2018年02月17日

『サタデー・ナイト・ライブ』の“ミスター黒歴史” チャールズ・ロケット


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 現在も続くアメリカの人気コメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』には、「黒歴史」とされているシーズンがある。そのシーズンでメインキャストを担わされていたのは、コメディアンでもなければ俳優でもない「普通の男」だった。



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“暗黒時代”に現れ、そして消えた男
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 立ち上げプロデューサーのローン・マイケルズが番組から離れていた1980年代前半のシーズン(第6〜第10シーズン)は、一般的に、NBCのコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』にとっての「暗黒時代」とみなされている。とりわけ、それまでのスタッフや主演者の総入れ替えを余儀なくされた第6シーズン(1980年11月〜1981年4月)は視聴率も評判も最悪で、のちに大スターとなるエディ・マーフィが途中から番組に加入したことが唯一の慰めとされている。

 出演者を一新して臨まざるを得なかった第6シーズンで中心的役割を担わされたのが、実力派コメディアンでもなければ名の売れた俳優でもなく、ローカル局でキャスターを務めた経験があるだけの31歳の青年、チャールズ・ロケットだった。彼は多数のスケッチ(コント)でメインキャラクターを演じさせられたほか、『SNL』の看板コーナー『ウィークエンド・アップデート』のキャスター役にも起用され、視聴率が低迷する中でそのコメディ番組の先頭に立たされ続けた。

 1981年2月21日に放送されたスケッチで、ロケットは射殺されるキャラクターを演じる。そのキャラクターに扮したままエンディングトークに参加したロケットは、「射殺」された感想をその回のホストから問われ、「撃たれたのはこれが人生で初めてだよ。誰がこんなファックなことをしやがったのか知りたいね」と答えた。放送禁止用語がオンエアされたことが局内で問題となり、番組の早期リニューアルが決まった上、ロケットはシリーズ最終回を待たずして降板させられた。

 もっとも、前年の『SNL』で「ファック」という単語がオンエアされた際には騒ぎは起こっていなかったし、当時の『SNL』がテコ入れされるのは時間の問題だったから、ロケットの発言が番組リニューアルの「大義」として都合よく用いられた面は否定できない。いずれにせよ彼は、酷使された挙げ句、数か月ほどで番組をクビになり、その後はいくつかのテレビドラマや映画に俳優として参加したものの、これといった注目を浴びることもないまま、2005年10月に自ら命を絶った。



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「誰がチャールズ・ロケットを撃ったのか」
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 マンフレッド・ヨンと名乗る自称コメディ作家の男性は、「Medium」に投稿したコラムでロケットを回顧している。そのコラムは追悼文と呼ぶにはいささか内容がシビアだが、根本的にはロケットとコメディへの愛情に裏打ちされたものには違いないので、私のずさんな抄訳によってご紹介したい。この文章を必要とするどこかの誰かが目にすることを願いつつ。


── マンフレッド・ヨン / 2017年8月9日


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 私は第2のチャーリー・ロケットにはなりたくない。分かるだろ?
── フィル・ハートマン

 『サタデー・ナイト・ライブ』は多くの人気者を生み出すとともに、出演者たちに苦難をもたらしてきた。
 
 ある者は期待に応えることができず、ある者は露出を減らし、ある者は「舞台裏ではいやなやつ」と思われるようになった。どういうわけか、チャールズ・ロケットはこの3点すべてを背負うことになってしまった。

 もしも憐れむべきチャーリーの名前が知られているとすれば、そして真に理解されているわけではないとすれば、それは『サタデー・ナイト・ライブ』の番組内で「ファック」と発言してクビになった出演者としてのことだろう。彼はその単語を発した最初の人物でもなければ、唯一の人物でもない。しかし、ジェニー・スレイトやノーム・マクドナルドの場合とは異なり(訳者注:両者も『サタデー・ナイト・ライブ』のスケッチ内で「ファック」と発言したことがある)、彼のその発言は悪しき行為とみなされている。

