2017年12月22日

「私はいまだに堂上華族の娘」 池坊保子とは何者なのか



 突然だが、私は怒っている。

 今年(2017年)11月に発覚した元横綱・日馬富士の暴行事件を受けて、日本相撲協会評議員会の池坊保子議長が「相撲協会は法律よりも上」などと発言したという事実無根の記事がインターネット上に出回っているためである。




◆ 「法律よりも上」というデマ

 11月26日、池坊女史はテレビ朝日系のニュース情報番組『サンデーLIVE!!』にゲスト出演した。その数日後、池坊女史が番組内で「相撲協会は法律よりも上」などと発言したという箇所の“文字起こし”がインターネット掲示板に投稿され、複数のまとめサイトがその“文字起こし”をもとに記事を作成した。それらの記事はまたたく間に拡散され、Twitter上は池坊女史を非難するツイートであふれ返った。Togetterでも『池坊保子「相撲協会は法律よりも上」』と題するまとめ記事が公開され、インターネット空間では池坊女史への批判がそれまで以上に激しく強まっていったが、実際にはその“文字起こし”はまったくの捏造だった。

 一人の人間(おそらくは)が虚偽の“文字起こし”をインターネット掲示板に投稿したことがきっかけで、デマが事実として拡散され、おそらくは未だに多くのネットユーザーが「池坊保子は『相撲協会は法律よりも上』と発言した」と信じ込んだままでいる──。フェイクニュースの恐ろしさを感じざるを得ない出来事であるが、何より許せないのは、その“文字起こし”はデマであるとの指摘を受けても相変わらずデマを垂れ流すまとめサイトが存在したことだ。これらのウェブサイトはもはや故意にフェイクニュースを流布させているとしか判断できない。日本でもフェイクニュースの取り締まりが検討されて然るべきであろう。

 それにしても、なぜこのような悪質なデマが流布したのだろうか。その答えのヒントとなる出来事がある。11月20日、池坊女史は暴力行為を「絶対にあってはならないこと」とした上で、相撲協会への報告義務を怠った貴乃花親方に苦言を呈した。おそらくはそれ以来、“貴乃花支持者”の人々は池坊女史のことを「敵」「悪」と見做すようになったのではないか。そして本来の発言に装飾が施され、貴乃花親方の「敵」である池坊女史を攻撃するためのストーリーが構築されたのだろう。この推察に客観的根拠は存在しないものの、Twitter上で散見される“貴乃花支持者”の善悪二元論的な傾向を眺めているとそのようにしか思えない。



◆ 「私はいまだに堂上華族の娘」

 私は以前から池坊女史のことを尊敬している。自省を厭わない実直な人柄には深い親しみを覚えてきたし、理性と情熱を併せ持って前進する姿勢には敬意を抱いてきた。しかし、日馬富士の暴行事件をきっかけに初めて池坊女史のことを知ったという人々は、テレビニュースなどを通じて感知した勝手なイメージで“池坊保子像”を作り上げてしまっているかもしれない。おそらくはそのような印象先行の思い込みこそが、池坊女史をめぐるデマを流布させる一因ともなったのだろう。そこでこのエントリでは、池坊保子という人物がどのような人物であるのか、粗雑にならない程度に私なりの言葉で説明を試みたいと思う。

 1942年4月18日、米軍ドーリットル隊が東京を空襲する中、堂上華族の梅渓家に三女が産まれた。それこそがのちの池坊保子女史である。母は久邇宮朝彦親王の六女と結婚した子爵・仙石政敬の末娘で、香淳皇后の従姉妹にあたる。父・通虎もまた子爵で、戦後は日本水産の取締役を務め、晩年にはよみうりランドの常任監査役として糸山英太郎氏の買収工作を阻止した。これは次女が正力亨氏に嫁いでいたからにほかならない。2012年に上梓された自伝『華の血族』(新潮社)で、池坊女史は「自分を規定する言葉を好まない」とことわった上で、強いて言うならば「私はいまだに堂上華族の娘」であると綴っている。

 右を向いて丁寧極まる尊敬語を使いこなした直後、左を向いて乱暴な言葉で友と語ることもできる。生活力がなさそうでいて、生き延びる術は心得ている。乞食になろうと、乞食なりに人生を味わい、プライドを持ち続ける。何の恒産も持たない公家として、ただ頭だけを使い、権謀術数を駆使し、人の心を読み、人の弱点を見据え、社会の流れを敏感に感じとり、権威を保ちつつ、知恵だけで生き延びていく。そんなしたたかさと誇り高さと生命力が堂上華族の血であって、それは父の血そのものであり、私にもその血は脈々と流れている。
── 『華の血族』 (新潮社) p.11-12

