2014年09月05日

“下ネタの女王”よ、永遠なれ ―追悼:ジョーン・リヴァース


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Joan Rivers: 1933-2014


毒舌スタンダップコメディアンの先駆者であり、
多くの人に呆れられながらも愛された
ジョーン・リヴァース(Joan Rivers)がこの世を去りました。

彼女の人生は実に波乱に満ちたものでした。
辛口コメディアンであるという「ハンディ」を差し引いても、
彼女ほど他人に迷惑をかけ続けた人物はそうそういないでしょう。

ハリウッドセレブを、権力者を、テレビ局を、制作会社を、
劇場を、スタッフを、客を、芸人仲間を、家族を、
そして自分自身を激しく攻撃し、からかい続けた81年の生涯でした。



私が彼女を尊敬しているのは、彼女が
「他人に迷惑をかけるキャラクター」を演じていたからではなく、
ナチュラルに他人に迷惑をかけ続けていたからです
(……なんて書くとよっぽどの悪人のように思われるだろうけど。)

自分の意志や欲望に正直に生きた彼女は、
いわば、「ありのままの姿」を世間に曝け出し続けた
「下ネタの女王」だったと言えます。
彼女がトラブルメーカーの役を担わされたのは歴史の必然でした。

私が彼女の存在を知ったのがいつだったかは憶えていません。
しかし、彼女が私にとってのアイドルであり、お手本であり、
反面教師であり、尊敬する存在であったことだけは確かな事実です。
私は彼女の存在に励まされ、感化され、勇気付けられてきたのです。

彼女は、死を選ぶよりも「生き地獄」を選ぶほうが大変であること、
そして、「生き地獄」の中で生きることは
たしかに大変ではあるが、見方を変えれば面白くもなることを、
その波乱万丈の生涯を通して私に教えてくれました。
もしも彼女の存在を知らないままだったら、私は、
「不幸」や「不運」をネガティヴに捉えたままだったかもしれません。



ジョーン・リヴァースという人間の実像については、
全米で話題になった『Joan Rivers: A Piece of Work』(2010年)
というドキュメンタリー映画を観るとよく理解できます。
YouTubeで日本語字幕版がリリースされているので
(『ジョアン・リバース 〜75歳の女下ネタ芸人 カムバックへの戦い!〜』)、
笑いに関心を持つ人にはぜひ観ていただきたいです。

全編のレンタル・購入はこちらから



ジョーンは先月28日、声帯手術を受けている最中に呼吸停止し、
近くのマウントサイナイ病院に緊急搬送されました。
以後、生命維持装置につながれて生命を保っていましたが、
二度と意識を取り戻すことはなく、4日にこの世を去りました。

トラブルメーカーだった彼女らしい最期だとも言えますが、
一つだけ彼女らしくなかったのは、息を吹き返して舞台に復帰し、
今度の災難をスタンダップコメディのネタにしなかったことです。
彼女にはカムバックしてもらい、声帯手術の執刀医を、
そして、昏睡状態になった自分自身を笑い者にしてほしかった。
(もちろん、そんなことを故人の死後に願うのはルール違反ですが。)

彼女を愛する者の特権として、いつでも過激だったコメディアン、
ジョーン・リヴァースに別れの言葉を吐かせてください。
「あの日、声帯手術を受けていたというのは嘘で、
 本当は999回目の整形手術を受けていたんでしょう?」。
笑いと現実と愛のために生きた一人の女性に、感謝を込めて――。


★ジョーン・リヴァース 動画&写真館はこちら★
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2014年08月26日

エミー賞授賞式で追悼… '14年に旅立った“米テレビ界の偉人”8名


現地時間25日、アメリカの“テレビの祭典”である
第66回プライムタイム・エミー賞授賞式が開催されました。


アル・ヤンコビックアンディ・サムバーグによる歌唱パフォーマンス

受賞作品や受賞俳優などはガン無視することにして(!)、
このブログでは、式典中に披露された
「追悼企画(Memoriam Tribute)」を取り上げたいと思います。



2014年、アメリカのテレビ界は多くの人材を失いました。
すでに伝説的存在だった人、まさに活躍中だった人、
今後さらなる活躍が見込まれていた人――。
今月11日に亡くなったロビン・ウィリアムズもその一人です。

