2017年11月19日

“コメディの役割”と表現者の責任 ―“保毛尾田保毛男”をめぐって


 もはや古い話題になってしまったが、いわゆる「保毛尾田保毛男」問題に関する私の考えを記しておきたい。“たかが”バラエティ番組での出来事にすぎず、「テレビなんだから怒っちゃダメー!」(CV:小松政夫)なのかもしれないが。

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 はじめにことわっておくと、私が言いたいことはたった二つである。一つは「保毛尾田保毛男」ネタはコメディとして失格であるということ、もう一つは批判が噴出しても表現者がリアクションを示さないのは無責任であるということだ。



 去る9月28日に放送された『とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念スペシャル』(フジテレビ系)で、『〜おかげでした』の前身番組『とんねるずのみなさんのおかげです』(1986年〜1997年)のキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)」が復活した。男性同性愛者に対する偏見を戯画化したそのキャラクターは格好と名前からして侮蔑的だが(あるキャラクターが日本人であるというだけで、黒縁メガネと一眼レフカメラを身に着け「黄色猿男」と名乗っているのとだいたい同じことである)、その場におけるとんねるずとビートたけしのやり取りは同性愛者への偏見をさらに助長するものだった()。

 私は「保毛尾田保毛男」ネタをリアルタイムでは知らない。しかし、とんねるずの「保毛尾田保毛男」ネタが同性愛者や両性愛者(とりわけ男性の当事者)を深く傷付けてきたことは、少なくとも私にとっては、ナチスがユダヤ人を虐殺したことや、広島・長崎に原爆が投下されたことなどと同様の歴史的史実である。同性愛者らの書簡をまとめた『カミングアウト・レターズ』(RYOJI+砂川秀樹編、太郎次郎社エディタス)という本にも、「保毛尾田保毛男」ネタによって精神的に追い詰められた当事者の証言が掲載されている。2017年のテレビで「保毛尾田保毛男」ネタがよみがえったことは、私にとっては戦慄を覚える事態であった。

 「保毛尾田保毛男」ネタの復活を受けて、インターネット上では当事者以外からも批判の声が上がり、LGBT支援団体はフジテレビに抗議文を提出した。これに対し、一部のネットユーザーからは「同性愛者をコントやドラマに登場させるなということか」「同性愛者を特別扱いし、差別しているのは『保毛尾田保毛男』を批判する者たちのほうだ」などという意見が飛び出た。これらの意見はまったくの的外れとしか言いようがない。「保毛尾田保毛男」ネタを批判する者たちは、コントやドラマに異性愛者や同性愛者、男性や女性、身体障がい者や精神障がい者が登場したことではなく、その描かれようを批判しているのだ。

 風刺的なコメディで知られる映画監督のメル・ブルックスは、『ブレージングサドル』(1974年)を制作するにあたって、黒人に関する描写が度を越していないか、黒人の共同脚本家リチャード・プライヤーに常に相談していた。ブロードウェイミュージカル版『プロデューサーズ』(2001年初演)を制作するにあたっては、ゲイの作家仲間の記事を熟読し、当事者を傷付けることがないよう細心の注意を払っていた()。以前から「笑いにタブーはない」と豪語し、最近はポリティカル・コレクトネスの批判者からもてはやされているブルックスだが、コメディが当事者を苦しめてしまっては元も子もないということを熟知していたのだ。

 レニー・ブルースは時代をえぐる過激なパフォーマンスでアメリカ社会に一つの変革をもたらした伝説のスタンダップコメディアンだが、その友人だった映画製作者のウィリアム・カール・トーマスは、『レニー・ブルース 毒舌のマシンガン』(DHC)という伝記の終わりに目覚ましき一文を残している。「コメディは、人生の厳しい現実の中でこそ醗酵するもの。コメディの役割は、自分自身と自分がいる空間を見えやすくしたり、生身の人間としての大きさや姿かたち、色や性別の限られた中で生きる助けとなる」(大島豊訳)。──そう、コメディとは現実の人間を生きやすくさせるためのメディアにしてコンテンツなのだ。

 かくいう私も、「きょう自殺しようと思っていた人が、これに接することで自殺を延期してくれたらいいな」という思いでコメディを制作してきた。自殺の延期が3回重なれば3日は延命できる。もう少し重なれば3週間は延命できる。──それ以上のことまでは見通せないけれど、少なくともコメディは観客を「死ぬ」ではなく「生きる」の方向へ導くものでなければならない。それが私の確信だ。すべての制作者は自殺対策として作品をつくるべきだなどと言うつもりはないし、私も自殺対策を創作の“目的”にしたことはないが(私はつくりたいものをつくってきただけだ)、このベクトルに逆行する行為だけは許されないと今でも思っている。

 その意味で、とんねるずの「保毛尾田保毛男」ネタは当事者を明らかに「死ぬ」の方向へ追い詰めるものであり、当事者が人間であることに対して無頓着だったと言わざるを得ない。たとえ1980〜1990年代には自らのネタの危険性に気付いていなかったのだとしても、今日にそのネタを復活させたことは言い訳のしようがない蛮行である。「保毛尾田保毛男」ネタの制作に携わった者たちは黒い十字架を背負っている。同時に私が気になるのは、このネタのせいで傷付いたりいじめられたりした経験を持つ当事者と対面したとき、とんねるずの二人をはじめとする制作者たちはどのような態度をとるのかということだ。

 落語家の桂歌丸が高座でしばしば「落語家はあってもなくてもいい商売じゃないんです。“なくてもなくてもいい”商売なんです」と話すように、人間が生物として生存するためには娯楽も芸術も不要である。現に原始人は映画もテレビも観なかったが絶滅しなかった。あらゆる表現者・創作者は、現実の諸条件に縛られているとしても、自らの意思であえてわざわざ作品やパフォーマンスを発表し、あえてわざわざそれを他人に見せようと努め、あえてわざわざ他人から金銭や評価を得ようとしている。“あえてわざわざ”行うことについて自らが責任を負うのは当然の帰結であり、反響については相応の覚悟が求められる。

