2018年01月15日

アメリカのコメディは“異人種装”をどのように描いてきたか


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 2017年12月31日に放送された『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』(日本テレビ系)での「ブラックフェイス」が人種差別的だと批判されている。
 私は雨宮紫苑さんの見解(『日本には日本の価値観があるとはいえ、世界的にブラックフェイスがタブーであるという事実は変わらない。』)とほぼほぼ同意見だが、コメディを愛すると自称してきた人間として、近年(?)のアメリカンコメディにおける“異人種装”について少しだけ立ち入った話をしてみようと思う。



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そもそもの話、いったい何が問題なのか
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 他でも散々解説されているだろうから詳述はしないが、アメリカでは、黒人を模倣するために“黒塗り”をすること自体が黒人差別の歴史と直接的に紐付けられている。詳しくは「ミンストレルショー」で検索されたい。黒人を模倣するための“黒塗り”(「ブラックフェイス」)は、例えば日本人を原爆ネタで嘲り笑うのと同程度のタブーなのである。日本で生まれ育った大半の日本人には理解しにくくとも、当事者たる黒人(とりわけアメリカにルーツを持つ黒人)にとってはそうなのだ。

 Q. 「それはアメリカの話だろう。日本は関係ないじゃないか」
 「ブラックフェイス」はアメリカの白人が気にすればいいだけの話だと思う者もいるかもしれない。しかしこれは「誰が」ではなく「誰を」どうネタにしているかの問題なのだ。とりわけアメリカにルーツを持つ黒人にとってはそうである。日本には黒人差別の歴史がないと思うからといって、日本で黒人を「ニガー」と呼称していいことにはならないだろう。イギリスが日本に原爆を投下していないからといって、イギリス人なら日本人を原爆ネタで笑っていいことにはならないだろう。

 Q. 「どんな場合でも“黒塗り”は許されないのか」
 私はそうは考えない。例えば、子どもが田んぼで転んで泥まみれになる描写が規制されるべきではない。たとえ黒人模倣としての“黒塗り”(「ブラックフェイス」)が登場するとしても、そのことで「反差別ギャグ」が形成されるのであればむしろ立派なことだと思う。「保毛尾田保毛男」のコントで客を笑わせようとすることと、「『保毛尾田保毛男』のコントで笑いをとろうとした時代遅れの芸人が逆に世間から嘲笑されるコント」で客を笑わせようとすることはまったく意味が異なる。

 Q. 「“黒塗り”をする側に悪意がなければ構わないだろう」
 形而上ではなく現実の話をしたい。差別的な意図が存在していなかったからといって、差別的な表現がなかったことになるわけではないだろう。例えば、「ホモ」という呼称は同性愛者の蔑称として当事者を傷付け続けているが、「私はリスペクトの精神から同性愛者を『ホモ』と呼んでいる」と釈明しても当事者の神経を逆撫でするだけだ。侮蔑する意図がないなら、当事者の多かれ少なかれを傷付けることがあらかじめ分かっている表現を、わざわざ使用するべきではない。



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アメリカンコメディの“異人種装”あれこれ
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 さて、『笑ってはいけない』での「ブラックフェイス」をめぐっては、「これが差別なら○○も差別ではないのか」という反応をいくつか見聞きした。「○○」の話をしているわけでもないのにそのようなことを言い出すのはそもそも話を逸らす行為でしかないと思うのだが、それらの“告発”が的外れな上に、アメリカンコメディへの無理解に我慢がならなくなったので、「○○」をいくつか例示してみたい。


1. 「エディ・マーフィだって白人に扮装していたぞ!」

▲ 『サタデー・ナイト・ライブ』 第10シーズン第9回 (1984年12月15日) より

 『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』(NBC)のレギュラー降板から半年後の1984年12月、『SNL』にゲスト出演したエディ・マーフィは、『White Like Me』と題するスケッチで白人男性に扮装した。このスケッチの題名と内容には元ネタがある。黒人コメディアンの先駆者であるリチャード・プライヤーが『SNL』第1シーズンにゲスト出演した際、トーク番組のパロディで、「著書『White Like Me』を最近出版したジュニア・グリフィンさん」という架空のキャラクターを演じたのだ。

 司会者 「こんばんは。『読書案内』へようこそ。司会のジェーン・カーティンです。今夜のゲストはアメリカでいくつもの本を出版している人物です。今夜は彼の新著『White Like Me』について話してもらいましょう。ようこそ、ジュニア・グリフィンさん。新著の内容について教えてください」
 グリフィン 「ええと……。白人が抱える問題を理解する唯一の方法は白人になることだと、私は思い立ったのです。実際に白人になり、白い肌を得て、白人の世界で白人のように生きてみるしかない。そうでしょう?」
── 『Looks At Books』 (1975年12月13日)

 『White Like Me』はいわばプライヤーへの“オマージュコント”なのである。白人であるというだけで新聞をタダでもらえたり、銀行から審査なしでお金を貸してもらえたり──。このスケッチは白人が優遇されている社会を皮肉る「反差別ギャグ」であり、『SNL』の歴史に名を刻む傑作コントとしか言いようがない。ただし、「このスケッチは現在に至るまで決して作り話ではない」というデイリーニューズ紙記者の指摘を読んでしまうと、笑って済ますことが難しくなるが。



2. 「テッド・ダンソンだって黒人に扮装していたぞ!」

ted-danson-1993-roast-blackface.jpg▲ 『Friars Club Comedy Roast』 (1993年10月8日) より

 非当事者による「反差別ギャグ」の難しさを体現したのが、シットコム『チアーズ』(NBC)で知られるテッド・ダンソンだ。1993年に行われたウーピー・ゴールドバーグのローストで「ブラックフェイス」を披露したのだ。ローストというのは、主賓と縁のある人物が舞台に上がり、主賓を毒舌ジョークでこきおろしていく企画のことである。これは主賓と登壇者との間に友情や親交があるからこそ成立するもので、相手をイジることで褒め称えるという遊びにほかならない。

