2014年07月30日

人間の“ちっぽけさ”肯定… 包容力ある小柳枝『大山詣り』


今日も、新宿末廣亭 7月下席 夜の部 へ行ってきました。
主任は、春風亭小柳枝師匠。

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 <本日の番組>

(途中から)
落語:三遊亭圓輔 『蛇含草』

 〜お仲入り〜

落語:(交互) 春風亭笑松 『強情灸』
コント:ザ・ニュースペーパー
落語:桂文治 『親子酒』
落語:(交互) 桂米助 『野球寝床』
太神楽曲芸:翁家喜楽・喜乃
落語:(主任) 春風亭小柳枝 『大山詣り』



★圓輔 『蛇含草』
入場すると、“男”が“隠居”に大言壮語しているところ。
今夜、圓輔師匠は餅を食う所作に力を入れていて、
終盤はやはりテンポよくサゲに至った。
相変わらず声も通るし、圓輔師匠は今が聴きどきかも。

★笑松 『強情灸』
大室山の「微かな祟り」のマクラを経て、
江戸っ子の“湯”小噺→白熱の『強情灸』へ。
前日譚を語る場面も、見栄を張る場面も、
そして灸に熱がる場面も、今夜はやけにコンパクトな感じ。

★ザ・ニュースペーパー
桑山先生(キャスター)のUSOヘッドラインニュース
→松下先生(小泉・舛添)&桑山先生の漫才。
直近の時事ネタを次々に挟み込んでくる。
客数の割に静かだった客席もだいぶ盛り上がった。

★文治 『親子酒』
文治師匠の『親子酒』では、親子のやり取りよりも
塩辛を肴にお酒を呑む愉しさが強調されている。
「こぼさないよ、しみったれだからね」。
愉快な都々逸に引きずられ、私もお酒を呑みたくなった。

★米助 『野球寝床』
本日のゲスト真打ち枠には愛しのヨネ様が降臨。
東京五輪が来るがマラソンの観覧客はバカバカしい、
昔ラジオで聴いた重量挙げ実況もくだらなかった
……というマクラから、十八番の『野球寝床』へ。
千葉ロッテマリーンズって、今でも弱小球団なのだろうか?
ぜひヨネスケ師匠には古典の『寝床』もやってほしい。

★喜楽・喜乃
“五階茶碗”→“卵落とし”→“輪の交換採り”。
喜楽先生の“卵落とし”には毎回ドキドキさせられる
(もちろん上手くいくに決まっているのだが)。
太神楽のカッコよさを若い人にも知ってもらいたいなあ……。

★小柳枝 『大山詣り』
若い頃は登山ブームで、山男の歌もよく歌ったが、
いま思えば『いつかある日』は身勝手な男の歌ですね――。
マクラでの述懐に、小柳枝師匠の人生遍歴を感じさせられる。
『大山詣り』は、江戸町人の登山“後”を描いた噺。
喧嘩の仲裁役を期待される“先達”は結構いい加減な人で、
いくら坊主にされたことの仕返しとはいえ
人の生き死にに関する冗談を吐く“熊”はとんでもない奴だ。
まんまと嘘を信じ込む“町内のかみさん衆”も間が抜けている。
そんな、目先のことしか考えられない人間のちっぽけさを、
年長者の“先達”は「おケがなかった」という洒落で受け流す。
自らのちっぽけさをお互いに理解し合うことができれば、
争いごとは「悲劇」として幕を閉じずに済むかもしれないのだ。



――人の生死に関する嘘が出てくる『大山詣り』という噺は、
聴きようによっては不快な物語だと言えるかもしれません。
しかし、小柳枝師匠の『大山詣り』は終始小ざっぱりとしていて、
人間のちっぽけさを受け止めるだけの包容力を持っています。
小柳枝版『大山詣り』は、人間の拙さを肯定してくれているのです。

ちっぽけな存在だからこそ人間は寛容になる必要がありますが、
とはいえ、寛容の精神を発揮してもやはり人間はちっぽけですから、
その寛容さはカギカッコ付きの「寛容さ」に留まります。
人間はどこまでいっても不完全で、聖人君子にはなれないものです。
それゆえ、時に滑稽で、時に残酷なドラマを織り成すものです。
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2014年07月28日

