2017年08月25日

“喜劇の王様” ジェリー・ルイスを悼んで 『底抜けシンデレラ野郎』


先日、ジェリー・ルイスを追悼して
映画『底抜けシンデレラ野郎』(1960年)を観ました。

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 <あらすじ>
現代のロサンゼルス。幼い頃に父を亡くしたフェラ(ジェリー・ルイス)は、
継母(ジュディス・アンダーソン)とその連れ子たち(ロバート・ハットン、
 ヘンリー・シルヴァ)に辛くあたられ、使用人としてこき使われていた。
ある日、異国のチャーミング王女(アンナ・マリア・アルバーゲッティ)が
結婚相手となる男性を探すためロサンゼルスへやって来る。
継母は何としても自分の息子を王女と結婚させようと策略を練るが……。





8月20日、コメディ俳優のジェリー・ルイスが老衰のため亡くなりました。
アメリカ喜劇の一つの顔であったスラップスティックコメディアンの死に、
俳優のジム・キャリーも「ルイスは明らかな天才で、底知れぬ天恵だった」
「僕が存在するのは彼が存在したからだ」との声明を発表しました()。

共同通信の記事ではルイスの経歴がコンパクトにまとめられています。

<訃報> ジェリー・ルイスさん 91歳=米喜劇俳優

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▲ 『毎日新聞』 朝刊 (2017年8月22日付)

 【ニューヨーク共同】人気コメディー映画「底抜け」シリーズで知られ、米国の喜劇王として一時代を築いた喜劇俳優ジェリー・ルイスさんが20日、米西部ラスベガスの自宅で老衰のため死去した。91歳。米メディアが報じた。

 1926年、東部ニュージャージー州ニューアーク生まれ。芸人だった親と共に5歳から舞台に立つ。1946年、急場しのぎに組んだ故ディーン・マーチンさんとのコメディーコンビが大当たりし、一躍スターとなった。映画「底抜け」シリーズなどで人気を集め「1950年代きってのドル箱喜劇チーム」と言われた。

 1956年にマーチンさんとのコンビを解消。同氏が演技派に転向した後も、ルイスさんはコメディー路線を継続し、脚本家や監督も務め、代表作の映画「底抜け大学教授」などを発表した。

 慈善事業にも力を入れ、筋ジストロフィー患者を支援する長時間番組の司会を1966年から40年以上にわたって務め、多額の寄付金を集めた。90歳を超えても舞台に立ち続け、来年の出演予定も組まれていた。


ジェリー・ルイス単独主演作のDVDソフトとして
2017年8月現在、日本では以下の7タイトルがリリースされています。

『紐育ウロチョロ族』 (1957年、原題:The Delicate Delinquent
『底抜けてんやわんや』 (1960年、原題:The Bellboy
『底抜けシンデレラ野郎』 (1960年、原題:Cinderfella
『底抜けもててもてて』 (1961年、原題:The Ladies Man
『底抜け便利屋小僧』 (1961年、原題:The Errand Boy
『底抜け大学教授』 (1963年、原題:The Nutty Professor
『底抜けいいカモ』 (1964年、原題:The Patsy

ジェリー・ルイスはこのほかにも、『底抜け再就職も楽じゃない』(1980年)、
『キング・オブ・コメディ』(1982年)、『アリゾナ・ドリーム』(1992年)、
『ファニー・ボーン/骨まで笑って』(1995年)などの映画に出演しました。
とりわけ、マーティン・スコセッシ監督の名作『キング・オブ・コメディ』は
“喜劇の王様”ルイスの存在なくして成り立たない作品だと称えるでしょう。

▲ 『キング・オブ・コメディ』 予告編 (2017年再編集版)



では、なぜ私はルイスを追悼する一本として『底抜けシンデレラ野郎』を
選んだのかというと、「ルイスの自我がよく表れている作品だと思うから」。
監督作ではないものの、本作ではルイスの作家性が発揮されており、
“単なる芸人”から脱皮しようとしたルイスの意識が伝わってくるのです。