 ゴールドバーグと当時交際していたダンソンは、「ミンストレルショー」のパロディと一目瞭然の「ブラックフェイス」で登場し、「ニガー」という単語を十数回に渡って連発した。ダンソンのパフォーマンスに主賓のゴールドバーグは大ウケしたが、そのあまりにも直接的で攻撃的なユーモアに当事者の少なからずが不快感を表明した。ゴールドバーグは「レイシストを風刺したもの」にすぎないとして当時の恋人を擁護したが、のちにダンソンは公の場での謝罪に追い込まれている。

 ダンソンが非難を浴びたのは、差別主義者を描くことで差別の愚かさを示すという「反差別ギャグ」の文脈を上手く表現できていなかったからだろう。焦点と言葉選びを間違えれば、毒舌ジョークも単なる誹謗中傷になってしまう。この一件は、コメディにとって肝要なのは表現者の意図ではなく表現そのものであるということ(意図は行為を正当化し切れない)、そして白人が「ミンストレルショー」をパロディ化するのは時期尚早だということを教えているのかもしれない。



3. 「エディ・マーフィだってアジア人に扮装していたぞ!」

▲ 『マッド・ファット・ワイフ』 (2007年) より

 またしてもエディ・マーフィである。ということでお分かりのように、人種ネタとコスプレ芸はマーフィの代名詞なのだ。『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』(1996年)での1人7役は日本でも有名だろう。みのわあつお先生は『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』(2000年)を「エディ・マーフィの最高傑作」と評するとともに、マーフィのコスプレ芸歴をまとめている(『White Like Me』の放送時期がマーフィの『SNL』レギュラー時代とされているのは誤り)。

 まず、『〜クランプ家の面々』での驚きとすごさは、エディが前作の一人七役から、一人九役へとバージョンアップしていること。この“一人複数役”こそ、まさにエディの最高の芸だ。古くは、「SNL」のレギュラー時代(80〜84)に、特殊メイクで白人に扮したエディ(役名は、ミスター・ホワイト)が、ニューヨークの街に出て、いかに白人が優遇され、黒人が冷遇されているかという風刺ギャグを演じた。このギャグが大受けし、エディは『星の王子ニューヨークへ行く』(88)でも“一人複数役”を演じ、『エディ&マーティンの逃走人生』(99/未)の五十歳を超えた老人役へと受け継がれ、極めつけが『〜クランプ家の面々』の一人九役となったのだ。
── みのわあつお 『サタデー・ナイト・ライブとアメリカン・コメディ』(フィルムアート社) p.60

 『マッド・ファット・ワイフ』(2007年)でマーフィは原案・脚本・製作を担当するとともに、出演者としても一人三役に挑み、@親に捨てられて孤児院で育てられた黒人男性ノービット、Aその幼なじみの黒人女性ラスプーシア、B孤児院院長のアジア系男性ウォンを演じた。ウォンはノービットの父親代わりとなる最も重要な脇役であり、マーフィの芸風を反映させたキャラクターである(それゆえ、本来ならばアジア系俳優が得るべきだった職をマーフィが奪ったとは言い切れない)。

 なぜマーフィは院長をアジア系に設定したのか。これは推測だが、非白人の人種的マイノリティが差異を越えて共存する世界を描きたかったからではないだろうか。人種的マイノリティ同士が白人の“加護”を受けることなくフツーに共生できることを示したかったからではないか。そう考えれば、映画の冒頭で「クジラ狩り」をわざとらしく表現し(誇張されることでギャグは非現実性を高める)、「クジラ狩り」と黒人少年たちを絡ませていたのにも論理的な説明がつく。

 院長がアジア系なのは「黒人の親に捨てられても、別の非白人が拾ってくれる」という趣旨でもある。思い返せば、マーフィは白人にも黒人にも媚びないコメディアンだった。『ナッティ・プロフェッサー』では差別的な芸人役に黒人俳優を起用している。『マッド・ファット・ワイフ』でのマーフィは“第3の人種”を投じることで、「白人対黒人」という既存の人種観をも相対化したのだ。「相対化」をコメディの主要な役割と捉えれば、マーフィこそは正統派のコメディアンだと称えるだろう。



4. 「ロバート・ダウニー・Jr.だって黒人に扮装していたぞ!」

▲ 『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』 (2008年) より

 エディ・マーフィ同様、ベン・スティラーもコスプレが好きなコメディアンだ。脚本・監督を務めた『ズーランダー』(2001年)では奇抜なファッションに身を包み、製作を務めた『ドッジボール』(2004年)では特殊メイクに挑んだ。そして、原案・脚本・監督・製作を務めた『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』(2008年)ではジャック・ブラックに『ナッティ・プロフェッサー』シリーズ(1996年〜2000年)風の特殊メイクを施し、ロバート・ダウニー・Jr.には“黒塗り”をさせている。

 ダウニー演じるラザラスは役者バカの“カメレオン俳優”で、本当は白人であるにもかかわらず、黒人役を演じるため皮膚整形を施したというイタいキャラクターである。今や精神的にも自分自身を黒人だと思い込んでいる。劇中では「なんて連中だ」と罵られて「『連中』だと? 俺たち黒人を侮蔑しているのか」とマジギレし、本物の黒人俳優から「お前は黒人じゃないだろ」とツッコまれるくだりもあった。まさしく「ブラックフェイス」を利用した一種の「反差別ギャグ」だと称える。

 本作での演技が認められ、ダウニーはアカデミー賞にノミネートされた。人々はダウニーの「ブラックフェイス」を「反差別ギャグ」の一環として受け入れたのだ。もちろんスティラーは批判が起こる可能性を考慮していなかったわけではない。全米黒人地位向上協会で試写会を開き、黒人ジャーナリストの反応を事前に確かめていた。スティラーは語っている。「映画を観た者なら、その文脈からして、彼の役柄が“メソッド俳優”であるということは分かってくれるだろう」。



