2015年04月18日

名“編集者”歌丸、迫真の語り… 『塩原多助 -青の別れ-』


今日は、国立演芸場 4月中席 へ行ってきました。
主任は、桂歌丸師匠。

kokuritsu_201504_poster.jpg


 <本日の番組>

開口一番:(前座) 雷門音助 『狸札』
落語:(交互) 春風亭昇々 『鈴ヶ森』
コント:コント山口君と竹田君
落語:三遊亭遊雀 『熊の皮』
漫才:Wモアモア
落語:(代演) 雷門助六 『長短』〜踊り『かっぽれ』

 〜お仲入り〜

落語:桂竹丸 『学校感想文』
俗曲:(代演) 桧山うめ吉
落語:(主任) 桂歌丸 『塩原多助 -青の別れ-』



★音助 『狸札』
緞帳が上がると同時になぜか拍手が巻き起こる。
開口一番は、助六門下の音助さん。
終始、聴き取りやすく安定した語り口で、
個性的なフレーズが際立つ型の『狸札』だった。

★昇々 『鈴ヶ森』
米丸師匠ネタ、いびきネタなどをマクラに、
“意外と気持ちイイ”古典落語『鈴ヶ森』へ。
「まんざら、」「バカだよ!」の間合いが絶妙で、
肩の凝らない昇々ワールドにもっと浸りたくなる。
(いまいちウケていなかったのは納得いかない!)

★コント山口君と竹田君
あれ、もしかして寄席では初見かもしれない。
ネタは「義父と娘婿」。
“娘婿”から10万円を借りている“義父”が
ありとあらゆる屁理屈をこねて借金返済を拒絶する。
客席一同爆笑の傑作コントだった。

★遊雀 『熊の皮』
早速くしゃみをした客をイジってから、
“佐渡島”ネタなどを経て、十八番の『熊の皮』。
女房からキツく言い付けられた“甚兵衛”が
「我慢、我慢」という先程のコントの名文句をつぶやく。
高座を楽しむ遊雀師匠の姿勢が伝わってきた。

★Wモアモア
お決まりの団体客ヨイショに始まり、
互いの出身地:熊本と福島を解説するネタ。
台詞を言い間違えるギャグがまったくわざとらしくなく、
その部分には毎度感心させられる。

★助六 『長短』〜あやつり踊り
鯉昇師匠の代演。
「鯉昇は1,000円ギャラが高いところへ行った」と
笑いを取ってから、定番の「ビトン」ネタを経て、
これまた助六師匠の得意ネタである『長短』に入る。
終盤、“短七”の着物に火種が飛ぶ件では
柳家型のように「短気だから……」とは展開せず、
「着替えは持ってるの?」と展開するのが雷門型。

★竹丸 『学校感想文』
弟子:竹のこさんの入門エピソード、
「了解」ネタなどで見事に客席を盛り上げていく。
その後は、これまたハズレなしの『学校感想文』。
――これは余談ながら、最近、
竹のこさんの高座に遭遇することが多かったため、
竹丸―竹のこ師弟の高座が似ていることを痛感した。

★うめ吉
南玉先生の代演。
「梅は咲いたか」「腹の立つ時ゃ」「淡海節」
「新土佐節」を披露し、寄席の踊り『夜桜』で〆る。
(どうだ、この私のムダな記憶力!)
踊るうめ吉さんと目が合ったような気がして、ドキリ。

★歌丸 『塩原多助 -青の別れ-』
板付きで登場も、その理由は噺の中盤で挿み込む。
『塩原多助一代記』は、歌丸会長の大師匠であり
“新作の巨人”である5代目今輔師匠も演じた圓朝作品。
おそらく今席が歌丸師匠のネタおろしだと思う。
“角右衛門A”から“角右衛門B”に売られた“多助”は、
義母やその愛人らから酷い扱いを受けていた。
そんな中で、“多助”は馬の“青”だけに唯一気を許す。
安息も束の間、義母らは“多助”の暗殺計画を立て――。
人間と動物のややファンタジックな交流や
暗闇での惨殺シーンなどは、まさに圓朝作品の真骨頂。
緞帳が下りた時の大拍手は観客の興奮ぶりを示していた。



――圓朝作の息を呑む展開と、歌丸師匠の迫真の語り。
稀代のストーリーテラー:歌丸師匠の話芸は凄まじく、
この「芸術」に接した私はなんて幸せ者なのだろうと感じたほど。
本日聴くことのできた歌丸版『塩原多助 -青の別れ-』は、
これから先も忘れることのないであろう芸術的な高座でした。
(褒めすぎだと思われるかもしれないけれど、これは本心。)

それにしても気になるのは、『青別れ』という演題です。
『塩原多助』はあくまでも“多助”が主人公なので
『青との別れ』という演題で演じる演者もいるそうですが、
あえてなのか、歌丸師匠は『青別れ』の題で演じていました。
たしかに、馬の“青”は噺の一つの小道具に留まらず、
「神の視点」を有するかのごとき独特な存在感を放っています。
“青”を主語にこの噺を理解してみると、それはそれで面白そう。