それまでの主演作とは少し趣を変えてギャグを抑制し、ドラマ性を高め、
チャップリンの長編作品を彷彿とさせるペーソスさえ滲ませる。
それならばお涙頂戴の古臭い映画なのかというと、決してそうではない。
アメリカン・ニューシネマの萌芽を漂わせる斬新な演出が施されており、
視覚的にも音楽的にもカラフルかつユニークな作品に仕上がっています。

中でも、本物のカウント・ベイシー楽団をバックに従えて展開される
“舞踏会”でのダンスシーンは、ゴージャスでありながら幻想的なこしらえ。
さらに、ラジオから流れるカウント・ベイシー楽団の楽曲に合わせて
ルイスがみせるパントマイムも有名で、今も語り継がれる名シーンです。
(『底抜け便利屋小僧』でのパントマイムのほうが完成度は高いものの。)

▲ 『底抜けシンデレラ野郎』 (1960年) より



ジャジーな音楽をクールに活用しつつ、前衛的な演出も織り込みながら、
本作はあくまでもファミリー向けのエンターテインメント作品なのですが、
実はこの作品は私にとっては“難解”な映画でもありました。
どうしても考察を要するストーリー上の“難問”を3点も抱えているのです。

@ なぜフェラは王女に「過去に会ったことがある」と回答したのか?
A なぜ王女は数分間一緒に踊っただけのフェラを愛したのか?
B なぜ王女はフェラの名前を知り、フェラの目の前に再び現れたのか?

@ については、前の晩に“不審者”として見かけた/見かけられたのも
「過去に会った」うちに入る、ということにしておきましょう。
次に、A については「そういうものだから」として処理してしまいましょう。
結局、王女がフェラのどこに惹かれたのかは最後まで判然としませんが、
おとぎ話の世界の“運命の恋”に経緯もへったくれもありゃしないのです。

B については妄想力を働かせ、非常識な解釈を採ることにしましょう。
すなわち、ラスト数分間を「フェラの願望に基づく空想」だと考えるのです。
舞踏会の翌日、継母とその連れ子に別れを告げるところまでが現実で、
自転車に乗って邸宅を出てからはすべてフェラ青年の空想なのだ、と。

空想上の話であれば、王女がフェラの名前を知っていて不思議はないし、
フェラの居所や外出する時間を把握していても不思議はありません。
カウント・ベイシー楽団の姿形がないのに彼らの演奏が響いているのも、
「ふたりはいつまでも幸せに暮らした」という字幕が表示される割には
両者の表情が陰鬱なのも、これが空想であると強調するための演出です。

──当然ながら、この「ラスト数分間はフェラの願望に基づく空想」説は
公式設定的には不正解だと思われますが、そのようにでも解釈しないと、
細かい部分の論理的整合が気になる私としては納得がいかないので──
物事をあえて誤解することで私の精神のバランスを安定させてください。



このほかにもこの映画に対してツッコみたい点はいくつかあるのですが
(例えば、“変身”の物足りなさや、男性目線でしかない台詞など)、
このようなスタイルの娯楽映画の揚げ足を取るのは野暮なことであるし、
逆にそれら細部にこそジェリー・ルイスの自我を見出せるというものです。

もっとも、世間がルイスの自我や作家性を高く評価していたのかというと、
おそらくはさにあらず()、アクションや表情、愛嬌のあるキャラクター、
“永遠の末っ子”的な立ち位置がウケていたのではないかと思われます。
ルイスの笑いは日本を含む世界中の観客から人気を集める一方で、
「低俗」「白痴的」と評されるなど、毀誉褒貶の激しいものでもありました。

 「ぼくは福島県で育ったんですけど、高校の頃に洋画専門の映画館で映写技師のアルバイトをやってまして。その時に、チャップリンとか、バスター・キートン、ボブ・ホープ、アボット&コステロ、ジェリー・ルイスなんかの一連のアメリカの喜劇映画をずいぶん観ました。 (中略) 中でもジェリー・ルイスがとても好きでした。変わった洋服とか着ていて、なんかすごくファンキーなんですよね。キチッとすると結構、二枚目でね。」
── 加藤茶 (『東京人』 2004年7月号)
 「J(ジェリー)・ルイスはダメ。あれはアメリカ人という程度の低い連中が楽しむ喜劇? ドタバタだ。いや家元、ドタバタも好き。
 でも、J・ルイスはダメ、ダメだ。イタリーのA(アルベルト)・ソルディ、イギリスのN(ノーマン)・ウィズダム、近頃ではMr.ビーンがそれに相当(あた)る。」
── 立川談志 (『笑芸人』 2002春号)