 とんねるずは誰もが認めるプロフェッショナルのタレントであるから、自らのパフォーマンスに対する責任感や覚悟を人一倍有していることだろう。そうであれば、「保毛尾田保毛男」ネタの復活への批判を受けて、とんねるずの二人をはじめとするネタ制作者には是非ともリアクションを示してもらいたい。放送翌日にフジテレビ社長の宮内正喜が陳謝したことは評価できるし、BSフジ社長の亀山千広が「作り手側が常にアンテナを張って、今の視聴者の感覚を見ていかないとダメ」と発言したことも好感が持てる。しかし、肝心のネタ制作者が批判をどう捉えたかが示されなければ、どうしても不安感や不信感が残ってしまう。

 “リアクション”といっても、記者会見を開いて謝罪することが唯一の方途なのではない。この件を反省したいのであれば、例えば、同性愛者を嘲笑するネタを披露したことで逆に世間から嘲笑される芸人のコントをつくればよい。依然としてネタに問題がないと考えるのであれば、いくら批判を浴びてもネタを継続すればよい。メル・ブルックスはアドルフ・ヒトラーの存在をギャグにすることを悪趣味だと批判されても、テレビのインタビューで反論し()、その後の作品でもまるで自らの正当性を主張するかのようにヒトラーネタに固執し続けた。これこそが自らの過去のパフォーマンスに責任を感じる表現者の矜持であろう。

 その点では、「保毛尾田保毛男」ネタの復活に参加したビートたけしが東京スポーツの連載でこの件に言及したことは、たとえ後輩芸人をかばうことが主眼であったとしても、最低限の責任感を有す表現者の行動として評価に値する。他者を嘲笑することと受容することを短絡的に混同したその主張は間抜けな言説として新たな批判を招くことになったが()、たけしは少なくとも自らの立場を公に示したのである。しかし、肝心のとんねるず側はこの件について沈黙を貫いたままだ。タブーを破ることを売りにしてきたのにもかかわらず、いざ批判を浴びると委縮してダンマリを決め込むのであれば、「とんねるず」の名が廃る。

 とんねるずはこれまで多くの視聴者を楽しませてきた。「保毛尾田保毛男」ネタは当事者を「死ぬ」の方向へ導くものであるため、いくら視聴者を笑わせたとしてもコメディとして失格だが(生活の助けとなるとしても黒人を奴隷として扱ってはならないのと同じことだ)、決してとんねるず自体が全否定されるべきではない。私自身も「関東芸人」であることを誇りとする彼らの存在を頼もしく感じてきた。だからこそ、とんねるずの二人にはカッコ悪く終わってもらいたくはない。「保毛尾田保毛男」ネタがコメディとして失格であるとすれば、その自らのネタをまるでなかったことにしようとする姿勢は表現者として無責任である。

 最後に念のため書いておくと、もちろん、あらゆるパフォーマンスは観客を不快にさせ得る。しかし、「笑いは絶対に人を傷付ける」などと開き直っても構わないのは、メル・ブルックスがそうしたように、当事者を傷付けないよう時と場合をわきまえてからのことである。そして、一部の観客を不快にさせていることを承知の上でなおそのネタを続けたいのであれば(「保毛尾田保毛男」ネタは当事者を「死ぬ」の方向へ追い込む度合いが高すぎるのでもはや継続は論外だが)、やはりブルックスがそうしたように、特別な覚悟を決めて現場に臨まなければならない。人間の繊細さを知らない者にはコメディをつくる資格などないだろう。

(文中敬称略)
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2017年10月15日

君はすでにスターだ! プロップコメディ界の雄、“テープ・フェイス”


今更ですが、アメリカ・NBCの公開オーディション番組
『アメリカズ・ゴット・タレント』のシーズン11(2016年)に、
「The Boy With Tape On His Face」が出演していたのを知りました。

▲ 『アメリカズ・ゴット・タレント』 シーズン11 (2016年5月〜9月放送) より



『アメリカズ・ゴット・タレント』とは
 老若男女問わず歌手だけでなく、ダンサー、マジシャン、コメディアンなど様々なジャンルのパフォーマーが賞金100万ドルをかけてオーディションを行なうスター発掘番組である。 (中略)
 視聴者の投票により、アマチュアや世間によく知られていないパフォーマーが世に出る機会となる。
── Wikipedia



そして、「The Boy With Tape On His Face」とは
ニュージーランド出身、ロンドン在住のプロップコメディアンである
(言葉ではなく小道具を用いる笑いのことを「プロップコメディ」と呼ぶ)。

彼の本来のお名前(あるいは本名)は「サム・ウィルズ」と称うのですが、
口元に黒いガムテープ(?)を貼っている無言のキャラクター
「The Boy With Tape On His Face」こそが彼の代名詞です
(2016年頃からは簡略化して「Tape Face」と名乗っているようだが)。



数年以上前にもどこかで言及したはずだと思うのですが、
私はかつて「The Boy With Tape On His Face」にハマったことがあり、
一時期は YouTube で彼のステージ映像ばかりを視聴していました。

言葉を必要としない彼のパフォーマンスは誰にとっても分かりやすく、
少なくとも当時の私にとっては“とっつきやすい”お笑いだったのですね。

私の印象では、彼は2011年〜2012年に一つの“人気のピーク”を迎え、
世界中のコメディファンから注目を浴びる存在になりました。
外国でのツアー公演も組まれ、名実ともに国際的スターとなったのです。



──それでは「百聞は一見に如かず」ということで、
「The Boy With Tape On His Face」のステージ映像をご覧ください。
(すなわち、私がかつて繰り返し視聴していた動画の数々をご覧ください。)

▲ 『Comedy Rocks With Jason Manford』 (2011年1月14日放送) より

▲ 『Comedy At The Fringe』 (2011年8月放送) より

▲ 『The Comedy Proms』 (2011年8月27日放送) より



2011年12月には、毎年開催されているイギリス王室臨席公演
『ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス』にもゲスト出演し、
この年の公演の主賓であったアン王女とも握手を交わしています。

▲ 『The Royal Variety Performance 2011』 (2011年12月5日) より




それなのに、それなのに……

とっくに世界中のプロップコメディアンやマイマーが憧れる存在──
──になっていたはずの「The Boy With Tape On His Face」が、
“無名人”のためのスター発掘番組『アメリカズ・ゴット・タレント』に、
芸名を「Tape Face(テープ・フェイス)」と改めた上で出場していたなんて!