5. 「フレッド・アーミセンだってオバマ大統領のモノマネをしていたぞ!」

▲ 『サタデー・ナイト・ライブ』 第34シーズン第6回 (2008年10月25日) より

 2013年まで『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』の代表的レギュラーだったフレッド・アーミセンは、2008年2月から番組内のスケッチでバラク・オバマ大統領を演じていた。たしかにこのモノマネは一部から批判を受けた。といっても、批判のポイントは「なぜ黒人コメディアンに黒人大統領を演じさせないのか」というものである。番組プロデューサーのローン・マイケルズは、2012年の新シーズン開始に合わせてオバマ大統領役をジェイ・ファロアに交代させている。

 なぜアーミセンの「ブラックフェイス」は批判を浴びずに済んだのか。私が思うに、その“黒塗り”がツッコもうにもツッコめないほど軽微なものだったためではないだろうか。2009年3月に放送されたスケッチ『The Rock Obama』では特に“黒塗り”はしていないようにさえ見受けられる。“黒塗り”の有無がよく分からなくてもオバマ大統領のモノマネとして成立しているところをみると、“黒塗り”は決して黒人を模倣するための必須条件ではないことが分かる。

 ちなみに、『SNL』でミシェル・オバマ夫人を演じていたのは誰かというと、配役難航の末、結局は元レギュラーのマーヤ・ルドルフが番組に復帰して演じていた。ルドルフの母親は黒人歌手のミニー・リパートンである。スケッチでは多少“黒塗り”を施しているようにも見えるが、黒人自身が“黒塗り”をする分には許容されるということなのだろう。しかし、「後進に道を譲るべき」という声も上がっていたためか、2014年からはサシーア・ザメイタが夫人役を演じるようになった。



6. 「ビリー・クリスタルだってサミー・デイヴィス・Jr.のモノマネをしていたぞ!」

billy-crystal-sammy-davis-jr-oscar-2012.jpg▲ 第84回アカデミー賞授賞式 (2012年2月26日) より

 2012年のアカデミー賞授賞式はエディ・マーフィが司会を務めるはずだった。ところが何やかんやあって司会を降板し、ビリー・クリスタルがピンチヒッターとして起用される。泣く子も黙る「Mr.アカデミー賞」の安定した司会ぶりはおおむね好評だったが、クリスタルが作品賞候補作品の世界に迷い込むというコント仕立てのオープニング映像が一部から批判を受けることになった。劇中でサミー・デイヴィス・Jr.を演じるために“黒塗り”をしていたからである。

 もっとも、その背景については言及しておく必要があるだろう。若手時代からクリスタルはデイヴィスを敬愛する人物と公言し、本人の公認を得る形でモノマネを披露してきた。1986年に放送された『Billy Crystal: Don't Get Me Started』(HBO)での本気のモノマネは今でも語り継がれるほどで、これほどまでの“憑依芸”を見せることができるのは、映画『マン・オン・ザ・ムーン』(1999年)でアンディ・カウフマンを演じた際のジム・キャリーぐらいなものだろう。

 クリスタルの“黒塗り”について、ある保守派のコラムニストは「『ブラックメイクアップ』と『ブラックフェイス』は違う」と主張した。特定の個人への本気の「オマージュ」なのだから問題ないというわけだ。この意見を『笑ってはいけない』に当てはめて考えるなら、そもそもあれが本当にエディ・マーフィのモノマネとして機能していたのかどうかを検証する必要がある。共演者の発言なども踏まえると、どうも私にはあれをモノマネとして捉えること自体に抵抗があるのだが。

 ところで、クリスタルは『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』でも“黒塗り”を披露していた。1984年に放送された『Baseball』というモキュメンタリー形式のスケッチで、クリストファー・ゲストとともに「ニグロリーグ」の元選手に扮装しているのだ。このスケッチは古い『SNL』ファンの間では有名なスケッチだが、番組の正史からは事実上抹殺されている。クリスタル本人も2017年の取材で「今では許されない」というようなことを話していて、もはや再放送されることは考えにくい。



7. 「スティーヴン・マーチャントだってアジア人に扮装していたぞ!」

movie-43-stephen-merchant.jpg▲ 『ムービー43』 (2013年) より

 『ムービー43』(2013年)は大好きな映画である。劇中のスケッチはどれもよく作られていて、決して豪華キャストだけが見どころではない。さてイギリスのコメディアン、スティーヴン・マーチャントがアジア人の特殊メイクを施されているのは、ピーター・ファレリー監督のスケッチ『フィーリング・カップル 下衆でドン!』でのことだ。デートの相手との「真実か挑戦か」ゲームが過熱した結果、整形手術でアジア人の風貌となり、相手からは「アジア人とは寝たくないの」とフラれる。

 アメリカ劇場公開版において、このスケッチは狂った脚本家(デニス・クエイド)の狂った企画として劇中劇形式で描かれている。このスケッチの直後には映画プロデューサー(グレッグ・キニア)が「アジア人に対して失礼だ」と冷ややかにツッコむ場面もあり、文脈から判断すれば差別的な印象は受け取れない。どんな「失礼な描写」をいくら描いても「それは失礼な描写だ」と一言添えれば許されるというわけではないが、総合的には広義の「反差別ギャグ」とみなせるだろう。

 スケッチ単体で判断する場合でも、実際に中身を鑑賞すれば分かるように、特定の人種を下に見てその人種に“変更”する外科出術は、「盲目の子の誕生日ケーキのろうそくを先に吹き消す」のと同程度かそれ以上に“下衆”な行為として位置付けられている。「反差別ギャグ」と称えるほどの趣旨がスケッチ自体に含まれているわけではないが、全体の構造としては「アジア人」自体というよりも「例えば人種差別的な言動を取るような連中」が笑いものにされているのだ。