私自身は『底抜けシンデレラ野郎』を再見して、ルイスの間(ま)やテンポ、
動きや表情、笑いに対する情熱はやはり大したものだと思わされたし
(全速力で階段を上る場面ではカット直後に倒れて2週間入院したらしい)、
クラシックなコメディ映画が持つ“たくましさ”に惚れ直すことができました。

笑いのセンスや価値観の相違はいかんとも埋め難いものがありますが、
個人の好き嫌いは別として、ジェリー・ルイスというコメディ俳優が
20世紀のコメディを代表する存在であったことは紛れもない事実です。
彼の芸風を忌む人物であっても、彼の存在に触れずして喜劇映画を、
ハリウッド映画を、そして20世紀という時代を論じることは不可能でしょう。

最後に、アメリカ喜劇界の巨匠 カール・ライナー監督の言葉を紹介し、
天寿をまっとうしてこの世を旅立った“人気者”への追悼の辞に代えます。

 「すべてのコメディアンは他のコメディアンを見ている。そしていかなる世代のコメディアンも、『ザ・コルゲート・コメディ・アワー』でのひょうきんでクレイジーなジェリーを見て育った頃に立ち戻らずにはいられない。人類史では最初に棒を摩擦して火を起こしたヤツこそが回顧されるべき存在であり、あとの者はヤツの真似を試みたにすぎないとされるが、コメディの世界においてはジェリー・ルイスこそがその“ヤツ”なのである。」
── カール・ライナー (『ハリウッド・リポーター』 2017年8月23日付)

(※) 註釈
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2017年08月13日

81歳の誕生日企画も! “脂がノる”歌丸の『お露新三郎 出逢い』


今日は、国立演芸場 8月中席 へ行ってきました。
主任は、桂歌丸師匠。

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 <本日の番組>

開口一番:(前座) 三遊亭遊七 『道灌』
落語:(交互) 桂夏丸 『代書屋』
落語:(交互) 三遊亭遊雀 『堪忍袋』
落語:(交互) 桂文治 『源平盛衰記 -木曽義仲-』
コント:コント山口君と竹田君
落語:(交互) 三遊亭円楽 『読書の時間』

 〜仲入り〜

落語:(交互) 桂小南治 『ドクトル』
動物ものまね:江戸家まねき猫
落語:(主任) 桂歌丸 『語り直して牡丹灯籠 -お露新三郎 出逢い-』



★遊七 『道灌』
開口一番は遊之介門下の遊七さん。
女性ならではの温かみある口調で『道灌』を乗り切る。
サゲに至るまでの言葉の畳みかけがスルッとしていた。

★夏丸 『代書屋』
最近声をかけられるようになったというマクラを経て、
ケン×ッキーフライドチキンの名も飛び出す『代書屋』。
「異常性行為のCD販売? DVDならまだ分かるが……」。
鉦が鳴らされる中、『高校三年生』を三番まで歌った。

★遊雀 『堪忍袋』
先ほど袖で鉦を鳴らしたのは円楽師匠だとネタばらし。
「それにしても夏丸ちゃんも強情だったね」と言うと、
今度は夏丸さんが遊雀師匠めがけて袖から鐘を鳴らす。
“ハプニング”後は、爆笑必至の『堪忍袋』をサゲまで。

★文治 『源平盛衰記 -木曽義仲-』
先代文治師匠の十八番に触れてから『源平盛衰記』へ。
新宿、池袋、浅草、そして国立の客層を分析(?)し、
「湯島天神」や「シンドウ3(さん)」などのネタを炸裂する。
「ワニガメは『ダーウィンが来た!』によく出てくる動物」。

