2019年03月12日

セックス&バイオレンスな“人間×パペット劇” 『パペット大騒査線』


先日、渋谷シネクイントで
映画『パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)』を観ました。

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 <あらすじ>
ここは人間とパペットが“共存”する世界のロサンゼルス。
パペット殺害現場に居合わせた私立探偵のフィル(ビル・バレッタ)は、
元相棒・エドワーズ刑事(メリッサ・マッカーシー)と再びコンビを組む。
ところがその矢先、またも残忍なパペット殺害事件が発生してしまう。
そこには、過去の人気パペット番組をめぐる陰謀が隠されていた──。



本作は、『セサミストリート』(ABC)や『マペット・ショー』(ATV)などを
生み出したジム・ヘンソンの息子、ブライアン・ヘンソンの監督作です。
人間とパペットが“共存”する架空のロサンゼルスを舞台にしています
(ただしその世界では“人種のるつぼ”たる現実のアメリカ社会同様、
パペットたちは「綿袋」などと呼ばれ二級市民として扱われています)。

とはいえ、この映画の中身はあくまでも“よくできた”B級コメディです。
本作(人間側)主演のメリッサ・マッカーシー(エドワーズ刑事役)に
アカデミー賞主演女優賞ノミネートという栄誉をもたらしたドラマ映画
ある女流作家の罪と罰』(2018年)さえビデオスルーとなる本邦で、
本作のようなB級コメディ映画が劇場公開されたのは実にありがたい。



本作は“大枠”に大雑把なところがありますが(例えば連続殺人犯の
犯行の動機は結局フザケている)、むしろ細部にこだわっています。
公民権運動風の「パペット・パワー」「パペット・イズ・ビューティフル」、
薬物乱用防止キャンペーン風の「砂糖ダメ。ゼッタイ。」などといった
英語のスローガンが映り込むエンドクレジットはその典型例で、
秀逸なセンスの下、完成度の高い“小ネタ”が散りばめられています。

また、本作は1970〜1980年代に人気だったハードボイルド映画を
真摯にパロった“クライム=ミステリーコメディ映画”ではありますが、
必ずしもギャグ盛りだくさんの“コント映画”というわけではありません。
人間とパペットの猥雑な“共存”という世界観自体がブラックなので、
物語を混乱させないようにするため、“ギャグ量”を抑えたのでしょう。

──ただし、ギャグが必ずしも盛りだくさんではなかったとはいっても、
性的な“牛の乳搾り”のギャグは制作者のお気に入りだったとみえて、
本編の終盤と大オチでも(しつこいぐらいに)繰り返されています。
個人的にもやはり性的な“ぶっかけ乱射”ギャグが印象に残っており、
本作制作者と私の笑いのセンスの近似を感じとることはできました。

もっとも、卑猥なパペットが登場する成人向けコメディということなら、
ミュージカル『アベニューQ』(2003年初演)という“先例”があります。
パペット劇の世界にバイオレンス要素を持ち込んだという点こそが、
むしろ本作が独自に切り拓いた唯一無二の特色だと言えるでしょう
(パペットの殺害シーンを映したのは本作が史上初ではあるまいか)。


▲ 『アベニューQ』 日本公演 (2010年) オフィシャル映像集



当初はこの映画を観ながら、マッカーシーという“コメディの女王”を
この程度の役に充てるとは贅沢な無駄遣いだと思っていましたが、
「メス犬」呼ばわりに怒る件の辺りから彼女の魅力が現れてきます。
ビーチで“カニ”と口論するシーンは一見してさりげない場面ですが、
言動の間合いが巧妙で、コメディ俳優としての高い腕前が窺えます。

ただ、それ以上にマッカーシーの起用意義を確かめさせられたのは、
ドラマ演技(たかが知れてはいるが)が求められる場面において。
コメディ演技とドラマ演技をこれほどナチュラルに接続できる役者は
──そしてその両方ともが秀でている役者は、現代にそうはいません。
マッカーシーは“面白い”はもちろん、“上手い”俳優でもあるのです。

本作ではこのほか、マッカーシーの“盟友”であるマーヤ・ルドルフ、
ホワイトハウス記者晩餐会”ホスト経験者のジョエル・マクヘイル
『クレイジー・リッチ!』(2018年)にも出演していたジミー・O・ヤン
演技コントバラエティもイケるフォーチュン・フェイムスターなど、
通好みの実力派コメディアンたちが各自の個性を匂わせています。