個人的には、素人オーディション番組に早野凡平先生が出てきて、
審査員から「なんだこのおっさんは。大丈夫か?」的な視線を送られつつ、
最終的には「あらまあ、意外に面白いじゃないの」と論評される──
──といったテイストの、モヤモヤッとくる違和感を抱かざるを得ません。

しかも、番組のステージ上で彼が披露していたのは、
彼が昔から演じてきた“鉄板ネタ”とでも称うべきパフォーマンスばかり。
本来なら「審査されるべきもの」ではなく「ギャラを支払われるべきもの」。

「The Boy With Tape On His Face」の存在を知っている私にとって、
彼の『アメリカズ・ゴット・タレント』出場は切なさを感じる出来事でした。
(だって、素人落語大会に若手真打ちが出ていたら切ないじゃないですか。)



彼の『アメリカズ・ゴット・タレント』出場に際して何より残念だったのは、
なぜか目の周りに濃厚なアイラインが引かれてしまったこと。
アイラインのせいで、かつては目元から放たれていた愛嬌が失われ、
「Tape Face」は人工的かつ警戒的なクラウンになってしまっています。

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彼がアイラインを引くことにしたのは、おそらくはプロデューサーから
「口にテープを貼っているだけじゃインパクトが足りないんだよな〜」などと
言われたからなのでしょうが、それにしてもこれは本当に残念、悲しい。

もしも「Tape Face」が何かの間違いでこのブログを読んでいたら、
今からでも遅くないからアイラインを引くのはやめろと申し上げたいです。
(そもそも、彼が日本語を読める可能性は限りなくゼロに近いだろうが。)



ちなみに、番組の結果を申し上げると、「Tape Face」は
ファイナリストには残ったものの、惜しくも(?)優勝は逃しました。

『アメリカズ・ゴット・タレント』の野暮で下品で馬鹿くさい審査員たちは、
自分たちの何十倍も“タレント”がある「Tape Face」を前にして
「こいつを優勝させたら洒落にならん……」とでも判断したのでしょうか。

──もっとも、本物の馬鹿であるメルB(メラニー・ブラウン)は
それ以前の問題として、ステージ上で目に余る醜態を演じていましたが。
(放送直後には彼女の態度をツッコむ記事がオンライン上にあふれた。)



個人的には一連の出来事に切なさを覚えざるを得ませんでしたが、
「世界的に有名な番組に露出したことで彼の名声が爆発的に拡散した」
と考えれば、『アメリカズ・ゴット・タレント』という低俗な番組への
「Tape Face」の出場も、実に効果的なチャレンジだったと言えるでしょう。

実際、『アメリカズ・ゴット・タレント』出場後の「Tape Face」は、
ヨーロッパのみならずアメリカでも公演の予定がびっしり埋まっています。

2016年の全英ツアーに続き、2017年には全米ツアーを成功させ、
さらに10月〜11月には一流ホテル「フラミンゴ・ラスベガス」で
計20日間に渡って単独ライブを開くという、従来以上の驚異の活躍ぶり。

何事も「Always Look on the Bright Side of Life
──あるいは「try positive thinking」が肝心なのですね、はい。
(イギリスのコメディアンの名曲を引用してきれいにまとめてみましたァ!)
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2017年09月27日

“キング・オブ・コメディ” ジェリー・ルイスとは何だったのか


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Jerry Lewis (1926-2017)



 1950年代〜60年代にハリウッドで活躍し、「喜劇の王様」とも称されたコメディ俳優のジェリー・ルイスが亡くなってからひと月あまりが経ちました。
 いい機会なので、私が過去に書いたルイス関連の文章を加筆修正してここにまとめておきましょう。

 本稿は四部構成。第一部では日本でDVDソフト化されているルイス単独主演作をレビューしています。第二部では人気凋落後のルイスのフィルモグラフィを略述しました。第三部では私のジェリー・ルイス論のようなものを、そして第四部ではルイスに絡めてスラップスティックコメディへの郷愁のようなものを綴っています。途中にはミニコラムを挿んだので、お時間があればお読みください。




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ジェリー・ルイスの『底抜け』7作品を振り返る
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 ディーン・マーティンとジェリー・ルイスのコンビは14本の映画に主演した。いずれもパラマウント映画の配給によるスラップスティックコメディで、日本での公開時には『底抜け──』という邦題が付けられた。『底抜けコンビのるかそるか』(1956年)を最後にマーティンがパラマウントを離れて演技派に転じた一方で、ルイスはパラマウントに残り、単独でコメディ映画への主演を続ける(やはり邦題には『底抜け』が冠せられた)。ルイスは製作はもとより脚本・監督業にも手を伸ばし、やがてその作家性はヨーロッパのシネフィルから称賛を受けることになる。


 ● 『紐育ウロチョロ族』 (1957年)
  監督:ドン・マクガイア / 脚本:ドン・マクガイア

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 これを喜劇映画と称うのだろうか。ディーン・マーティンとのコンビを解消したルイスの初の単独主演作だが、コメディ映画としては面白くも何ともない。脚本からして重くて暗くてマジメであり、「1950年代にはこのようなB級ドラマ映画も作られました」という程度の資料的価値しかない。時折、思い出したかのようにルイスによるギャグが挿まるが、それとて道具(電子楽器、機械じかけのベッド、黒電話、グニャる箪笥など)に支えられた“小技”にすぎず、このマジメなドラマ作品の中では浮いてしまっている。ルイスの可愛さが際立つ一本ではあるが、コメディアンとしてのルイスの勇姿を楽しめるような性質の映画ではない。

 本作のマイク役はもともとマーティンのために書かれたものなのだという。マーティン&ルイスのコンビ解消によってダーレン・マクギャヴィンがマイク役を演じることになったが、たしかにマクギャヴィンはマーティンと雰囲気が似ていなくもない。マクギャヴィンを核とするルイス不在のシーンも多く、これが本来はマーティン&ルイスのW主演作──すなわち『底抜け』コンビ作品の一本──だったと言われても納得の構成である。パラマウントはドン・マクガイアという新人監督(1956年にフランク・シナトラ主演の西部劇で監督デビューを果たしたばかりだった)の下で、マーティン&ルイスを“演技派”に転向させようとしていたのだろうか。