8. 「チャニング・テイタムだってビヨンセのモノマネをしていたぞ!」

▲ 『リップシンクバトル』 第2シーズン第1回 (2016年1月7日) より

 芸能人が“口パク”パフォーマンスの出来を競い合う『リップシンクバトル』(MTV)の第2シーズン初回は、チャニング・テイタムとジェナ・ディーワンの夫婦対決だった。番組内でテイタムはビヨンセに扮して『ラン・ザ・ワールド(ガールズ)』の“口パク”を披露したが、たしかにその際のテイタムは顔を多少“黒塗り”しているように見受けられる。もっとも、放送後の反響は“ご本人登場”に限定され、テイタムの「ブラックフェイス」を指摘する意見はごく少数だった。

 この「ブラックフェイス」への批判が皆無に等しかったのは、テイタムの“黒塗り”が軽微(一般的な女性用メイクを施しただけだという弁明も成り立つ程度)だったことに加え、ビリー・クリスタルがサミー・デイヴィス・Jr.に扮した時のような本気のモノマネであり、かつビヨンセ本人のお墨付きを得る形で披露されていたからだろう。言い換えるならば、実際に「ブラックフェイス」が施されていようがいまいがどうでもいい場合においてのみ、「ブラックフェイス」は見過ごされ得るのだ。

 これに対し、『笑ってはいけない』での「エディ・マーフィに扮した」とされるものは「本気のモノマネ」どころか、肌色とジャンパーが共通しているだけの単なる“出オチ”にすぎなかった。番組内では「普通に笑てんねん! 黒人がこっち見て」(「マーフィが」ではなく「黒人が」である)という発言で笑いが誘われてもいた。これでは「マーフィ→黒人→黒い肌」というステレオタイプだけで造形されたキャラクターを、しかもそのマイノリティ性を笑っていると批判されても仕方ない。



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結局の話、いったい何が問題なのか
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● 「傷付けないのはいいことだ。でも……」

 ここまで見てきたように、「ブラックフェイス」の中には「反差別ギャグ」として機能したものもあれば、本気のモノマネであるがゆえに見逃されたものもあった。そもそも「ブラックフェイス」と“アジア人装”では位相が異なるが、『トロピック・サンダー』での「ブラックフェイス」はアメリカでも当然に受容されたのだから、アジア人の扮装はよくて「ブラックフェイス」は何が何でもダメだというわけではない。どのような文脈で「ブラックフェイス」が用いられているかが重要だということだ。

 それは言い換えるならば、アメリカの大半の観客はそれぞれの「ブラックフェイス」がどのような文脈で使われているかを理解、ないしは感知しているということでもある。コメディは人間の本質に迫ろうとすればするほど「文脈」を大事にする。作者が「文脈」で勝負を挑み、観客が「文脈」を読み取ってきたからこそ、メル・ブルックス監督の『ブレージングサドル』(1974年)は、非常識な描写が多くても「反差別ギャグ」の名作としての揺るぎない地位を獲得できたのだろう。

 そのブルックスは言っている。「民族を傷付けないのはいいことだ。でも、コメディは危険を冒しながら境界線ギリギリを歩くべきものなんだ」。この世には風刺的なコメディしか存在しないわけではないが、風刺的なコメディの存在は許されていなければならない。常に問われるのは何をどのように表現するかだ。ブルックスは「悪趣味なだけ」のネタは通用しないとも断言している。コメディを作るのが難しいのは、コメディこそが人間社会の縮図であるからにほかならない。


● アメリカでも無知な白人は増えている

 2017年の終わりに放送されたバラエティ番組がきっかけで、日本人は黒人差別の歴史にいかに無知であるかを自覚することになった。しかし無知なのは日本人だけではない。当のアメリカでも無知な者は増えている。黒人コメディアンのロイ・ウッド・Jr.は『ザ・デイリー・ショー』(コメディ・セントラル)のスケッチで、ハロウィンの仮装で「ブラックフェイス」を施すことの悪質性を訴えた。「肝心なのはそれが残虐な過去に由来しているということだ。だからこそ問題なのだ」。

▲ 『ザ・デイリー・ショー』 (2017年10月26日) より

 たしかにそれは外国の歴史かもしれない。だがインターネットが存在し、日本でも黒人が暮らしている以上、もはや日本人にとっても他人事では済まないだろう。──ところで、ウッドが出演したこのスケッチには素晴らしいオチが付いている。「レイシストの仮装をしたければこれがおすすめだ。『スティーブ・バノン』。差別的な仮装をせずに差別主義者を表現できる」。優れたコメディアンはいつだって現実の厄介ごとをジョークに変換してくれる。「笑いこそは最良の薬」である。


(文中だいたい敬称略)
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2017年12月22日

「私はいまだに堂上華族の娘」 池坊保子とは何者なのか



 突然だが、私は怒っている。

 今年(2017年)11月に発覚した元横綱・日馬富士の暴行事件を受けて、日本相撲協会評議員会の池坊保子議長が「相撲協会は法律よりも上」などと発言したという事実無根の記事がインターネット上に出回っているためである。




◆ 「法律よりも上」というデマ

 11月26日、池坊女史はテレビ朝日系のニュース情報番組『サンデーLIVE!!』にゲスト出演した。その数日後、池坊女史が番組内で「相撲協会は法律よりも上」などと発言したという箇所の“文字起こし”がインターネット掲示板に投稿され、複数のまとめサイトがその“文字起こし”をもとに記事を作成した。それらの記事はまたたく間に拡散され、Twitter上は池坊女史を非難するツイートであふれ返った。Togetterでも『池坊保子「相撲協会は法律よりも上」』と題するまとめ記事が公開され、インターネット空間では池坊女史への批判がそれまで以上に激しく強まっていったが、実際にはその“文字起こし”はまったくの捏造だった。