さらに、マッカーシーの夫であるベン・ファルコーン(製作を兼任)が
ほかのマッカーシー主演作同様に本作にもカメオ出演しているほか、
コント番組『マッドTV!』(FOX)の看板レギュラーキャストだった
マイケル・マクドナルドは“パペット差別主義者”役を演じていました。
マクドナルドもまた、近年ではマッカーシー主演作の常連俳優です。


▲ 『マッドTV!』 (FOX) 2000年2月12日放送分より



当然ながら、フィル(ビル・バレッタ)をはじめとする各パペットたちが
魅力の詰まった個性的なキャラクターとして確立されているからこそ、
本作が観応えある作品になっているという面も忘れてはなりません。
多人数編成によるパペット操作はもはや芸術としか言いようがなく、
その仕事術にはジム・ヘンソン・カンパニーの歴史と伝統を感じます。

本作は心に残る傑作というほどの作品ではないかもしれませんが、
制作者側のきちんとしたエンターテインメント哲学に基づいて作られ、
人種差別・女性差別の問題にもさりげなく目配りしている作品です。
91分という上映時間も含めて、“よくできた”B級コメディ映画でした
(あえて言うなら、よく“できすぎ”ていた=まとまりすぎていたほど)。

──ちなみに、本作はゴールデンラズベリー賞6部門にノミネートされ、
めでたく(?)メッカ─シーは本作で“最低主演女優賞”に輝きました
(ただ、『ある女流作家の罪と罰』で“名誉挽回賞”も受賞しています)。
こうした事実は、“ラジー賞にノミネートされるようなコメディ作品は、
私好みの作品であることが多い” との我が仮説を裏付けるものです。


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▲ 来場者プレゼント ミニクリアファイル
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2019年03月04日

“ミュージカル映画”が帰ってきた 『メリー・ポピンズ リターンズ』


先日、TOHOシネマズ渋谷で
映画『メリー・ポピンズ リターンズ』(字幕版)を観ました。

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 <あらすじ>
1930年代。“大恐慌”時代のロンドン。
もはや大人になったバンクス家の長男マイケル(ベン・ウィショー)は、
銀行で臨時の出納係として働き、3人の子どもたちを養っていた。
妻は亡くなり、家計は火の車、そして自宅が差し押さえの危機に──。
そんな中、メリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が20年ぶりに現れる。

 (以下はネタバレを含みます!)



ディズニーの名画『メリー・ポピンズ』(1964年)の公開から半世紀──
本作は約50年の時をまたいで製作された“まさか”の続編です。
出演者は入れ替わり、前作と同じ役で続投している俳優はいません。
前作に登場したバンクス家の父と母は亡くなっているという設定で、
長男マイケル(ベン・ウィショー)がバンクス家の当主になっています。

私はこの映画の冒頭数分を観ただけで何度も涙ぐんでしまいました。
1960年代をもって絶滅したはずのハリウッドのミュージカル映画が、
そっくりそのまま“現在”のスクリーンで復刻されていたからです。
序曲付きのミュージカル映画が公開されたのは何年ぶりでしょうか。
本作に2018年ならではの奇を衒った演出もカット割りもありません。

シカゴ』(2002年)でミュージカル映画の新時代を切り拓いてみせた
名匠:ロブ・マーシャル監督は、この映画では(おそらくは)あえて
“旧い”ミュージカル映画を再現させる試みに身を委ねているのです。
マーシャルが真のミュージカル映画マニア および“ピカソ”だからこそ、
現代性を無視したこの試みは見事に成功を収めたと言えるでしょう。


▲ 『ロブ・マーシャルが選ぶ 映画のミュージカルナンバー5選』 (The A.V. Club)



本作の構成は(おそらくはわざと)前作とまったく同じにされています。
薄汚れた男の独唱ののち、ポピンズが魔法で子どもたちを魅了する。
母親(今作ではエミリー・モーティマー演じる伯母)が活動家であり
(ただし今作ではその訴える主張が“2018年ナイズ”されてはいる)、
現実に追われる父親は次第に自らの子どもたちとの溝を深めていく。