 しかし、私は、彼のレガシーの部分を擁護しておきたい。



 チャールズ・ロケットは番組の暗黒時代におけるマシな存在だった

 1980年。『サタデー・ナイト・ライブ』の世界はぶち壊され、壊滅状態はその後も5シーズンに渡って続くことになる(訳者注:当時『サタデー・ナイト・ライブ』はプロデューサーの降板により体制を一新したが、結果として視聴率は下落した)。チェヴィー・チェイスが番組を降板した時は、ビル・マーレイがその穴を埋めることになった。その時、ビル・マーレイはチェヴィー・チェイスの穴を埋めることができた。それでは、すべての関係者が番組を降板したらどうなるだろうか。すべての者──すべての出演者(ビル・マーレイを含む)、ほとんどの脚本家、そしてローン・マイケルズが番組を降板したら、一体どのようにしてその穴を埋めればよいだろうか。その時に「チャールズ・ロケットを持ってこよう」となるだろうか。

 『サタデー・ナイト・ライブ』の名前と放送時間帯だけが残り、新レギュラーのギルバート・ゴットフリードは番組を「眺めのよいレストラン」と呼んだ。1980年度は番組史上最悪のシーズンとなったが、ロケットの存在は悪いことではなかった。




 チャールズ・ロケットはいつでもマシな存在だった

 その他の「最悪な」出演者候補であるデヴィッド・スペード、ロブ・シュナイダー、フィネッセ・ミッチェルと比較すれば、チャールズ・ロケットはマシな存在だといえる。小奇麗でキザな男が出てくるコメディに私が甘いことを差し引いても、私は彼を「優秀な」出演者と共演させたいと思うほどだ。


 ロケットは番組にものすごく貢献した人物ではなかった。彼はそのわずかな才能をもって、ちぐはぐながらも何とかして番組を続行させたのである。ロケットは幅広い演技の技術を持っていたわけでも、ユーモラスな動きができたわけでも、モノマネができたわけでもなかった。その上、彼は特に面白い人間だと思われてもいなかった。

 要点はお分かりだろうか。彼はウィットに富んでいたわけでも、アドリブができたわけでもなく、あなたの親友を大笑いさせるような存在でもなかった。もっとも、コメディの世界においても、ダイヤモンドの原石はそうそう埋まっているものではない。彼はただの男性だった。彼は「ザ・グラウンドリングス」の出身でも「セカンド・シティ」の出身でもなく、演劇ワークショップの出身者ですらない。イキのいいスタンダップコメディアンでもなければ、アンソニー・マイケル・ホールやロバート・ダウニー・Jr.のような若いスター俳優でもない。彼は短編映画とバンド活動に手を出したことがあるだけの「お天気お兄さん」だった(訳者注:ロケットはかつてローカル局でキャスターを担当していた)。彼は普通の男性であり、沈みかけた船に何とかしがみつき、手に入れた仕事をこなしただけである。

 何をやらせても面白みに欠ける人物は、いかにしてコメディ番組で自らの居場所を見出すべきだろうか。彼は1980年代初頭のニューヨークの街頭(寒くて、暗くて、薄汚い場所)に出向き、そこでのあれやこれやを、内容がどうであれ、『ロケット・リポート』と題してまとめた。



 『ロケット・リポート』


 何かに挑戦してみたところで、たいていはうまくいかないものだ。
── チャールズ・ロケット

 『ロケット・リポート』での彼は、フェリー乗り場で人々と会話を交わしたり、クリスマスを控えた買い物客のそばを歩いたりしている。路上で撮影しているといっても、わずか一つの通りが舞台となっているだけだ。


 彼らは人々から何か面白い反応を得ることができただろうか。──できなかった。彼らは何らかの課題を自らに課して撮影に臨んでいたのだろうか。──そういうわけではなかった。

 しかし、私は『ロケット・リポート』を完全なる失敗作とみなすつもりはない。彼はどうにかこうにか、死んだ馬をゴール手前のところまで持っていったのだから。


 彼がテレビで「ファック」と発言するまで、チャールズ・ロケットは虫の好かないやつだと思われることが多かった。そのような役柄を演じていたからである。ほとんどすべての視聴者がそのように思い込んでいたと言っても過言ではない。しかし、少なくとも『ロケット・リポート』を見る限り、実際の彼はそのような嫌味な男ではない。街中で街頭インタビューをしているリポーターのほとんどはカメラさえ回っていなければ殴りたくなるような連中ばかりだが、ロケットの場合はどこかチャーミングなところがある。通りすがりの人たちとかくれんぼに興じるその姿は、ジミー・ファロン(訳者注:現在のアメリカで好感度の高いコメディアン)とそうかけ離れてはいない。

 たとえハンサムな役柄を演じていても、彼は視聴者からハンサムなやつだと思われることもなければ、ハンサムなやつになれると思われてもいなかった。しかし、少なくともカメラの前において、彼は一生懸命に働き、確かなるチームプレイヤー兼セールスマンであり続けたのだ!