★コント山口君と竹田君
先日、『クイズ!脳ベルSHOW』で優勝した山口さん。
本日は「お義父さん」のコントで会場に爆笑をもたらす。
「ホテルに泊まっておいて一線を越えないのは不自然」
「国会議員と市会議員? 県会議員の立場はどうなる?」。

★円楽 『読書の時間』
今年6月に「客員」として晴れて芸協入りした円楽師匠。
本日の午前中はドラマ『桂歌丸』の収録に臨んだという。
「私は昭和のスター役で、小遊三さんは清掃員役だった」。
歌丸師匠の“臨死体験”の話を経て、活字離れに触れ、
『笑点』メンバーの本名も登場の『読書の時間』(文枝作)。
円楽師匠の「オゥ!?」の発声はユニーク&ユーモラスで、
「早退するか?」という教師の台詞もニンにハマっていた。

★小南治 『ドクトル』
小南治師匠の今席の出番は昨年までと違って交互だが、
とりあえず今年の分は「今日の大入り袋」として披露する。
3代目小南を襲名することに触れてから『ドクトル』へ。
「……これもお客さんの『協力』が必要かな?」と繰り返す。

★まねき猫
NHKに「マネキネコ」の意味を勘違いされてしまった!
「ネットの一部で……ごく一部で話題になっております」。
馬と鹿の鳴きまね、初代猫八師匠のレコード紹介を経て、
40年前の名曲『チキンソング』をアカペラで歌い上げる。

★歌丸 『語り直して牡丹灯籠 -お露新三郎 出逢い-』
「1月から6月まで入退院を繰り返した。息を吸えないのは辛い。
入院中は看護師に冗談を言うもんじゃないと思った」と笑わせ、
「筋も人物も入り組んでいる」とことわってから『お露新三郎』。
美しい日本語と明瞭な口跡でシリアスな物語を展開させつつ、
「あいつ、円楽みたいな顔をしているぞ……きっと大悪人だな」
「蕎麦のおつゆもお露に見えた」などのクスグリを適度に挿む。
難解な圓朝噺に心血を注いできた歌丸師匠だからこそ可能な、
長編噺における緊張と緩和の絶妙なバランスのとり方である。
「(濡れ場を)事細かに語りたいところだが、ここ国立演芸場は
警察署と裁判所に挟まれているので……ご想像にお任せする」
というフレーズを言わせたら、歌丸師匠の右に出る者はいない。

★お誕生日企画
降りた緞帳が再び上がり、マイクを持ったまねき猫先生以下、
出演者総出で歌丸師匠のお誕生日(8月14日)をお祝いする。
「明日は休演なので、今年の誕生日企画はないと思っていた」。
東京ボーイズ先生の伴奏で『ハッピーバースデートゥーユー』。
短パン姿の円楽師匠が不謹慎なギャグで場を和ませたのち、
歌丸師匠が「来年までもつか……」とボヤきつつも、抱負を語る。
「『笑点』の司会は卒業したが、落語はこれからもやり続ける。
特に国立の高座は勤めたい。来年4月は『小間物屋政談』を」。
「東京ボーイズさんは出番もないのに、ありがとうございます」。



―― というわけで、今年の8月も歌丸師匠の“圓朝噺”を愉しめました。
酸素チューブを付けてはいるものの、歌丸師匠は相変わらずカッコよく、
少なくとも高座では昨年までと何も変わらない“気迫”を放っています。
しかもそれに加えて、向かうところ敵なしの“余裕”までもが感じられる。
演目を未だにグレードアップさせ続けている歌丸師匠はやっぱりスゴい。

途中で鳴り物が入るものの(今席では舟を漕ぐくだりで演奏されました)、
『お露新三郎』の一篇はそれほどまで劇的な“怪談噺”ではありません。
だからこそ語り部としての演者の腕前が如実に問われることになりますが、
歌丸師匠は観客を惹きつけてやまない充実の高座を提供してくれました。
まさに歌丸師匠こそは、“いま”、最高に脂がノッている落語家なのです。


