレビドラマ『シリコンバレー』(2014年〜)でおなじみのコメディ系俳優。
本作での尿漏れキャラで人気が爆発しそう(……なんてことはないか)。

▲ 『Conan』 (2015年4月28日放送)
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2016年10月13日

「吊り橋の真ん中」へ連れていく前に



 先日、お酒の席で、ある話が始まりそうになった。私自身と直接関係がある話ではなかったが、私は「その話をするのはやめてほしい」と言ってしまった。これから始まるその話は、いまの私にはきっと耐えられない、怖い話だと思ったからだ。でも、結局その話は始まり、私は思わずトイレへ「避難」した。

 それがテレビから聞こえてくる発言ならば、私は電源を消すことができる。それが新聞や雑誌に掲載されている文章ならば、私はページをめくることができる。だが、目の前の相手はテレビでも雑誌でもない。あの時の私は恐怖を避けるため、相手が話している途中でもその場を離れるしかなかった。

 他の人の目には、私が急に不機嫌になったように見えたかもしれない。あるいは単純にトイレへ用を足しに行っただけに見えたかもしれない。でも、実際はそのどちらでもなかった。あの時、私は怖くて逃げた。

 相手はその話が私を怖がらせることを知らなかった。私が逃げたのは誰のせいでもない。しかし、そのことを相手に説明するのは難しい。「私に謝ってほしいということなのか」と誤解される可能性がある。「あいつの『地雷』が何なのか分からないから、あいつともう関わるのはやめよう」と思われる可能性もある。



 私がなぜこんな話をしているのかというと、「人によって怖いものは違う」(宮地尚子)からだ。結局のところ、残念ながら、私たちは相手が何を怖がっているのかよく知らない。よく知らないまま相手と接している。悪意はなくとも、私たちは、高所恐怖症の人を吊り橋の真ん中へ連れていっているかもしれない。

 そして実は本人も、自分が何を怖がっているのか、あらかじめ把握できていなかったりする。だから、「ああ、このまま連れていかれると怖いな」と感じた時点で、「その話は怖い」と言い合えるようでありたい。そうすれば私もあなたも、相手の怖がる話をしないで済む。相手を吊り橋の真ん中へ連れていかずに済む。

 どうしてもその話をしなければならなかったり、その話をすることが理に適っていたりすることもある。そういう環境に私たちがいることもある。ただし、そういう環境下でも、せめてトイレへ「避難」することは許されていてほしい。私にも、あなたにも、すべての人に許されていてほしい。

 「その話は怖いからやめて」と言う人や、トイレに「避難」する人のことを面倒くさがる人もいるかもしれない。でも、不機嫌になっていると誤解されたくない。会話の途中で突然席を立つ失礼なやつだと片付けられたくない。どうせ面倒くさがられるとしても、本当のことで面倒くさがられたい。――そう思うときはある。

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2016年09月06日

“コメディ化”された番外編 『アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅』


先日、TOHOシネマズ川崎で
映画『アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅』(字幕版)を観ました。

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 <あらすじ>
貿易船での長い航海を終えて帰郷したアリス(ミア・ワシコウスカ)は、
「アンダーランド」の帽子屋マッドハッター(ジョニー・デップ)が
家族を失った悲しみゆえに心を閉ざしていることを知る。
過去にさかのぼり、かつて殺されたマッドハッターの家族を救うため、
アリスは「時間の旅」(=タイムトラベル)に出ることを決意するが……。



全世界でヒットした『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)から6年。
まさか続編が製作されるとは思ってもみませんでした。
ましてや前作では『不思議の国のアリス』の登場人物だけでなく
『鏡の国のアリス』の登場人物も登場し、原作キャラは“品切れ”状態。
前作を監督したティム・バートンが再びメガホンを取るならまだしも、
別の人物が監督を務めると聞いた時は、嫌な予感しかしませんでした。

そしていま、映画を観終わった感想を率直に申し上げましょう――。
『アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅』はとんでもなく面白かった!
前作が「ファンタジードラマ」「ファンタジーアクション」だとしたら、
本作は「ファンタジーコメディ」「ファンタジーアトラクション」。
キャラクターも物語も前作で出来上がっていることを逆手にとって、
世界観はそのままに、『アリス――』の“コメディ化”に成功したのです。

成功もむべなるかなで、なにしろ本作の監督はジェームズ・ボビン。
長編デビュー作『ザ・マペッツ』(2011年)で最高の娯楽精神を現出し、
エンターテインメントとコメディの融合にこだわってきた制作者です。
続編というよりは番外編として、前作からちょっとだけ逸脱する――。
この度の『アリス――』のコメディ化には、『グレムリン』(1984年)と
『グレムリン2 新・種・誕・生』(1990年)の関係性を思い起こされます。



『アリス・イン・ワンダーランド』の見事なコメディ化の背景として、
“タイム”役:サシャ・バロン・コーエンの活躍に触れずにはいられません。
21世紀を象徴するこのコメディアンは映画俳優としても折り紙つきで、
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007年)でも
与えられた以上の役割をこなし、表現者としての新境地を開きました。
(かくいう私も、他人の作品で演技するコーエンが好きだったりします。)

ルイス・キャロルの原作に登場しない“タイム”というキャラクターは、
コーエンのような芸達者にしか演じることができなかったでしょう。
敵でもなく味方でもなく、虚構の存在でもあり現実的な存在でもあり、
重厚さもいかがわしさも求められるキャラクターを、彼は演じ切りました。
もちろん、演技を引き出すボビンの演出力も高く評価されるべきで、
本作はボビンの「ディレクター」としての才気が輝く作品でもあります。

バートン監督の前作が「夢の強さと脆さ」をテーマにしていたとすれば、
本作は「現実は怖くない」というメッセージを優しく訴えている作品です。
「過去は変えられない」という非情な事実を娯楽に変換できるのは、
コメディというものが現実に照準を合わせているからにほかなりません。
いつだって、コメディは夢の中にではなく現実の中にあるのです。
現実を意識する本作は、コメディ的であるがゆえに躍動していました。
(もっとも、それは「ニワトリが先か、卵が先か」という話にすぎませんが。)



 <おまけ>
サシャ・バロン・コーエンのエッセンスを詰め合わせたものといえば、
やはり、2013年ブリタニア・アワード授賞式での「車椅子コント」でしょう。
「車椅子に乗っている高齢の女性」を悲惨な目に遭わせたことよりも、
神聖不可侵の「チャップリン」という権威を利用したことが衝撃的でした。

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