 一人の人間(おそらくは)が虚偽の“文字起こし”をインターネット掲示板に投稿したことがきっかけで、デマが事実として拡散され、おそらくは未だに多くのネットユーザーが「池坊保子は『相撲協会は法律よりも上』と発言した」と信じ込んだままでいる──。フェイクニュースの恐ろしさを感じざるを得ない出来事であるが、何より許せないのは、その“文字起こし”はデマであるとの指摘を受けても相変わらずデマを垂れ流すまとめサイトが存在したことだ。これらのウェブサイトはもはや故意にフェイクニュースを流布させているとしか判断できない。日本でもフェイクニュースの取り締まりが検討されて然るべきであろう。

 それにしても、なぜこのような悪質なデマが流布したのだろうか。その答えのヒントとなる出来事がある。11月20日、池坊女史は暴力行為を「絶対にあってはならないこと」とした上で、相撲協会への報告義務を怠った貴乃花親方に苦言を呈した。おそらくはそれ以来、“貴乃花支持者”の人々は池坊女史のことを「敵」「悪」と見做すようになったのではないか。そして本来の発言に装飾が施され、貴乃花親方の「敵」である池坊女史を攻撃するためのストーリーが構築されたのだろう。この推察に客観的根拠は存在しないものの、Twitter上で散見される“貴乃花支持者”の善悪二元論的な傾向を眺めているとそのようにしか思えない。



◆ 「私はいまだに堂上華族の娘」

 私は以前から池坊女史のことを尊敬している。自省を厭わない実直な人柄には深い親しみを覚えてきたし、理性と情熱を併せ持って前進する姿勢には敬意を抱いてきた。しかし、日馬富士の暴行事件をきっかけに初めて池坊女史のことを知ったという人々は、テレビニュースなどを通じて感知した勝手なイメージで“池坊保子像”を作り上げてしまっているかもしれない。おそらくはそのような印象先行の思い込みこそが、池坊女史をめぐるデマを流布させる一因ともなったのだろう。そこでこのエントリでは、池坊保子という人物がどのような人物であるのか、粗雑にならない程度に私なりの言葉で説明を試みたいと思う。

 1942年4月18日、米軍ドーリットル隊が東京を空襲する中、堂上華族の梅渓家に三女が産まれた。それこそがのちの池坊保子女史である。母は久邇宮朝彦親王の六女と結婚した子爵・仙石政敬の末娘で、香淳皇后の従姉妹にあたる。父・通虎もまた子爵で、戦後は日本水産の取締役を務め、晩年にはよみうりランドの常任監査役として糸山英太郎氏の買収工作を阻止した。これは次女が正力亨氏に嫁いでいたからにほかならない。2012年に上梓された自伝『華の血族』(新潮社)で、池坊女史は「自分を規定する言葉を好まない」とことわった上で、強いて言うならば「私はいまだに堂上華族の娘」であると綴っている。

 右を向いて丁寧極まる尊敬語を使いこなした直後、左を向いて乱暴な言葉で友と語ることもできる。生活力がなさそうでいて、生き延びる術は心得ている。乞食になろうと、乞食なりに人生を味わい、プライドを持ち続ける。何の恒産も持たない公家として、ただ頭だけを使い、権謀術数を駆使し、人の心を読み、人の弱点を見据え、社会の流れを敏感に感じとり、権威を保ちつつ、知恵だけで生き延びていく。そんなしたたかさと誇り高さと生命力が堂上華族の血であって、それは父の血そのものであり、私にもその血は脈々と流れている。
── 『華の血族』 (新潮社) p.11-12

 池坊女史は学習院大学在学中に華道家元池坊の池坊専永家元と結婚した。最初の数年間こそ京都での生活に戸惑っていたようだが、次第に持ち前の発信力を発揮し始め、若き家元夫人としてメディアに露出するようになる。二女にも恵まれ、自身は池坊学園の理事長・学園長として生け花の発展に尽力した。しかし1984年、編集者の口車に乗せられて月刊誌『PENTHOUSE』(講談社)にセミヌード写真を撮らせてしまう。週刊誌やワイドショーの格好の餌食となったが、今日に至るまで編集者への恨み節を述べようとしない(それどころか「私が編集長でも同じことをしたに違いない」と冷静に省みる)ところが池坊女史らしい。



◆ しきたり×「合理的な精神」

 「生け花の根源」である華道家元池坊の家元夫人というと、いかにも権威的で伝統主義的なキャラクターを連想する向きもあるだろう。しかし実際の池坊女史は“合理主義者”とさえ称える思考の持ち主であり、日本の伝統文化を尊重しつつもリベラルな価値観を体現してきた女性である。例えば、池坊女史は2012年に上梓した著書『美しい日本のしきたり』(角川SSC新書)の第一章において、人日の節句(1月7日)の「七草粥」の風習を解説するとともに、七草粥はもともとは「寒さが厳しい」季節に「野菜不足を補う」ための料理であったのだろうから「現代風にアレンジ」してみてはどうか、と読者に提案する。

 現在では、お節料理で疲れた胃をいたわってくれるのが、七草粥です。七草をセットにして、パックに詰めたものが売られていますが、7日のだいぶ前から野菜売り場に積まれていて、残念ながら、鮮度がいいとは言えません。せっかくいただくなら、新鮮な野菜のほうがいいのではないでしょうか。
 せり、大根(すずしろ)、かぶ(すずな)は、泥付きの新鮮な物が手に入っても、ほかのものはなかなか野菜売り場で探すことはできません。それならば、新鮮なブロッコリーやほうれん草、小松菜など、栄養価の高い緑の野菜を7種入れてお粥を作るのはどうでしょうか? 緑の野菜にこだわらず、にんじんやかぼちゃを入れてもいいかもしれません。要は、家族の健康を願って作るもの。
── 『美しい日本のしきたり』 (角川SSC新書) p.31

