2014年08月26日

エミー賞授賞式で追悼… '14年に旅立った“米テレビ界の偉人”8名


現地時間25日、アメリカの“テレビの祭典”である
第66回プライムタイム・エミー賞授賞式が開催されました。


アル・ヤンコビックアンディ・サムバーグによる歌唱パフォーマンス

受賞作品や受賞俳優などはガン無視することにして(!)、
このブログでは、式典中に披露された
「追悼企画(Memoriam Tribute)」を取り上げたいと思います。



2014年、アメリカのテレビ界は多くの人材を失いました。
すでに伝説的存在だった人、まさに活躍中だった人、
今後さらなる活躍が見込まれていた人――。
今月11日に亡くなったロビン・ウィリアムズもその一人です。

今年の「Memoriam Tribute」では、
人気シンガーソングライターのサラ・バレリスが歌う
『Smile』(作詞・作曲:チャールズ・チャップリン)に合わせながら、
43人のテレビ関係者の写真や映像が紹介されました。

(授賞式開催時期の都合により、2013年8月〜12月に逝去した人も
 2014年の「In Memoriam」として追悼されています。)




米テレビ史にとりわけ大きな足跡を残したとされる8名については、
動く映像に加えて肉声も放送されました。
このエントリでは、その偉大なる8名を振り返りたいと思います。



★ピーター・オトゥール (Peter O'Toole)
 <1932年8月2日 - 2013年12月14日>


『アラビアのロレンス』(1962年)で世界的に有名な俳優ですが、
いくつかのテレビ映画やトーク番組にも出演しています。
テレビ映画『ヒットラー』(2003年)ではヒンデンブルクを演じました。
『The Ruling Class』(1972年)というブラックコメディでは、
自分のことを“切り裂きジャック”だと思い込んで
本当に猟奇殺人を犯してしまう精神異常者を熱演していましたが、
これはイギリス制作のテレビ映画なのでご紹介できません(残念!)。
ここでは、『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に
ゲスト出演した際の映像を貼り付けてお茶を濁すことにします。




★ドン・パルド (Don Pardo)
 <1918年2月22日 - 2014年8月18日>


第二次大戦前からラジオのアナウンサーとして活動を始め、
1944年にNBCの局アナウンサーとなりました。
サタデー・ナイト・ライブ』の冒頭ナレーションが超有名で、
番組開始時から39シーズンに渡ってアナウンスを務めています。
ドン・パルドに自分の名を読み上げられることは、
『SNL』出演を夢みる多くのコメディアンの憧れだったのです。
下の動画は、スティーヴ・マーティンやティナ・フェイらに囲まれ、
90歳の誕生日を祝福されているパルドの映像です。




★デイヴィッド・ブレナー (David Brenner)
 <1936年2月4日 - 2014年3月15日>


1970〜80年代にスタンダップコメディアンとして一世を風靡し、
テレビドラマの俳優としても活動した人物です。
ジョニー・カーソン司会時代の『ザ・トゥナイト・ショー』では、
ゲストとして番組最多出演記録を誇りました。
『ザ・トゥナイト・ショー』では代理司会を務めることもあったので、
もしかしたらそのまま後任司会者に選ばれていた可能性も……。
ブレナーは「ジェイ・レノになり損ねた男」と言えるかもしれません。
しかし、彼の温和で実直なキャラクターを考えれば、
「なり損ねた」のはむしろ望ましいことだったとも言えるでしょう。




★マーシャ・ウォレス (Marcia Wallace)
 <1942年11月1日 - 2013年10月25日>


1970年代に放送された人気シットコム
『ボブ・ニューハート・ショー』のレギュラーキャストとして、
その顔を全米のお茶の間に知られるようになりました。
その後、『ザ・シンプソンズ』のクラバーペル先生役で再ブレイク。
アニメ『ザ・シンプソンズ』のイントロは、毎回、
バート・シンプソンが黒板に反省文を書く場面から始まるのですが、
ウォレスの亡くなった直後に放送されたエピソードでは、
バートは「ホントさびしいよ、クラバーペル先生」と書いていました。
ウォレス逝去に伴い、クラバーペル先生も番組を“降板”しています。