ポピンズとその友人たちは(原作者が嫌った)アニメの国に飛び込み、
映画の本筋とは直接関係のないマジカルなショータイムに耽る。
そうして帰還後にはポピンズが子どもたちに子守唄的なものを歌う。
翌日、ポピンズの知人であるキテレツな変人のもとをみんなで訪問し、
薄汚れた男(今作では点灯人)とその仲間たちがダンスを披露する。

父親が銀行から解雇される結末は回避され、映画のラストシーンでは
ポピンズ以外の全員が“空中浮遊物体”を使った遊びに興じる──。
──とはいえ、今作に前作との違いが存在しないわけではありません。
今作では「風向き」の変化ではなく「扉が開いたら」ポピンズは姿を消し、
父親だけでなく“みんな”が一丸となって銀行の経営者と対峙します。

以上のマイナーチェンジから今作独自の“哲学”はうかがえるでしょう。
シナリオ面について付言すれば、今作の“縦軸”は明瞭化されており、
複数人物が絡むストーリーラインも整理されて骨太になっていました。
前作では主人公が誰なのかが途中から判然としなくなりましたが、
今作では“みんな”の共闘ゆえ、そのような違和感が生じないのです。

一方で肝心要のミュージカルナンバー(本作オリジナル)については、
シャーマン兄弟による名曲群と比べると迫力不足の感は否めません
(私はマーク・シャイマンのことが昔から大好きではあるものの)。
どのナンバーも愉快で、前作よりも物語との調和度は高いのですが、
特にメロディが全般的に“こなれ”すぎてしまっていると言えましょうか。


▲ 『メリー・ポピンズ リターンズ』 (2018年) より



当然の話ながら、本作には前作のオマージュネタが詰まっています。
ポピンズの登場シーンで『お砂糖ひとさじで』のアレンジが流れたり、
“鏡”のシーンが再現されたり、アニメのペンギンたちが再登場したり。
今作を観る前に半世紀前の前作『メリー・ポピンズ』を観ておけば、
観ていない場合と比べて200倍は本編を楽しむことができるでしょう。

そして何と言っても、前作ではジュリー・アンドリュースと肩を並べて
主演俳優として作品の面白さを支えていたディック・ヴァン・ダイクが、
今作ではドース・ジュニア役で特別出演しているのも見逃せません。
撮影当時91歳だったにもかかわらず劇中でタップダンスを披露し、
前作においてと同様、一瞬にして場面をかっさらってしまっています。

「昔、義足の男が……これは別の話だな」というアドリブめいた台詞や、
エンドクレジットでの“遊び”に、前作のファンは興奮を覚えるでしょう
(逆に言うと、前作を観ていない者には通じないユーモアですが)。
さらに本作には前作で長女を演じたカレン・ドートリスがカメオ出演し、
アンジェラ・ランズベリーもラストを飾る風船売り役で出演しています。

ランズベリーは前作に出演していませんが、同じスタッフが制作した
ディズニー映画『ベッドかざりとほうき』(1971年)で主演を務めました。
同作には『メリー・ポピンズ』父親役のデヴィッド・トムリンソンも出演、
劇中で両名が歌った『ビューティフルな海』(邦題)というナンバーは
もともとは『メリー・ポピンズ』用に作られていた曲だったのだそうです。


▲ 『ベッドかざりとほうき』 (1971年) より



本作のキャストでとりわけ出色なのは、点灯人のジャック役を演じた
“ブロードウェイの新たなる巨星” リン=マニュエル・ミランダでしょう。
ミランダはブロードウェイミュージカル『ハミルトン』(2015年初演)の
作者・主演俳優として全米を席巻したスターであり、本作においても
プロフェッショナルな歌とダンスで映画の性質を固めてくれています。

とはいえ、前作で同様の役を演じたヴァン・ダイクと比較してしまうと、
コメディ俳優あるいはキャラクターとしての実力・魅力は遠く及ばず、
ミランダの存在は逆説的にヴァン・ダイクの偉大さを引き立てています。
結局のところ本作は、ヴァン・ダイクがかつていかに凄かったのかを
宣伝する材料にすぎないのかもしれない──と言いたくなるほどです。