愛すべき逆ギレ若旦那… “江戸の夏”顕す小柳枝『船徳』


今日は、新宿末廣亭 7月下席 夜の部 へ行ってきました。
主任は、春風亭小柳枝師匠。

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 <本日の番組>

(途中から)
落語:三遊亭圓輔 『辰巳の辻占』

 〜お仲入り〜

落語:(交互) 三笑亭朝夢 『皿屋敷』
コント:ザ・ニュースペーパー
落語:(代演) 桂米多朗 『たがや』
落語:(交互) 三遊亭小遊三 『鰻の幇間』
太神楽曲芸:翁家喜楽・喜乃
落語:(主任) 春風亭小柳枝 『船徳』



★圓輔 『辰巳の辻占』
“おじさん”が“源ちゃん”に言い聞かせる場面から。
辻占の場面から笑い声が起こり始め、
終盤〜サゲまでテンポよく噺が進んだ。
ちなみに、“源ちゃん”が飲んだのはラムネ。

★朝夢 『皿屋敷』
陰陽のマクラ→ハメモノ入りの『皿屋敷』へ。
男たちは“お菊”の外見目当てではなく、
幽霊への好奇心目当てで“皿屋敷”に通う。
終始明るく、クイツキの手本となるような好演だった。

★ザ・ニュースペーパー
土屋先生(前原→谷垣)&石坂先生(進次郎)。
お二人による漫才も序盤は見応えがあったが、
やはり“土屋谷垣”が何度見ても秀逸。
犯罪をめぐる客席とのやり取りも見逃せない(笑)。

★米太朗 『たがや』
3列目の客が帰ってしまったことを嘆きつつ、
途中で若干漫談を挟むスタイルの『たがや』。
“たがや”の啖呵が洒落ていて小気味よい。
やっぱり江戸っ子は判官贔屓じゃなくっちゃね。

★小遊三 『鰻の幇間』
ゲスト真打ち枠、本日は小遊三師匠。
入門したての頃には幇間から復帰した噺家がいたという。
「相手に合わせる幇間」のマクラを経て、
“一八”のほうから“魚”に近付く型の『鰻の幇間』。
“大将”は「先のところ」の場所をわざと明かさない。
まるで、調子に乗っている間抜けな芸人を
先輩芸人が身をもって窘めているかのようである。
母から貰った十円札と惜別し、汚れた下駄で帰った。

★喜楽・喜乃
小柳枝師匠の膝代りといえば喜楽・喜乃先生。
時間がやや押していたためか、
“五階茶碗”→“輪の投げ合い”で切り上げる。
ある意味、太神楽は寄席(定席)の代名詞だよなあ。

★小柳枝 『船徳』
お馴染みの「すぐに終わりますので……」、
“居候川柳”の紹介を経て、夏の定番『船徳』へ。
小柳枝師匠の『船徳』を聴いていると、
夏の江戸の澄んだ空気を目に、耳に、肌に感じる。
威厳のある親方、いきいきとした若い衆、
可愛らしい舟宿の女将、実は小心者の二人客、
そして、わがままだが憎めない若旦那――。
客に逆ギレする若旦那“徳”を、私は愛してやまない。
噺の中で広がっているのは「うつくしく やさしく おろかなり
(杉浦日向子先生)の世界そのものであった。



――毎年恒例、7月下席、末廣亭、小柳枝主任興行。
昨年に引き続き、今年も日替りゲストが一席勤めます。
本日のゲストは江戸落語の達人:小遊三副会長でした。
小遊三版『鰻の幇間』は、滑稽なだけではなく
蒟蒻問答』同様、人間のダークさを潜ませている高座。
顔は笑っているんだけど目は笑っていない、というような。

そして、主任:小柳枝師匠の『船徳』を聴きながら、
自分は今、夏の江戸にいるのかなと錯覚してしまいました。
ああ、『船徳』の世界にずっとずっと浸っていたい。
私はその時代その世界を生きたことはないし、
小柳枝師匠だってその世界の中で生きたことはないはずだけど、
でも、その世界は何だか懐かしくて、妙に落ち着く世界なのです。
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2014年07月27日

<集団的自衛権> これまでも「集団的自衛権」は認められていた!?


