2017年12月09日

“イスラム頭巾”を被りながら… 9代目可楽 “最後”の高座


今日は、国立演芸場 12月上席 へ行ってきました。
主任は、三笑亭可楽師匠。

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 <本日の番組>

開口一番:(前座) 三遊亭馬ん長 『つる』
落語:(交互) 瀧川鯉斗 『紙入れ』
落語:(交互) 三笑亭可風 『浮世床 -夢-』
落語:(代演) 三笑亭夢花 『四人癖』
漫才:東京丸・京平
落語:雷門助六 『六郷駕籠』

 〜仲入り〜

コント:コント青年団
落語:三笑亭可龍 『四段目』
奇術:松旭斎小天華
落語:(主任) 三笑亭可楽 『イスラムの世界』



★馬ん長 『つる』
開口一番は圓馬門下の馬ん長さん。
声が大きくてよく通る。間はベテランのようにゆったりと。
「池上彰」はともかくとして、「沖合といったらナンパだろ」
「ヘイ!婆さん」など初めて耳にするクスグリも多かった。

★鯉斗 『紙入れ』
「義眼の男」「3人の狩人」の小噺で客を“テイスティング”。
おかみさんが艶っぽく、新吉は終始震えているなど、
鯉斗版『紙入れ』は登場人物のキャラクターが立っている。
「それだとただ逃げただけになる。これが俺の誠意だ!」。

★可風 『浮世床 -夢-』
師匠から「芸人は売れるかゴミかだ」と言われたと語り、
「今日はそんな師匠に教わったわけでも何でもない噺を」。
可風師匠の『浮世床』はとにかくテンポが端麗である。
「小便の余りで『後輩をビール瓶で殴っては〜』と書いた」。

★夢花 『四人癖』
圓丸師匠の代演かつ出番交替(⇔可龍師匠)。
米丸師匠が『徹子の部屋』に出演した際の様子を紹介し、
「米丸師匠の生の高座は早めに聴きに行ってください!」。
「999円」など“痒いところに手が届く”クスグリが心嬉しい。

★京丸・京平
オレンジのスーツ&ネクタイで登場の京丸先生、
「盛り上がらないなあ。昨日の客のほうがよかったなあ」。
「50万円を拾って交番に届けた」というネタのあと、
おなじみの「新婚旅行」→「お殿様の東京観光」で締める。

★助六 『六郷駕籠』
「歌丸師匠と自分が向かい合わせで着替えたら鏡のよう」
「高知行の機内で円楽さんに会った」というマクラを経て、
一般的には『蜘蛛駕籠』の前半部とされる『六郷駕籠』へ。
“達者”と評するにふさわしい、安心感のある高座だった。

★コント青年団
クイツキはコント青年団の「四菱銀行員と中小企業社長」。
「消費者金融が貸してくれないから仕方なくここに来た」
「『陸王』ならすぐ貸してくれるのに!」などギャグが豊富で、
一瞬たりとも客の集中を途切れさせない。

★可龍 『四段目』
学校寄席(「佐々木ィ」)のマクラで客の笑いを獲ったのち、
ある意味では師走のネタだと称える『四段目』に入る。
可龍師匠は芝居の再現の件をしっかりと魅せてくれるので、
その“本格さ”との落差により、終盤の展開も素直に笑える。

★小天華
鮮やかな照明を浴びながら次々とマジックを披露していく。
「リング」→「紐」→トークコーナーで「紐で首絞め」講座。
「下からマイクが出るのにはタネも仕掛けもありません」。
カラフルな紐の滝を見せ、終わりに孔雀のスカーフを現す。

★可楽 『イスラムの世界』
板付き、黒紋付姿で登場。傍らにはペットボトルの水が。
「(小天華は)ずいぶん誤魔化したね。歳も誤魔化してる」。
「明日で引退する。間違えるので落語はやらない」と話し、
「アメリカと南アフリカ以外は仕事で行った」という思い出話へ。
各国の「ありがとう」を言い立て(十数個はあっただろうか)、
米大統領による“エルサレム首都認定”のニュースに触れる。
イスラム教のカフィーヤと付け髭を着用して拍手を得るが、
「こんなのは芸でもなんでもないんだから拍手はいらない」。
先日亡くなった染之助師匠から教わった篠笛を吹いたのち、
「昔はもっと上手く吹けたんだけどな」と強がってみせる。
「能や狂言は鎌倉時代から続くが、落語はせいぜい250年。
“古典”ではなく“旧作”落語と呼ぶべき」との論には納得。
そして、江戸落語は初代可楽が発祥だという歴史を紹介し、
「さっき上がった可龍を10代目可楽にすることに決めている。
本人が嫌なら駄目だが、嫌とは言わないだろう」と宣言した。
「明日で落語家を廃業」と何度か強調していた可楽師匠だが、
その間合いや言葉選びは的確で、客席を大いに沸かした。



──というわけで、今年も残すところあと3週間となり、寒さが厳しくなる中、
本日は我が敬愛する可楽師匠の主任興行を愉しむことができました。
可楽師匠はこの芝居をもって落語家を「廃業」すると説明していましたが、
傍らの水を飲む際に「これは酒じゃありませんから」と笑いを獲ったり、
客の反応を察知してワードを選ぶなど、依然として“現役感”は強いまま。