 池坊女史は学習院大学在学中に華道家元池坊の池坊専永家元と結婚した。最初の数年間こそ京都での生活に戸惑っていたようだが、次第に持ち前の発信力を発揮し始め、若き家元夫人としてメディアに露出するようになる。二女にも恵まれ、自身は池坊学園の理事長・学園長として生け花の発展に尽力した。しかし1984年、編集者の口車に乗せられて月刊誌『PENTHOUSE』(講談社)にセミヌード写真を撮らせてしまう。週刊誌やワイドショーの格好の餌食となったが、今日に至るまで編集者への恨み節を述べようとしない(それどころか「私が編集長でも同じことをしたに違いない」と冷静に省みる)ところが池坊女史らしい。



◆ しきたり×「合理的な精神」

 「生け花の根源」である華道家元池坊の家元夫人というと、いかにも権威的で伝統主義的なキャラクターを連想する向きもあるだろう。しかし実際の池坊女史は“合理主義者”とさえ称える思考の持ち主であり、日本の伝統文化を尊重しつつもリベラルな価値観を体現してきた女性である。例えば、池坊女史は2012年に上梓した著書『美しい日本のしきたり』(角川SSC新書)の第一章において、人日の節句(1月7日)の「七草粥」の風習を解説するとともに、七草粥はもともとは「寒さが厳しい」季節に「野菜不足を補う」ための料理であったのだろうから「現代風にアレンジ」してみてはどうか、と読者に提案する。

 現在では、お節料理で疲れた胃をいたわってくれるのが、七草粥です。七草をセットにして、パックに詰めたものが売られていますが、7日のだいぶ前から野菜売り場に積まれていて、残念ながら、鮮度がいいとは言えません。せっかくいただくなら、新鮮な野菜のほうがいいのではないでしょうか。
 せり、大根(すずしろ)、かぶ(すずな)は、泥付きの新鮮な物が手に入っても、ほかのものはなかなか野菜売り場で探すことはできません。それならば、新鮮なブロッコリーやほうれん草、小松菜など、栄養価の高い緑の野菜を7種入れてお粥を作るのはどうでしょうか? 緑の野菜にこだわらず、にんじんやかぼちゃを入れてもいいかもしれません。要は、家族の健康を願って作るもの。
── 『美しい日本のしきたり』 (角川SSC新書) p.31

 何とも合理的な提案だが、池坊女史はただいたずらに変革を訴えているのではない。この文章の後に「古から異国の習慣を、自分たちの暮らしに合うようにアレンジして取り入れてきた日本人は、もともと合理的な精神を持っているのです」という一文を添えている。合理的改革にも歴史的な正統性を求めるところが、伝統文化の世界を生き抜いてきた池坊女史の面目躍如であろう。同書ではこのほか、メールやパソコンといったツールを上手に活用することの重要性も説かれている。マナーや作法は相手を心地よくさせるための手段にすぎない。池坊女史は目的と手段を違えては本末転倒だということを熟知しているのである。



◆ 国会議員としての5870日

 1996年から2012年までの16年間に渡り、池坊女史は衆院議員として忙しい日々を送った。政界入りのきっかけは新進党の小沢一郎党首からの出馬要請である。池坊女史は比例近畿ブロックの単独1位候補として初当選するも、一年後の1997年末、小沢党首の独断で新進党は解党してしまう。この時、池坊女史は「お肉だけでない。党も解党するんだ」と思ったという。居場所を失うことになった池坊女史は、「教育、福祉をやっていきたいという強い希望」があったことから「その政策を同じくする」旧公明党グループへの参加を決意する。1998年の公明党再結成にも参加し、政界を引退するまで公明党の議員として活動を重ねた。

 華道池坊の家元夫人であるということは頂法寺(六角堂)の住職の妻であることを意味する。創価学会を支持母体とする公明党に池坊女史が参加するとの報せには、当時の誰もが驚いたことだろう。しかしこのエピソードこそ、池坊女史のユニークな性格を示す具体例であるように思う。壁を越えてきたことへの配慮があったのか、公明党はいずれの衆院選でも池坊女史を比例近畿ブロック単独1位の座に据えた。党と女史の間で密約が交わされていたわけでも、女史が見返りを企んで入党したわけでもないだろうが、もしかすると堂上華族の「したたかさと誇り高さと生命力」を池坊女史は無意識に発揮していたのかもしれない。