 ジェリー・ルイスというコメディアンは余計な動きが多い。そのせいで観客は否応にも彼の主演作がコメディ調であることを思い知らされるのだが、やはりここはいちいち「これはコメディです」という標識を掲げずに、スラップスティックコメディアンとしての任務をサラッとこなしてほしい。そのオーヴァーで“蛇足”な動きは、舞台上では映えたに違いないが(『サタデー・ナイト・ライブ』の名物コーナー『ウィークエンド・アップデート』の生みの親である喜劇作家のハーブ・サージェントは、過去に観た中で最も面白かったものは何かと問われて「1940年代のマーティン&ルイスの舞台」と即答したという)、映像として観る場合には胸やけがする。



 ● 『底抜けてんやわんや』 (1960年)
   監督:ジェリー・ルイス / 脚本:ジェリー・ルイス

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 パラマウント映画は経営上の理由から、ファミリー向けのクリスマス映画として撮影中だった『底抜けシンデレラ野郎』(1960年)を夏休みシーズンに前倒しして公開しようとした。これに反発したルイスが「そんなに言うなら夏休みシーズン用に別の作品を撮ってやるから、『底抜けシンデレラ野郎』は予定通りクリスマスシーズンに公開してくれ」と約束して生まれたのが、ホテルのベルボーイを主人公とした本作『底抜けてんやわんや』である。記念すべきルイスの監督デビュー作であるこの映画は、いわば苦し紛れの副産物だったのだ。

 そのような経緯もあって本作は脈略のないコントの羅列で構成されているが、スケッチ集にしては一つひとつのギャグが弱い。主人公スタンリーがやけくそにルームキーを放ったせいで客が混乱したり、食堂でギャングたちの席に座ってしまったり、食堂の壁がプールの水槽に面していたり、粘土の彫刻をグチャグチャにしてしまったりといったギャグの着眼点は悪くないが、せっかくの設定を笑いに活かし切れていないように思う。だだっ広いホールの椅子を一人で整列するという“ギャグ”に至っては、後半のシーンの伏線程度の意味合いしかない。

 ルイスは歩く時におかしな動きをするのだが、これがまったく余計であり、画面をうるさくするだけで笑いに結び付いていない。ルイスは能動的なアクションよりも受動的なリアクションに長けているのではないだろうか。制限された範囲でのチョコマカした動きや、微妙な“受け”の表情については光るものがあるが、パントマイマーとしてはせいぜい平均的な程度に留まる。階段のシーンでは“見えない林檎”を食う役者に完全に喰われてしまっていた。電話のシーンにしても、電話を取り損ねたり取り間違えたりする部分はまだしも、紙を机の上に並べる部分(いわば積極的なアクションの部分)ではその“ジタバタ”ぶりがもはや見苦しい。

 個人芸がさほど達者ではないルイスは、音楽や構図を活用した芸術的な演出で自らを助けている。それらの演出は映像表現の価値を高めるものであり、フランスの映画評論家たちが映画作家としてのルイスを称賛したのもうなずける。ストリップの場面で「Censored」という字幕が出たり、屋外でカメラのフラッシュ撮影をすると夜が昼に変わったりするというギャグを見るに(あるいは各作品に挿入される音楽パントマイムを見るに)、ルイスのことは芸人としてよりも芸術家またはユーモア作家として捉えたほうが適切なのかもしれない。



 ● 『底抜けシンデレラ野郎 (1960年)
   監督:フランク・タシュリン / 脚本:フランク・タシュリン

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 ロジャー・パルバースが「ナード映画のナードの原型」と評したように、ルイスは大概の作品で“ナードな好青年”を演じたが、私はその“いつもの”キャラクターは実はそれほどルイスのハマり役ではなかったのではないかと思っている。コンビ解消後のルイスはもはや少年ではなく、肉付きも妙にしっかりしている。それならば大人の白痴なのかというと、劇中でペーソスを効かせなければならない事情もあって、純然たる白痴ではない。他者に振り回されるキャラクターかと思えば、攻撃的な面もある。要するに“いつもの”ルイスのキャラクターはつかみにくい複雑さを抱えているのだ(それは単に「キャラクターのブレ」と評することもできる)。

 『底抜け大学教授』はその複雑怪奇な“いつもの”キャラクターを封印したことで名作の座を勝ち得たが(何とも皮肉な話ではある)、それゆえにルイスの代表作とは言いづらい。例外的作品を代表作と呼んでは気の毒だろう。そこで私は“いつもの”ルイスを楽しめる作品としては『底抜けシンデレラ野郎』を推したい。本作では妖精の存在のおかげでルイスのキャラクターの“変身=ブレ”に合理性が与えられている。また、主人公が他者に攻撃的になるのも、それまで主人公を虐げてきた義兄に復讐する場面でのことなので無理がない。状況設定とシナリオが“いつもの”ルイスのキャラクターを自然なものとして活かしているのである。

 私が“ナードな好青年”という“いつもの”ルイスのキャラクターに不可解さを感じながらも、それを全否定できないのはこの作品が存在するからだ。たしかに劇中には解釈を要するツッコミどころがいくつかあるが(詳しくはこちら)、本作には細かい粗をはねのけるだけのエネルギーもある。冒頭7分間は劇伴(BGM)の効果もあって川が流れるような美しさだし、お盆を使ったパントマイムも“受け”の表情もプロフェッショナルの技として熟達している。本作は@ルイスの個人芸の巧みな部分と、A“いつもの”ルイスのキャラクターを包摂する設定と、B娯楽映画としてのストーリー展開が、絶妙にバランスよく調和した作品だと称えるだろう。



 ● 『底抜けもててもてて』 (1961年)
   監督:ジェリー・ルイス / 脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチモンド

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 ファッションブックを模したオープニングからしてワクワクさせられる、視覚的にカラフルで楽しい作品である。マーティン・スコセッシが「ジャック・タチの『プレイタイム』の空港セットを連想させる」と評したように、たしかに本作のセットは芸術的に見事なものだ。その撮り方、映し方、作り込みように、映画作家としてのルイスの独特なる感性と才能を感じずにはいられない。映画ポスターの研究家として知られるイラストレーターのチャーリー・ヒルが「個人的にお気に入りの一本」として挙げるのも納得の色彩感覚であろう。