 何とも合理的な提案だが、池坊女史はただいたずらに変革を訴えているのではない。この文章の後に「古から異国の習慣を、自分たちの暮らしに合うようにアレンジして取り入れてきた日本人は、もともと合理的な精神を持っているのです」という一文を添えている。合理的改革にも歴史的な正統性を求めるところが、伝統文化の世界を生き抜いてきた池坊女史の面目躍如であろう。同書ではこのほか、メールやパソコンといったツールを上手に活用することの重要性も説かれている。マナーや作法は相手を心地よくさせるための手段にすぎない。池坊女史は目的と手段を違えては本末転倒だということを熟知しているのである。



◆ 国会議員としての5870日

 1996年から2012年までの16年間に渡り、池坊女史は衆院議員として忙しい日々を送った。政界入りのきっかけは新進党の小沢一郎党首からの出馬要請である。池坊女史は比例近畿ブロックの単独1位候補として初当選するも、一年後の1997年末、小沢党首の独断で新進党は解党してしまう。この時、池坊女史は「お肉だけでない。党も解党するんだ」と思ったという。居場所を失うことになった池坊女史は、「教育、福祉をやっていきたいという強い希望」があったことから「その政策を同じくする」旧公明党グループへの参加を決意する。1998年の公明党再結成にも参加し、政界を引退するまで公明党の議員として活動を重ねた。

 華道池坊の家元夫人であるということは頂法寺(六角堂)の住職の妻であることを意味する。創価学会を支持母体とする公明党に池坊女史が参加するとの報せには、当時の誰もが驚いたことだろう。しかしこのエピソードこそ、池坊女史のユニークな性格を示す具体例であるように思う。壁を越えてきたことへの配慮があったのか、公明党はいずれの衆院選でも池坊女史を比例近畿ブロック単独1位の座に据えた。党と女史の間で密約が交わされていたわけでも、女史が見返りを企んで入党したわけでもないだろうが、もしかすると堂上華族の「したたかさと誇り高さと生命力」を池坊女史は無意識に発揮していたのかもしれない。

 衆院議員時代の池坊女史は一貫して文部科学委員会に属し、ひたすらに文教畑を歩み続けた。森・小泉内閣では文部科学政務官を、第1次安倍・福田内閣では文部科学副大臣を歴任している。特筆すべき実績を一つ挙げるとすれば、やはり議員立法による児童虐待防止法の成立であろう。当初は反対論が強く、「虐待としつけはどう違うのか」と難癖をつけられることもあったが、自由民主党の太田誠一、民主党の田中甲、日本共産党の石井郁子、社会民主党の保坂展人の各衆院議員とともに法案を練り上げた。衆院青少年問題に関する特別委員会理事としてのリーダーシップも発揮し、2000年に法案を成立へと導いている。

 今年(2017年)12月8日、安倍内閣は「新しい経済政策パッケージ」を決定し、2020年度までに「年収590万円未満世帯を対象とした私立高等学校授業料の実質無償化を実現する」方針を明確にしたが、これなども池坊女史が衆院議員時代に取り組んでいたテーマの一つである。現職議員として迎える最後の通常国会となった第180回国会の衆院予算委員会では、私立高校の授業料無償化をめぐって当時の野田佳彦首相や安住淳財務相らを相手に堂々たる貫録を見せつけている。下掲の録画では今年4月に逝去した中井洽予算委員長の中立的な運営ぶりも垣間見えるので、時間が許すようであれば視聴していただきたい。

▲ 第180回国会 衆院予算委員会 (2012年3月1日)



◆ 「あっという間」の解任劇

 池坊女史は2010年には日本漢字検定協会理事長にも就任している。漢検協会では当時、前理事長らが資金の私的流用を疑われて辞職したことを受け、元日本弁護士連合会会長の鬼追明夫氏が理事長を務めていた。しかしその鬼迫氏も理事長を退任したため、池坊女史に“貧乏くじ”が廻ってきたのである。文教政策に精通する池坊女史であれば漢検協会を改革できるという期待もあったが、漢検協会の体質はそう容易く革められるものではなかった。外部からやってきた池坊女史の存在が目障りだったのだろうか、女史を中傷する怪文書や街宣車までもが出回り、池坊女史は「あっという間に」理事長職を解任されたのだった。

 街宣車にも屈しない私に、更に苛立ったのでしょう。暗い闇の存在者(誰だか私にはわかりませんが…)は、今度は職員有志と書いた匿名の私への中傷、誹謗の手紙を評議員、理事に送りつけたのです。誰が一体街宣車を依頼したのか。依頼した誰かがいるのです。
 しかしながら、その解明もないまま、中傷されるような私はけしからんという風潮がいつの間にか一部の理事者の流れを構築していったのです。本来、問題にすべきは匿名の記事が来た事ではなく、そのような職場の中に存在する風土、文化のはずでした。
 しかし、それらを検証する時間もなく、あっという間に、匿名記事がくるような理事長は理事長にふさわしくないという事で罷免されたのです。
── 池坊保子ブログ (2011年5月26日付)

 政界引退後の2013年、池坊女史は日本相撲協会の公益財団法人化に伴い新設された評議員会の議長に就任した。今年(2017年)11月に日馬富士による暴行事件が発覚してからは、その発言と存在感がひときわ注目されている。私は女史の発言をつぶさに把握しているわけではないが、聞き及ぶ限り、少なくとも本件に関して池坊女史は社会的に至極真っ当なことを言い続けているように思う。先述の『サンデーLIVE!!』にゲスト出演した際の発言内容(文字起こしはこちら)についても、警察に被害届を提出する前に相撲協会に問題を報告する必要性はないと思うものの、その点を除けば特に違和感はない。



