2018年10月14日

人種差別がテーマの“コメディ≒ホラー” 『ゲット・アウト』


先日、キネカ大森で
映画『ゲット・アウト』(2017年)を観ました。
同時上映は『ドント・ブリーズ』(2016年)。

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 <あらすじ>
ニューヨークで活動する黒人の写真家クリス(ダニエル・カルーヤ)は、
白人の恋人ローズ(アリソン・ウィリアムズ)から実家に招待された。
ローズが家族に“彼氏が黒人であること”をまだ伝えていないと知り、
若干の不安を抱くものの、ローズからは「心配はいらない」と諭される。
かくして彼女の実家を訪れたクリスは、過剰な歓迎を受ける一方で、
黒人の使用人たち(ベティ・ガブリエルら)に妙な違和感を覚え始める。



本作は、私がかねてより信頼してやまないアメリカの“お笑いコンビ”、
“キー&ピール”のジョーダン・ピールが初めて監督した映画です。
この2人は『サタデー・ナイト・ライブ』(NBC)の“裏”で放送されていた
マッドTV!』(FOX)の準レギュラー(後にレギュラー)として知り合い
(ちなみに私は『SNL』よりも『マッドTV!』のほうが好みでした)、
2006年にはアル・ヤンコビックの楽曲MVにも揃って出演しています。

同番組卒業後もコント番組『Key & Peele』(コメディ・セントラル)で
コンビを組み続け、2016年には『キアヌ』という秀作を発表しました。
キーガン=マイケル・キーが製作を務め、ピールが脚本を書き、
そして2人がW主演している、非常に好感の持てるコメディ映画です。
数年前には、『ポリスアカデミー』シリーズ(1984年〜1994年)の
リブート版プロデューサーに2人が就任したという話も報じられました。


▲ 『キアヌ』 (2016年) 予告編



本作『ゲット・アウト』はジャンル的には“ホラー映画”と分類されます。
これまで真っ直ぐに“コント畑”を歩んできたコメディアンのピールが
初監督作でホラーに挑むとの報せは驚きをもって迎えられましたが、
実際のところ、コメディとホラーには多くの共通項があります。
“前フリ”の効果的な働きによって結末(“オチ”)が生じるという構造、
現実を逆手にとって視聴者の固定観念をズラしていく精神などです。

本作は典型的な“コメディ”ではないが、典型的な“ホラー”でもない。
ピール自身は本作の性質を「社会派スリラー」と定義していますが、
私としてはどうしても、この『ゲット・アウト』という名の映画のことを、
映像表現ならではのミステリー要素やサスペンス要素をも孕んだ
一種の“ブラックコメディ” “ダークコメディ”として認識してしまいます。

相手の“肌の色”を蔑視していないことを強調しようとするあまり、
余計に気まずさが生じてしまうという状況は喜劇的構造そのものだし
(実は本作におけるその描写はネタバレに繋がる伏線なのですが)、
「(黒人は)やっぱり……“アッチ”のほうは強いの?」といった台詞も、
人種ネタを扱ってきたコメディ映画では古くから定番の台詞です
(やはりこれらの台詞も本作では重大な伏線となっているのですが)。

とどのつまり、本作はあらすじがそのままでも見せ方さえ変えれば、
分かりやすいブラックコメディ映画に仕上がるのではないでしょうか。
ジム・キャリーが奇怪な電気配線工を演じたベン・スティラー監督作
ケーブルガイ』(1996年)のジャンルが“ホラーコメディ”なのか
“愉快なホラー”なのかを見極めるのが難しいことから分かるように、
笑いと恐怖は紙一重どころか、時に表裏一体ですらあり得るのです。

本作は黒人差別をテーマにした史上初のホラー映画であるとともに、
黒人差別の問題を真正面から告発した社会派の映画でもあります。
そして、コメディに至上の価値を見出す私としては、やはり本作を
現代社会における一種の“ブラックコメディ”と認識してしまうのです。
それはホロコーストや原爆投下をも“コメディ”の枠内に収めかねない
危険な認識でもあり、誠実な説明を必要とする解釈なのですが──。



『キアヌ』を観た時に分かったことなのですが、ジョーダン・ピールは、
作品をウェルメイドに仕上げる“ニール・サイモン的な”創作者です
(それは必ずしもサイモンと同じような作風であるという意味ではなく、
したたかなシナリオをさりげなく仕立てる名手という意味ですが)。
本作の脚本も実に巧妙かつ抑制的に伏線が張りめぐらされていて、
展開や結末を分かった上でもう一度観たいと思わされてしまいます。

謎の黒人男性(ラキース・スタンフィールド)の「Get Out!!!」という
台詞の意味が後になって明らかになったり、クリス(カルーヤ)の
少年期のトラウマが終盤の展開を生んだりといった脚本上の仕掛け、
ローズ(ウィリアムズ)がミルクとシリアルを“隔離”して飲食したり、
Run Rabbit Run』を恐怖のテーマ曲として使用したりといった
演出上の効果など、細部に至るまで計算が行き届いているのです。

それとともに、やはりこれも『キアヌ』の鑑賞時にも感じたことですが、
ピールは作品に“優しさ”を漂わせるのが上手な作家でもあります。
というより、彼の携わる作品からは自然と“優しさ”が滲むのでしょう。
本作でもTSA(運輸保安庁)職員のロッド(リルレル・ハウリー)という
キャラクターの存在するおかげもあって、“ホラー映画”でありながら、
随所で人間の“心”の在りかを感じさせられる仕様になっていました。



▲ 『レイト・ナイト・ウィズ・セス・マイヤーズ』 (NBC) 2018年1月9日放送分より



 <追記 1>
本作は様々なホラー&スリラー作品へのオマージュに溢れています。
『ステップフォード・ワイフ』(1975年)などの影響を受けていることは
ピール自身が公言している通りですが、幻想文学ファンの私としては、
H・G・ウェルズの小説『亡きエルヴシャム氏の物語』(1896年)との
ある重要な類似性についても言及しておかないわけにはいきません。
ネタバレになるので詳細は控えますが、いずれにせよ怪奇小説です。

 <追記 2>
前述の“キー&ピール”の映画『キアヌ』で“3人目の主人公”を演じた
ティファニー・ハディッシュは、本作にも出演を打診されていましたが、
ホラー映画が苦手だからという理由でオファーを断ったそうです。
そして、ピールの“相方”キーは本作に参加していないのかというと、
本編終盤の某シーンに写真のみで“出演”しています(ノンクレジット)。
気付く観客はほぼ皆無でしょうが、何とも心ニクい趣向ではあります。

 <追記 3>
誤解を恐れずに申せば、差別されることに“慣れた”人々でなければ、
本作の怖さを本当の意味で実感することは難しいのかもしれません。
なぜなら本作は、(繰り返しになりますが)特定の被差別属性が
狙い撃ちにされることの恐怖をストーリーの根幹としているからです。
この恐怖は“グレムリン”に襲われる恐怖とはまた違う独特なもので、
被差別の経験がなければ理解し切れないものではないでしょうか──。
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