今年の「Memoriam Tribute」では、
人気シンガーソングライターのサラ・バレリスが歌う
『Smile』(作詞・作曲:チャールズ・チャップリン)に合わせながら、
43人のテレビ関係者の写真や映像が紹介されました。

(授賞式開催時期の都合により、2013年8月〜12月に逝去した人も
 2014年の「In Memoriam」として追悼されています。)




米テレビ史にとりわけ大きな足跡を残したとされる8名については、
動く映像に加えて肉声も放送されました。
このエントリでは、その偉大なる8名を振り返りたいと思います。



★ピーター・オトゥール (Peter O'Toole)
 <1932年8月2日 - 2013年12月14日>


『アラビアのロレンス』(1962年)で世界的に有名な俳優ですが、
いくつかのテレビ映画やトーク番組にも出演しています。
テレビ映画『ヒットラー』(2003年)ではヒンデンブルクを演じました。
『The Ruling Class』(1972年)というブラックコメディでは、
自分のことを“切り裂きジャック”だと思い込んで
本当に猟奇殺人を犯してしまう精神異常者を熱演していましたが、
これはイギリス制作のテレビ映画なのでご紹介できません(残念!)。
ここでは、『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に
ゲスト出演した際の映像を貼り付けてお茶を濁すことにします。




★ドン・パルド (Don Pardo)
 <1918年2月22日 - 2014年8月18日>


第二次大戦前からラジオのアナウンサーとして活動を始め、
1944年にNBCの局アナウンサーとなりました。
サタデー・ナイト・ライブ』の冒頭ナレーションが超有名で、
番組開始時から39シーズンに渡ってアナウンスを務めています。
ドン・パルドに自分の名を読み上げられることは、
『SNL』出演を夢みる多くのコメディアンの憧れだったのです。
下の動画は、スティーヴ・マーティンやティナ・フェイらに囲まれ、
90歳の誕生日を祝福されているパルドの映像です。




★デイヴィッド・ブレナー (David Brenner)
 <1936年2月4日 - 2014年3月15日>


1970〜80年代にスタンダップコメディアンとして一世を風靡し、
テレビドラマの俳優としても活動した人物です。
ジョニー・カーソン司会時代の『ザ・トゥナイト・ショー』では、
ゲストとして番組最多出演記録を誇りました。
『ザ・トゥナイト・ショー』では代理司会を務めることもあったので、
もしかしたらそのまま後任司会者に選ばれていた可能性も……。
ブレナーは「ジェイ・レノになり損ねた男」と言えるかもしれません。
しかし、彼の温和で実直なキャラクターを考えれば、
「なり損ねた」のはむしろ望ましいことだったとも言えるでしょう。




★マーシャ・ウォレス (Marcia Wallace)
 <1942年11月1日 - 2013年10月25日>


1970年代に放送された人気シットコム
『ボブ・ニューハート・ショー』のレギュラーキャストとして、
その顔を全米のお茶の間に知られるようになりました。
その後、『ザ・シンプソンズ』のクラバーペル先生役で再ブレイク。
アニメ『ザ・シンプソンズ』のイントロは、毎回、
バート・シンプソンが黒板に反省文を書く場面から始まるのですが、
ウォレスの亡くなった直後に放送されたエピソードでは、
バートは「ホントさびしいよ、クラバーペル先生」と書いていました。
ウォレス逝去に伴い、クラバーペル先生も番組を“降板”しています。




★シド・シーザー (Sid Caesar)
 <1922年9月8日 - 2014年2月12日>


この人物を語らずして、米テレビ草創期は語れません!
何しろ、あのカール・ライナーも、あのメル・ブルックスも、
あのウディ・アレンも、あのニール・サイモンも、
全員、シーザーの番組から羽ばたいていったのですから――。
“巨匠の師匠”であるシーザーは、まさに“歴史上の偉人”。
カラー放送が始まる頃にはすでに大御所として君臨しており、
テレビ映画『不思議の国のアリス』(1985年)にも参加しています。
シド・シーザーについてはいずれまた取り上げたいなあ……。