 驚くべきことに、彼は裸の姿で壁に貼り付けられ、滑稽な異常者役のデニー・ディロンから鞭で叩かれるというスケッチをやってのけた。この男、なかなか体を張っているではないか。

 そして時々、時々ではあるが、彼は金鉱を掘り当てた。


 このスケッチ(『Rocket Report: President Reagan』)は、のちのアーマンド・イヌアッチ作品を思わせるものではないだろうか。

 つつましげに申せば、このスケッチは、エディ・マーフィの出演した名作スケッチと遜色ない、現代の『サタデー・ナイト・ライブ』視聴者をも満足させられるスケッチである。まあ、たしかにそれは言い過ぎの感があるが、そう言えなくもないほどのものではあろう。




 チャールズ・ロケットは椅子にふんぞり返るクズ野郎ではなかった

 1980年度のシーズンが犯した過ちの一つは、過去5年間の栄光に固執してしまったことだ。


 1980年度の新レギュラーをお披露目するため、番組はオープニングスケッチでエリオット・グールドとともに新レギュラーを登場させ、「プライムタイムへの準備が整っていない出演者たち」と紹介した。もしも興味があればその時の映像を見てもらいたい。もちろん、あなたがこの話に興味を持っていないことは承知しているが。


 チャールズ・ロケットは、チェヴィー・チェイスとビル・マーレイを混じり合わせた存在として紹介された。当然ながらそれは誇大な表現であり、番組は過去5年間の栄光に固執するあまり、視聴者が離れることを恐れてそう紹介したのである。

 とはいうものの、ロケットはたしかに両者をミックスさせた感じの存在ではあった。彼は両者の姿を自らの内に隠し持っていた(のちに前者は転落し、後者は称賛を浴びることになるわけだが)。彼はスポットライトを追いかける一方で、視聴者からどう思われるかを恐れなかった。実際、彼が演じたいけ好かないビジネスマン風のキャラクターは、のちにフィル・ハートマンに受け継がれることになる。


 ハートマンが史上最高のコメディアンと評され、チェイスとマーレイが紛れもないダイナマイト級のスターとなったのに対し、残念ながら、ロケットの取り組んだ仕事は平均的かつ標準的な水準とみなされるに留まった。



 それからのチャールズ・ロケット

 チャールズ・ロケットは働くことをやめなかった。彼は『ジム・キャリーはMr.ダマー』(1994年)や『タイタンA.E.』(2000年)のような傑作に出演している。しかし、彼のほとんどの仕事は駄作への出演であった。


 チャールズ・ロケットは2005年、56歳で亡くなった。私はそれを残念だと言うつもりも、「知られていなかったが彼はコメディの天才だった」と偽りを述べるつもりもない。彼はそのような逸材ではなかった。彼はコメディの現場に何とかしがみついた普通の男だったのである。しかし、ロケットは一生懸命に働いたのであって、「彼はコメディ番組での仕事を馬鹿にしていた」という見方に私は怒りを覚えるし、私がコメディ界の王様になるときにそのことを本人に告げられないことを残念に思う。

 そういうわけで、チャールズ・ロケットとは、仕事に全力を尽くし、「取るに足らない人物」の域から抜け出た男であった。

 とてつもない苦痛を受け入れるよう努めなさい。
── チャーリー・マーフィ





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わが愛すべき“ミスター黒歴史”
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 『SNL』第6シーズンは、本物の『SNL』と本物の『SNL』の間に挟まれた番外編のようなものであった。しかし、その「番外編」は「本物」と「本物」のいわば橋渡し役を担ったのであって、もしもロケットが存在していなかったら、橋にはより深刻なひびが入っていたに違いない。『誰がチャールズ・ロケットを撃ったのか』の執筆者はロケットを過大評価しないよう注意を払っているが、私はもっと単純に、彼は『SNL』の生命を維持させた功績者であると評価したい。

 ところで、私がなぜロケットのことを知ったのかというと、YouTubeの『SNL』公式チャンネルで古今の動画をちまちまと視聴していたころ、モナ・リザが登場するスケッチに遭遇したからである。そのスケッチではゲストのカレン・ブラックがモナ・リザ役を演じ、ロケットが少しキザな警備員役を演じている。美術館の絵画が実は生きているという古典的な設定は今日では逆に新鮮で、ロケットの演技には喜劇の奥に潜む哀愁を感じさせられた。