 衆院議員時代の池坊女史は一貫して文部科学委員会に属し、ひたすらに文教畑を歩み続けた。森・小泉内閣では文部科学政務官を、第1次安倍・福田内閣では文部科学副大臣を歴任している。特筆すべき実績を一つ挙げるとすれば、やはり議員立法による児童虐待防止法の成立であろう。当初は反対論が強く、「虐待としつけはどう違うのか」と難癖をつけられることもあったが、自由民主党の太田誠一、民主党の田中甲、日本共産党の石井郁子、社会民主党の保坂展人の各衆院議員とともに法案を練り上げた。衆院青少年問題に関する特別委員会理事としてのリーダーシップも発揮し、2000年に法案を成立へと導いている。

 今年(2017年)12月8日、安倍内閣は「新しい経済政策パッケージ」を決定し、2020年度までに「年収590万円未満世帯を対象とした私立高等学校授業料の実質無償化を実現する」方針を明確にしたが、これなども池坊女史が衆院議員時代に取り組んでいたテーマの一つである。現職議員として迎える最後の通常国会となった第180回国会の衆院予算委員会では、私立高校の授業料無償化をめぐって当時の野田佳彦首相や安住淳財務相らを相手に堂々たる貫録を見せつけている。下掲の録画では今年4月に逝去した中井洽予算委員長の中立的な運営ぶりも垣間見えるので、時間が許すようであれば視聴していただきたい。

▲ 第180回国会 衆院予算委員会 (2012年3月1日)



◆ 「あっという間」の解任劇

 池坊女史は2010年には日本漢字検定協会理事長にも就任している。漢検協会では当時、前理事長らが資金の私的流用を疑われて辞職したことを受け、元日本弁護士連合会会長の鬼追明夫氏が理事長を務めていた。しかしその鬼迫氏も理事長を退任したため、池坊女史に“貧乏くじ”が廻ってきたのである。文教政策に精通する池坊女史であれば漢検協会を改革できるという期待もあったが、漢検協会の体質はそう容易く革められるものではなかった。外部からやってきた池坊女史の存在が目障りだったのだろうか、女史を中傷する怪文書や街宣車までもが出回り、池坊女史は「あっという間に」理事長職を解任されたのだった。

 街宣車にも屈しない私に、更に苛立ったのでしょう。暗い闇の存在者(誰だか私にはわかりませんが…)は、今度は職員有志と書いた匿名の私への中傷、誹謗の手紙を評議員、理事に送りつけたのです。誰が一体街宣車を依頼したのか。依頼した誰かがいるのです。
 しかしながら、その解明もないまま、中傷されるような私はけしからんという風潮がいつの間にか一部の理事者の流れを構築していったのです。本来、問題にすべきは匿名の記事が来た事ではなく、そのような職場の中に存在する風土、文化のはずでした。
 しかし、それらを検証する時間もなく、あっという間に、匿名記事がくるような理事長は理事長にふさわしくないという事で罷免されたのです。
── 池坊保子ブログ (2011年5月26日付)

 政界引退後の2013年、池坊女史は日本相撲協会の公益財団法人化に伴い新設された評議員会の議長に就任した。今年(2017年)11月に日馬富士による暴行事件が発覚してからは、その発言と存在感がひときわ注目されている。私は女史の発言をつぶさに把握しているわけではないが、聞き及ぶ限り、少なくとも本件に関して池坊女史は社会的に至極真っ当なことを言い続けているように思う。先述の『サンデーLIVE!!』にゲスト出演した際の発言内容(文字起こしはこちら)についても、警察に被害届を提出する前に相撲協会に問題を報告する必要性はないと思うものの、その点を除けば特に違和感はない。



◆ 貴乃花は本当に“正義”なのか

 本件をめぐっては「事実関係を調べる役目は警察に任せておけばいい」などと暢気に主張している者もいるようだが、警察と相撲協会とでは役割が異なる。警察の捜査が刑事手続きの一端であるのに対し、相撲協会の調査は@協会員間の問題について事実関係を整理したり、Aその結果をメディアや世間一般に公表したり、B協会員の処分を判断するための材料を集めたり、C組織としての再発防止策を講じたりするためのものである。警察の捜査と協会の調査は決して対立するものではない。趣旨も目的も異なり、相互に干渉することが許されない以上、警察の捜査と協会の調査は当然に両立されるべきものである。

