2014年05月02日

「国防」という名のロマンティックな病 『相棒 -劇場版III-』


先日、テアトル蒲田で
映画『相棒 -劇場版III- 巨大密室! 特命係 絶海の孤島へ』を観ました。

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実は、私はこれまでほとんど『相棒』を観たことがありませんでした
(数年前に再放送されたエピソードを一度観たことがあるだけ)。
今回、この映画を観たのも誘われて連れて行かれたからにすぎません。
でもまあ、それなりには楽しめるんだろうなとは思っていましたが――
――この映画、面白すぎました! 予想をはるかに上回る面白さ!
私はいま、「尊敬する人:杉下右京」と書きたくてたまりません(?)。

物語は、東京都の小さな島で起きた“ある事故”から始まります。
その島には、軍隊さながらに訓練を行う民兵組織が駐留しており、
彼らは「国防」に殉ずるという“純粋”な気持ちを抱いていました。
島で起きたある事故の背後に潜む闇を探るため、警視庁特命係の
杉下右京(水谷豊)と甲斐享(成宮寛貴)が島へ入るのですが……。
(この民兵組織の訓練・生活シーンを観て私が最初に想起したのは、
 皮肉にも、1970年代前半に活発だった「連合赤軍」の訓練でした)。



ここ数年、書店では「嫌中」「嫌韓」「愛国」系の本が目立つようになり、
都心部でもヘイトスピーチを用いたデモが展開されるようになりました。
そうした社会の中で、「防衛」「国防」を語る者は“現実的”である、
といった風潮が世論の間に広く浅く浸透しているようにも感じられます。
映画『相棒 -劇場版III-』に登場する“民兵組織のリーダー”は、
まさに、「国防」こそが日本の“現実的”課題だと考えている人物です。

映画の終盤で、民兵組織のリーダーは次のように訴えます。
 「日本は化学兵器を持つべきだ。核も持つべきだ。軍事力を高めることが『抑止力』となる。友人だと思っている者は、実は自らの敵かもしれない。自分のことは自分で守るべきだ。あなた方は『平和ボケ』という名の重い病に侵されている」
この主張に対して、我らが特命係・杉下右京はこう反論しました。 
 「あなたの方こそ侵されていますよ、『国防』という名の流行り病に」



「平和ボケ」とは「国防」意識の高い人々がよく使う言葉ですが、
はたして本当に「平和ボケ」に陥っているのはどちらの側でしょうか。
映画のラストで、右京は、相棒の甲斐に対してこのようにも述べます。 
 「戦うと言うけれど、何を守るために戦うのでしょうか」
「『何か』を守るために相手と戦う」ということは、言い換えれば、
「その『何か』が相手から攻撃されても文句は言えない」ということです。
戦争で直接的な被害を受ける者は、決して兵士に限定されないのです。
こうした現実を認めた上では、「いかにして戦うか」(防衛)よりも
「いかにして争いを防ぐか」(外交・安全保障)に重きを置く姿勢のほうが
どれほど重要で“現実的”な国家の態度であるか、疑う余地もありません
(両者は密接に関連するものの、本来的に区別する必要があるでしょう)。



“民兵組織のリーダー”に代表される「国防」意識の高い人々は、
私から言わせれば“純粋”でロマンティックな人々なのだろうと思います。
彼らのロマンティックさは「政治的ロマン主義」と同一のものです。
カール・シュミットが定義したところの「政治的ロマン主義者」は、
具体的実在としての歴史・社会ではなく観念的な歴史・社会を愛します
(例えば、彼らは「日の丸」がどのように利用されてきたかではなく、
 「日の丸」というアイコンが自己をどのように支えるかを意識します)。
劇中の“民兵組織”が愛する「国」も、観念的幻想として存在していました。

政治的ロマン主義者は、物や人を二項対立させることを好みますが、
「仮想敵」の存在を前提として「友―敵」を区別する防衛政策は
外交・安全保障政策よりも彼らの性に合っている、と言えるでしょう
(紛争予防という発想は、対立構図を好む者には耐え難いものです)。
――そういえば、この映画における“民兵組織のリーダー”も
防衛政策の「抑止力」を外交・安全保障政策に代替させようとしていて、
外交・安全保障政策の必要性は最初から考慮していませんでしたね。



――余談ですが、防衛政策をめぐる田母神俊雄氏のコアな支持者は、
政治的ロマン主義者とほぼイコールであるように思われます。
カール・シュミットは、自らが保守主義者であるがゆえに、
保守主義と政治的ロマン主義が異なるものであることを強調しました
(すなわち、保守主義を擁護するため政治的ロマン主義を非難しました)。
田母神氏やその支持者らも保守主義者であると自称していますが、
歴史認識や憲法に対する態度から察するに、彼らの実態はむしろ、
政治的ロマン主義に根差した「ロマン主義的政治者」であると言えます。

政治的ロマン主義者が厄介なのは、彼らが妄想の世界に没入していて
現実の課題解決能力を持たないのに、政治にコミットするためです。
積み重ねられてきた歴史・社会の慣習を尊重する保守主義と異なり
“現在”のために歴史・社会を都合よく利用する政治的ロマン主義者を、
保守主義者であるカール・シュミットは痛烈に批判したのでした。
これは、政治の領域に「芸術」が浸食してくることへの危惧でもあります。