◆ 貴乃花は本当に“正義”なのか

 本件をめぐっては「事実関係を調べる役目は警察に任せておけばいい」などと暢気に主張している者もいるようだが、警察と相撲協会とでは役割が異なる。警察の捜査が刑事手続きの一端であるのに対し、相撲協会の調査は@協会員間の問題について事実関係を整理したり、Aその結果をメディアや世間一般に公表したり、B協会員の処分を判断するための材料を集めたり、C組織としての再発防止策を講じたりするためのものである。警察の捜査と協会の調査は決して対立するものではない。趣旨も目的も異なり、相互に干渉することが許されない以上、警察の捜査と協会の調査は当然に両立されるべきものである。

 「警察の捜査結果が発表されるのを待てばよいではないか」と考える者もいるかもしれない。たしかに重大事件が起こると警察が記者会見を開き、テレビのニュースでは「捜査関係者の話によると……」という情報が報じられることはあるが、これらは特定の警察署や関係者による“サービス”の結果にすぎない。刑事手続きにおける警察の仕事は調書を作成して検察に報告することに尽きる。警察にはメディアに対して捜査結果を公表する義務などない。いくら緊密に連携を取っているからといって、相撲協会に詳細な捜査結果を伝える義務もない。公開裁判が開かれない限り、基本的には捜査結果が明るみに出ることはないのだ。

 そうすると今度は「裁判で事実が明らかになるのを待てばよいではないか」と考える者もいるだろうが、そもそも検察が被疑者を起訴するか否かはその段階になるまで分からない。起訴されなければそれまでである(検察には請求されない限り不起訴の理由を開示する義務はないし、リークされない限り捜査結果は明るみに出ない)。「裁判で事実が明らかになるのを待てばよい」と主張する者は、不起訴の場合は事件を隠蔽すべきだとでも考えているのだろうか。また、仮に裁判が開かれても事実認定に至るには相応の時間がかかる。それまで調査を行わず、事件をスルーして興行を続けるのは公益法人の対応として無責任であろう。

 それともう一つ、相撲協会が貴乃花親方への降格処分を検討していることについても言いたい。「被害者サイドを処分するのはおかしい」との声もあるようだが、親方は「被害者サイド」だから処分を検討されているのではない。巡業中に発生した問題を協会に報告しなかったり、弟子の休場に際して診断書を提出しなかったりと、協会員として果たすべき義務を怠ったから処分を検討されているのである。刑事事件の「被害者サイド」であることは所属組織の規則を侵してよい理由にはならない。「被害者サイド」だろうが「加害者サイド」だろうが、自らの“信念”で仕事をサボった会社員が社内で処分を受けるのは当然であろう。



◆ “反省”を決して忘れない

 ──最後は私見を述べることに終始してしまったが、私が池坊女史の半生を顧みて、そして最近の池坊女史の発言を聴いて思ったことは以上の通りである。それにしても、日馬富士の暴行事件はいつまで世間を騒がせるのだろうか。今やメディアの関心は事件そのものから貴乃花親方と相撲協会の“対立劇”へと移り、すっかり問題の本質がぼやけてしまったような気がしてならない。協会が事件を隠蔽しようとしたわけでも、理事会が貴乃花親方を敵視しているわけでもないのに(そもそも貴乃花親方は理事会の一員である)、本当にこれほどまで問題を長期化させる必要があるのか。これでは他の力士たちが可哀想である。

 12月21日、暴行事件を受けて実施された相撲協会の研修会で、評議員会議長として登壇した池坊女史は「本当に無念な事件が起きた。大切な教訓にして前に進んでもらいたい。負の遺産にしてはいけない」と協会員たちに訴えた。この世で現実を生きていく限り、人間は前へ進まなければならない。しかし人間は完全無欠の存在ではないから、前に進むということは何かしらの過ちを犯してしまうことを意味する。だからこそ人間には“反省”の能力が求められる。私が池坊女史のことを敬愛してやまないのも、女史が人生をエネルギッシュに前進しながらも“反省”を決して忘れない人物だからである。

 2009年の衆院選で公明党が大敗した際、池坊女史は「一週間ほど落ち込んだ」という。そこで女史は「スイッチの切り替え」のために旅行へ出かけたが、直後に自らの行動を反省する。最も落ち込んでいるのは自分ではなく落選した同志ではないか、炎天下の中を駆け巡った支援者ではないか。うだるような暑さの中で「私は末期がんだが……」と話してくれたあの支援者の顔を忘れたか。余裕がないため旅行に出かけれらない者が大半なのに、自分は「愚か者としか言いようが」ない──。私は人間にとって最も大切なのは誠実さだと信じている。しかしその“誠実”という名の弟は、“反省”という名の姉の支えなくして成り立たない。

 聖書にも、神様は無駄なことはなさらない、という一言があり、いつも心の片隅に留めていますが、人間は平時にはどんな偉そうなことも言えるのですね。
 若い人が人事の季節になり、同期の人が自分より早く出世して、落ち込んでいる時、よく「全て塞翁が馬よ。人生なんて、長い目で見なければ何事も分からないのよ。人生はあざなえる縄の如し。幸せが不幸を招き、不幸が幸せを運んでくることも数多くあるのよ」なんて偉そうなことを言って励ましていましたが、何と説得力のない私の言動であったことか。
 (中略) 政治家にふさわしくない、なんて見放さないで下さい。
 落ち込んだ後、私は必ずバランス感覚や公平性や、正義感を取り戻しますから。
── 池坊保子ブログ (2009年9月21日付)

(肩書はいずれも当時)
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2017年10月15日

君はすでにスターだ! プロップコメディ界の雄、“テープ・フェイス”


今更ですが、アメリカ・NBCの公開オーディション番組
『アメリカズ・ゴット・タレント』のシーズン11(2016年)に、
「The Boy With Tape On His Face」が出演していたのを知りました。

