2014年11月18日

笑いあり涙ありハプニングあり… “一期一会”のざこば『文七元結』


今日は、日本橋劇場で開かれた
『第二回 桂ざこば交友録』へ行ってきました。
ゲストは、三遊亭圓遊師匠。

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 <本日の番組>

開口一番:(前座) 笑福亭希光 『平林』
落語:桂ざこば 『強情』
落語:三遊亭圓遊 『雪の瀬川』

 〜お仲入り〜

落語:三遊亭圓遊 『時そば』
落語:桂ざこば 『文七元結』



★希光 『平林』
開口一番は鶴光門下の6番弟子:希光さん。
「樹木希林」の名も登場する芸名ネタから『平林』へ。
“定吉”は、文字をどう読むのか尋ね歩くのではなく、
前の人物が提示した名前が正しいか次の人物に問う。
“老夫婦”や“大工”が出てくる点が江戸型と異なるが、
翻弄される“定吉”を軸に噺が展開するのは東西共通。
サゲは、“平林さん”に遭遇し、「……あなたに用はありません」。

★ざこば 『強情』
40年ぶりの圓遊は“いらち”になっていたと話してから、
あまり東京には良い思い出がないと語り出す。
『ウィークエンダー』でのトラブル、ホテルのチーズ、
永六輔さん企画の野外落語……など爆笑ネタが次々と。
クレーマーチックなANAとの文通ネタ(鉄板!)を経て、
東京では『意地比べ』と題される古典落語『強情』に入る。
この噺はまさにざこば師匠のために存在するような噺で、
“3年間将棋を指す男”まで登場するのは上方ならでは。
“倅”の強情エピソード(日曜に登校し勉強)が挟まれるため、
路上での正面衝突も『意地比べ』と比較して無理がない。

★圓遊 『雪の瀬川』
なぜか高座返しの希光さんが袖へ引っ込む前に登場し、
考えオチの江戸川柳を紹介してからネタ出し『雪の瀬川』へ。
『夢の酒』と酷似している噺で、“若旦那”起床から始まる。
圓遊師匠というとスピーディーな語り口が特徴的だが、
実は手拭いや扇子を使った所作(例:一時停止)が絶妙。
「聴く噺家」というより「観る噺家」と言えるかもしれない。
とはいえ、雪の降り積もる光景を過不足なく描写してみせ、
その円熟の話芸で、客席の関心を高座に引き寄せていた。
なかなか緞帳が下がらなかったが、その間に客席から花束。

★圓遊 『時そば』
仲入り後は、今度は眼鏡をかけて圓遊師匠が再登場。
時に川柳を交えての「おばあちゃんとノンちゃん」ネタを経て、
これまた扇子の使い方が巧みな圓遊版『時そば』に入る。
1人目の“男”は「利尻昆布」「手打ち」などの知識を備えており、
口が上手いペテン師というよりもプロ級の食通である。
2人目の“男”が遭遇するのは、博打でまごまごしそうな“まご屋”。
「蕎麦を食べて口が切れたっていうのはみっともないからね」
「この蕎麦、太ってるんじゃなくてむくんでるんだね」などの
フレーズを繰り出した後、「この蕎麦は18文」でサゲに至る。

★ざこば 『文七元結』
「カジノができるそうだが私も博打は好き」とだけ語り、
ネタ出しされていた上方版『文七元結』(小佐田定雄さん脚色)。
博打で負けた“辰五郎”がぼやきながら帰る場面から始まり、
夫婦喧嘩→若い衆の登場→ざっくばらんな女郎屋の主人→
「大晦日を一日でも過ぎたら店に出す」と告げる場面へと続く。
主人が「娘は病気になるかもしれない」と真正面から通告すると、
客席の緊張感が一気に高まったのを肌で感じた。
50両を貰った“辰五郎”は、安堂寺橋で“文七”と遭遇し、
怒りながらも「関わってしまったのだから……」と50両を投げる。
「あんたが何の信心をしているかは知らないが、
 白い紙に『お光』と書いて朝晩拝んでくれ。それだけでいい」。
ざこば師匠ならではの気迫ある言葉が客席に突き付けられる。
その後、伊勢屋での件はなく、いきなり翌朝の夫婦喧嘩に移り、
“伊勢屋の主人”と“文七”がやってきて「ネタばらし」。
ここで、「おこし」を「おむつ」と言い間違えたざこば師匠、
「……なんで(俺は)こんなところで間違えるんや!」。
これをきっかけに『文七元結』は滑稽噺として畳み掛けられ、
「段取りがあんねん」「人が困るのは……」で爆笑の渦が起こる。
「今夜はあんまりいい出来じゃなかったけど、一期一会や!」
「はよ帰っとくんなはれ!」と今夜の主役が叫び、緞帳が下りた。



――というわけで、大好きなざこば師匠の東京での独演会
(というか圓遊師匠との二人会?)を大いに楽しませていただきました。
聴いてみたいと思い続けてきたざこば版『文七元結』はもちろんのこと、
ざこば師匠のために用意された噺とでも言うべき『強情』や、
ゲスト:圓遊師匠の絶妙な所作にも笑わされ、感動させられた次第です。

