2016年04月30日

マデリーン・カーンの怪演が光る! 『Getting Married Today』


私がYouTubeの存在を知って以来、
最も頻繁に視聴してきた動画は…… 間違いなく ☟これ☟ です。



1992年6月12日、カーネギーホールで開催された
作曲家スティーヴン・ソンドハイムの楽曲を称えるイベントで
マデリーン・カーンが歌った『(Not) Getting Married Today』。

この曲は、『Company(カンパニー)』という
1970年に初演されたブロードウェイミュージカルのナンバーです。
作詞・作曲はもちろんスティーヴン・ソンドハイム。
結婚式を直前に控えた女性の混乱と絶望が描かれています。

私は「最も好きな映画女優」に彼女の名前を挙げてしまうほど
マデリーン・カーンのことがお気に入りなのですが、
その贔屓目を抜きにしても、このパフォーマンスは実に素晴らしい。
見る度に笑みがこぼれる。完璧としか言いようがない。



ちなみに、こちらはベス・ホーランドが歌った初演時のもの。
オリジナルの『(Not) Getting Married Today』というわけです。



この曲は、キャロル・バーネット
ケイティ・フィナーランらによっても歌われています。
役者さんのそれぞれの持ち味を活かしやすい曲なんですね。



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2015年02月11日

ジャン・ミッシェルの“背中”に応える時 『ラ・カージュ・オ・フォール』


今日は、日生劇場で ミュージカル
『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』を観てきました。

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 <キャスト>
ジョルジュ:鹿賀丈史
アルバン(ザザ):市村正親
ジャン・ミッシェル:相葉裕樹
アンヌ:愛原実花
ジャクリーヌ:香寿たつき
ダンドン議員:今井清隆
ダンドン夫人:森公美子
ハンナ:真島茂樹
シャンタル:新納慎也
ジャコブ:花井貴佑介
ルノー:林アキラ
フランシス:日比野啓一
ルノー夫人:園山晴子

 <スタッフ>
作詞・作曲:ジェリー・ハーマン
脚本:ハーヴェイ・ファイアスティン
原作:ジャン・ポワレ
翻訳:丹野郁弓
訳詞:岩谷時子、滝弘太郎、青井陽治
演出:山田和也
オリジナル振付:スコット・サーモン



ブロードウェイミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』の日本語版は、
今からちょうど30年前の1985年2月、帝国劇場で初演されました。
『ラ・カージュ』は、我が敬愛するジェリー・ハーマンの集大成的作品で、
この作品の発表後、ハーマンは新作ミュージカルを製作していません。
楽観主義的でヒューマニスティックな楽曲はどれもただただ素晴らしく、
今夜の私なんぞは、序曲の段階で胸の高鳴りを抑えるのに必死でした。

前回(2012年)・前々回(2008年)に引き続き、30周年記念の今回も、
鹿賀丈史さん&市村正親さんの名コンビが夫婦役を務めています。
初演時からこの作品に出演し続けている森公美子さんらをはじめ、
主なキャスト陣は前回公演と変わりありませんが(花井さんは改名!)、
今回、新たに相葉裕樹さんがジャン・ミッシェル役で参加しています。
軽やかに踊る相葉さんは、まるでアニメの中のウサギのようでした(笑)。



30周年を迎えた今年の『ラ・カージュ』は、隅から隅まで“完璧”です。
まず、キャストとオーケストラの“息”がピッタリと合っています。
途中、鹿賀さんの歌い出しで始まるナンバーが何曲かあったのですが、
鹿賀さんはかなりマイペースで歌い出しているように見受けられました。
キャストとオーケストラが互いを信頼しているからこそなせる業でしょう。
さらに、場面転換時のセットの移動があまりにもナチュラル。
観客がステージの中央で輝くキャストに目を凝らしているうちに、
いつの間にか、舞台後方のセットや背景が切り替わっているのです。

繊細かつ堂々とした俳優陣の演技にも、触れないわけにはいきません。
ハンナが鞭を使って大暴れする“レビュー”の一場面――
フランシス役:日比野啓一さんは表情と立ち姿で笑いをとりますが、
『ありのままの私』直前の件では、その場に残りつつ存在感を消します。
舞台上がコメディからシリアスに移り変わる一瞬に“魔法”を起こすのです。
もちろん、カジェルたちによる“レビュー”の楽しさは言うまでもないし、
ザザの喋り方に森さんが思わず笑ってしまうハプニング的要素も含めて、
『ラ・カージュ』は、音楽、舞台装置、演技と、何もかもが“完璧”なのです。



(以下、ネタバレを含みます!)