★シド・シーザー (Sid Caesar)
 <1922年9月8日 - 2014年2月12日>


この人物を語らずして、米テレビ草創期は語れません!
何しろ、あのカール・ライナーも、あのメル・ブルックスも、
あのウディ・アレンも、あのニール・サイモンも、
全員、シーザーの番組から羽ばたいていったのですから――。
“巨匠の師匠”であるシーザーは、まさに“歴史上の偉人”。
カラー放送が始まる頃にはすでに大御所として君臨しており、
テレビ映画『不思議の国のアリス』(1985年)にも参加しています。
シド・シーザーについてはいずれまた取り上げたいなあ……。




★エレイン・ストリッチ (Elaine Stritch)
 <1925年2月2日 - 2014年7月17日>


シド・シーザーが米コメディ界の伝説的存在だとすれば、
エレイン・ストリッチは米ミュージカル界の伝説的存在。
スティーヴン・ソンドハイムも彼女には頭が上がりません。
ストリッチこそはブロードウェイミュージカルの象徴なのです。
エミー賞で追悼されていることも明らかなように
ストリッチはテレビドラマやバラエティ番組でも活躍しましたが、
やはりこのブログでは彼女の歌声を聴いてもらいたいと思います。
2010年に開かれたソンドハイム生誕80周年記念コンサートで、
『Follies』より「I'm Still Here」を歌っている動画です。
老齢の彼女ならではの迫力ある舞台。……鳥肌が立ちますね。




★ジェームズ・ガーナー (James Garner)
 <1928年4月7日 - 2014年7月19日>


映画『大脱走』(1963年)などで知られる名優中の名優ですが、
テレビドラマにもレギュラー出演し続けていました。
中でも、コメディ要素のあるサスペンスドラマ
『ロックフォードの事件メモ』では主人公の私立探偵を演じ、
国内外の視聴者(日本人も!)を虜にしています。
ジョン・リッター主演のシットコム『パパにはヒ・ミ・ツ』では、
主演のリッター急逝後、途中参加ながら番組を引っ張りました。
ハンサムな青年からシブい探偵、そして愉快なおじいちゃんと、
年齢に合わせて役柄を演じ切った国民的俳優の一人です。




★マヤ・アンジェロウ (Maya Angelou)
 <1928年4月4日 - 2014年5月28日>


キング牧師らとともに1950〜60年代の公民権運動をリードした、
現代アメリカを代表する黒人の女性作家・活動家です。
1993年のクリントン大統領就任式では自作詩を朗読し、
2011年にはオバマ大統領から自由勲章を授与されています。
アンジェロウはテレビのトーク番組にも積極的に出演し、
マスメディアを通して人権の重要性を訴え続けました。
オプラ・ウィンフリーもアンジェロウの影響を受けた一人です。
動画は、『セサミストリート』にゲスト出演した際のもの。
「♪私の名前もあなたの名前も素敵な名前」というシンプルな歌ですが、
「♪誰も私の名前を奪えない」という歌詞にハッとさせられます。




――というわけで、本日のこのブログでは、
2014年に亡くなった“米テレビ界の偉人”8名をご紹介しました。
それぞれの立ち位置は少しずつ異なりますが、
いずれも、「テレビ」というメディアを通して
その時々の米国民に夢や希望を与えた人物には違いありません。

映画と異なり、テレビではリアルタイム性が尊重されます。
今まさにお茶の間にいる視聴者に向けて番組は放送されるのです。
ですから、過去のある時期を代表したテレビシーンが、
2014年の現在でも普遍性を発揮しているとは限りません。
そこがテレビの面白いところでもあり、残酷なところでもあります。

