2015年01月25日

<テロリズムとデモクラシー> 「努めて冷静」になることの意義


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パリで実施された反テロ行進(1月11日)


 テロリズムとデモクラシーは共存できない

 「テロリズム」とはフランス語で「恐怖」を意味する「テルール(terreur)」を語源とする言葉で、フランス革命期のロベスピエールによる恐怖政治以降、政治関連の用語として一般的に使われるようになったとされる。テロリズムは、暴力によって人々に恐怖心を植え付け、社会を混乱させ、最終的に自分たちの要求を実現しようとする試みだと定義できるだろう。

 私たちが客船「デモクラシー号」に乗っている乗客兼航海士だとすれば、テロリストは「デモクラシー号」を転覆させようとする海賊だと言える。もっとも、この「海賊」は単に金品の強奪を目的としているのではなく、船を転覆させる行為そのものを「正義」の一環だと自認しているのだから性質が悪い。

 「デモクラシー号」に乗り合わせた人々は意見も立場もそれぞれ異なるが、それでも、言葉によって議論し、合意形成を図るという点では共通している。ヴォルテールが書いたとか書かなかったとかされる「私はあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命がけで守る」という文章は、「デモクラシー号」の共通ルールを分かりやすく言い表している格言だ。

 言葉による議論と合意形成を絶対とするデモクラシーと、暴力による「正義」の実現を絶対とするテロリズムは共存できない。野球ファンとサッカーファンを両立することはできても、スポーツファンとアンチ・スポーツファンを両立することができないのと同じだ。デモクラシーがテロリズムを許容することは一切不可能である。逆に、テロリズムにわずかでも同調する人物や組織は、その時点でデモクラシーを根本的に否定していると言わざるを得ない。

 テロリズムを前にしたとき、私たちはデモクラシーの価値を確認する必要に迫られる。かつてシモーヌ・ド・ボーヴォワールは「真理は一つだが、誤謬は複数ある」と言い放ったが、20世紀に全体主義体制を体験・目撃した私たちは、「真理は一つ」との仮定で社会を構築することの危険性を肌で知っている。テロリズムこそが全体主義の原理であるとハンナ・アーレントが定義していることも周知の通りだ。

 全体主義とは異なり、デモクラシーは、「正解」を追求することではなく「別解」を実践することの大切さを説く。ボーヴォワールの友人とも敵対者とも呼ぶべきアルベール・カミュは、テロリズムを正当化する言説を断固として拒絶した。カミュはデモクラシーを「一切の政体のうちで最良であるとは言わない」とことわった上で、少数意見にも配慮するその「謙虚さ」を高く評価している。なお、当然のことながら、テロリズムにこのような「謙虚さ」は存在しない。


 市民にとっての「テロとの闘い」とは

 それでは、私たちは、デモクラシーの破壊を目論むテロリズムとどう対峙すべきなのだろうか。すでに述べたように、人々を恐怖に陥れようとするテロリストの思惑にはまってしまわないためには、まずは一人ひとりが冷静になる必要がある。前のめりになって憶測や伝聞に基づく議論をするのではなく、接したニュースがショッキングなものであればあるほど、一歩引いた視点に立ち、事態の成り行きを静かに見守ることが重要となるだろう。

 かくいう私は日頃からパニックになりやすい人間なので、いつも、「冷静に、努めて冷静に」と自分に言い聞かせている。映画『雨に唄えば』(1952年)のドン・ロックウッドよろしく「威厳を、常に威厳を」でもいいのだが、もともと威厳のかけらもない私が「威厳を、常に威厳を」と自分に言い聞かせたところでバカバカしいだけなので、「冷静に、努めて冷静に」のほうを言い聞かせている。

 そのため、私はテレビニュースもあまり見ない。といっても、まったく見ない人と比べればそれなりに見ているほうなのだろうが、私自身に色々あったということもあって、数年前からテレビニュースを以前ほど見ないようになった。特に、事件や事故のニュースを見ると登場人物にいちいち感情移入してしまうので、自分自身の精神衛生のために視聴を控えるようにしている。

 一部の人々からは「現実を直視すべきだ」と叱られてしまうかもしれないが、仕事の付き合いでお酒を呑みすぎた結果、二日酔いになって翌日の仕事に支障を来してしまっては元も子もないだろう。心身の健康を保つためには、きちんと現実逃避することも大切だ。無理に「パニくる」ことは、自分が冷静になることを遠ざけるばかりか、テロリズムに親和的な心理を作り出すことになる。

 カミュが指摘したようにデモクラシーが絶対的に「最良」な政体ではないのは当然としても、デモクラシーを営む社会ならば、いかなる場合でもテロリズムに妥協してはならないはずだ。デモクラシーを守り抜くことと「人命第一」が相反するものだと騙されてしまってもいけない。人々をパニックに陥れることがテロリストの企みである以上、市民にとっての「テロとの闘い」とは、努めて冷静になるということに尽きるのではないだろうか。
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2015年01月15日