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2017年08月04日

全体主義の下、いかに「私」はあり得るか 『残像』


先日、岩波ホールで 映画『残像』を観ました。

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 <あらすじ>
第二次大戦後、ソ連の影響下で社会主義国家となったポーランド。
前衛的な画家・ストゥシェミンスキ(ボグスワフ・リンダ)は
ウッチ造形大学の教授として若い学生たちの指導にあたっていた。
しかし、芸術を政治に利用とする政府の方針に反発したために、
画家としての名声、人間としての尊厳までもが踏みにじられていく。



『残像』(2016年)は『灰とダイヤモンド』(1958年)などで高名な巨匠、
アンジェイ・ワイダ監督(2016年没)の遺作となった作品です。
社会主義の政権下で「社会主義リアリズム」に追従しなかったために
迫害されていく実在の画家・ストゥシェミンスキの晩年を描いています。
とはいえ、本作では次代を担う若者たちの葛藤や行動も映されており、
シリアスな展開が続く中にも、活力や希望が滲んでいるのも確かです。

主人公・ストゥシェミンスキは学生に慕われる造形大学の教授であり、
その講義は情熱的でありつつも理論的で、決して抽象的ではありません。
例えば、「どのように自らの芸術を確立すべきか」と問い掛けられると
ストゥシェミンスキは「自分で探すしかない」と返答するとともに、
芸術と自身を調和させる重要性について示唆的な助言を送っています。
最晩年には自らの『視覚理論』をまとめることに精力を傾けていました。

情熱と理論を融和させるストゥシェミンスキの芸術家としての在り方は、
人生というレベルにおいては理想と現実の対立劇となって現れます。
ストゥシェミンスキは「社会主義リアリズム」に静かに抵抗しつつも、
自らの生活と生存のためにスターリンの肖像画を描き始めるのです。
信条と責任のあいだで葛藤する全体主義体制下の個人を描いてきた
ワイダ監督作品の集大成と呼ぶにふさわしい、物語の構図であります。

もちろん、ワイダ監督は『ワレサ 連帯の男』(2013年)でそうしたように、
自らの映画の主人公を聖なる英雄として表現するのではなく
私生活での“かっこよくない”人間像も併せて冷徹に提示していました。
まるでそれは、完全無欠で隙がないと前提されている「国家」に対して
優柔不断でだらしがなくて綻びだらけの「個人」をぶつけることで、
全体主義が非人間的な仕組みであることを強調しているかのようです。



生前のワイダ監督は、全体主義の国家が個人を抑圧していくようすを、
作品を通して、そして自身の発言としても粘り強く発信してきました。
本作『残像』でも、文化大臣から「あなたはどちらの側につくんだ?」と
問われたストゥシェミンスキの友人が「私はあなたの側につく」と答えて、
大臣が「『あなた』? 我々の側につくということか?」と返す場面など、
全体主義体制ならではの象徴的なセリフや展開が用意されていました。

全体主義体制の下では「I」や「you」のような単数形の存在は許されず、
「we」や「they」のような複数形のみが用いられることになります。
ボーヴォワールが「真理は一つだが誤謬は複数ある」と言い放ったように、
全体主義はたった一つの「正解」以外の存在を許容できません。
芸術活動が本来的に「別解」しか持たない営みであることを考えれば、
全体主義の世の中で芸術家であり続けることの困難さがよく分かります。

「社会主義は間違っておらず、ソ連型社会主義が間違っていただけだ」
という主張は今なお存在しますが、社会主義が全体主義である以上、
そのような“技術論”は的外れの妄説だと指摘せざるを得ません。
「独裁は他の体制でもあったのだから、社会主義が悪いわけではない」
という主張にしても、社会主義だけが悪ではないことの説明ではあっても、
社会主義という全体主義が根本的に抱える問題を何も隠せていません。

私たち──否、“私”は、社会主義や共産主義を含むあらゆる全体主義を、
個人の尊厳を破壊するイデオロギーとして否定しなければなりません。
必要なのは、全体主義に対抗する体制としてのリベラル・デモクラシーの
“完成なき構築作業”であって、全体主義の“運用論”ではないはずです。
──今日の世界を見渡せばもはや手垢のついた結論ですらありませんが、
それこそが、私がワイダ監督の遺作から受け取ったメッセージなのです。



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