「完璧すぎるのが逆にキズ」と言いたくなるほどの今回の公演ですが、
3年前(2012年)には気付かなかった印象的な演出を発見しました。
それは、終盤におけるジョルジュとジャン・ミッシェルの別れの抱擁です。
同性愛差別派:ダンドン議員の娘アンヌと結婚したからといって
ジャン・ミッシェルは父母と今生の別れとなるわけではないのですが、
ジョルジュとジャン・ミッシェルの抱擁の場面はあまりにも悲しげで、
その後、一人去っていくジャン・ミッシェルの背中はとても寂しげでした。

また、ジョルジュ&ザザ夫妻が、同性愛差別派のダンドン議員を
「パーティーには……来ないで〜」と笑顔で拒絶する場面も特徴的でした。
この場面では、同性愛者と差別派の和解という展開も可能だったはず。
むしろ、物語としては、ジャン・ミッシェルには寂しげな背中を作らせず、
和解したジョルジュ・ダンドン両家の笑顔のうちに大団円を迎えたほうが、
観客を爽涼な心持ちで帰宅の途につかせることができるように思えます。
なぜ脚本のファイアスティンは、あえてダンドンを差別派のままにさせ、
ダンドン家へと一人向かうジャン・ミッシェルに寂しい背中を作らせたのか。



実は、ファイアスティンは過去にも似たようなシーンを執筆していました。
『ラ・カージュ』初演2年前の1981年にファイアスティンが執筆した
舞台劇『トーチソング・トリロジー』(1988年に映画化)のラストです。
同性愛者の主人公と同性愛を嫌悪する母親が一応「和解」するのですが、
その和解は部分的なものに留まり、完全な和解とはなっていません。
当事者と抵抗者の間の「分かり合えぬ一線」を浮き彫りにさせることで、
ファイアスティンは、綺麗事では済まされない苦い現実を示唆したのです。
『ラ・カージュ』での笑えるけど冷たいあしらい、父子の悲しげな抱擁、
息子の寂しげな背中は、『トーチソング――』のラストを彷彿とさせました。

『ラ・カージュ』初演時は同性愛への偏見が根強く、劇中のザザも、
ゲイなのかトランスジェンダーなのかはっきりしない形で描かれています。
当時の客のため、ザザは女性的である必要があったのかもしれません。
普段は寛容なジョルジュ&ザザ夫妻がダンドン議員を冷たくあしらう場面、
ファイアスティンが際立たせた「悲しげな抱擁」と「寂しげな背中」を見ると、
「不寛容に対する寛容」というものがあり得ないことを痛感させられます。
『トーチソング――』の親子同様、「愛がすべて」なのは真実だとしても、
同性愛の寛容と不寛容の間には「分かり合えぬ一線」が存在するのです。



現在の日本でもダンドンのように同性愛に不寛容な政治家はいますし、
残念ながら、性的少数者への差別が少なからず存在するのも事実です。
本公演のパンフレットに掲載されたリー・ロイ・リームズのインタビューは
ハーマンと『ラ・カージュ』を解説する見応えある内容となっていますが、
セクシャリティが「性的嗜好」と誤訳されていることからも窺えるように、
日本で同性愛が正しく理解されているかというと首を傾げざるを得ません。

しかし、渋谷区が「同性パートナー証明書」条例案の提出を決めるなど、
少しずつ、一歩ずつ、時代が明るい方向に動き出しているのも確かです。
寛容と不寛容の狭間で漂流しがちな現代の社会において、
『ラ・カージュ・オ・フォール』という作品は、不寛容でも無関心でもなく
寛容の精神で人間と人間が結び付くことの大切さを力強く訴えています。
私には、この訴えに呼応することこそが、ジャン・ミッシェルが見せた
「寂しげな背中」に対する、せめてもの救済となるように思えてなりません。


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リー・ロイ・リームズへのインタビューなどが収録されたパンフレット。
 「ジェリーの楽曲と言うと、誰もが耳に馴染みやすいメロディーばかりを評するけれど、実は歌詞も素晴らしい。シンプルな一語一語が粒立っていて、明瞭に観客の心に届くんだ。彼と対極にあるのが、スティーヴン・ソンドハイムだよね。 〔中略〕 その点ジェリーの曲は、一度憶えると自然に歌詞が出て来るんだ」(中島薫『観客から貰った一通の手紙』)
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2014年11月14日