 「警察の捜査結果が発表されるのを待てばよいではないか」と考える者もいるかもしれない。たしかに重大事件が起こると警察が記者会見を開き、テレビのニュースでは「捜査関係者の話によると……」という情報が報じられることはあるが、これらは特定の警察署や関係者による“サービス”の結果にすぎない。刑事手続きにおける警察の仕事は調書を作成して検察に報告することに尽きる。警察にはメディアに対して捜査結果を公表する義務などない。いくら緊密に連携を取っているからといって、相撲協会に詳細な捜査結果を伝える義務もない。公開裁判が開かれない限り、基本的には捜査結果が明るみに出ることはないのだ。

 そうすると今度は「裁判で事実が明らかになるのを待てばよいではないか」と考える者もいるだろうが、そもそも検察が被疑者を起訴するか否かはその段階になるまで分からない。起訴されなければそれまでである(検察には請求されない限り不起訴の理由を開示する義務はないし、リークされない限り捜査結果は明るみに出ない)。「裁判で事実が明らかになるのを待てばよい」と主張する者は、不起訴の場合は事件を隠蔽すべきだとでも考えているのだろうか。また、仮に裁判が開かれても事実認定に至るには相応の時間がかかる。それまで調査を行わず、事件をスルーして興行を続けるのは公益法人の対応として無責任であろう。

 それともう一つ、相撲協会が貴乃花親方への降格処分を検討していることについても言いたい。「被害者サイドを処分するのはおかしい」との声もあるようだが、親方は「被害者サイド」だから処分を検討されているのではない。巡業中に発生した問題を協会に報告しなかったり、弟子の休場に際して診断書を提出しなかったりと、協会員として果たすべき義務を怠ったから処分を検討されているのである。刑事事件の「被害者サイド」であることは所属組織の規則を侵してよい理由にはならない。「被害者サイド」だろうが「加害者サイド」だろうが、自らの“信念”で仕事をサボった会社員が社内で処分を受けるのは当然であろう。



◆ “反省”を決して忘れない

 ──最後は私見を述べることに終始してしまったが、私が池坊女史の半生を顧みて、そして最近の池坊女史の発言を聴いて思ったことは以上の通りである。それにしても、日馬富士の暴行事件はいつまで世間を騒がせるのだろうか。今やメディアの関心は事件そのものから貴乃花親方と相撲協会の“対立劇”へと移り、すっかり問題の本質がぼやけてしまったような気がしてならない。協会が事件を隠蔽しようとしたわけでも、理事会が貴乃花親方を敵視しているわけでもないのに(そもそも貴乃花親方は理事会の一員である)、本当にこれほどまで問題を長期化させる必要があるのか。これでは他の力士たちが可哀想である。

 12月21日、暴行事件を受けて実施された相撲協会の研修会で、評議員会議長として登壇した池坊女史は「本当に無念な事件が起きた。大切な教訓にして前に進んでもらいたい。負の遺産にしてはいけない」と協会員たちに訴えた。この世で現実を生きていく限り、人間は前へ進まなければならない。しかし人間は完全無欠の存在ではないから、前に進むということは何かしらの過ちを犯してしまうことを意味する。だからこそ人間には“反省”の能力が求められる。私が池坊女史のことを敬愛してやまないのも、女史が人生をエネルギッシュに前進しながらも“反省”を決して忘れない人物だからである。

 2009年の衆院選で公明党が大敗した際、池坊女史は「一週間ほど落ち込んだ」という。そこで女史は「スイッチの切り替え」のために旅行へ出かけたが、直後に自らの行動を反省する。最も落ち込んでいるのは自分ではなく落選した同志ではないか、炎天下の中を駆け巡った支援者ではないか。うだるような暑さの中で「私は末期がんだが……」と話してくれたあの支援者の顔を忘れたか。余裕がないため旅行に出かけれらない者が大半なのに、自分は「愚か者としか言いようが」ない──。私は人間にとって最も大切なのは誠実さだと信じている。しかしその“誠実”という名の弟は、“反省”という名の姉の支えなくして成り立たない。

 聖書にも、神様は無駄なことはなさらない、という一言があり、いつも心の片隅に留めていますが、人間は平時にはどんな偉そうなことも言えるのですね。
 若い人が人事の季節になり、同期の人が自分より早く出世して、落ち込んでいる時、よく「全て塞翁が馬よ。人生なんて、長い目で見なければ何事も分からないのよ。人生はあざなえる縄の如し。幸せが不幸を招き、不幸が幸せを運んでくることも数多くあるのよ」なんて偉そうなことを言って励ましていましたが、何と説得力のない私の言動であったことか。
 (中略) 政治家にふさわしくない、なんて見放さないで下さい。
 落ち込んだ後、私は必ずバランス感覚や公平性や、正義感を取り戻しますから。
── 池坊保子ブログ (2009年9月21日付)

(肩書はいずれも当時)
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