★エレイン・ストリッチ (Elaine Stritch)
 <1925年2月2日 - 2014年7月17日>


シド・シーザーが米コメディ界の伝説的存在だとすれば、
エレイン・ストリッチは米ミュージカル界の伝説的存在。
スティーヴン・ソンドハイムも彼女には頭が上がりません。
ストリッチこそはブロードウェイミュージカルの象徴なのです。
エミー賞で追悼されていることも明らかなように
ストリッチはテレビドラマやバラエティ番組でも活躍しましたが、
やはりこのブログでは彼女の歌声を聴いてもらいたいと思います。
2010年に開かれたソンドハイム生誕80周年記念コンサートで、
『Follies』より「I'm Still Here」を歌っている動画です。
老齢の彼女ならではの迫力ある舞台。……鳥肌が立ちますね。




★ジェームズ・ガーナー (James Garner)
 <1928年4月7日 - 2014年7月19日>


映画『大脱走』(1963年)などで知られる名優中の名優ですが、
テレビドラマにもレギュラー出演し続けていました。
中でも、コメディ要素のあるサスペンスドラマ
『ロックフォードの事件メモ』では主人公の私立探偵を演じ、
国内外の視聴者(日本人も!)を虜にしています。
ジョン・リッター主演のシットコム『パパにはヒ・ミ・ツ』では、
主演のリッター急逝後、途中参加ながら番組を引っ張りました。
ハンサムな青年からシブい探偵、そして愉快なおじいちゃんと、
年齢に合わせて役柄を演じ切った国民的俳優の一人です。




★マヤ・アンジェロウ (Maya Angelou)
 <1928年4月4日 - 2014年5月28日>


キング牧師らとともに1950〜60年代の公民権運動をリードした、
現代アメリカを代表する黒人の女性作家・活動家です。
1993年のクリントン大統領就任式では自作詩を朗読し、
2011年にはオバマ大統領から自由勲章を授与されています。
アンジェロウはテレビのトーク番組にも積極的に出演し、
マスメディアを通して人権の重要性を訴え続けました。
オプラ・ウィンフリーもアンジェロウの影響を受けた一人です。
動画は、『セサミストリート』にゲスト出演した際のもの。
「♪私の名前もあなたの名前も素敵な名前」というシンプルな歌ですが、
「♪誰も私の名前を奪えない」という歌詞にハッとさせられます。




――というわけで、本日のこのブログでは、
2014年に亡くなった“米テレビ界の偉人”8名をご紹介しました。
それぞれの立ち位置は少しずつ異なりますが、
いずれも、「テレビ」というメディアを通して
その時々の米国民に夢や希望を与えた人物には違いありません。

映画と異なり、テレビではリアルタイム性が尊重されます。
今まさにお茶の間にいる視聴者に向けて番組は放送されるのです。
ですから、過去のある時期を代表したテレビシーンが、
2014年の現在でも普遍性を発揮しているとは限りません。
そこがテレビの面白いところでもあり、残酷なところでもあります。

しかし、良くも悪くも、時代というものは変遷するものです。
1970年の新製品を2014年の新製品としてリリースしたならば
それは「時代遅れ」ということになりますが、
その製品が1970年製であることを踏まえているならば
それは立派な「アンティーク」や「クラシック」製品となるでしょう。

「古いから」などという理由でクラシカルなものを軽視せず、
真正面から理解し、評価する姿勢を、私は今後も基本に据えたい。
そして、「古いとか新しいとかではない」という境地、
「笑いに古いも新しいもない」という見地を確立できれば――、と
ナウでヤングな(自称)若者としては目論んでいるところです。
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2014年08月12日

ロビン・“シェイクスピア”・ウィリアムズ逝く ―追悼に代えて


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現地時間11日――アメリカのコメディ界を代表する、否、
ショウビズ界を代表する名優ロビン・ウィリアムズが亡くなりました。
享年63。警察の発表によれば、首吊り自殺による窒息死とのこと。
ウィリアムズは重度のうつ病を患っていたとの報道もあります。

ロビン・ウィリアムズのファンを自称できるほど
私はウィリアムズの活動を“追いかけ”てきたわけではありません
(――もっとも、ロビン・ウィリアムズに
 『ストーカー』という主演映画があることぐらいは知っていますが)。