「若手の頃には“赤線”に通った。今の若いのはそれができないから……」
という話をできるのは今日の寄席では可楽師匠ぐらいなものだし、
私などは可楽師匠が高座に座っていてくれるだけでいいと思うのですが、
師匠が引退を匂わす理由は「落語ができなくなった」ためなのでしょうから、
「いてくれるだけで」というのは私の我が侭にすぎないのかもしれません。

可楽師匠の高座が本当にこの芝居で“見納め”“聴き納め”になるのかは
私には分かりませんが(実際にはそうならないだろうと思っていますが)、
いずれにせよ、意地っ張りで強がりで(少なくともそういうスタイルで)、
それでいて観客に対してとても親切な可楽師匠のことが私は大好きです。
結局のところ、私は落語というよりも落語家を聴きに行っているのですね。


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 <追記>
12月中旬現在、可楽師匠は池袋演芸場の12月中席、
新宿末廣亭の正月初席、国立演芸場の正月初席に顔付けされています。
私たちはどうやら来年も可楽師匠の高座を拝見することができそうです!
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2017年12月07日

“温故知新”のアメコメ×バディ活劇 『セントラル・インテリジェンス』


先日、川崎チネチッタで
映画『セントラル・インテリジェンス』を観ました。

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 <あらすじ>
高校時代は誰もが憧れるスターだったカルヴィン(ケヴィン・ハート)だが、
卒業から20年後、現在は中年会計士としてサエない日々を送っている。
そんな彼のもとに突如、当時「おデブ」と呼ばれていじめられていた
ボブ(ドウェイン・ジョンソン)から“久しぶりに会いたい”との連絡が届く。
しぶしぶ会いに行くと、そこにはマッチョな肉体へと変貌したボブの姿が!
しかも実はCIAの一員で、組織に追われているため助けてほしいという。



私がこのアクションコメディ映画を観に行こうと思った理由は2つあります。
一つは、米国民的コント番組『サタデー・ナイト・ライブ』の裏番組として
FOXテレビで放送された『マッドTV!』(1995年〜2009年)の元レギュラー、
コメディアンのアイク・バリンホルツが原案と共同脚本を担当しているから。
較べるまでもなく番組の完成度も視聴率も『SNL』のほうが上でしたが、
個人的には『マッドTV!』の“空気”のほうに親近感を抱いていたりします。

もう一つの理由は、かねてより私がその制作姿勢に信頼を置く映画監督、
ローソン・マーシャル・サーバーが監督と共同脚本を担当しているから。
サーバーは『ドッジボール』(2004年)、『なんちゃって家族』(2013年)と、
良質なアメコメ(アメリカンコメディ)映画を発表していることでおなじみです。
ちなみに、『なんちゃって家族』に出演していた俳優のエド・ヘルムズは
本作に出演してはいませんが、製作総指揮の一人として参加しています。



サーバーは処女作品『ドッジボール』でも、第3作『なんちゃって家族』でも、
コミュニティから疎外されている人生不調組を主人公に設定してきました。
サーバーの作品において、人生不調組の面々は時の経過とともに団結し、
最終的には富と権力を不当に独占する“勝ち組”の悪役に一泡吹かせます。
本作もその例外に漏れませんが、主人公を2名の男性に絞っているため、
いわゆるバディムービーとしてテンポよく物語が展開するのが特徴的です。

とはいえ本作は決して子ども騙しのありきたりなバディムービーではなく、
ましてや陳腐なブロマンス映画の範疇に留まっているわけでもありません。
一癖あるシナリオのおかげで、観客は本作がバディムービーなのか、
“相棒”が味方なのか敵なのかを最後まで判断できなくされているのです。
シナリオ上のこの仕掛けが映画に丁度良い緊張感と遊び心をもたらし、
世界中で量産されている数多のバディムービーとは一線を画しています。

──しかし、107分間の本編を観終わり、改めて歴史を振り返ってみれば、
「“相棒”が味方なのか敵なのかがラストまで分からない」という仕掛けは
映画史上屈指の名作『スティング』(1973年)でも施されていたわけで、
脚本を担当したサーバーやバリンホルツの発明というわけではありません。
名作映画からの学びに基づいて独自の映像センスを打ち出した本作は、
まさしく“故きを温ねて新しきを知る”正統派の娯楽映画だと称えるでしょう。



『セントラル・インテリジェンス』では、サーバーとバリンホルツのみならず、
デヴィッド・スタッセンというコメディ作家も共同脚本に名を連ねています。
バリンホルツとスタッセンは、2012年9月にFOXテレビで放送を開始し、
2015年から2017年11月までは動画配信サービス「Hulu」で配信された
ミンディ・カリング主演の連続コメディドラマ『The Mindy Project』で
ともに脚本と製作を担当した、いわば“直近の”ビジネスパートナーです。