▲ 『アメリカズ・ゴット・タレント』 シーズン11 (2016年5月〜9月放送) より



『アメリカズ・ゴット・タレント』とは
 老若男女問わず歌手だけでなく、ダンサー、マジシャン、コメディアンなど様々なジャンルのパフォーマーが賞金100万ドルをかけてオーディションを行なうスター発掘番組である。 (中略)
 視聴者の投票により、アマチュアや世間によく知られていないパフォーマーが世に出る機会となる。
── Wikipedia



そして、「The Boy With Tape On His Face」とは
ニュージーランド出身、ロンドン在住のプロップコメディアンである
(言葉ではなく小道具を用いる笑いのことを「プロップコメディ」と呼ぶ)。

彼の本来のお名前(あるいは本名)は「サム・ウィルズ」と称うのですが、
口元に黒いガムテープ(?)を貼っている無言のキャラクター
「The Boy With Tape On His Face」こそが彼の代名詞です
(2016年頃からは簡略化して「Tape Face」と名乗っているようだが)。



数年以上前にもどこかで言及したはずだと思うのですが、
私はかつて「The Boy With Tape On His Face」にハマったことがあり、
一時期は YouTube で彼のステージ映像ばかりを視聴していました。

言葉を必要としない彼のパフォーマンスは誰にとっても分かりやすく、
少なくとも当時の私にとっては“とっつきやすい”お笑いだったのですね。

私の印象では、彼は2011年〜2012年に一つの“人気のピーク”を迎え、
世界中のコメディファンから注目を浴びる存在になりました。
外国でのツアー公演も組まれ、名実ともに国際的スターとなったのです。



──それでは「百聞は一見に如かず」ということで、
「The Boy With Tape On His Face」のステージ映像をご覧ください。
(すなわち、私がかつて繰り返し視聴していた動画の数々をご覧ください。)

▲ 『Comedy Rocks With Jason Manford』 (2011年1月14日放送) より

▲ 『Comedy At The Fringe』 (2011年8月放送) より

▲ 『The Comedy Proms』 (2011年8月27日放送) より



2011年12月には、毎年開催されているイギリス王室臨席公演
『ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス』にもゲスト出演し、
この年の公演の主賓であったアン王女とも握手を交わしています。

▲ 『The Royal Variety Performance 2011』 (2011年12月5日) より




それなのに、それなのに……

とっくに世界中のプロップコメディアンやマイマーが憧れる存在──
──になっていたはずの「The Boy With Tape On His Face」が、
“無名人”のためのスター発掘番組『アメリカズ・ゴット・タレント』に、
芸名を「Tape Face(テープ・フェイス)」と改めた上で出場していたなんて!

個人的には、素人オーディション番組に早野凡平先生が出てきて、
審査員から「なんだこのおっさんは。大丈夫か?」的な視線を送られつつ、
最終的には「あらまあ、意外に面白いじゃないの」と論評される──
──といったテイストの、モヤモヤッとくる違和感を抱かざるを得ません。

しかも、番組のステージ上で彼が披露していたのは、
彼が昔から演じてきた“鉄板ネタ”とでも称うべきパフォーマンスばかり。
本来なら「審査されるべきもの」ではなく「ギャラを支払われるべきもの」。

「The Boy With Tape On His Face」の存在を知っている私にとって、
彼の『アメリカズ・ゴット・タレント』出場は切なさを感じる出来事でした。
(だって、素人落語大会に若手真打ちが出ていたら切ないじゃないですか。)



彼の『アメリカズ・ゴット・タレント』出場に際して何より残念だったのは、
なぜか目の周りに濃厚なアイラインが引かれてしまったこと。
アイラインのせいで、かつては目元から放たれていた愛嬌が失われ、
「Tape Face」は人工的かつ警戒的なクラウンになってしまっています。

tape-face-before_after.jpg

彼がアイラインを引くことにしたのは、おそらくはプロデューサーから
「口にテープを貼っているだけじゃインパクトが足りないんだよな〜」などと
言われたからなのでしょうが、それにしてもこれは本当に残念、悲しい。

もしも「Tape Face」が何かの間違いでこのブログを読んでいたら、
今からでも遅くないからアイラインを引くのはやめろと申し上げたいです。
(そもそも、彼が日本語を読める可能性は限りなくゼロに近いだろうが。)



ちなみに、番組の結果を申し上げると、「Tape Face」は
ファイナリストには残ったものの、惜しくも(?)優勝は逃しました。

『アメリカズ・ゴット・タレント』の野暮で下品で馬鹿くさい審査員たちは、
自分たちの何十倍も“タレント”がある「Tape Face」を前にして
「こいつを優勝させたら洒落にならん……」とでも判断したのでしょうか。

──もっとも、本物の馬鹿であるメルB(メラニー・ブラウン)は
それ以前の問題として、ステージ上で目に余る醜態を演じていましたが。
(放送直後には彼女の態度をツッコむ記事がオンライン上にあふれた。)



個人的には一連の出来事に切なさを覚えざるを得ませんでしたが、
「世界的に有名な番組に露出したことで彼の名声が爆発的に拡散した」
と考えれば、『アメリカズ・ゴット・タレント』という低俗な番組への
「Tape Face」の出場も、実に効果的なチャレンジだったと言えるでしょう。

実際、『アメリカズ・ゴット・タレント』出場後の「Tape Face」は、
ヨーロッパのみならずアメリカでも公演の予定がびっしり埋まっています。

2016年の全英ツアーに続き、2017年には全米ツアーを成功させ、
さらに10月〜11月には一流ホテル「フラミンゴ・ラスベガス」で
計20日間に渡って単独ライブを開くという、従来以上の驚異の活躍ぶり。

何事も「Always Look on the Bright Side of Life
──あるいは「try positive thinking」が肝心なのですね、はい。
(イギリスのコメディアンの名曲を引用してきれいにまとめてみましたァ!)
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