 第6シーズンの動画を漁るうちに、当然ながら私は『ロケット・リポート』の数篇にぶち当たり、ロケットの魅力に気付くようになっていった。例えば、公園のベンチで寝ている男性を観察するというリポートは、後年のコナン・オブライエンの芸風に通じるところがある。普遍的な前衛性を発露しながらもどこか牧歌的で、人間という存在への繊細な意識が滲み出ているのだ。言い換えるならば、ロケットもオブライエンも人間をモノとして扱うことができない。

 例となるスケッチをもう一つ挙げよう。年越しカウントダウンならぬ『1月11日カウントダウン』というバカバカしい企画はロケットによく似合っている。そこでの彼は報道キャスターほど冷静には振る舞っていないが、お祭り会場を盛り上げようとする芸人ほどおちゃらけてはいない。人間への繊細な意識が、他者との優しい距離感となって表れ、純然たる俳優のそれとも、純然たるコメディアンのそれとも、純然たるアナウンサーのそれとも異なる雰囲気を醸しだしている。


 『ロケット・リポート』のようなコメント系の企画ではない、演技が求められるシチューエションスケッチにおいても話は同様である。第6シーズンでは風刺的なスケッチが多かったが、ロケットの隠しきれないヒューマニズムはここでも絶妙な隠し味を放っていた。風刺的なスケッチはややもするとスノッブな印象だけを残して終わってしまうきらいがあるが、ロケットの芝居の奥底には優しさがあるため、彼がいるとどんな冷たいタッチのスケッチにも人間味が生じるのだ。


 それとともに、第6シーズンはどこか古臭いスケッチが目立つ時期でもあった。『鼻のレスリング』や『ただいま脚本執筆中』で提示されているギャグは、当時でも「一昔前の笑い」であったろう。『空飛ぶモンティ・パイソン』以前のテレビ番組で放送されていたような、アイディアに感心させられる類の笑いである。先進的なオリジナルスタッフが番組を離れていた時期なのだから仕方ないが、むしろその微温的な笑いはロケットのパーソナリティにハマっていた。

 (これは素朴な疑問なのだが、ロケットはどこで演技を習得したのだろうか。彼はそれまで演劇と無縁だったわけではないが、これが役者としてのメジャーデビュー作だとは思えないほど、『SNL』での彼は堂々としている。『ロケット・リポート』でのコメント芸はキャスター時代の修練の賜物と捉えるとして、シチュエーションスケッチで的を外さず役をこなしているところをみると、やはり彼にはコメディ俳優の資質があったと判断せざるを得ない。)


 ロケットの「ファック」発言をきっかけとして終了したことを思えば、第6シーズンはロケットの奮闘によって継続し、ロケットの失態によって終了した、「ロケットの」「ロケットによる」シーズンだったと総括できなくもない。ただし、彼は「ロケットのための」シーズンにしようとは企まず、番組内ではあくまでもチームワークを意識していた。その「普通の男」は、一定のタレント性は持ち合わせていても、自分が目立てばよいというエゴイズムは持ち合わせていなかったのだろう。

 この三十数年間、ロケットは『SNL』のいわば「ミスター黒歴史」としてその存在を黙殺されてきた。ローリング・ストーン誌が2015年2月に選出した「『SNL』出演者ランキング」でも、彼は145人中131位という不名誉な位置に落ち着いている。しかし、誰が何と言おうと、あるいは黙殺しようと、私にとって『SNL』第6シーズンはこれはこれで楽しいコメディ番組であり、チャールズ・ロケットは愛すべきコメディプレイヤーである。おそらくはこれからも、ずっと。


<余録>
『SNL』に“帰ってきた”チャールズ・ロケット

 『誰がチャールズ・ロケットを撃ったのか』でも言及されていた通り、『SNL』降板後のロケットは複数のコメディ映画に出演している。中でも特筆すべきは、1990年代前半の『SNL』で放送されたスケッチシリーズを映画化した『いとしのパット君』(1994年)への出演だろう。ロケットが『SNL』ブランドの作品に「復帰」を果たした点でも興味深く、『SNL』レギュラー時代よりもぶっ飛んだ怪演を披露している点でも見逃せない。