今夜だけかもしれないけれど、ざこば師匠の『文七元結』は
江戸版と比べてそれほど重たくはなく、笑いもしっかりとある噺でした。
東京の落語家で聴く『文七』は時に胃もたれしそうなほどですが、
ざこば師匠の“辰五郎”像はとにかく無理がないし(ざこば=“辰五郎”?)、
どうにもならない状況だからといって「悲劇」と捉えたりなどしない。
背景に直観的なバイタリティがあるから、噺全体が救われているのです。

『文七元結』というのは江戸っ子の心情を伝える噺だとされますが、
ざこば版『文七』には名人の名演に匹敵する気迫と普遍性があります。
『文七元結』という噺が江戸っ子ありきの噺なのは承知の上で、
私なら、『文七元結』を聴くならざこば師匠がおすすめと言いたいです。
――芸人と客の相性なんて客の好き嫌いによって決まるものだけれど、
ざこば師匠は、どんな時でも私を笑わせ、感激させてくれる噺家さんです。
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2014年11月14日

観客も濡れる“アトラクション” 『SINGIN' IN THE RAIN』


今日は、東急シアターオーブで
『SINGIN' IN THE RAIN ―雨に唄えば―』を観てきました。

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 <キャスト>
ドン・ロックウッド:アダム・クーパー
キャシー・セルダン:エイミー・エレン・リチャードソン
コズモ・ブラウン:ステファン・アネッリ
シンプソン社長:マックスウェル・コールフィールド
ドラ・ベイリー:ジャクリーン・クラーク
ロスコー・デクスター監督:ポール・グルナート
リナ・ラモント:オリヴィア・ファインズ

 <スタッフ>
脚本:ベティー・コムデン、アドルフ・グリーン
作詞・作曲:ナシオ・ハーブ・ブラウン、アーサー・フリード
演出:ジョナサン・チャーチ
共同演出:キャメロン・ウェン
振付:アンドリュー・ライト
音楽監督:ロバート・スコット


映画のために作られたミュージカル映画の名作『雨に唄えば』は、
これまでにも何度か舞台化されてきました。
あくまでも原作映画の存在の上に成り立っている舞台版なので、
原作映画と舞台版を比較して優劣を論じるのは野暮というものです。
東京ディズニーランドの『ピーター・パン』のアトラクションを指して、
「アニメ映画版よりもショボい!」などと口を尖らす人はいませんよね。

この舞台にはジーン・ケリーもドナルド・オコナーも出てきませんが、
その代わりにアンサンブルキャストの華やかな歌と踊りが楽しめます。
この舞台は「個人芸」ではなく「団体芸」を楽しむミュージカル。
Beautiful Girls』や『The Broadway Ballet』などのナンバーは、
とてもゴージャスで迫力があり、観客に躍動感を抱かせるものでした。
Make 'Em Laugh』では、コズモが壁を駆け上がらない代わりに、
額縁やカツラなどの小道具を用いて陽気な雰囲気を表現しています。

ストーリーラインは原則として原作映画に忠実なのですが、
リナがドンへの想いを歌うソロシーンは舞台版の個性的な特徴です。
私は原作映画を何度観ても「リナが可哀想」と思ってしまう人間なので、
What's Wrong With Me?』は涙なしには聴けませんでした
(逆に言うと、この場面でリナの性格の悪さを表現してくれていたなら、
 悪役のはずのリナを「可哀想」だなんて思わずに済むのですが……)。

舞台版での『Broadway Ballet』はコズモの想像という設定で、
社長の洒落た台詞は「……もう一度話してくれ」に変更されています。
原作映画が「ジーン・ケリーの映画」だったことが逆説的に解りますね。
また、舞台版では『You Are My Lucky Star』をリプライズすることで、
ドンとキャシーのラヴロマンスを物語の核心とすることに成功しています。
いずれも、これが舞台であることを逆手に取った心憎い変更点です。

しかし、この舞台版の最大の個性的な特徴は何かと言えば、
言わずもがな、本当の「雨」がステージに降り注ぐという演出でしょう!
主演のアダム・クーパーをはじめとするカンパニーが
Sっ気たっぷりに「雨水」を蹴り飛ばし、前列の客をずぶ濡れにします。
これこそが原作映画では味わうことのできない「アトラクション性」です。
本日は前方に座っていた私も、何だかんだで濡れてしまいました(笑)。

さらに、予期せぬ幸運ゆえに嬉しかったのは、
2011年の『Royal Variety Performance』で警官を演じていた
マシュー・モルトハウスが、今回の日本公演でも警官を演じていたこと!
Royal――』での『雨に唄えば』のパフォーマンスで彼を見かけて以来、
ハンサムな顔立ちと「怒りを抑えた表情」が気になっていたのです。
ただし、本日の彼は3年前に見かけた時よりも太って見えました……。