観客も濡れる“アトラクション” 『SINGIN' IN THE RAIN』


今日は、東急シアターオーブで
『SINGIN' IN THE RAIN ―雨に唄えば―』を観てきました。

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 <キャスト>
ドン・ロックウッド:アダム・クーパー
キャシー・セルダン:エイミー・エレン・リチャードソン
コズモ・ブラウン:ステファン・アネッリ
シンプソン社長:マックスウェル・コールフィールド
ドラ・ベイリー:ジャクリーン・クラーク
ロスコー・デクスター監督:ポール・グルナート
リナ・ラモント:オリヴィア・ファインズ

 <スタッフ>
脚本:ベティー・コムデン、アドルフ・グリーン
作詞・作曲:ナシオ・ハーブ・ブラウン、アーサー・フリード
演出:ジョナサン・チャーチ
共同演出:キャメロン・ウェン
振付:アンドリュー・ライト
音楽監督:ロバート・スコット


映画のために作られたミュージカル映画の名作『雨に唄えば』は、
これまでにも何度か舞台化されてきました。
あくまでも原作映画の存在の上に成り立っている舞台版なので、
原作映画と舞台版を比較して優劣を論じるのは野暮というものです。
東京ディズニーランドの『ピーター・パン』のアトラクションを指して、
「アニメ映画版よりもショボい!」などと口を尖らす人はいませんよね。

この舞台にはジーン・ケリーもドナルド・オコナーも出てきませんが、
その代わりにアンサンブルキャストの華やかな歌と踊りが楽しめます。
この舞台は「個人芸」ではなく「団体芸」を楽しむミュージカル。
Beautiful Girls』や『The Broadway Ballet』などのナンバーは、
とてもゴージャスで迫力があり、観客に躍動感を抱かせるものでした。
Make 'Em Laugh』では、コズモが壁を駆け上がらない代わりに、
額縁やカツラなどの小道具を用いて陽気な雰囲気を表現しています。

ストーリーラインは原則として原作映画に忠実なのですが、
リナがドンへの想いを歌うソロシーンは舞台版の個性的な特徴です。
私は原作映画を何度観ても「リナが可哀想」と思ってしまう人間なので、
What's Wrong With Me?』は涙なしには聴けませんでした
(逆に言うと、この場面でリナの性格の悪さを表現してくれていたなら、
 悪役のはずのリナを「可哀想」だなんて思わずに済むのですが……)。

舞台版での『Broadway Ballet』はコズモの想像という設定で、
社長の洒落た台詞は「……もう一度話してくれ」に変更されています。
原作映画が「ジーン・ケリーの映画」だったことが逆説的に解りますね。
また、舞台版では『You Are My Lucky Star』をリプライズすることで、
ドンとキャシーのラヴロマンスを物語の核心とすることに成功しています。
いずれも、これが舞台であることを逆手に取った心憎い変更点です。

しかし、この舞台版の最大の個性的な特徴は何かと言えば、
言わずもがな、本当の「雨」がステージに降り注ぐという演出でしょう!
主演のアダム・クーパーをはじめとするカンパニーが
Sっ気たっぷりに「雨水」を蹴り飛ばし、前列の客をずぶ濡れにします。
これこそが原作映画では味わうことのできない「アトラクション性」です。
本日は前方に座っていた私も、何だかんだで濡れてしまいました(笑)。

さらに、予期せぬ幸運ゆえに嬉しかったのは、
2011年の『Royal Variety Performance』で警官を演じていた
マシュー・モルトハウスが、今回の日本公演でも警官を演じていたこと!
Royal――』での『雨に唄えば』のパフォーマンスで彼を見かけて以来、
ハンサムな顔立ちと「怒りを抑えた表情」が気になっていたのです。
ただし、本日の彼は3年前に見かけた時よりも太って見えました……。

数年前、新作ミュージカルを製作したキャメロン・マッキントッシュが
「最近の客は《安全な作品》(再演)ばかりを選ぶ」と嘆いていましたが、
『レ・ミゼラブル』や『オペラ座の怪人』とはまた少し違った意味で、
『雨に唄えば』は最も《安全な作品》の一つと言えるかもしれません。
しかし、この舞台版を通して、原作映画を思い出して再評価する人や、
未見だった原作映画に触れる人が増えていくのは好ましいことでしょう。


本プロダクションのプロモーションビデオ(2012年4月公開)

Royal Variety Performance 2011』(2011年12月)より
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