さて、歌丸師匠は、圓朝作品の最高の“編集者”でもあります。
今席口演の『青の別れ』は『塩原多助一代記』の前半部で、
後半部はちょうど一年後の国立演芸場4月中席で口演するとのこと。
前編で散りばめられた伏線が、後編でどう回収されるのか。
この先どんなドラマが“多助”を待っているのか――。
『塩原多助』の続きが早く聴きたくて、今からウズウズします!


kokuritsu_201504_endai.png
posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 落語・笑い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |

2015年04月13日

「選択」と「やり直し」を重ねて 『プロミスト・ランド』


先日、キネカ大森で
映画『プロミスト・ランド』(2012年)を観ました。
同時上映は『NO/ノー』(2012年)。

promised-land_poster.jpg


 <あらすじ>
大手エネルギー会社のやり手営業マン:スティーヴは、
シェールガスの採掘権を買い付けるために
同僚:スーとともにペンシルヴェニア州の田舎町を訪れる。
2人は、地主である住民の家を一軒ずつ廻り
得意のセールストークで次々と契約を結んでいくが、
地元の教師:フランクが水圧破砕法の問題性を指摘し始め……。



ガス・ヴァン・サント監督(『グッド・ウィル・ハンティング』)、
マット・デイモン主演の映画『プロミスト・ランド』は、
経済不況やエネルギー問題を扱った社会派作品でありながら、
ヴァン・サント作品らしい「大どんでん返し」も用意されるなど、
物語の起伏に富んだ、娯楽性の濃いドラマ作品でもありました。

劇中では、シェールガスの採掘権を“買い付けたい”営業マン、
懐事情から“売りたい”住民、売るべきかどうか“悩む”住民、
学識に基づいて採掘に“警鐘を鳴らす”小学校教師、
環境保護を訴えて採掘に“反対する”活動家などが登場します。
「エネルギー問題のオールスター」が勢ぞろいしているのですね。

この映画では、マット・デイモンという「普通っぽい人」と
フランシス・マクドーマンドという「庶民派っぽい人」が
営業マンを演じているため、営業マンは「悪者」化させられず、
映画は、異なる立場の人々がそれぞれに抱えている
それぞれの事情を多角的に描きだすことに成功していました。



舞台となる田舎町は、農業もどん詰まり状態にあり、
誰の目から見ても近い将来には滅びる運命にあります。
住民たちは子どもの教育費や土地の維持費の確保すら覚束ず、
行政からの補助金で毎日を凌いでいるにすぎません。
そんな中で現れたエネルギー会社の営業マンたちは、
少なくない数の住民の目には「救世主」に見えたことでしょう。

しかし、小学校教師:フランクが指摘するように
採掘工事によって土地が枯渇してしまう可能性もあり、
土地の採掘権を売り渡すことは「悪魔との契約」かもしれません。
だからといって、村の衰退を黙って見過ごしていいのか。
――これは、この映画の特別な設定に留まらず、
アメリカなどの先進各国が抱えている切実な問題だと言えます。

すべての人が納得する「ウルトラC」があればよいのですが、
ことエネルギー問題において、万人納得の策はないのが現状です。
かつて、フランス元首相:ピエール・マンデス=フランスは
「統治することとは選択すること」と語りましたが()、
地方自治において、私たちは「選択」を拒むことはできません。
仮に棄権するにせよ、何らかの「選択」をする必要があるのです。

私たちは、何が正しいか分からない段階で、
判断材料が足りない状況で、進む先を決めなければならない。
――これが、デモクラシーを生きる私たちの宿命であり、
「デモクラシーの学校」たる地方自治の法則だと言えるでしょう。
デモクラシーは「正解」を追求する政治制度ではなく
「別解」を実践する政治制度なのだと、私が解釈する所以です。



映画のラストで、主人公スティーヴはある「別解」を選択し、
自分なりの道を歩んでいくことを決意しました。
スティーヴの「別解」を夢想的と捉えるか現実的と捉えるかは、
観客一人ひとりの立場や考え方によって大きく異なるでしょう。
しかし重要なことは、一人ひとりが自分なりの考えを持ち、
「選択」することを投げ出さず、「別解」を導き出すことなのです。

作品のキャッチコピー「人生はいつでも、やり直せる。」は、
まさにデモクラシーの理念を明確に表したものだと言えます。
私たちは常に正しい判断を下せるわけではありませんが、
その代わり、「やり直す」チャンスを常にこの手に持っています。
もちろん「無傷」のままやり直せるとは限らないけれど、
「選択」と「やり直し」を積み重ねていくことによって
私たちの人生と社会は豊かに、そして逞しくなっていくはずです。


posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 映画・TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
(C) Copyright 2009 - 2017 MITSUYOSHI WATANABE