とにもかくにも、私はこの映画を観て実に幸せな気持ちになりました。
たしかにミュージカルナンバーはややインパクトを欠くかもしれないし、
出演者も1960年代以前の名優たちと比べると“小粒”かもしれない。
けれど本作は“ミュージカル映画”というかつて存在したジャンルの、
その優しさとたくましさの一片を21世紀に甦らせてくれているのです。



 <追記>
前作はジュリー・アンドリュースの映画であるのと同等かそれ以上に、
ディック・ヴァン・ダイク(青年バート役)の映画でもありました。
アンドリュースとの共演シーンでは彼女の存在感を自然と食っており、
ヴァン・ダイクの存在と活躍なくして、『メリー・ポピンズ』という映画は
ヒットすることも名作として愛され続けることもあり得なかったでしょう。


▲ 『メリー・ポピンズ』 (1964年) 50周年記念版 予告編

当時の彼は『The Dick Van Dyke Show』(CBS)の人気者で、
スラップスティックな動作はもとより、表情や台詞回しも秀逸でした。
『メリー・ポピンズ』におけるヴァン・ダイクの卓越したコメディ演技は、
実のところ、同番組でそれまでに繰り出されていたものに過ぎません。
彼こそは1960年代を代表する天才フィジカルコメディアンなのです。


▲ 『The Dick Van Dyke Show Remembered』 (1994年) より
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2019年02月08日

“自分自身”讃えるヒューマンコメディ 『アイ・フィール・プリティ!』


先日、渋谷シネクイントで
映画『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』を観ました。

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 <あらすじ>
自分の容姿にコンプレックスをもつレネー(エイミー・シューマー)は、
自分を変えようと通い始めたジムで転び、頭を打って気絶してしまう。
目を覚ましたレネーは自分が“絶世の美女”に変身したと思い込み、
本当は見た目はそのままなのに、ポジティヴな性格に生まれ変わる。



『25年目のキス』(1999年)などのロマンティックコメディ映画群の
脚本で知られるアビー・コーン&マーク・シルヴァースタインのコンビが
初めて監督を務めた本作は、現在のアメリカを代表するコメディアン:
エイミー・シューマーの3本目の主演作にして、コメディの“良作”です。

アメリカの女性スタンダップコメディアンを“オピニオンリーダータイプ”
“エキセントリックタイプ” “女友達タイプ”の3タイプに分類するならば、
シューマーはキャロライン・レイに続く“女友達タイプ”のスターでしょう
(もっとも、その成功の規模はとっくのとうにレイを凌駕していますが)。


▲ 『Just for Laughs』 (2012年) より

本作ではさらに、『ジ・エリック・アンドレ・ショー』(アダルトスイム)でも
おなじみ(?)のロリー・スコヴェルが主人公レネーの恋人役を好演し、
『サタデー・ナイト・ライブ』(NBC)レギュラーのエイディ・ブライアントも
レネーの友人役としてこのコメディドラマ映画に深みを与えています。

このほか、“ビキニコンテスト”のMC役でコメディアンのデイヴ・アテル、
ジムのスタッフ役として元『SNL』レギュラーのサシーア・ザメイタが
コメディ演技を発揮しているほか、人気女優のミシェル・ウィリアムズも
会社のCEO役として想像以上のコメディエンヌぶりを魅せていました。



さて、今までのところ、本作には主に2つの批判が寄せられています。
1つ目は、女性の体型を嘲笑するようなギャグが多いとの指摘です。
たしかに特に前半でレネーの体型に関するギャグが連発されますが、
そもそも本作は容姿にコンプレックスをもつ女性が主人公なのだから、
体型にまつわるギャグやジョークが存在するのはむしろ当然でしょう。

また、本作における体型にまつわるギャグやジョークといったものは、
レネーが他者からルックスをイジられるという種類のものではなく
ほとんどがレネー自身の言動によって展開される状況的な笑いです。
嘲笑そのものがギャグとして提示されているような場面はありません。

本作で表現されている体型にまつわるギャグやジョークというものは
いわばシューマーがステージで発してきた自虐ネタの実写版ですが、
それがボディシェイミング(体型への嘲笑)的だと批判されたのは、
外的な目線で状況を俯瞰する劇映画の構造のせいかもしれません。

