2015年07月09日

“復刊”はしたけれど… やはり、『青春の墓標』は恋愛文学だ!


この度、社会評論社から
奥浩平著『青春の墓標』(1965年初版刊)が復刊されました。
(『レッド・アーカイヴズ 01 奥浩平 青春の墓標』)

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『青春の墓標 ある学生活動家の愛と死』(文藝春秋版)



このブログでは、過去に何度か
奥浩平と『青春の墓標』を取り上げてきました。
直近だと、没後50年記念のこちらのエントリ(2015年3月2日)。
没後50年―『青春の墓標』 奥浩平と「たった一人の恋人」

長らく絶版状態だった『青春の墓標』が
復刊されたことそれ自体は結構なことなのかもしれません
(もっとも、中古の文藝春秋版は比較的入手しやすいですが)。

しかし、この度出版された社会評論社版は、
前半では『青春の墓標』文藝春秋版を転載する一方で、
後半からは、編纂者(「レッド・アーカイヴズ刊行会」)の
自己満足にすぎないマスターベーションを展開しています。
これでは「復刊」というより、名著の「改作」とみなすべきでしょう。



後半冒頭の『刊行にあたって』と題された文章で
「国家権力の非人間的なシステムが発する政策との確執」
「警察国家的な情報統制と情報操作によるデマゴギー」
などという文言が躍っていた時点で嫌な予感がしたのですが、
「かがやかしい21歳」(福田善之)の物語だった『墓標』は、
社会評論社版で「左翼の読み物」に塗り替えられてしまいました。

『刊行にあたって』に続く『座談会』では
生前の奥を知る人々がよもやま話を繰り広げているのですが、
奥のエピソードを語ってくれるのは結構だとしても、
「活動家としての奥を評価しよう」などという会話を見ると
この人たち『墓標』を読んだことがあるのかしら、と感じました。

それでいて『座談会』では、元中核派の彼らが
「今の若者は奥浩平を読まないだろう」などと嘆くのですから、
私は、この気色悪いマスターベーションにはついていけません。
「今の若者」に読まれないように『墓標』を矮小化しているのは
あなた方じゃないんですか、と冷ややかにツッコみたいほどです。

――ちなみに、『青春の墓標』には
「今の若者」にも愛され得るような魅力が備わっています。
奥浩平bot」のフォロワーには若年層も少なくありません。
『墓標』が普遍的な作品として広まることを拒否して
懐古主義にひた走る左翼の面々には、心の底からうんざりです。



さらに、『「青春の墓標」をめぐるアンソロジー』と題された
『墓標』に関する過去の評論の紹介ページでは、
正体不明の匿名の筆者(ペンネームすらなし!)が、
他人の評論を「紹介」するという体裁をとりながら
実際には「『墓標』はこう読め」という解釈を押し付けています。

とりわけ、この「匿名の筆者」は、
『墓標』を恋愛文学として読まれることが気に食わないらしく、
高本茂さんや中野翠さんの評論を上から目線で批判しています。
中でも高本さんの評論に対する攻撃は激しいもので、
ほとんど個人攻撃としか思えないような記述すらありました。

もっとも、高本さんが文中でマルクス主義を批判したため、
「匿名の筆者」は高本さんの評論を罵倒したのかもしれません。
それならば、過剰反応のわけも察しがつこうというものです。
「浩平なら言うだろう。『お前はナンセンスなんだョ』」
などという「イタコ芸」には、さすがにドン引きさせられましたが。



すでに表明した通り、私も、高本さんや中野さんのように
『青春の墓標』という本を恋愛文学として受け取っています。
社会評論社版での「匿名の筆者」のヒステリックな文章を読んで、
皮肉にもその思いは「確信」へと変わりました。

『青春の墓標』は、感性豊かな一人の魅力的な青年が、
特定の誰かとの関わりを多元的に積み重ね、
その誰かを愛したことで、悩み、悶え苦しみながらも、
「恋愛という病」に打ち克っていく物語なのだと確信しています。

もちろん、本の読み方は人それぞれです。
唯一絶対に正しい読み方なんてものは存在しないと思うし、
私も、私の読み方を他人に押し付けるような真似はしません。
しかし、あえて言うならば、『青春の墓標』が
「左翼の読み物」として流布するのは実にもったいないことです。

社会評論社版の「レッド・アーカイヴズ刊行会」は、
『墓標』を「資本主義の不条理の根源」を問う書に矮小化し、
奥浩平のキャラクターそのものを政治利用しています。
351ページから始まる独善的な社会派メッセージは、
私には『青春の墓標』を侮蔑するものとしか思えませんでした。