いつだってスタージェスは「恋する者」の味方 『レディ・イヴ』


先日、シネマヴェーラ渋谷で
映画『レディ・イヴ』(1941年)を観ました。
同時上映は『シャレード』(1963年)。

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 <あらすじ>
父親と共に豪華客船に乗り込んだ美人詐欺師ジーンは、
エール会社の御曹司:チャールズ・パイクを標的に設定する。
最初はチャールズを色仕掛けで騙していたジーンだったが、
次第にチャールズのことを本心から愛するようになってしまい、
チャールズもジーンにプロポーズすることを決意した。
しかし、プロポーズ寸前にジーンが詐欺師であることが発覚し、
チャールズは腹いせに「本当は君を愛していない」と嘘をつく。
傷心して船を降りたジーンは、チャールズに復讐するため、
名家の“イヴ嬢”に扮してパイク邸のパーティーに出席するが……。



プレストン・スタージェス脚本・監督の『レディ・イヴ』(1941年)は、
今から×年前、私が初めて鑑賞したスタージェス作品です。
高校生の時に読んだ中野翠さんの著書でこの映画の存在を知り、
以降、私はスタージェス作品に没頭するようになりました。
これまでDVDで幾度となく繰り返し鑑賞してきた作品ですが、
映画館の大きなスクリーンで鑑賞したのは、実は今回が初めて。

復讐のためか復縁のためかを明示せず令嬢に扮するジーン、
意外とロマンチックな“蛇オタク”青年チャールズ、
詐欺師のプライドを傷付けられても娘の幸せを願うジーンの父、
自身の昼食が用意されていないと喚き始めるパパ・パイク、
いつも険しい顔をしながらチャールズにお節介を焼く執事――。
この映画の登場人物は一癖も二癖もあるキャラクターばかりです。

スタージェスは人物の心理よりも言動に重きを置く監督ですが、
彼の代表作とされる『レディ・イヴ』も例外ではありません。
癖のある登場人物の一挙手一投足が実に人間的であるため、
人物の心理・感情を改めてダラダラと表現する必要がないのです。
かくして、映画には人物を多面的に解釈する余地が生まれ、
『レディ・イヴ』は単一的な型にはまらない名作喜劇となっています。



「解釈する余地」が残されている代表的なシークエンスといえば、
この『レディ・イヴ』においては、船内でのラストシーンでしょう。
観客はジーンと“イヴ嬢”が同一人物であることを知っていますが、
チャールズはおそらく最後までそのことに気が付いていません。
この映画の核心は、ジーンと観客のこの「共犯」関係であるはずです。
しかし、チャールズは最後に「何も知りたくない」と言い放ち、
一転して、「加害者」側だったジーンと観客よりも優位に立ちます。

スタージェス作品では、恋愛は「しょうがないもの」として、
理屈や常識で説明できないがすべてに勝るものとして描かれます。
まるでスタージェスは、彼のスクリューボールコメディを通して、
「2人は恋に落ちてしまったんだから、もうどうしようもないよねぇ」と、
微笑とも苦笑とも判別できない表情で語っているかのようです。
呆れ顔を見せながらも、彼は常に「恋する者」の味方なのですね。

客船内でジーンのことを自然と探してしまうチャールズと、
初めて会った時のように足をかけてチャールズを転ばせるジーン。
「再会」した2人は、感情を抑えきれずに客室へと駆け込む――。
『レディ・イヴ』のラスト3分間はやや急展開にも思えますが、
それゆえに、恋愛の不合理性を見事に顕していると言えるでしょう。
「粗雑な真実」は「巧妙な嘘」よりもたしかなものであり、
恋愛感情は当事者間の「不都合な真実」さえも吹き飛ばすのです。


▲ 『レディ・イヴ』のラストシーン。小粋な“サゲ”にもニヤリ。
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2015年01月03日

今年も初笑いは歌丸から! NHK中継入りの末廣亭初席'15


明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


今日は、新宿末廣亭 正月初席 第二部 へ行ってきました。
主任は、桂歌丸会長。

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毎年恒例、友人との末廣亭初席鑑賞会。
今日はNHK総合テレビの中継が入るということで、
枝太郎師匠と陽・昇先生の出番の間に妙な空白ができたり
可楽師匠と小遊三師匠の出番が入れ替わったりと、
例年とはやや異なるイレギュラーな「寄席初め」となりました。



 <本日の番組>

落語:(交互) 三笑亭朝夢
漫談:(交互) 新山真理
落語:(交互) 三遊亭遊雀
奇術:(交互) 松旭斉八重子プラスワン
落語:(交互) 桂枝太郎
漫才:(代演) 宮田陽・昇
曲芸:(代演) 鏡味味千代
落語:三遊亭小遊三 『ん廻し』
落語:(交互) 桂右團治 『源平盛衰記』
漫才:(交互) 東京太・ゆめ子
落語:三笑亭可楽 『臓器屋』

 〜お仲入り〜

落語:(交互) 桂歌蔵
落語:(交互) 瀧川鯉昇 『鰻屋』
漫才:(交互) 東京丸・京平
落語:(交互) 桂歌春 『九官鳥』
落語:笑福亭鶴光 『秘伝書』
曲ごま:やなぎ南玉
落語:(主任) 桂歌丸 『鍋草履』