 ただ、コメディ映画の演出としてはもったいないところがいくつかある。例えば、主人公のハーバートがテレビ局のマイクに大声で叫んで音響スタッフが吹っ飛ぶというギャグでは、肝心の“吹っ飛ぶ”部分が映されていないため、意外性のある結果が提示されているだけでドタバタギャグとして成立していない。こんなところで「なるほど、彼はそこに飛んだのか」と観客を感心させてもしょうがないのである。ルイスは端から観客を笑わせようとしていないとしか思えない。テレビ画面にハーバートが映り込むというギャグでも、なぜかその時だけテレビ画面を映さずに役者を“素撮り”しているため、ギャグとしては痒いところに手が届いていなかった。

 本作でのルイスはスラップスティックコメディアンとしてはほとんど仕事をしていない。しかし、個人芸をフィーチャーした箇所が少ないからこそ、余計な動きをしてしまうというルイスの悪い癖も目立たず、シチュエーションコメディとしての質が保たれている。ルイスの主演作に普遍的な面白さがあるとしたら、それはルイスの大道芸ではなく、設定や道具や共演者との絡み(本作においては女優陣やバディ・レスターとのかけ合いなど)のおかげだろう。──もちろん、ルイスは芸人としてのポテンシャルを有していないわけではないので、例外的に見事な個人芸もある(『底抜けシンデレラ野郎』でのお盆使いは嫌味もなく洗練されていた)。

 なお、ルイスのリアクションの間合い自体は決して悪くない。リアクション時にオーヴァー(“余計”)ではない適切な表情をすることもある。いわばルイスは「スラップスティックコメディ界の菅野美穂」とでも呼ぶべき存在であるが(やはり菅野も時に“間違った”演技で私を唖然とさせる)、それでも私がルイスのことを嫌いになれないのはそのキャラクターに愛すべきものがあるからだろう。個性に裏打ちされた愛嬌こそは芸人の必要条件である。その個性的な愛嬌に一度でも心を捉えられたがゆえに、私はジェリー・ルイスという存在に──たとえ個人芸が未熟に思えるとしても──懐かしさと親しみを覚えるのだ。



 ● 『底抜け便利屋小僧』 (1961年)
   監督:ジェリー・ルイス / 脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチモンド

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 『底抜けてんやわんや』同様のコント集だが、それよりはギャグが洗練されていて濃度も高いので好感が持てる。しかし、それでも一つひとつのギャグ徹底されていないので消化不良を覚える。例えばジェリービーンズを販売する件(くだり)では、せっかくなのだから横にスライドする梯子を使って「体が引き離されて手が届かない」というギャグをやるべきだろう。歌のアテレコやプールの件にしても、前フリを描いていないので、オチに意外性はあるもののドタバタギャグになっていない。ラストの“シャンパン”の件だって、クリームを飛散させるならもう少し派手に描きようがあるはずだ。せっかくの設定を活かし切れていないのがもったいない。

 設定といえば、主人公のモーティが途中からただ撮影所内をふらついているだけになっていたのが解せない。せめてモーティに配達物を持たして、偶然スタジオや衣装部屋に闖入してしまったという状況設定にしたほうがよかった。「コメディの神髄は音楽だ」という独特な名言を残したルイスらしく、本作でも音楽を絡ませたギャグ(ラジオの音を消せずに慌てたり、カウント・ベイシー楽団の楽曲に合わせてパントマイムを披露したり)が印象的である。実際、音楽が絡む場面(少年たちのバスケットボールシーンなど)は、演出も見せ方もルイスのパフォーマンスも悪くない。音楽と笑いの融合はルイスの得意分野と称えるだろう。

 小道具室でピエロの人形と無言で交流する場面も悪くない。ルイスの表情も可愛らしく、チャップリン的なそのペーソスは美しいものとして評価できる。しかし、鳥の人形との4分間に及ぶマジメな会話シーンや、ラストでの撮影所スタッフの演説シーンはいただけない(まだモーティがキャラを確変して演説したほうがマシに思えるほど不自然である)。子ども番組だってこんなクサい場面は設けないだろう。だいたい、天然のドジでマヌケなトラブルメーカー(=モーティ)をコメディスターとして称える展開に至っては、プロフェッショナルな喜劇映画に対する冒涜だとすら思う(このテーマは3年後の『底抜けいいカモ』に持ち越されることになる)。



 ● 『底抜け大学教授』 (1963年)
   監督:ジェリー・ルイス / 脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチモンド

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 ここで紹介している7作品の中では本作がずば抜けて面白い。というのも、設定とストーリー展開がしっかりしていて(なにしろ本作は『ジキル博士とハイド氏』の翻案なのだ)、ルイスの演じる役柄がこれまでの“ナードな好青年”から“ナードな変人”に振り切っているからである。ルイスが演じる“いつもの”キャラクターが抱えていたバランスの悪さが解消され、観客は変人キャラを変人キャラとして素直に受け取ることが可能となった。そのため、本作ではルイスのパフォーマンスからあざとさが減少し、嫌味がほとんど消えている。ルイス出演作としては唯一、本作がAFIの「アメリカ喜劇映画ベスト100」に選出されているのもむべなるかな。

 “いつもの”キャラクターを改変して臨んだ異色作であるはずの本作がルイスの最高傑作となってしまっているのは皮肉な話だが、たとえ典型的なスラップスティックコメディとは称えないとしても、このような真に面白い喜劇映画がルイスのキャリアに遺されていてよかったと思う。“いつもの”ルイスを楽しめる作品(いわば追悼上映にふさわしい作品)としては『底抜けシンデレラ野郎』を推すが、普遍的な面白さを有すルイスの最高傑作としては本作を推したい。──ちなみに、本作の主人公の原型(“出っ歯のナード”)は、プレストン・スタージェス原案『底抜け楽じゃないデス』(1958年)の“ひとりテレビ”の件ですでに登場している。