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2018年02月10日

江戸っ子の息吹あふれる“勘違いコンボ” 小遊三の『百川』


今日は、国立演芸場 2月上席 へ行ってきました。
主任は、三遊亭小遊三師匠。

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 <本日の番組>

開口一番:(前座) 桂こう治 『子ほめ』
落語:(交互) 柳家蝠よし 『転失気』
奇術:山上兄弟
落語:三遊亭遊馬 『たらちね』
漫才:ナイツ
落語:柳家蝠丸 『お七の十』

 〜仲入り〜

講談:日向ひまわり 『堀部安兵衛』
落語:(代演) 三遊亭遊雀 『悋気の独楽』
曲芸:鏡味味千代
落語:(主任) 三遊亭小遊三 『百川』



★こう治 『子ほめ』
開口一番は小文治門下のこう治さん。
一聴して前座とは思えない安定した語り口である。
余裕すら感じさせられる落ち着いた高座だった。

★蝠よし 『転失気』
大入り袋が出たことに触れてから『転失気』へ。
「自分の“腹”から出た疑問として聞いてきなさい」。
描写は丁寧で、テンポは緩やか。サゲは「屁理屈」。

★山上兄弟
傘→コイン→トーク→トランプ→イリュージョン。
「同期のメル友(=円楽師匠)からメールが来た」
「芸協入りは同時期でも同期って呼ぶんじゃない」。
話術が上達し、マジックも華やかさが増している。

★遊馬 『たらちね』
「ウグイス」「神無月」の小噺から『たらちね』。
“娘”は漢学者の娘だから言葉が丁寧という設定で、
「火事があっても名前が長くて……」とサゲる。

★ナイツ
「半蔵門はいいところ。半蔵門のお客様は……」
「そういうのは地方営業でやってください」。
塙先生のお兄様、土屋先生のお母様のネタを経て、
芸能人の名字が登場の「同窓会」でまとめ上げる。

★蝠丸 『お七の十』
「妻への贈り物」の小噺で客席の感度を確かめ、
オチの解釈が2つある噺と称して『お七の十』へ。
女性の容姿を笑うクスグリが目立って感じられた。

★ひまわり 『堀部安兵衛』
最近の生徒は「忠臣蔵」の読みも知らないと明かし、
物語が分かりやすく整理された『堀部安兵衛』。
堀部が討ち入りに参加した経緯まで語って下がる。

★遊雀 『悋気の独楽』
「キャリアの違いは着物の違い。噺は同じだけど」。
国立演芸場に因んだ前座時代の逸話を話してから
(間違えて女性からチケットを譲られそうになる)、
「お泊まりです」のフレーズが愉しい『悋気の独楽』。

★味千代
五階茶碗→毬と撥→傘廻し(毬&升)。
途中で毬を落とすというアクシデントが発生するも、
「長い人生、こういうこともある」と言って笑いをとる。

★小遊三 『百川』
「ここまで聴いてお分かりでしょうが、以下同文です」。
江戸三大祭と「四神剣(旗)」について解説してから、
さらっとブラックに「でも富岡八幡宮はダメでしょう。
あそこで賽銭を投げて“家内安全”と拝んでも……」。
さらに『百川』の噺の由来をめぐる“ガク説”を披露し、
誤解が誤解を生む“勘違いコンボ”系落語『百川』へ。
“主人”は“百兵衛”の田舎と年齢と名前を尋ねるが、
われわれ観客が耳で知ることになるのは名前のみ。
“百兵衛”自体が実は不可思議なキャラクターなのだ。
ところどころで言葉に詰まるのが気になったものの、
その高座は江戸っ子の息吹を感じさせる高座だった。



──というわけで本日は、先日来よりは少しだけ冬の寒さが和らいだ中、
小遊三師匠が主任を勤める2月上席の千秋楽に伺うことができました。
会場は大入り袋が出るほどの超満員で、熱気に包まれていたほどです。
そして、小遊三師匠の高座はやはり江戸っ子の息遣いにあふれており、
フィクションとは割り切れられない庶民の“生活感”が滲み出ていました。

ところで、本日の公演では“初めての寄席”のお客さんも多かったようで、
マジックや太神楽曲芸の場面ではどよめきや歓声が起こっていました。
私は落語ファンになってしばらく経っているため忘れておりましたが、
日本に住んでいても寄席に行く機会に巡り合うとは限らないのですよね。
寄席を愉しむ人たちが増えることは私にとっても誇らしく、嬉しいことです。


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posted at 23:59 | Comment(0) | 寄席・演芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
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