2014年06月15日

冷静でなければ「現実」とは闘えない 『ワレサ 連帯の男』


先日、岩波ホールで
映画『ワレサ 連帯の男』を観てきました。

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ポーランドの独立自主管理労組「連帯」初代委員長であり、
1990年から1995年までポーランド大統領を務めたレフ・ワレサ。
労働運動家時代の彼を決して美化することなく描いた作品こそ、
巨匠アンジェイ・ワイダ監督の新作『ワレサ 連帯の男』です
(ワレサとワイダはかつて政治的に親密な関係でもありました)。
キャストの演技と併せ、「自由」の精神を伝える挿入歌も印象的です。

この映画において、レフ・ワレサは現代の救世主としてではなく、
かといって自らの名誉のために民衆を利用した人物としてでもなく、
「あの時期、闘わざるを得なかった男」として等身大に描かれています。
彼にはもちろん覚悟があり、信念があり、カリスマ性がありました。
しかし、彼は決して「闘うために闘う」人間だったのではありません。
少しでも自由で民主的なポーランド社会を具現化するため、
理想と現実の間で闘い続けたプラグマティックな人物だったのです。



そのことを示す象徴的なエピソードが「造船所スト」の場面です。
ワレサら労働者擁護委員会(KOR)は、経営陣と一度は妥結しますが、
全国的な広がりを見せていたストライキの波に押し寄せられる形で、
目標や大義名分が曖昧なままストライキの継続を宣言します。
この時、すでに造船所での賃金交渉は妥結していたため、
造船所労働者たちの多くはストライキへの参加継続を取り止めました。
もっとも、彼らには生活があるのだから彼らを責めることはできません。

運動家・ワレサの卓越した点は、これ以上はストに参加できない者、
むしろこれからストに参加しなければならない者、
双方の都合や事情を実感として理解し、抑圧しなかった点にあります。
運動は理屈の上にあるものではなく多分に感情的なものであることを、
現実に苦しむ一人の労働者として、ワレサは正確に把握していたのです。
ワレサは、民衆の“気まま”とも言える感情的な要因によって
民主的な社会が実現したり、逆に崩壊したりすることを知っていました。
それ故、彼の情熱には常に冷静さが伴われていたのだろうと思います。



現状に不満があるとき、「闘うために闘う」人々が生じるのは事実です。
具体的な目標を忘れた人々は、熱狂の中で熱狂に酔いしれます。
勝つか負けるか、対立するチームが敗北宣言をしたか――
彼らにとって「運動」とは、サッカーの試合観戦と大差ないものでしょう。
対して、現実の課題に向き合う人々は常に冷静でなければなりません。
目の前の動きに一喜一憂していては基本精神を保っていられないので、
「なぜ闘うか」を意識しつつ「どう結ぶか」を判断する必要があります。

この判断を適切に行うことができた者は「優秀な活動家」と評価され、
不適切な処置をした者には「日和見主義者」の烙印が押されるでしょう。
これは何も「運動」の中枢にいる者たちに限定する話ではありません。
その「運動」を形作るのが一人ひとりの市民である以上、
「運動」に参加する一人ひとりの市民にも適切な判断が要求されます。
サッカーの試合ならばお祭り気分で観戦すべきですが、
現実の課題に取り組む「運動」では冷静な判断が欠かせないのです。

重要なことは、目的が何であるかを忘れず、決着を付けることです。
目的と手段を取り違えたとき、人々は理性を失い野蛮になります。
負けたくないからといって完全勝利にこだわり続けるのは未熟ですし、
勝てないからといって安易に妥協して敗北を認めるのは卑劣です。
常に正しい判断ができるとは限らないからこそ、悔いのない判断を――。
ワレサの人生は、私たちに「現実」との闘い方を再考させるものでした。


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宇波彰先生のコラムなどが掲載されたパンフレット。


挿入歌:KSU『Idź pod prąd (流れに逆らって行け)』(1988年)

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