2016年09月06日

“コメディ化”された番外編 『アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅』


先日、TOHOシネマズ川崎で
映画『アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅』(字幕版)を観ました。

alice_through_the_looking_glass.jpg


 <あらすじ>
貿易船での長い航海を終えて帰郷したアリス(ミア・ワシコウスカ)は、
「アンダーランド」の帽子屋マッドハッター(ジョニー・デップ)が
家族を失った悲しみゆえに心を閉ざしていることを知る。
過去にさかのぼり、かつて殺されたマッドハッターの家族を救うため、
アリスは「時間の旅」(=タイムトラベル)に出ることを決意するが……。



全世界でヒットした『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)から6年。
まさか続編が製作されるとは思ってもみませんでした。
ましてや前作では『不思議の国のアリス』の登場人物だけでなく
『鏡の国のアリス』の登場人物も登場し、原作キャラは“品切れ”状態。
前作を監督したティム・バートンが再びメガホンを取るならまだしも、
別の人物が監督を務めると聞いた時は、嫌な予感しかしませんでした。

そしていま、映画を観終わった感想を率直に申し上げましょう――。
『アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅』はとんでもなく面白かった!
前作が「ファンタジードラマ」「ファンタジーアクション」だとしたら、
本作は「ファンタジーコメディ」「ファンタジーアトラクション」。
キャラクターも物語も前作で出来上がっていることを逆手にとって、
世界観はそのままに、『アリス――』の“コメディ化”に成功したのです。

成功もむべなるかなで、なにしろ本作の監督はジェームズ・ボビン。
長編デビュー作『ザ・マペッツ』(2011年)で最高の娯楽精神を現出し、
エンターテインメントとコメディの融合にこだわってきた制作者です。
続編というよりは番外編として、前作からちょっとだけ逸脱する――。
この度の『アリス――』のコメディ化には、『グレムリン』(1984年)と
『グレムリン2 新・種・誕・生』(1990年)の関係性を思い起こされます。



『アリス・イン・ワンダーランド』の見事なコメディ化の背景として、
“タイム”役:サシャ・バロン・コーエンの活躍に触れずにはいられません。
21世紀を象徴するこのコメディアンは映画俳優としても折り紙つきで、
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007年)でも
与えられた以上の役割をこなし、表現者としての新境地を開きました。
(かくいう私も、他人の作品で演技するコーエンが好きだったりします。)

ルイス・キャロルの原作に登場しない“タイム”というキャラクターは、
コーエンのような芸達者にしか演じることができなかったでしょう。
敵でもなく味方でもなく、虚構の存在でもあり現実的な存在でもあり、
重厚さもいかがわしさも求められるキャラクターを、彼は演じ切りました。
もちろん、演技を引き出すボビンの演出力も高く評価されるべきで、
本作はボビンの「ディレクター」としての才気が輝く作品でもあります。

バートン監督の前作が「夢の強さと脆さ」をテーマにしていたとすれば、
本作は「現実は怖くない」というメッセージを優しく訴えている作品です。
「過去は変えられない」という非情な事実を娯楽に変換できるのは、
コメディというものが現実に照準を合わせているからにほかなりません。
いつだって、コメディは夢の中にではなく現実の中にあるのです。
現実を意識する本作は、コメディ的であるがゆえに躍動していました。
(もっとも、それは「ニワトリが先か、卵が先か」という話にすぎませんが。)



 <おまけ>
サシャ・バロン・コーエンのエッセンスを詰め合わせたものといえば、
やはり、2013年ブリタニア・アワード授賞式での「車椅子コント」でしょう。
「車椅子に乗っている高齢の女性」を悲惨な目に遭わせたことよりも、
神聖不可侵の「チャップリン」という権威を利用したことが衝撃的でした。

posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 映画・TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
(C) Copyright 2009 - 2017 MITSUYOSHI WATANABE