いまや全米No.1の人気映画スターの座に就いたドウェイン・ジョンソンと
人気No.1コメディアンであるケヴィン・ハートの好演が際立つ本作ですが、
一癖ある“温故知新”な設定はもとより、明るく笑える下ネタや人種ネタ、
Facebookのメッセージ機能の特性を活用した(?)不条理なギャグ、
そして「裸の自分を恥ずかしがるな!」という前向きなメッセージ性など、
3名のコメディ作家が書いた脚本の出来も相応に評価されるべきでしょう。

黒人や同性愛者に関する差別的な表現を逆手にとってギャグを紡ぎ出し、
“当事者”をも満足させるカタチで映画を面白くしている本作を観ると、
PCのせいで笑いを創れない」という弁明は欺瞞だということが分かります。
これは『22ジャンプストリート』(2014年)を観た時にも感じたことですが、
今日の優れたコメディ制作者たちは、人権の概念に「縛られる」どころか
むしろ人権意識を発露することで面白いコメディを創り続けているのです。


▲ 「ダサいカバンを持ちたいなら堂々と持てばいい」 (ドウェイン・ジョンソン)
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2017年10月25日

モンティ・パイソンとの遭遇 『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』


先日、岩波ホールで
映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』を観ました。

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 <あらすじ>
19世紀の北米に生まれたエミリ・ディキンスン(シンシア・ニクソン)は
恵まれた資産家の家庭に育ち、家族や友人からも愛されていた。
進歩的な考えを持っていたことから他者と衝突することも多かったが、
愛する母の死を境に心を閉ざし、屋敷の自室に引きこもるようになる。
やがて彼女の精神と肉体は「ブライト病」という難病に襲われ始め……。



エミリ・ディキンスンといえばアメリカを代表する19世紀の詩人であり、
現在に至るまでアメリカ内外の文化に影響を与え続けている女性です。
J・D・サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)にも、
主人公の弟が評価していた「戦争詩人」としてその名前が登場します。
彼女は「生前わずか10篇の詩を発表し、無名のまま生涯を終え」、
1800篇近くに及ぶ未発表の詩稿が没後になってから発見されました。

劇中においてディキンスンは攻撃的な人物として描き出されています。
静謐な存在として「詩人」をイメージしてきた人々は、映画を観ながら
「なぜ彼女はそこまで外部に反抗するのか」と感じたかもしれません。
精神科医の帚木蓬生は著書『ネガティブ・ケイパビリティ』(朝日選書)で、
ジョン・キーツの言葉を紹介しながら「詩人」の在り方を解説しています。

 「詩人はあらゆる存在の中で、最も非詩的である。というのも詩人はアイデンティティを持たないからだ。詩人は常にアイデンティティを求めながらも至らず、代わりに何か他の物体を満たす。神の衝動の産物である太陽や月、海、男と女などは詩的であり、変えられない属性を持っている。ところが、詩人は何も持たない。アイデンティティがない。確かに、神のあらゆる創造物の中で最も詩的でない。自己というものがないのだ。」

 ここに至って、キーツの真意がようやく読み取れた気がしました。アイデンティティを持たない詩人は、それを必死に模索する中で、物事の本質に到達するのです。

── 帚木蓬生 『ネガティブ・ケイパビリティ』 (朝日選書) p.6-7

他者や社会などの外部から信仰や“女性性”を強制されることを否定し、
それらに反抗することで「自由」を確かめようとしたディキンスンは、
自らの力でもって愛別離苦という現実に対処するしかありませんでした。
いわば彼女はゼロの地点から宗教哲学を構築しようとしていたのです。
「物事の本質」を知るために「必死に模索」する人物が情熱的であり、
外部に対して攻撃的ですらあるのは、ある意味では自然なことでしょう。



さて、この伝記映画を観ていてびっくりさせられたことが一つあります。
それは、場面を印象的に盛り上げるための劇伴(BGM)として
ミュージカル『スパマロット』(2005年初演)の楽曲が使われていたこと!
19世紀アメリカの詩人を描いたドラマチックな伝記映画を観ていたら
なぜかモンティ・パイソンのミュージカルナンバーが流れてきたのだから、
中学生の頃からのパイソン狂としては驚きの念を禁じ得ませんでした。

本作で使用されたのは『I'm All Alone』という第二幕のナンバーで、
作詞・作曲はもちろんエリック・アイドルとジョン・デュ・プレです。
初演ではティム・カリーとマイケル・マクグラスがこの曲を歌唱しました。
メロディそのものは美しく、歌詞も素直に読めば感動的ではあるものの、
『スパマロット』の物語上では笑いを(も)誘う曲と位置付けられています。

当然ながら(?)本作で使われたのはインストゥルメンタル版でしたが、
それでもモンティ・パイソン発のミュージカルの冗談混じりの楽曲が
エミリ・ディキンスンの伝記映画に使われたことには変わりありません。
私としては思いがけぬ「ギフト」に遭遇したかのような気分になりました。
ディキンスンがアメリカ文化に影響を与え続けている人物だとすれば、
パイソンズもまた世界中に影響を与え続けている存在だと言えそうです。


▲ 『モンティ・パイソンのスパマロット』 ブロードウェイ公演 (2005年) より
posted at 23:59 | Comment(0) | 映画・TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
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