そして 本作に対する2つ目の批判は、ストーリーの“盗作”疑惑です。
映画『青春の宿』(1945年)との類似が指摘されているわけですが、
私はむしろ、ファレリー兄弟監督の『愛しのローズマリー』(2001年)と
本作の基本的なシチュエーションが似通っていることに気付きました。


▲ 『愛しのローズマリー』 (2001年) 予告編

とはいえ、“審美眼”の対象である主体と客体がちょうど反転しており、
女性が自ら「これは魔法ではなかったのだ」と認識する本作のほうが、
『愛しの──』よりも自己肯定・啓発的なメッセージが強くなっています。
『愛しの──』とは違って“変身後の美女”の姿が観客に示されない点も、
映画のテーマに沿うような“痒いところに手が届く”適切な演出でした。



──ところで“盗作”といえば、シューマーの人気を確立したコント番組
『Inside Amy Schumer』(コメディ・セントラル)も疑惑がありました。
2013年の第1期初回に放送されたコントが、2008年に放送された
『マッドTV!』(FOX)のコントと酷似しているとの指摘を受けたのです。


▲ 『マッドTV!』 (FOX) 2008年3月29日放送分より


▲ 『Inside Amy Schumer』 (コメディ・セントラル) 2013年4月30日放送分より

『Inside Amy Schumer』の作家は“盗作”を否定しているとはいえ、
たしかに両者は偶然の一致と片付けるにはあまりにも似すぎています
(個人的には、ジョーダン・ピールとニコール・パーカーが出演している
『マッドTV!』版のほうが内容が整理されていて面白いと思いますが)。

このほかにもシューマーには盗作の“嫌疑”がかけられていますが
(YouTubeには熱心なアンチが作った検証動画も上げられています)、
シューマーのネタも今や若手コメディアンにパクられているだろうから、
“芸”の世界は所詮そんなものだと割り切るしかないのかもしれません。



閑話休題。この映画の中身に話を戻すと、本作では主人公に限らず、
MBAを有する“美女”だが地声のせいで自信が持てないでいるCEO、
男社会に馴染めず女性向けジムに通う男性にも光が当てられており、
“私は私”とのメッセージを打ち出す“個性讃歌”に仕上がっています。

“男性らしさ”や“女性らしさ”、容姿や体型、属性や経歴などといった
既存の枠組みに、自分自身の人生を押し込める必要なんてない──。
よくあるロマンティックコメディ映画と見せかけて、本作は実のところ、
セクシズム・ルッキズムを否定する陽快なヒューマンコメディなのです。

それでいてこの映画では、後半の“まじめな”ドラマ展開の最中にも、
こまめにギャグ(台詞も“仕掛け”も)が補給されるので飽きが来ません。
シューマーやスコヴェルらコメディアンの“個人芸”も存分に活かされ、
全編に渡ってコメディ映画(コント映画)としての質が保たれています。

スポーツコメディ映画『アンクル・ドリュー』(2018年)もそうでしたが、
近年は“コメディ性”と“ドラマ性”を本編の前後半で分離させることなく
ラストまで調和させていくタイプのコメディ映画が多くなってきました。
現代の観客がいかに笑いに飢えているかという証左でもあるでしょう。



▲ 『アイ・フィール・プリティ!』 (2018年) 日本版予告編



 <追記 1>
シューマーの思いつきにより、ロケ地にあったミュージックホールで
シューマー&スコヴェル&アテルのスタンダップショーが行われたそう。
これはシューマーの行動力の強さを示すエピソードであると同時に、
彼女があくまでも“芸人”であることを証明するエピソードでもあります。

 <追記 2>
アメリカにおける本作の製作・配給はSTXフィルムズが担当しました。
『アダム・サンドラーはビリー・マジソン 一日一善』(1995年)から
『リトル★ニッキー』(2000年)までのアダム・サンドラー主演作品で
製作を務めたロバート・シモンズが2014年に共同設立した会社です。

 <追記 3>
本作では、『レディ・バード』(2017年)の予告編でも使用されていた
ザ・ザの『This Is the Day』(1983年)や、メーガン・トレイナーの
『Me Too』(2016年)がサウンドトラックとして採用されています。
『Me Too』はMVをめぐる“騒動”も含めて本作にピッタリの楽曲です。


▲ メーガン・トレイナー 『Me Too』 (2016年) ミュージックビデオ
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