これから『青春の墓標』を読んでみようという人には、
読者をミスリードさせる思惑をはらんだ社会評論社版ではなく
中古の文藝春秋版を手に入れることをおすすめします。
文藝春秋版には、当時の時代背景を知るために有益な
元中核派幹部・北小路敏氏の丁寧な解説も収録されています。

中古本の購入はこちらから。
奥浩平bot〈非公式〉 サポートサイト:青春の墓標

――本当は社会評論社版なんて黙殺しようと思ったのですが、
「レッド・アーカイヴズ刊行会」の独善的な態度のおかげで
『墓標』が恋愛文学であることを確信できて嬉しかったのと、
高校時代から中野翠さんの愛読者だった自分が誇らしくなったので、
あえて、不愉快な悪書の存在を記録に留めることにしました。



ちなみに、高本茂さんによる『墓標』の評論は
『青春再訪』(2014年、幻冬舎ルネッサンス)に収録されており、
公式ホームページでも全文を閲読することが可能です。
高本茂公式サイト:『青春再訪』(幻冬舎ルネッサンス)

そして、中野翠さんによる『墓標』の評論は
『あやしい本棚』(2001年、文藝春秋)に収録されています。
posted at 23:59 | Comment(8) | TB(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
この記事へのコメント
『青春の墓標』をほぼ同時代に読んだ前期高齢者です。 奥浩平の没後50年を期し今年、46年前に購入した同書を再読いたしました。
発刊当時は愛と思想の対立に板挟みになった悲劇の青年の本として読まれていましたが、奥紳平氏のあとがきや北小路敏氏の『解説』に惑わされることなく虚心坦懐に読まれて得られた『青春の墓標は恋愛文学だ!』との"みつよし”さんの結論は正しいと思います。
 ただあえて付け加えるならば同書216頁(文庫版では356頁)にあるように奥浩平は中原素子の『深い友情』に気付いていました。(自身の恋愛感情の整理はできませんでしたが…)
 同書では書かれてていませんが、二人は中学、高校と6年間同じ学校に通った幼馴染です。
 現在でも高校の同期生たちが中原素子と奥浩平について沈黙を守っている事実に彼らの海よりも深い友情を感じます。
Posted by ジイジ at 2015年07月31日 08:13
ジイジさん、コメントありがとうございます。
私なりの読み方にご賛同くださったことを幸いに存じます。

ご指摘の通り、身も蓋もない言い方をすれば、奥は「片想い」をしていたわけですが、そのことがかえってこの遺稿集に「恋愛文学」としての独特な価値を与えているように思います。
そこら辺の雑感は以前にもこちらのブログで発表させていただいたので、お時間のある時にでもご笑覧ください。 http://mitsuyoshiwatanabe.seesaa.net/article/414949976.html