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 今日は短めに済ませます。

 集団的自衛権の行使容認に反対する声の中には、「7月5日に内閣官房が発表した『一問一答』を読む限り、集団的自衛権の定義は変更されていない」「だから、『A説の下での集団的自衛権』は容認されたんだ」とする意見があります。

 たしかに、『一問一答』の字面だけを見ればそのように誤解してしまうのは仕方ないでしょう。私も、7月3日の時点では、どうやら定義は変更されたわけではないようだと誤解していました。



 閣議決定後に発表された内閣官房の『一問一答』では、集団的自衛権は次のように定義されています。

 集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利です。

 字面としては、歴代内閣が踏襲してきた「集団的自衛権」の定義と何も変わりません。しかし、実はこの定義の空白部分――「行間」とでも言えばよいでしょうか――が、今回の閣議決定によって変更され、集団的自衛権の定義変更につながっているのです。



 その空白部分とは、目的語――どの国を守るために武力行使するか――です。昨日(26日)のエントリで、私が、国際法上は「結果として誰が守られることになってしまうかではなく、誰を守るために武力行使するか」こそが問われると書いたことをぜひご確認ください。

◆歴代内閣の「集団的自衛権」
 集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、≪他国防衛のために≫ 実力をもって阻止することが正当化される権利です。
⇒ それゆえ違憲
◆今回の閣議決定での「集団的自衛権」
 集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、≪自国防衛のために≫ 実力をもって阻止することが正当化される権利です。
⇒ それゆえ合憲
※≪ ≫、⇒ 部分は筆者注。

 歴代内閣は、日本近海での米艦船防護や物資補給、負傷者の手当てなどは「個別的自衛権」の範囲内であると説明してきました(例:周辺事態法)。つまり、「自国が直接攻撃されていな」くても、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃」が日本国への攻撃と同等の意味を持つと評価されれば、武力行使はこれまでも可能だったのです。

 「自国防衛」のためならば以前から何でもできた、と書くと語弊がありますが、これまでも「B説の下での集団的自衛権」が容認されていたことは紛れもない事実です。ただし、それは、従来の政府解釈では「個別的自衛権」として説明されてきました。

 今回の閣議決定が劇的な変化をもたらしたかのようにみえるのは、新旧政府の定義する「集団的自衛権」の目的語が分かりにくく、「他国が攻撃されたことを動機とする自衛の措置」までもが禁じられていると誤解されてきたからでしょう。そのようなケースが非現実的または特殊であるがゆえ、あまり議論されてこなかったのも関係していると思います。

 今回の閣議決定とは、歴代内閣は少数説ではなく多数説を採用していたが、この度、安倍内閣は多数説ではなく少数説に「解釈変更」した――という程度のものなのです。かける眼鏡を変えたからといって、読んでいる本の内容が変わるわけではありません。



 集団的自衛権の定義を説明する際、なぜ、歴代内閣が「≪他国防衛のために≫」という目的語を挟み込まなかったのかは不明です。わざわざ挟み込む必要性を感じなかった、あるいはうっかり挟み込まずに定義してしまい、その見解が以後踏襲されてきたというだけのことかもしれません。

 いずれにせよ、今回の閣議決定では、歴代内閣による集団的自衛権の定義の空白部分を利用することで、「集団的自衛権」という漢字6字(のみ)が容認されました。目的語の欠落という「幸運」がもたらした職人芸だと言えるかもしれません。



 ――というわけで、今回の閣議決定に反対することが(理論上)許されるのは、これまでも認められてきた「個別的自衛権」の行使に反対している人、あるいは「集・団・的・自・衛・権」という漢字の並びが気に食わない人だけとなります。

 「集団的自衛権」に反対しているならば、重要なのは、この閣議決定が有名無実であることを把握し、むしろこの閣議決定を遵守するよう政府・与党に求めていくことです。そして、「閣議決定」と「政治家の発言」が食い違ったときには、「政治家の発言」のほうを糾弾していくことです。
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