しかし、良くも悪くも、時代というものは変遷するものです。
1970年の新製品を2014年の新製品としてリリースしたならば
それは「時代遅れ」ということになりますが、
その製品が1970年製であることを踏まえているならば
それは立派な「アンティーク」や「クラシック」製品となるでしょう。

「古いから」などという理由でクラシカルなものを軽視せず、
真正面から理解し、評価する姿勢を、私は今後も基本に据えたい。
そして、「古いとか新しいとかではない」という境地、
「笑いに古いも新しいもない」という見地を確立できれば――、と
ナウでヤングな(自称)若者としては目論んでいるところです。
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2014年08月16日

“人間の心情”描きだす熱演… 幻想的な歌丸『牡丹燈籠 -栗橋宿-』


今日は、国立演芸場 8月中席 へ行ってきました。
主任は、桂歌丸師匠。

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 <本日の番組>

開口一番:(前座) 桂竹のこ 『平林』
落語:(交互) 柳亭小痴楽 『ん廻し』
コント:コントD51
落語:(代演) 桂枝太郎 『茶の湯』
歌謡漫談:東京ボーイズ
落語:雷門助六 『長短』〜踊り『姐さん』『奴さん』

 〜お仲入り〜

落語:桂小南治 『源平盛衰記』
俗曲:桧山うめ吉
落語:(主任) 桂歌丸 『怪談 牡丹燈籠 ―栗橋宿―』



★竹のこ 『平林』
私はなぜか竹のこさんの高座によく遭遇する。
『平林』のような単純な噺でも、
独自の視点を投射して客席を沸かせていた。
“おばあさん”の件では志村けんトリビュート。
いま最も注目すべき前座さんの一人と言えよう。

★小痴楽 『ん廻し』
自動開閉トイレのマクラで客の心を掴み、
味噌田楽を食べたくなる古典落語『ん廻し』へ。
本来は「ん付き言葉」で笑いを獲る噺だが、
小痴楽さんの場合は、噺の“空気感”で愉しませる。
江戸っ子のパーパー騒ぐ様子が実に心地よい。

★コントD51
「ことぶき荘」のコント(老婆VS.警官)。
杖捌きのプロフェッショナルすぎて怖いよ……。
「すまんの、すまんの、まんのう町〜」
という謎のギャグを言うよう、最前列の客に強要。
だいぶムリヤリ言わせていたのが印象的である。

★枝太郎 『茶の湯』
冒頭、休演の文治師匠を「ゲイの道」ネタでイジる。
枝太郎版『茶の湯』は独自のクスグリが満載で、
独特の語り口の効果もあり、終始狂気を帯びている。
「倅はお茶を知っ……流派が違うからな」など、
細部までこだわり抜かれた完成度の高い高座。
客のウケも大変よく、記憶に残るような好演だった。

★東京ボーイズ
まずはローラやAKB48、W杯などで謎かけ問答。
さらに、今年で結成50年ということで(!)、
モノマネ、当てぶり歌唱などの珍しいネタを展開する。
「さよなら」という歌詞を利用してハケていった。

★助六 『長短』〜踊り『姐さん』『奴さん』
「雷が苦手」という自虐風マクラを経て、
関西出身の“甚兵衛”が登場する『長短』に入る。
助六版『長短』は独特の仕草も多いので見応えあり。
噺の後は、コント風解説付きの『姐さん』を踊ってから、
毎度惚れ惚れするあやつり踊りで『奴さん』を披露。

★小南治 『源平盛衰記』
まずは毎年恒例、8月中席“大入り袋”チェック!
もちろん今年も小南治師匠のコレクションは更新中だ。
芸協ウラ話とともに展開する『源平盛衰記』は、
「噺の進行に影響はございません」などのクスグリもあって
快笑の一大巨編(?)に仕立て上がっている。