確認しておかなければいけないのは、「やられる前にやれ」とか
「備えあれば憂いなし」とかいう発想はシンプルな説得力を持っていて、
ある意味、直観的な“正しさ”を帯びている(ように見える)ということです。
だからこそ、こういったピュアな政治的ロマン主義的発想に対しては、
現実的な論考を背景に、真にリアリティある反論を行う必要があります。
「そちらの方こそ『平和ボケ』ではないか」との批判をぶつけることで、
社会にカビのようにこびりつき始めた観念論を洗い流さねばなりません。



――最後に、映画に関する感想をもう一つだけ書かせてください。
この映画には瀬川亮さんがちょっと可哀想な役で出演しています。
私は、瀬川亮さんのお姿をテレビドラマなどで偶然見かけると
「あ、瀬川亮だ」とつぶやいてしまう程度には彼のことが好きなのですが、
そんな彼と釈由美子さんの悲しいラヴシーンには胸が締め付けられました
(なぜ「悲しいラヴシーン」なのかは、映画を観ればきっと分かります)。

このラヴシーンも含めて、映画を観た私はやっぱり思うのでした。
いつだって、人間は目の前の人間を大切にしなくてはいけない。
だから、目の前の人間を殺したり騙したりする戦争は絶対悪なのだと。
「大切な人」を守るために実行するはずの戦争は、私たちをむしろ
「他の誰かの『大切な人』を殺傷する者」に変革してしまうのですね。
――では、どのようにして戦争が起こり得ない環境を構築していくか。
これこそ、私たちが根気強く取り組み続けなればならないテーマです。


posted at 23:59 | Comment(16) | TB(1) | 映画・TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
この記事へのコメント
薄っぺらいですね、あなたの考えって
Posted by at 2014年05月05日 23:59
コメントありがとうございます。
次回からは、謗言の類でなく具体的に反論して頂けますと幸いです。
Posted by みつよし at 2014年05月06日 07:00
女房はいつも相棒をテレビの再放送で見ています。相棒のファンなんです。きょう(13日)女房に連れられて相棒の劇場版Vをみてきました。

映画の後半、民兵組織のリーダーが“…あなた方は平和という病におかされている…”と特命係の杉下右京に向かって訴えるのに対し、杉下右京が“あなた方こそ国防という流行病におかされている”と反論した。

化学兵器をもって自分のことは自分で守るのがなぜ悪い、とせまる民兵組織のリーダーに杉下右京がどう反論するのか冷や冷やしながらみていた。安堵した。自分がもやもやと思っていたことを代わりに言ってくれたような気がしたからでる。

それで、この時の正確な台詞を知りたくなり、貴ブログにたどり着きました。ありがとうございました。
Posted by かっぱジィジィ at 2014年05月13日 18:19
かっぱジィジィさん、コメントありがとうございます。

実は、私がここで紹介した台詞は必ずしも正確なものではないのですが、趣旨としては逸脱していないと思います。
杉下右京さんの台詞には「もやもや」を抱える多くの方々が共感したのではないでしょうか。かっぱジィジィさん同様、私もその一人です。
Posted by みつよし at 2014年05月18日 10:15
映画の感想はおおむね同感なんですが、国防という流行病はロマンティックですか?

今の安倍晋三やその支持者達には、ロマンというより幼稚さを感じますね。
Posted by あつい at 2014年05月26日 00:56
あついさん、コメントありがとうございます。

「国防」というアイコンに熱中する様子は、カール・シュミットが定義するところの「政治的ロマン主義」のパターンに当てはまるだろうと思います。
タイトルに掲げた「ロマンティック」とは、本文中8段落目でも申し上げたとおり、「政治的ロマン主義」の「ロマン」に呼応したものです(わかりにくかったらすみません)。

「幼稚さを感じる」とのご指摘も大変興味深いのですが、ここでは「保守主義」と「政治的ロマン主義」の対比の中で安倍首相とそのコアな支持者について言及いたしました。
Posted by みつよし at 2014年05月28日 00:38
今更ですが見ました。
国防を考えることってそんなに悪いことですか?
国がある限り付いて回る問題で、日本は核の傘に入っていて、世界でNBC兵器が所持されていて、それらを持って良い国と悪い国がある。
これに目を背けて思考停止しろ、って言ってる様に思えます。
戦争と国防は全くの別の問題で分けて考えなければいけない事で、ウヨサヨ関係無く国防を流行病で済ますには乱暴すぎます。
Posted by お茶漬け at 2014年12月19日 15:12
お茶漬けさん、コメントありがとうございます。