 ヒロインが明確であることも本作の成功の一因である。おかげで本作の演説シーンは、『底抜けもててもてて』や『底抜け便利屋小僧』の演説シーンほどまでには浮いていない。他の作品同様にやはりギャグの掘り下げの不徹底、設定の“非伏線化”が気になるが(例えば終盤ではせっかく洋服の左腕部分だけを桃色に染めたのだから、それがきっかけでヒロインに正体を怪しまれるようにしたほうが綺麗だった)、キスシーンで「That' not all!」という字幕を出すアチャラカ的演出には救われた。最後のカーテンコール風キャスト紹介で主人公がコケてカメラを割るというオチも含め、本作の笑いの感性と展開には全体的に好感が持てる。



 ● 『底抜けいいカモ』 (1964年)
   監督:ジェリー・ルイス / 脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチモンド

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 『底抜けてんやわんや』の続編として企画され(主人公の名前が「スタンリー」なのはそのため)、希代の怪優ピーター・ローレの遺作としても名高い本作だが、後半からは“コメディアンを扱ったドラマ映画”へと趣を変える。ルイスは本作で何を言いたかったのだろうか。歌や踊りのスターは人為的に育成することができても、コメディのスターは作ろうとして作れるものではない──そんな厳しいコメディ界で第一線に立ち続けている自分はよほどの選ばれし存在なのだ──ということを言いたかったのだろうか。ナイトクラブでスベり続ける主人公スタンリーがナチスを模した兵士に射殺される妄想シーンは痛烈である。

 そして、スタンリーが“笑わせる者”というより“笑われる者”として人気を博すという展開は何を意味するのだろうか。『底抜け便利屋小僧』のラストでも本作のラストでも主人公は“笑われるコメディアン”として人気者になったが、どう考えても、何ら芸を持たない“笑われるコメディアン”の人気が長く持続するとは思えない。実際、この映画の最後で“スタンリーは”高層階から転落死させられる。そして号泣するヒロイン(アイナ・バリン)に向かって「バリンさん、なぜ泣いているの? これはフィクションの映画ですよ」と言って、セット裏から“ルイスが”姿を現す。

 本作を「“笑われるコメディアン”として人気者になって何が悪い」というルイスの宣言として受け取ることも不可能ではないが、映画の最後に“スタンリーが”転落して“ルイスが”現れることを踏まえると、やはり本作のメッセージは「“笑われるコメディアン”は間もなく“死ぬ”ことになる」というところにあるように思えてならない。本作をジェリー・ルイス版『市民ケーン』と評した映画ファンがいたが、たしかに私もそれに近い深読みをしてしまった。後年のメル・ブルックス作品を彷彿させるメタ視点の楽屋オチは、単なるルイスの苦し紛れの結果ではなく、上記のような深い意図があってのことだと思いたい。

 本作を観ると、改めて、映画監督=映画作家としてのルイスの仕事ぶりに光るものを感じる。しかもそれは単に達者であるということではなく、独創的な“光”を放つものだ。中盤のダンスの回想シーンは劇伴(BGM)と演奏曲だけで貫き通し、あえて台詞や物音、効果音を消している。喜劇的な演出ではないが、良質なペーソスが漂う名場面だと称えるだろう(考えてもみてほしい。あんなにも優しくて愛がある芸術的光景を演出できるスラップスティックコメディアンがほかにいるだろうか)。他の作品同様、カラフルな衣装やセットへのこだわりも健在で、ルイスという映像作家のポップでファンシーな美的センスを味わうことができる。

<コラム>
ジェリー・ルイスの芸のピークはいつぞ?

 少なからずの喜劇ファンは、映画で単独主演を飾る頃にはすでにルイスの“賞味期限”は切れていたと考えている。コメディアンとしてのルイスはディーン・マーティンとのコンビ時代に芸のピークを迎えていた、というわけだ。たしかにコンビ主演作でのルイスは無邪気な“青少年”そのもので、動きのキレもいい。──もっとも、映画スターとして人気を博していた頃にはすでにマーティン&ルイスの“賞味期限”は切れており、ラジオやテレビで番組を持っていた1950年代初頭、さらにはナイトクラブの舞台に上がっていた1940年代こそが彼らの芸のピークだったと主張する者もいる。


▲ 『底抜けニューヨークの休日』 (1954年) 予告編




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ジェリー・ルイスの、それから
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 ルイスの人気は1960年代前半から下降線を辿っていった。『紐育ウロチョロ族』をきっかけに16本の作品で単独主演し、うち6本の作品で自ら監督を務めたが、フランスの名作ファースを映画化した『ボーイング・ボーイング』(1965年)を最後にパラマウント映画との関係も途絶える。その後はコロンビア映画や20世紀フォックスで主演作を発表したものの、いずれも興行成績は芳しくなかった。そして、実に21年間に渡って毎年封切られてきたルイスの主演作も、ルイス版『チャップリンの独裁者』とでも称うべき『Which Way to the Front?』(1970年)を最後に製作されなくなった。

 俳優としてはセミリタイア状態にあったルイスだが、最後の映画出演から10年後、20世紀フォックス配給の『底抜け再就職も楽じゃない』(1980年)でスクリーンに復帰する。オープニングが『底抜けてんやわんや』や『底抜けシンデレラ野郎』などといった過去の主演作のモンタージュ映像から始まることも察せられるように、この作品は過去の栄光を忘れることができないルイスが世に放った再起のための一作であった。映画評論家のロジャー・イーバートからは「この国における最悪な映画の一つ」とまで酷評されたが、興行的には成功を収めている。

 再起を図るルイスの想いに呼応したのがマーティン・スコセッシである。新作『キング・オブ・コメディ』(1982年)にルイスを招聘したのだ。ルイスに与えられたのはロバート・デ・ニーロ演じる主人公に誘拐される大物コメディアン役で、シリアスな演技を要求されるようなキャラクターだった。収録が押したため三日三晩に渡って現場のトレーラーで待機させられるなど、かつての世界的スターらしからぬ扱いを受けたものの、ルイスは愚痴一つこぼさず、むしろスコセッシに「君は私の時間にカネを払っているのだから気にするな」などという温かい言葉をかけた。苦労の甲斐あって、この作品でルイスは「過去の人」という汚名を払拭する。

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▲ 『キング・オブ・コメディ』 (1982年)