ですから、ここでは、
コメディ界の生きる伝説(93歳!)である
カール・ライナーが記した追悼メッセージを紹介したいと思います。

 (これほどまで才能に溢れ、深く愛され、尊敬されたパフォーマーは他にいない。彼が自ら命を絶ったなんて本当に残念だ。君がいなくなって寂しいよ、ロビン・ウィリアムズ。)

 (天才とは、質の高い仕事を多く残す者のことである。――つまりはシェイクスピアのことだが、しかし、私はロビン・ウィリアムズもまた天才であると考える。)


芸術に携わる者に対してこれ以上の賛辞があり得るでしょうか。
ライナーが記したこのメッセージがあまりにも感動的だったので、
拙訳を通じて、あえてライナーにご登場願った次第です。
自惚れ屋の私でも、さすがにこれ以上の追悼文を書く自信はありません。



――さて、ロビン・ウィリアムズは、
ジョン・リッターというコメディ俳優の盟友でもありました。
リッターは、1970年代後半〜1980年代前半に放送された
ABCのシットコム『Three's Company』の主人公役で一世を風靡し、
以後、アメリカのテレビドラマ・映画で活躍し続けた人物です。

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若かりし頃のウィリアムズ(写真左)とリッター

2003年9月11日、ジョン・リッターは、
ABCのシットコム『パパにはヒ・ミ・ツ』のリハーサル中に突然倒れ、
すぐに病院に運ばれましたが、そのまま帰らぬ人となりました。
その後、主人公を失った『パパにはヒ・ミ・ツ』は
“パパ”抜きの物語としてシリーズを継続します(2005年終了)。
劇中でも“パパ”は突然死去した設定となり、
しばらくの間、父を失った家族のショックと悲しみが描かれました。

ウィリアムズは1980年代から禁酒生活を送っていましたが、
2004年頃、またもお酒に手を出してしまいます。
その最大の理由の一つとして挙げられているのが、
盟友だったジョン・リッターの突然の死です。
悲しみのあまり、彼は再びお酒に手を出したと推測されています。

――ウィリアムズを追悼するためだけのエントリにするはずが、
彼の盟友であるジョン・リッターについても触れてしまいました。
本当はもう一つ書こうと思っていたことがあるのですが、
それについてはもう少し言葉がまとまってから出直すことにします。



いずれにせよ、ロビン・ウィリアムズを失ったことに対して、
私たちが生きるこの世界は嘆き悲しまなければなりません。
なにしろ、大統領の代わりになる人はどの時代にも何人かいますが、
ウィリアムズの代わりになる人はどの時代にも一人もいないのだから。

そして、コメディを愛している者たちは、
一通り嘆き悲しんだ後には「あること」をしなければなりません。
それは、遺されたロビン・ウィリアムズの作品を楽しむことです。
幸いなことに、ウィリアムズの出演作は大半がソフト化されています。
日本でも彼の出演作を鑑賞することは難しくありませんね。

あえて一作だけ挙げるとすれば、私のおすすめは、
ポール・マザースキー監督『ハドソン河のモスコー』(1984年)。
そして、前言を翻してあともう一作だけ挙げるとすれば(!)、
ロビン・ウィリアムズのもしも私が大統領だったら…』(2006年)
というバリー・レヴィンソン監督作品もおすすめしておきます。

感動的なドラマ作品である『いまを生きる』(1989年)や
パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)での
ロビン・ウィリアムズを見ているとついつい忘れがちですが、
NBC『サタデー・ナイト・ライブ』に出演していた頃の
ウィリアムズは非常に攻撃的なスタンダップコメディアンでした。

社会風刺を織り交ぜたスタンダップコメディは彼の十八番で、
『ロビン・ウィリアムズのもしも私が大統領だったら…』では、
攻撃的なコメディアンとしての本来の姿が発揮されています。
アドリヴの演技に後から絵を合わせた『アラジン』(1992年)でも、
ロビン・ウィリアムズの芸達者ぶりを堪能することができます。



誰もが頭では分かっているように、時計の針は元に戻せません。
私たちに許されているのは過去を振り返ることだけです。
そして、ロビン・ウィリアムズの遺した多くの作品を楽しむとき、
ウィリアムズは決して「過去の人」などではなく
「現在の人」として、私たちの心を明るく照らしてくれるはずです。


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