★うめ吉
華やかな着物姿でうめ吉師匠が登場。
外ではポツポツと雨が降り始めてきたと告げ、
“晴れの国”岡山観光大使ならではの哀しいエピソード。
少しビターな『しげく逢ふのは』などを唄った後、
『なすとかぼちゃ』を踊って本日の主任につなぐ。

★歌丸 『怪談 牡丹燈籠 ―栗橋宿―』
板付きで登場した理由を説明するところが歌丸師匠らしい。
マクラで今年の圓朝祭や墓参りの様子を報告してから、
三遊亭圓朝作『怪談 牡丹灯籠』より第3話『栗橋宿』へ。
まずは“新三郎”がお札を貼るようになった経緯が語られ、
その後、夫婦の鬼気迫る感情のぶつけ合いが語られていく。
“お峰”はしっかり者であると同時に根の可愛い女性で、
客席の私たちも、一瞬は“伴蔵”の言葉に安心してしまう
(だからこそ、私たちは最後に裏切られることになるのだが)。
終盤は高座が暗い紫色に染まり、ホタルの光が舞う演出。
その美しいこと、怖ろしいこと――。貫録の熱演であった。



――『恩返し 不死鳥ひとり語り』(中央公論新社)によれば、
歌丸師匠が『栗橋宿』を初演したのは1994年とのこと。
ちょうど口演20周年を迎えた歌丸版『栗橋宿』は、
笑いどころも多いがゆえにかえって人間の心情を浮き出しており、
本当に怖ろしいのは幽霊ではなく人間だと訴えているかのようです。

事前に歌丸版『牡丹燈籠』第1・2話をCDで聴いてから
私は本日の公演に臨んだのですが(といってもCD2枚を聴いただけ)、
歌丸版『牡丹燈籠』は、精鋭な歌丸版『真景累ヶ淵』とは趣が異なり、
全体的にメルヘンティックで夢見心地な世界観に覆われています。
しかし、いざ人が死ぬ場面では過酷なリアリズムが突き付けられる。
悪夢にうなされ目を覚ますと、もっと悪い現実に直面するかのような、
そんな逃げようのない恐怖が歌丸版『牡丹燈籠』では語られています。

本日の公演では、主任のために共演者も活躍していました。
開口一番の竹のこさんから良い流れが続いたのですが、中でも、
枝太郎師匠の『茶の湯』と小南治師匠の『源平盛衰記』は印象的。
どちらも演者の個性を強く感じさせるように噺を改変していて、
しかも、「この人ならでは」の高座が本日の客にハマっていました。
つくづく、落語というのは双方向のメディアだと痛感させられますね。

――お盆の風物詩、歌丸主任の国立8月中席興行。
出しゃばりすぎはしないが充実している助演とともに、今年は、
口演20周年を迎える歌丸版『栗橋宿』を堪能させていただきました。
そこで展開されていたのは、年齢も病気も感じさせない白熱の高座。
人間の心情を巧みに描く歌丸師匠の熱演に、驚嘆を抱いた午後です。


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2014年08月12日

ロビン・“シェイクスピア”・ウィリアムズ逝く ―追悼に代えて


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現地時間11日――アメリカのコメディ界を代表する、否、
ショウビズ界を代表する名優ロビン・ウィリアムズが亡くなりました。
享年63。警察の発表によれば、首吊り自殺による窒息死とのこと。
ウィリアムズは重度のうつ病を患っていたとの報道もあります。

ロビン・ウィリアムズのファンを自称できるほど
私はウィリアムズの活動を“追いかけ”てきたわけではありません
(――もっとも、ロビン・ウィリアムズに
 『ストーカー』という主演映画があることぐらいは知っていますが)。

ですから、ここでは、
コメディ界の生きる伝説(93歳!)である
カール・ライナーが記した追悼メッセージを紹介したいと思います。

 (これほどまで才能に溢れ、深く愛され、尊敬されたパフォーマーは他にいない。彼が自ら命を絶ったなんて本当に残念だ。君がいなくなって寂しいよ、ロビン・ウィリアムズ。)

