2018年10月03日

“趣味と不自由”について、あるいは小三治の『野ざらし』


今日は、鈴本演芸場 10月上席 夜の部 へ行ってきました。
主任は、柳家小三治師匠。

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 <本日の番組>

開口一番:(前座) 林家彦星 『牛ほめ』
落語:(交互) 柳家小はぜ 『狸鯉』
太神楽曲芸:鏡味仙三郎社中
落語:(交互) 柳家小八 『たけのこ』
落語:(代演) 柳家小里ん 『碁泥』
漫才:ホンキートンク
落語:(代演) 古今亭菊太楼 『幇間腹』
落語:(交互) 柳亭燕路 『粗忽の釘』

 〜仲入り〜

紙切り:林家楽一
落語:柳家小ゑん 『下町せんべい』
俗曲:柳家小菊
落語:(主任) 柳家小三治 『野ざらし』



★彦星 『牛ほめ』
開口一番は正雀門下の彦星さん。
“真摯的”だが、決して肩肘張らない語り口である。
最後までリラックスした調子での『牛ほめ』だった。

★小はぜ 『狸鯉』
一転、朗々とした口調で『狸の鯉』を繰り広げる。
“狸”が「こんばんは」と訪ねてくる件から始まり、
板前修業をした“男”が“狸鯉”を捌き損ねてサゲ。

★仙三郎社中
「傘」→「五階茶碗」→「土瓶」→「撥」→「花笠」。
初見の客もちらほらいて、所々で歓声が沸き上がる。
「撥」をソロで披露した仙成さんは声がとても好い。

★小八 『たけのこ』
“弟子”志願の少年、わんこそばの逸話を経て、
「くさかんむりに旬」と書く食材の噺『たけのこ』へ。
特に“侍”と“可内”の会話が喜多八師匠そっくり。

★小里ん 『碁泥』
一朝師匠の代演。
“王なし将棋”→“碁の助言”の小噺から『碁泥』へ。
小さん師匠を彷彿させる古典落語の愉快な世界。
風格のある話芸──、多幸感でいっぱいになった。

★ホンキートンク
コンビ名紹介から入る各ネタ自体は変わらないが、
連想ゲーム的に続々と話題を展開していく新型。
「オープニング漫才」終了後は2人とも上着を脱ぐ。

★菊太楼 『幇間腹』
菊之丞師匠の代演。
「主任も代演なのではないかと心配だろうが……」。
“猫”は鍼を打たれる直前に“若旦那”を引っ掻く。
“一八”のオモテ↔ウラの言動のギャップが楽しい。

★燕路 『粗忽の釘』
粗忽の小噺を経て、『粗忽の釘』を“風呂敷”から。
とにかく"亭主”のキャラクターがニンに合っている。
ひとしきり笑った後に真顔で落ち着こうとしたりと、
燕路師匠ならではの演出もあって感心させられた。

★楽一
挨拶代りに「横綱の土俵入り」を切り上げてから、
「栗拾い」→「秋の空(蜻蛉)」→「中秋の名月」。
独特なコミュニケーション能力(?)の持ち主である。

★小ゑん 『下町せんべい』
「人間国宝の主任時は入場料を『拝観料』と云う」。
“1小ゑん”のマクラで笑いを獲ってから、新作へ。
「効かないから富山──。効くならファイザー製薬」。

★小菊
“寄席のスタンダードナンバー”「蛙ぴょこぴょこ」
→都々逸「会えば短し」→「外へ出たなら」。
唄い終わるや否や拍手が起こり、嬉しそうな様子。

★小三治 『野ざらし』
題すなら、今宵のマクラは「趣味と不自由」について。
「面白いもの── 自分が好きかどうかが大事であって、
 世間の評判、“情報”に惑わされてはいけない」。
「不自由がなくなった世の中── 合曳を使っているが、
 昔はお葬式で正座する人を見るのが楽しかった。
 痺れを工夫して誤魔化すのが人生の縮図だった」。
高校時代の昼休みの話、切手収集の趣味の話など、
ほかにも有り難いお話・お言葉をたくさん頂戴したが、
あえてここに記さず自分の心で消化することにする。
──そんなマクラなわけで、“釣り見物”の小噺を経て、
だいぶ自然な流れで『野ざらし』の世界へ入っていく。
「ご覧じたかァ?」「ツカツカツカツカ!」「骨ゥ?」など、
珠玉のフレーズはどれも実にさりげなく提示される。
そこには衒いも外連もない。ごく自然体の“噺”がある。
「スチャラカチャン!」の笑顔は実に好い笑顔だった。



── というわけで、本日は久々に小三治師匠の高座に接しました。
ちょうど今の私にとって有り難いお言葉の数々を受け取ったので、
忘れてしまわぬよう、帰りの電車の中でスマホにメモした次第です。
「正しいことは一つではない」とか、「古典も毎日が新作」とかとか。

それにしても、今夜の私はなんという幸福な人間だったのだろう──。
それは単に「マクラが面白かった」「貴重なお話を聞けた」とか、
「装飾が削ぎ落とされた古典落語に感動した」とかいうことではなく、
いや、そういうことでも構わないし、事実そうでもあるのだけれど、
夜の上野の帰り道、とにかく私は心から幸せを感じていたのです。

その幸せはきっと、本日の小三治師匠のお話にも通じる話ですが、
自分自身の中身を確かめられたことに拠る幸せなのだと思います。
私は私でしかなく、例えばある時から落語が好きだったりして、
そんな私って、少なくとも絶対に“私”だよね、というお話なのでした。
posted at 23:59 | Comment(0) | 落語・笑い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
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