 その後のルイスは大々的な再ブレイクを果たすことこそなかったが、『アリゾナ・ドリーム』(1992年)や『ファニー・ボーン 骨まで笑って』(1995年)などのメジャー作品で主役級の役柄を演じた。さらに、1996年には『底抜け大学教授』が『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』としてリメイクされ、ルイス自身も製作総指揮として参加した。オリジナル版が“スラップスティックコメディアン”ジェリー・ルイスのカルト映画だったのに対し、リメイク版が“スタンダップコメディアン”エディ・マーフィの大衆娯楽作として改変されているのはお見事である。

 このリメイク版で、ラリー・ミラー演じる学部長は「リッチモンド」と名付けられた。これは『底抜け大学教授』をはじめとするパラマウント時代のルイス主演作の共同脚本家、ビル・リッチモンドにちなんだものだろう。──余談ながら、『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』の中で私が最もお気に入りのギャグは、「クランプ教授のハムスターが男子学生のジーンズに潜り込む 股間の“盛り上がり”を見たガールフレンドが不敵な笑みを浮かべる」というものである(ジェリー・ルイスにもエディ・マーフィにもストーリーにも関係ない部分で申し訳ない)。


▲ 『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』 (1996年) より

 晩年のルイスはドキュメンタリー映画『Method to the Madness of Jerry Lewis』(2011年)を自ら製作したり、ブラジルのコメディ映画『Até que a Sorte nos Separe 2』(2013年)にベルボーイ役でゲスト出演したり、NBCのトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー』で過去の主演作の裏話を語ったりした。遺作となったのは『ダーティー・コップ』(2016年)だが、最後に一般公開されたのは『マックス・ローズ』(2013年)である。この地味なドラマ映画でルイスはタイトルロールの老ミュージシャンを演じた。かつて世界中の観客を楽しませたコメディ俳優は、一応のところ、そのフィルモグラフィを20年ぶりの主演作で締めくくったのである。

<コラム>
ジェリー・ルイスと賞レース

 娯楽映画で活躍し続けたルイスは賞レースとは無縁だった。長い芸能人生の中で『ボーイング・ボーイング』(1966年)でゴールデン・グローブ賞助演男優賞に、『キング・オブ・コメディ』(1982年)で英国アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたことがあるだけで、特定の作品での演技が評価されて受賞したことは一度もない。とはいえ“長生きも芸のうち”とはよく言ったもので、2009年にアカデミー賞からジーン・ハーショルト友愛賞を贈られている(授賞式のプレゼンターはエディ・マーフィ)。一方でアカデミー名誉賞の授与に至らなかったのは、「それには及ばない」ということなのだろう。


▲ 第81回アカデミー賞授賞式 (2009年2月22日)




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ジェリー・ルイスとは何だったのか
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 ディーン・マーティンがジェリー・ルイスを知ったのは1945年のことだった。マーティンは歌手として、ルイスはコメディアンとしてニューヨークの同じクラブの舞台に上がっていたのだ。翌年6月、クラブ支配人の無茶ぶりがきっかけで、2人は即興コンビを組むことになる。かくして誕生したマーティン&ルイスのコンビは瞬く間に舞台やテレビを席巻した。真面目に歌おうとするマーティンをルイスが妨害するというのがこのコンビの定番ネタである。授業中にはしゃぐ問題児のようなルイスのアナーキーな暴走が若者に人気を博す。そこで展開されたのは下積みが生んだ職人芸ではなく、あくまでもエネルギッシュな“悪ふざけ”であった。

 マーティン&ルイスのコンビはパラマウント配給の『My Friend Irma』(1949年)で映画界に進出し、1956年までの7年間で17本の映画に出演した。映画には筋書きが求められる。ただ単に出演者が暴れるだけでは成り立たない。映画会社はルイスに問題児キャラの「児」の部分のみを続投させ、純粋無垢ないたずらっ子としてルイスのキャラクターを確立していった。アナーキーな暴走者というルイスの持ち味は鳴りを潜め、その芸風からは徐々に凶暴性が削がれていった。おそらくはルイス本人もその芸風の変化に無自覚なまま、30歳を超えても“白痴的な青少年”“ナードな好青年”というキャラクターを貫いたのである。

 ルイスの主演作を観ると嫌でも目につくのは、両手の指にはめている金ピカの指輪だ。どう考えても“ナードな好青年”が身に着けていてはおかしい代物である。本人としては何かこだわりがあって指輪をはめていたのだろうが、私にはその指輪はルイスというコメディアンが“ナードな好青年”を演じることの無理を象徴するアイテムのように思えてしょうがない。マーティンとのコンビを解消して数年が経つと、とぼけた表情で甲高い声を発するいたずらっ子は観客からの支持を急速に失い、ルイスはもはや“アラフォーの児童”を演じる必要がなくなった。

 世のコメディアンを「スラップスティックコメディアン」と「スタンダップコメディアン」に二分するならば、ルイスは紛れもなく前者に分類される。しかしスラップスティックコメディアンとしてのルイスは余計な動きが多く、チャップリンやキートンと比べるまでもなく個人芸は未熟である。ルイスのことはスラップスティックコメディアンというよりも正確には“キャラクター芸人”と捉えるべきだろう。個人芸が未熟でもルイスが世界中の人気を獲得できたのは、キャラクター芸人としては天才だったからにほかならない。スラップスティックコメディアンとしての欠陥を埋めるほどの才能──“キャラクター芸”の才能──をルイスは有していたのだ。

 そう考えれば、“ナードな好青年”のキャラクターが外見にマッチしていた1940年代〜50年代半ばに爆発的人気を集め、加齢と体重増にしたがって人気を減退させたことも説明がつく。逆に言うと、ルイスはキャラクター芸人としては一流なのだから、年相応の(または俳優の実年齢に関係ない)キャラクターを例外的に演じた『底抜け大学教授』(1963年)が名作の座を勝ち得たのは当然の帰結である。50歳代後半に『キング・オブ・コメディ』で大人の男を演じ切っていたことも踏まえると、ルイスは本来、伝統的なスラップスティックコメディアンではなくロバート・デ・ニーロのような性格俳優と比較されるべき芸能人なのかもしれない。