「海よりも深い友情を……」とのご指摘にはハッとさせられました。
私は分を弁えなければなりませんね。有り難いご指摘に感謝いたします。
Posted by みつよし at 2015年08月01日 08:35
2月27日の記事に続き7月9日も記事がUPされたのでコメントさせていただきました。
みつよしさんのご教示に従い高本茂氏、中野翠氏の青春の墓標の評を読みました。
私なりに本書が”恋愛小説”、あるいは"友情小説”ではなく、中核対革マル 思想が裂いた悲しい恋物語”として読まれるようになったかを考えてみました。
以下青春の墓標の成立と絶版を時系列を追って検討してみましょう。
なお、私の独自調査に基づく項目は(調)、可能性の高い推定は(推)、その他は出典を文末に記載します。なお文藝春秋社版青春の墓標で合理的に読み取れる項目は出典の欄を(文春文庫)といたしております。
1956年4月:奥浩平目黒区立六中に入学(文春文庫)、同時に中原素子も同校に入学(推)
1959年4月奥浩平、中原素子都立青山高校入学(文春文庫)、二人とも東横線学芸大学駅から、銀座線銀座線外苑前駅まで乗りつぎ通学する。
1960年4月:クラス替えで奥、中原同じクラスとなる。春のクラス写真に並んで写る(調)
1962年4月:奥、中原、青山高校卒業。奥は浪人、中原は早大法に進学。
奥のひばりヶ丘への引っ越しもあり、従来のように学校あるいは通学途上出会うことが出来なくなり、もっぱら電話及び手紙によりコミュニケーションをとる(推)
1963年4月:奥、横浜市立大学へ進学
1965年1月下旬:奥、中原よりのの1963年5月6日付け手紙を再読。そこには『友情は、思想を乗り越えられるか?もし、られるものなら我々の友情は、未来に向かって、無限に保っていきたいものです、(後略)』とあるのに気付き激しく後悔する。(文春文庫)
1965年2月26日:中原、安倍ら青高の仲間たちとケーキを持って入院中の奥を見舞う。(文春文庫)
1965年3月2日:奥、大和生命に勤める兄紳平を尋ねる。『いかに生きるべきか?』と問う奥に対して兄は『どうして生きるのかの方が問題じゃないのか』と応える。(日販新刊展望1965年11月15日号)
1965年3月6日:奥浩平自死
井上光晴:朝日ジャーナル1965年3月28日号で革マルと中核という対立した組織に属し自死したO君(奥のこと)とその恋人(中原)の事を記す。
福田善之:現代の眼1965年6月号で奥浩平と友人のN・M子さん(中原のこと)を紹介し、奥の中原宛手紙の一部を紹介。
1965年10月30日:『青春の墓標』初版出版、著作権者=奥紳平、発行者(編集者)樫原雅春、装幀中森陽三。 奥紳平は本書のあとがきで、告別式に参加した百余名の同志が「インター、」「ワルシャワ労働歌」、「同志は倒れぬ」を歌ってくれた事は記しているが(文春文庫)、あえて激しく泣いていた恋人(中原素子のこと)(朝日ジャーナル1965年3月28日号)の事は記していない。
1979年4月:書店に入ると、高野(悦子)さんが心の友とした奥浩平『青春の墓標』と『二十歳の原点』が並んでいた。(吉行理恵、『二十歳の原点』新潮文庫版あとがき)
そのごまもなくして『青春の墓標』は絶版となる。
2011年3月:文藝春秋3月号の大型企画『秘めたる恋35』の鹿島茂との対談で香山リカは西原恵理子の言葉を引用して、奥浩平と中原素子の関係を『虫籠に虫を入れて置けば、どんなに嫌いでもつがいになるでしょう』と発言。 私は以来テレビにしたり顔で登場する香山リカのおぞましさと軽薄さに辟易するようになった。
ただし、同誌における亀和田武の奥浩平と中原素子へ視線は『青春の墓標』オンタイムで読んだだけあって、的確でかつやさしさに満ちていると私は思う。
本書はそもそも『思想の対立』をハイライトした兄奥紳平と樫原雅春の編集者としての商業主義が共鳴して、奥や中原の純粋な気持ちを消し去る形で出版されたために、誤まった読み方をされ、絶版に追い込まれたのではと私は考える。
最後に中原素子さんは平穏に暮らしておられます。 青山高校の同期生は中原素子さんの消息を承知されておりますが、外部にたいして『沈黙を守る』事によって『真の友情』を示していると私は考えています。(調&推)


Posted by ジイジ at 2015年08月02日 08:13
ジイジさん、コメントありがとうございます。
すでに3月2日付のエントリもお読みいただいていたとのことで、失礼いたしました。

また、資料や文献を詳しくご紹介いただき、ありがとうございます。
『青春の墓標』が「思想が裂いた悲しい恋物語」として読まれた経緯をめぐる御論考、大変勉強になりました。
「沈黙を守る」という「友情」の貴さについても深く感じ入った次第です。

著者の死から半世紀を経てもなお、やはりこの遺稿集には人々を惹きつける「生命力」がありますね。
一人の読者として、『青春の墓標』が時代や世代を超えて読み継がれることを願ってやみません。
Posted by みつよし at 2015年08月03日 21:43
”みつよし”様
すでに『青春の墓標』は三種類(文藝春秋社刊の単行本前期、後期版、文庫版)持っているにもかかわらず、昨日大手町の丸善まで行ってレッド・アーカイヴズ版を買ってきました(ペーパーバックスにもかかわらず2,500円近くしました!)。
コメントをAMAZONの当該書のページに『ジイジ』の名でいたしましたので単行本版、文庫本版のコメントと併せてご笑覧いただければ幸甚です。
質問が一つ。みつよしさんがお持ちの『青春の墓標』は単行本初期版(カバーが本項トップの写真同じもの)でしょうか?
もしそうであれば、奥浩平の写真が2か所に、肖像画がカバーにある今では入手がむつかしい貴重本ですよ!
Posted by ジイジ at 2015年08月06日 08:00
ジイジさん、コメントありがとうございます。

Amazonでのレビューを拝読いたしました。
限られた文字数で書籍の核心をつく論評――僭越ながら、さすがはジイジさんだなとの感想を抱いた次第です。

このエントリで掲げた表紙画像は、私物をプリンタでスキャンしたものです(昭和42年7月20日・第9刷)。
偶然手に入れたこの古本が貴重なものだったとは、ご指摘いただくまで知りませんでした。大切にしたいと思います。
Posted by みつよし at 2015年08月07日 23:54
奥浩平さんの心像風景。あなたの解釈が、僕は好きです。
Posted by 永遠 at 2016年11月06日 06:25
永遠さん、コメントありがとうございます。
そう言っていただき、とても嬉しいです。励みになります!
Posted by みつよし at 2016年12月04日 07:27
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