数年前、新作ミュージカルを製作したキャメロン・マッキントッシュが
「最近の客は《安全な作品》(再演)ばかりを選ぶ」と嘆いていましたが、
『レ・ミゼラブル』や『オペラ座の怪人』とはまた少し違った意味で、
『雨に唄えば』は最も《安全な作品》の一つと言えるかもしれません。
しかし、この舞台版を通して、原作映画を思い出して再評価する人や、
未見だった原作映画に触れる人が増えていくのは好ましいことでしょう。


本プロダクションのプロモーションビデオ(2012年4月公開)

Royal Variety Performance 2011』(2011年12月)より
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2014年11月12日

“不透明感”漂わせ、変化する「印象」 ―小三治の『付き馬』


今日は、きゅりあん 大ホールで開かれた
『秋のきゅりあん寄席 柳家小三治独演会』へ行ってきました。

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 <本日の番組>

開口一番:柳家三之助 『堀の内』
落語:柳家小三治 『付き馬』

 〜お仲入り〜

落語:柳家小三治 『長短』



★三之助 『堀の内』
会場のご近所にお住まいだという三之助師匠。
「お目当ては最初に出てこない」と笑いを取ってから、
テンポよいドタバタ劇『堀の内』に入った。
“熊五郎”が一度自宅へ戻ってきてしまう場面では、
噺の主語が“熊五郎”から“女房”に入れ換わる。
しかし、当然のことながら、
リズムが軽快なのは“熊五郎”が独白し続ける場面。
今夜の『堀の内』は無邪気さに満ちた好演であった。

★小三治 『付き馬』
黒紋付で登場し、まずは「振袖火事」について語る。
江戸城も含め江戸中が焼けたと述べた折に、
「この前、ちょっと用があって城の中に入ったんですが……」。
小三治師匠が自らの“国宝”認定に言及するのは珍しい。
大火をきっかけに「新吉原」が作られたという話や、
お茶屋や早桶の丁寧な解説を経て『付き馬』へ。
何でも、銭湯に通っていた少年時代の小三治師匠に
早桶の知識を教える近所のおじさんがいたんだそうな。
小三治師匠の『付き馬』は冒頭から人物描写が細かく、
“男”がナカにいる理由の説明にも長い時間を割いている。
この時点では“男”は胡散臭い人物ではないのだが、
“若い衆”との散歩を通して本性が明らかになっていく。
小三治版『一眼国』とも通じるミステリアスな“男”像だ。
その“男”が噺をフェードアウトしてからは一転、
“早桶屋”と“若い衆”の間で抱腹絶倒の会話が交わされる。
「あの人、戻ってきますかね……」「くるわけないだろ!」。

★小三治 『長短』
昨晩、錦織圭の試合をつい観てしまった小三治師匠。
錦織選手を気に入ったらしく、「あいつを贔屓にしよう」。
解説の松岡修造氏が吉本芸人風だったという話や
海外の「焼き場が燃えた」ニュースをも取り上げた後、
同級生に「錦織(ニシキオリ)君」がいたということで
最近開かれたという学校の同期会でのエピソードを話す。
“人間国宝”認定を記念して寄せ書きをもらったらしく、
「友達はいいものだ」繋がりで、柳家のお家芸『長短』。
小三治師匠は『長短』の2人の言動を戯画化せず、
どこにでもいそうな人間の延長線上に2人を置いている。
小三治版『長短』の肝は「キャラ対決」にあるのではなく、
2人の間を結ぶ関係性=「空気」にあるのだ。
だから客は、2人のオーバーな所作の対比を笑うのではなく、
「何だかんだで仲が良い」2人のじゃれ合う光景に微笑む。



――というわけで、先月の鈴本演芸場に続き、
本日も小三治師匠のマクラと噺を堪能させていただきました。
師匠ご本人が言及していた通り、今夜の会場は大入り満員で、
きゅりあん大ホールの狭い客席が普段以上に狭く感じられました。

二席目『長短』のマクラでの発言から察するに、
今夜の師匠は『付き馬』をやろうとお決めになっていたご様子。
“男”がのらりくらりと観客をも翻弄する『付き馬』は、
師匠特有の「すこしふしぎ」色が噺を覆う高座だったと感じます。
――例えば、今夜の『付き馬』に続きがあって、
実はあの“男”がこの世の者ではなかったという展開になっても、
何だか妙に納得できてしまうもの(……不粋な後日譚だけれども)。

小三治師匠のいくつかの噺では、噺が進むにつれて
登場人物の人物像が変化しているようにみえることがあります。
それは、小三治師匠の噺の中の登場人物たちが
「キャラクター」ではなくて「人間」であるからなのでしょうね。
詐欺師が詐欺師だと判るのは被害者が被害に遭った後の話で、
最初は、その詐欺師はまじめそうな人にみえていたりするわけです。

登場人物の個性を単純に固定化することなく、
その人物が多少なりとも複雑な「人間」であることを踏まえた上で、
「人間の本質」よりも「人間の印象」を示唆する――。
「人間の印象」はあくまでも他人の視点によるものですから、
小三治師匠の噺の肝が人間関係や「空気」にあるのは当然でしょう。
人間のそれなりの複雑性から生じる「不透明感」こそが、
いくつもの噺で貫かれている「小三治落語」の魅力の一つなのです。


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