 ──もちろん、チャップリンやハリー・ラングドン、「Mr.ビーン」のように、中年でも“ナード”や“白痴的”なキャラクターは十分に成立し得る。ただしその場合はあくまでも中年の俳優が年相応に“白痴的な中年”を演じているから面白いのであって、中年の俳優が若作りして“白痴的な青少年”を演じたところで観客は白けるだけだろう。「では、志村けんが子どもに扮するコントはどうなるのか」と言われるかもしれないが、志村は大人(中年男性)が子ども役を演じること自体をギャグとしているのだから、アラフォー当時のルイスが青少年役をストレートに演じたり、ロベルト・ベニーニがピノッキオ役をまともに演じたりするのとはわけが違う。

 最後に言及したいのは、音楽ギャグの担い手としてのルイスと、映画作家としてのルイスについてである。たしかにルイスのスラップスティックな個人芸は未熟だったが、「コメディの神髄は音楽である」という名言を残した人物らしく、音楽と笑いを融合させる能力には感覚面でも身体面でも秀でていた。選曲もカウント・ベイシー楽団、ハリー・ジェイムス楽団などのポップな都会派ばかりで小洒落ている。また、ルイスは映像作家として鮮やかな色彩感覚を発揮し、画になる光景を描き出した。コメディ映画に芸術的な美しさを取り入れた人物としてジャック・タチと比肩されるべき存在であり、その洗練の度合いはタチを凌ぐほどだった。

<コラム>
ジェリー・ルイスの“エア演奏”

 ルイスの作品には必ずといっていいほど、“エア演奏”の音楽ギャグが挿入されている。最も有名なのは『底抜け便利屋小僧』(1961年)で演じられたものだろう。ルイスの“エア演奏”は単に娯楽を目的とするだけでなく、時にペーソスを醸しだす働きを担う。『底抜けてんやわんや』(1960年)での“エア指揮”はベルボーイの孤独を匂わせるものだった。ちなみに、私のお気に入りは『底抜けオットあぶない』(1963年)で披露された『タイプライター』(ルロイ・アンダーソン作曲)のパントマイムである。“エア演奏”をこなす時のルイスは本物の芸人だと称っていい。


▲ 『底抜けオットあぶない』 (1963年) より




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生身のコメディアンが必要だった時代
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 私はスラップスティックコメディアンとしてのジェリー・ルイスに厳しい。それは私がチャールズ・チャップリンやバスター・キートン、ハロルド・ロイドやローレル&ハーディを知っているからだ。スラップスティックコメディアンの偉大さは必ずしも身体能力に比例するわけではない。ジャッキー・チェンやトム・クルーズのようなスタント能力がなくても、大仰なアクションを要求されなくても、スラップスティックコメディアンとしての才を発揮することはできる。スラップスティックコメディアンに必要なのは笑いの感性であり、何よりも間(ま)やテンポや反応を違わないことなのだ。

 まさに間や“余計”な動きという点で私はルイスのスラップスティックコメディアンとしての技能にクレームをつけてきたわけだが、では、今日の世界に優れたスラップスティックコメディアンはいるだろうか。そもそも今日のハリウッドではスラップスティックコメディが制作されているだろうか。たしかにベン・スティラーもメリッサ・マッカーシーも身体を動かしてはいる。しかし、チェヴィー・チェイスの『バケーション』シリーズを衣替えした『お!バカんす家族』(2015年)で主演のエド・ヘルムズがスラップスティックな笑いを展開していた記憶はない。いかにもスラップスティックな笑いにあふれていそうな映画であるにもかかわらず、である。

 今日のハリウッド製コメディは、Fワードまみれの喋りに依存しているか、スラップスティックの代わりにアクションを採用しているように思われる。そのアクションにしても、もはや生身の人間による実演ではなくCG技術によって適度に処理されたものだ。ローワン・アトキンソンは身体が頭に追い付いていない喜劇役者だが、それでも『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』(2007年)はビジュアルコメディアンの意地を感じさせる作品だった。たとえ最後のギャグでアトキンソンが足元を気にしてしまっているとしても、そこにはチャップリンやジャック・タチに通じる生身の表現があった。それに対し、21世紀のハリウッドでは何が作られているだろうか?

 ──ここで私たちはハリウッドの“良心”であるファレリー兄弟に触れないわけにはいかない。ジェリー・ルイスの正統な後継者であるジム・キャリーを主演に起用して監督デビュー作『ジム・キャリーはMr.ダマー』(1994年)を撮ったこの兄弟は、1930年代の短編映画を復刻した『新・三バカ大将 ザ・ムービー』(2012年)でスラップスティックコメディへの愛情を爆発してくれた。2010年代に入ってもアクションコメディではなくスラップスティックコメディに固執するファレリー兄弟は心強い存在だが、逆に言うと、この兄弟だけが“頼みの綱”なのである。

 こうした現下の状況を思うと、ルイスが『底抜け再就職も楽じゃない』(1980年)に至るまで挑んでいたスラップスティックな笑いは、近頃では滅多にお目にかかれない“愚直なまでの神聖さ”を有するものだ。ここで私は「昔はよかった」という定型句を繰り出すつもりはない。そもそも私は「昔」をリアルタイムでは知らないし、時代とともにトレンドは変遷するのだ。しかし、現在進行形のコメディを浴びた後でルイスの“底抜け”な主演作を観ると、「やっぱり自分はコメディを愛する人間でよかった」と安心させられるのはなぜだろう。──かつて生身のコメディアンが必要とされた時代があった。その歴史的な事実に思いを馳せたい。

<コラム>
ジェリー・ルイスと夜のトークショー

 スラップスティックコメディで活躍した“キャラクター芸人”らしく、ルイスはトーク番組でもコミカルな声や表情を作ってみせることが多かった。ハリウッド・リポーター誌がルイスの没後に公開したトリビュート動画を見れば、ルイスが各番組のホストとじゃれ合ってきたのを追想することができる。ちなみに、晩年のルイスは『ザ・トゥナイト・ショー』のジミー・ファロンを称賛する一方で、『ザ・レイト・ショー』のスティーヴン・コルベアを「エリート主義者でスノッブ」などと酷評していた。先の大統領選でルイスがドナルド・トランプに期待を寄せていたことを踏まえると、なかなか味わい深い人物評である。


▲ ハリウッド・リポーター誌によるトリビュート動画 (2017年8月22日公開)
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