★朝夢
何やら喋っているところで入場、我々は2階前方へ。

★真理
「漫談の!」というおなじみの挨拶に始まり、
落協と芸協の違い、歌丸師匠の人間国宝ネタなどを繰り出す。
しかしながら、正味2〜3分で次の演者にバトンタッチした。

★遊雀
私が初席で遊雀師匠を観るのはこれが初めてかも。
この後のテレビ中継に“客目線で”触れるあたりがさすが。
歌丸師匠の「合掌」ネタで笑いを獲り、早めに下がる。

★八重子プラスワン
紐の手品、ハワイアン2曲分。
薔薇の手品は見応えありだが、やや長く感じられた。

★枝太郎
“この後から”中継が入るということで、
1階後方のNHKカメラに向かって自己アピールネタ。
「NHKさん、ぜひ『演芸図鑑』お願いします」。
時計が見辛かったらしく、途中、前座に太鼓を叩くよう頼む。
『サザエさん』小噺も織り込んで、時間調整までをもネタに。
こういう時の枝太郎師匠は実に頼りになる。

★陽・昇
番組ディレクターの前説を経て、ここからテレビ中継。
「〜ス」や円周率ネタなどで場を和ませた。

★味千代
五階茶碗→傘廻し(升)。
初席での太神楽・曲芸は異様に盛り上がるものだ。

★小遊三 『ん廻し』
可楽師匠と交替で、本来は仲入り前の小遊三師匠が登場。
江戸っ子のキャラクター、テンポよい会話、
これぞまさに小遊三師匠の面目躍如といったところ。

★右團治 『源平盛衰記』
テレビ中継が終了し、ここから通常営業へ。
「右團治と書いてビマジョと読む」。

★京太・ゆめ子
どこまでが計算なのかは不明だが、
落ち着きモードになった客席をトチリ芸で再び盛り上げた。

★可楽 『臓器屋』
前座さんに誘導されて座布団の上へ。
私は可楽師匠の存在が大好きなので正月から目出度いのだが、
ご本人が語るように、その話芸はまさに「リハビリ」。
「ノーベル物理学賞受賞者の“天野”は小遊三の本名」
「通信簿で2→3」などのマクラを経て『臓器屋』に入るも、
楽屋から太鼓が鳴り(実に間が悪かった!)、緞帳が降りる。

★歌蔵
歌丸ネタで会場に活気を取り戻したのがこの人。
明朗なキャラクターは本日の食い付きにピッタリだった。

★鯉昇 『鰻屋』
「酒好きは目が合うだけで……」ということで『鰻屋』。
限られた時間の中で満足度の高い落語を聴かせた。
「秋葉原の電気ウナギ」でサゲる。

★京丸・京平
登場するや否や、「殿様と三太夫」→「新婚旅行」。
寝ている客をイジって笑いを獲っていた。

★歌春 『九官鳥』
おなじみの「楽屋に住み込みたい」ネタを経て、
もはや歌春師匠の代名詞となった『九官鳥』の小噺へ。

★鶴光 『秘伝書』
「〜引き」の小噺などで笑わせてから、
鶴光流のサゲが楽しい『秘伝書』(『夜店風景』)をかける。
今日の客は人数の割にはパッとせず、大爆笑には至らず。

★南玉
独楽を廻してから、真剣刃渡り→糸渡り。
新年早々、南玉先生のカッコいい芸を観ることができて感激。

★歌丸 『鍋草履』
一度緞帳が下がり、歌丸師匠が板付きで登場。
マクラでは、入院ネタ、『笑点』50周年ネタを語り、
定番の「5代目今輔師匠の教え」→『鍋草履』ルートを踏む。
これまで幾度となく聴いてきた歌丸版『鍋草履』だが、
「ばか」「あんにゃもんにゃ」の件は何度聴いてもたまらない。
歌丸師匠の落語の背景には、庶民サイズの愛情がある。



――今年も末廣亭初席から幕を開けた私の寄席見聞録。
今年はNHKの中継があったためにイレギュラーな構成でしたが、
小遊三・鯉昇両師匠の十八番を聴くことができて何よりでした。
この日だけ仲入り前の出番となった可楽師匠のボヤき芸も、
初席の雰囲気に合う合わないはさておき、私には有り難かったです。

とはいえ、やっぱり寄席は何でもない普段の時に来たいなあ……。
これまで正月興行・GW興行でそう感じたことはなかったのだけど
(正月興行・GW興行はあくまでも顔見世的なものだから)、
客数の割に盛り上がり切らない初席だとそう感じてしまいます。
何だかんだ言って、私は一人ひとりの「芸」と向き合いたいんだな。
というわけで、私は今年も(それなりに)寄席に通うことになりそうです。


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 <ちなみに>
末廣亭第一部主任の米丸師匠は風邪のため5日まで休演とのこと。
本日の代バネは小遊三師匠がお勤めになった模様です。
米丸師匠と同い年の笑三師匠は池袋第一部でトリを勤めています。
posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 落語・笑い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
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