2017年01月10日

人間は“純ロマンチスト”ではあり得ない、が 『正義と微笑』


 太宰治の小説『正義と微笑』(1942年)を初めて読んだ時、なぜ前半部で物語を終わらせてくれなかったのかと作者を憎んだ。

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SDP Bunko 版


 『正義と微笑(びしょう)』の主人公の名前は芹川進。東京で母や兄と暮らす有閑階級の少年である。この小説は彼の16歳の年の4月から17歳の年の12月にかけての日記という形式を採っている(※1)。そのため、読者は進の日記をこっそり盗み読みする感覚でページをめくらされることになる。そういう意味では、この小説は作品の構造からして変態的だといえなくもない(※2)

 物語の後半で、進は「プロフェッショナルに生き」ることを決意した青年へと成熟する。理想は現実の生活に即していなければならず(生活を離れた理想を求めるのであれば「十字架へ行く路」を歩むしかない)、日常生活の中でも「理想に邁進する事が出来るはずだ」──。いわば《ロマンを抱えるリアリスト》として生きることを宣言し、進は新天地へ飛び込む。そしてそれからの7か月間が示される。

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 ロマンチストとは理想を“追う”者であり、リアリストとは現実に“追われる”者である。現実を生きている以上、すべての人間はリアリストとしての面をもっている。純リアリストはあり得ても、純ロマンチストはあり得ない。現代のロマンチストとは、リアリストとしての自分をまだ自覚していない者か、自覚した上で《ロマンを抱えるリアリスト》として生きることを決意した者のいずれかである。

 この小説で重要なのは、主人公の家庭が有閑階級であることだろう。有閑階級に属する者は自分がリアリストとしての面を有していることに気付きにくい。現実の生活に“追われる”機会が少ないからだ。進の兄さんがリアリストとしての自分を自覚し、「お金でも、とれるんでなかったら、小説なんて、ばからしい」というリアリスト的な発言をしたのは、文学賞という現実に“追われ”ていた時のことである。

 兄さんの発言を聞いた当時の進は「なんだか、堕落しているんじゃないかしら」「理想の喪失」という感想を抱くが、しばらくすると「僕は、兄さんと、もうはっきり違った世界に住んでいる事を自覚した。僕は日焼けした生活人だ。ロマンチシズムは、もうないのだ」と日記に記す。現実の生活に“追われる”中で、今度は自分こそが堕落してしまったのではないかと怯えるのだ。

 とはいえ、「ロマンチシズムは、もうないのだ」と記した時の進は、本当に純リアリストになってしまっていたわけではないと信じたい。純リアリストになりかけていた自分に気付いて軌道修正を図ったと信じたい。あの一文を書けるうちはロマンチシズムを失っていないと信じたい。別の角度からいえば、この一文に切なさや哀しみを覚える読者はまだ現実に呑み込まれてはいない。

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 進は意図してリアリズムを習得したわけではなかった。当初は憧れにすぎなかった世界を現実の舞台とすることで(※3)、いつの間にかリアリストの色を濃くしていたのである。最後の日記にはロマンチックとはいえない文言が躍る。「まじめに努力して行くだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう」。進は《ロマンを抱えるリアリスト》のままなのか。それとも純リアリストに転じてしまったのか。

 感情が散発的に表現される日記体小説ということもあって、その答えは最後まで明らかにならない。だから私はこの小説を初めて読んだ時、なぜ前半部で物語を終わらせてくれなかったのかと作者を憎んだのだった。なぜ作者は進を「成長」させてしまったのか! あるいはせめて進が《ロマンを抱えるリアリスト》として生きると宣言したあの日に、この物語を終わらせてくれていたならば!

 今でも私はこの小説の締め括りに不を感じるが、それこそが作者の狙いなのだろう。人間は純ロマンチストではあり得ない。どんなロマンチストも、リアリストとしての自分と直面することを避けられない。今日のロマンチストは明日のリアリストであり、明日のリアリストは明後日のロマンチストである。誰もこの先の自分を知らない。かつて決意があったという事実を宿しつつ、日は改まっていく。

 小説の最後に記される讃美歌の詞は、《ロマンを抱えるリアリスト》たらんと欲する者にとっての指針となる。「わがゆくみちに/はなさきかおり/のどかなれとは/ねがいまつらじ」──。苦渋の選択である。険しそうな道である。しかし、一筋の光は差している。『正義と微笑』は巷間囁かれるような「明るく希望にみち」た青年の物語ではない。ほろ苦さを味わいながらも前を向く青年の物語である。




 (※1) 進の誕生日がいつなのかは分からない。ただし、17歳の年の1月4日(水)に「十七歳。ちょっと憎々しい年である」「十七歳になったのだ」等と記し、12月29日(金)に「僕は、来年、十八歳」と記しているところをみると、1月1日から4日までのいずれかと推察できよう。その中でも、加年に言及した1月4日が誕生日である可能性が高い(ちなみにこの日、進の自宅にはチョッピリ叔母さんが来訪し、進は兄さんと銀座へ出掛けているが、これといった誕生日ならではのイベントは描かれていない)。もっとも、進が数え年のことをいっているならこの考察は無意味である(そしてその可能性こそが最も高い)。

 (※2) 日記体の文学作品というと、奥浩平『青春の墓標』(1965年)を取り上げないわけにはいかない。リアリストとしての生を決意した『正義と微笑』の進と違って、奥はロマンチストとして死ぬ道を選んだ。

 (※3) ネタバレになるが、17歳の夏、進は劇団春秋座の入団試験に合格する。進に俳優の才能があったのは事実だろうが、試験官が進と斎藤先生の関係を確認したり(「もし、二、三日中に何も通知がなかった場合には、またもういちど、その先生のところへ相談しにいらっしゃるのですね」)、もう一人の合格者である滝田輝夫が名門の出であることに言及されていたりするところをみると、努力して現実を生きるということは結局はコネを駆使するということだ、という皮肉が込められているのかもしれない。
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