 (天才とは、質の高い仕事を多く残す者のことである。――つまりはシェイクスピアのことだが、しかし、私はロビン・ウィリアムズもまた天才であると考える。)


芸術に携わる者に対してこれ以上の賛辞があり得るでしょうか。
ライナーが記したこのメッセージがあまりにも感動的だったので、
拙訳を通じて、あえてライナーにご登場願った次第です。
自惚れ屋の私でも、さすがにこれ以上の追悼文を書く自信はありません。



――さて、ロビン・ウィリアムズは、
ジョン・リッターというコメディ俳優の盟友でもありました。
リッターは、1970年代後半〜1980年代前半に放送された
ABCのシットコム『Three's Company』の主人公役で一世を風靡し、
以後、アメリカのテレビドラマ・映画で活躍し続けた人物です。

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若かりし頃のウィリアムズ(写真左)とリッター

2003年9月11日、ジョン・リッターは、
ABCのシットコム『パパにはヒ・ミ・ツ』のリハーサル中に突然倒れ、
すぐに病院に運ばれましたが、そのまま帰らぬ人となりました。
その後、主人公を失った『パパにはヒ・ミ・ツ』は
“パパ”抜きの物語としてシリーズを継続します(2005年終了)。
劇中でも“パパ”は突然死去した設定となり、
しばらくの間、父を失った家族のショックと悲しみが描かれました。

ウィリアムズは1980年代から禁酒生活を送っていましたが、
2004年頃、またもお酒に手を出してしまいます。
その最大の理由の一つとして挙げられているのが、
盟友だったジョン・リッターの突然の死です。
悲しみのあまり、彼は再びお酒に手を出したと推測されています。

――ウィリアムズを追悼するためだけのエントリにするはずが、
彼の盟友であるジョン・リッターについても触れてしまいました。
本当はもう一つ書こうと思っていたことがあるのですが、
それについてはもう少し言葉がまとまってから出直すことにします。



いずれにせよ、ロビン・ウィリアムズを失ったことに対して、
私たちが生きるこの世界は嘆き悲しまなければなりません。
なにしろ、大統領の代わりになる人はどの時代にも何人かいますが、
ウィリアムズの代わりになる人はどの時代にも一人もいないのだから。

そして、コメディを愛している者たちは、
一通り嘆き悲しんだ後には「あること」をしなければなりません。
それは、遺されたロビン・ウィリアムズの作品を楽しむことです。
幸いなことに、ウィリアムズの出演作は大半がソフト化されています。
日本でも彼の出演作を鑑賞することは難しくありませんね。

あえて一作だけ挙げるとすれば、私のおすすめは、
ポール・マザースキー監督『ハドソン河のモスコー』(1984年)。
そして、前言を翻してあともう一作だけ挙げるとすれば(!)、
ロビン・ウィリアムズのもしも私が大統領だったら…』(2006年)
というバリー・レヴィンソン監督作品もおすすめしておきます。

感動的なドラマ作品である『いまを生きる』(1989年)や
パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)での
ロビン・ウィリアムズを見ているとついつい忘れがちですが、
NBC『サタデー・ナイト・ライブ』に出演していた頃の
ウィリアムズは非常に攻撃的なスタンダップコメディアンでした。

社会風刺を織り交ぜたスタンダップコメディは彼の十八番で、
『ロビン・ウィリアムズのもしも私が大統領だったら…』では、
攻撃的なコメディアンとしての本来の姿が発揮されています。
アドリヴの演技に後から絵を合わせた『アラジン』(1992年)でも、
ロビン・ウィリアムズの芸達者ぶりを堪能することができます。



誰もが頭では分かっているように、時計の針は元に戻せません。
私たちに許されているのは過去を振り返ることだけです。
そして、ロビン・ウィリアムズの遺した多くの作品を楽しむとき、
ウィリアムズは決して「過去の人」などではなく
「現在の人」として、私たちの心を明るく照らしてくれるはずです。


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