私は、「国防を考えること」を批判してなどいません。
文章中でも記した通り、外交・安全保障政策を無視・軽視し、観念的な領域で「防衛政策」に傾倒する非現実的思考(「ロマンティックな病」)について論考しています。
ご指摘の「思考停止」とは、この文脈では、「国防」というアイコンに精神の拠り所を見出す姿勢(政治的ロマン主義的態度)を指すことになります。
Posted by みつよし at 2014年12月21日 07:44
地上波で放映されたので感想のブログを探していてこちらに辿りつきました
それにしても何故「国防」という言葉を振りかざす人達は本当の現実に目をそむけるのでしょう
例えば生物兵器を持つ件についても、それを使う時点で相手も自分も終わってしまう。核兵器についてもそれは同様です。
何故自分達だけが有利に立つと思い込めるのか。そしてそのような深刻な対立が発生してからではもはや平和など望むべくもないという過去の歴史からどうして目をそむけるのか
相手をただ脅威とのみ考え、対話や外交といった解決方法を取らず、武力のみで対峙するのは、未開の部族が取る姿勢そのものです
右京の言葉に過敏に反応している方達は、自分の身の回りの人にも同じ様な態度や考えで接しているのでしょうかね・・・
Posted by DAK at 2015年04月19日 23:35
DAKさん、コメントありがとうございます。

なぜ「自衛の措置」が必要になるのかと言えば、それは、国家を守るためのはずです。
なぜ国家を守ることが必要になるかと言えば、それは、国民の生命・財産を守るためのはずです。

しかし、「国防」という抽象的なアイコンにハマる人たちは、「大きな物語」にのめり込むあまり、実在する一人ひとりの国民の姿を見失っているのではないでしょうか。
いま、私たちは、「国民の生命・財産を守るために」という目的に立ち返って、悲痛な歴史の教訓を受け止める必要があると感じます。
Posted by みつよし at 2015年04月20日 22:07
朝日が思惑を持って作った物語を元に、さも現実であるかの様に盛り上がっているようですが、あれ程現実離れした話でよくもま〜。。

左寄りの人は理想を求め。
右寄りの人は現実を元に考え。
好き勝手な発言が出来るのが日本。

そんあ事が出来ているのも国防の為に日夜努力してくれている人が居るからと言う事を忘れてはいけないと思います。

下記が、現実を分かっている人の言葉です。

君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。

吉田茂 昭和32年2月、防衛大学校第1回卒業式にて

Posted by 通りすがりですが失礼します at 2015年04月30日 00:04
通りすがりですが失礼しますさん、コメントありがとうございます。

吉田茂のその訓示は、あまりにも有名ですよね。
「左寄りの人は〜」というあなたの文章は趣旨不明ですが、私は、自衛隊の活動は正当に評価されるべきだと思っています。
だからこそ、自衛隊員を含む国民一人ひとりの個別的な存在を無視・軽視し、「国防」という抽象的なアイコンに興じる態度は看過できません。劇中の台詞を借りるならば、それこそまさに「兵隊ごっこ」でしょう。
Posted by みつよし at 2015年05月01日 00:29
防衛・国防という「抑止力」が現実的でないからば日夜犯罪の未然発生を防いでいる警察はなんなんでしょうね…
されるがままになって負の連鎖を断ち切れるのであれば犯罪者も寛容な心で放っておいて本人がいつか改心するのを待てばこの世から犯罪はなくなるんでしょうね
Posted by それならば警察も現実的でないのではないか at 2015年08月01日 18:03
それならば警察も現実的でないのではないかさん、コメントありがとうございます。

私は「抑止力」そのものを否定しているわけではありません。
仮想敵を設定して「国防」の観念に偏重する姿勢――いわば「軍事的抑止力至上主義」を非現実的と申し上げています。

警察は犯罪の取り締まりや捜査を行う機関なので、その文脈での「犯罪の未然発生を防いでいる」組織の例としてふさわしいのは、警察というよりも公安警察ではないでしょうか。
Posted by みつよし at 2015年08月02日 07:36
昨日地上波で見たもので、古いエントリにコメント申し上げて申し訳ありませんが、あなたのおっしゃる「いかにして争いを防ぐか」「真にリアリティある反論」について具体的にお示しいただきたい。
エントリにそれらしきものが見当たりません。
話し合いで解決できるというような「観念論」は不要です。
いわゆる「左派」が支持を得られないのは常に対案を提示することなく理想論ばかり述べるからだと感じます。
あなたは理論的な方のように見受けられますから是非具体的な「国防論」を期待します。
もし通知がされるならDAKさんのご意見もお聞きしたいところですが。
Posted by 自衛官 at 2016年10月10日 03:45
自衛官さん、コメントありがとうございます。

まず、このエントリは「国防」というアイコンの下で生じる観念について論じたものであり、個別の政策について論じたものではありません。
例えば、日本が化学兵器を保有することの是非についても、このエントリでは議論の対象外です。
観念的幻想を現実と同一視する試みに対しては、それが「観念論」にすぎないことを指摘すること自体が重要だと考えています。

次に、私は防衛政策一般を否定しているのではなく、軍事的抑止力を至上とする「観念論」を批判しています。
「話し合いで何でも解決できる」とは考えておりませんが、「話し合いでは何も解決できない」「話し合いで解決しようと努力する必要はない」とも考えておりません。
Posted by みつよし at 2016年10月11日 06:36
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