2013年01月22日

“超(スーパー)古典”へ! 「談笑落語」新たな歴史の幕開け


今日は、北沢タウンホールで催された
『書き下ろし超(スーパー)落語! 新刊談笑2』に行ってきました。

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 <本日の演目>

開口一番:(前座) 立川笑二 『道具や』
落語:立川談笑 『ぞろぞろ』『天災』

 〜お仲入り〜

落語:立川談笑 『うどんや』



★笑二 『道具や』
開口一番は、談笑師匠の二番弟子=笑二さん。
まだ前座ながら、すでに「必ず笑わせてくれる」
 「必ず楽しませてくれる」落語家さんになっています
(ご本人にとってはプレッシャーなことでしょうが……)。
この日の『道具や』(『道具屋』)も
ところどころで“笑二節”が炸裂していて、すごく面白かった。


★談笑 『ぞろぞろ』『天災』
マクラは、大阪市立桜宮高校で起きた“体罰”自殺について。
観客の反応を確かめながらも、持論を展開します。
続いて、グリーン席で乗り合わせた、意外とちゃんとしている若者について。

「改作も新作もやってきたが、
 いまは古典落語に回帰している」という談笑師匠が高座にかけたのは、
談志師匠の十八番であった『ぞろぞろ』。
冒頭に登場してくる“神様”が
ものすごく人間くさくて、楽しいキャラクターをしてるんだよなあ。
“談笑オリジナル”なアレンジメントを加えながら、
比較的オーソドックスな『ぞろぞろ』。
だけど、めぐりめぐって、
そのオーソドックスさが『ぞろぞろ』の面白さを引き出しています。
「古典の先の、改作の先の、古典」という面白さは、
「改作落語」のスペシャリスト=談笑師匠にしか表現できないものかも。
他の落語家さんの多くは、結局、
「古典+オリジナリティ」で客を満足させてしてしまうものね。
そのこと自体は悪いことではないと思うけど、
この表現の仕方というかアプローチは、やっぱり、
「改作落語」を究めた談笑師匠にしかできないことだと感じます。

そのまま二席目、『天災』。
談笑師匠の『天災』は、談笑ワールド炸裂の一席です。
現代社会における価値観の対立構図をそのままに表現していて、
あっちに傾いたり、そっちに傾いたり、
「教えてくれる落語」じゃなくて「考えさせられる落語」だよなあ。
だからといって難しい噺ではなく、プロレス技も炸裂するなど(笑)、
エンターテインメント性に満ちあふれた作品。


★談笑 『うどんや』
仲入り後は、『中の舞』の出囃子で登場。
「『中の舞』を使ってみましたが、なんてことのない噺を」。
そうして始まったのは、5代目小さん師匠の十八番にして、
談志師匠は演じることのなかった『うどんや』です。
“ザ・柳家”な噺を談笑師匠がどうぶっ壊すのか気になりましたが、
サゲ以外は(笑)、だいぶオーソドックスな演出。
これがまた、『ぞろぞろ』同様に面白いんだよなあ。
主人公の“うどん屋”の悲哀を重点的に描くのかと初めは邪推したけど、
噺が進んでみると、そっちじゃなく
“酔っ払い”のさびしさが過不足なく浮き上がってくる感じになりました。
大きすぎず、小さすぎず、この季節にピッタリの嬉しい一席。



――「改作落語」のスペシャリストである談笑師匠は、
これまでに「破壊と創造」を究めてきました。
個人的には、滑稽噺としては『イラサリマケー』(または『居酒屋・改』)、
人情噺としては『子別れ(昭和Ver.)』がその最高傑作だと思います。

しかし、「改作落語」に留まる談笑師匠ではなかった。
やもすると過激さばかりが注目されていく
これまでのスタイルから“脱皮”して、
古典落語そのものの面白さを談笑流に“あたため直す”段階に入ったのです。
それは「回帰」ではなく「進化」とでも呼ぶべきもの。
「改作落語」を究めた談笑師匠だからこそできる「古典落語」が、
今日の高座にはありました。

「改作派」とか「正統派」とか「本格派」とかを超えた、
もっと本質的な「落語」の楽しさ、面白さを表現するために。
「談笑落語」、新たな歴史の幕開けです。

私はこれまでも談笑師匠のファンでしたが、
やはりこれからも談笑師匠のファンでありたい。
今後、談笑師匠の「超(スーパー)古典」が見られることを思うと、
談笑師匠と同時代に生まれたことの喜びを抱かざるを得ません。


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2013年01月18日

「愛と科学」の『フランケンウィニー』


ティム・バートン監督のアニメ映画
『フランケンウィニー』(2D 字幕版)を観てきました。

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全体的にどこか不気味で、でもどこかキュートで、
モンスター映画やパニック映画、
そしてなにより『フランケンシュタイン』へのオマージュが
ふんだんに詰め込まれている、とっても面白い作品でした!



 <あらすじ>

小さな街“ニュー・オランダ”に住む少年・ヴィクターには
友達はいなかったが、“スパーキー”という名の愛犬がいた。
しかしある日、スパーキーは不慮の死を遂げてしまう。
悲しみに打ちひしがれるヴィクター。
学校の化学教師から「電気を通せば筋肉は動く」と
教えられたヴィクターは、ある雷雨の晩、
スパーキーに雷の電気を通し、蘇えらせることに成功する。
しかし、そのことが意地汚い同級生にバレてしまい――。

(以下の文章はネタバレを含みます!)



ティム・バートン監督が1984年に製作した短編実写映画を
監督自らが2012年に“蘇生”し、このアニメ作品が生まれました。
「キャラクターの名前が怪奇映画関連」「全篇モノクロ」など、
脚本面でも演出面でも、キャラクターの造形の面でも、
上質な『フランケンシュタイン』のオマージュ作品となっています。
そのため、ちょっとしたホラー要素もある。

主人公・ヴィクターのお父さん役は、
アメリカが誇る名コメディアン:マーティン・ショート。
私はこの人の声が聴きたくて字幕版を選びました(笑)。
お母さん役は、『ホーム・アローン』のキャサリン・オハラ。
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』ではサリー役でしたね。
隣家の少女・エルザ役は、
ティム・バートンの元恋人でもあるウィノナ・ライダー。
重要な役どころである化学教師役は、
ティム・バートン監督の映画『エド・ウッド』で
ベラ・ルゴシ役を演じたマーティン・ランドーが担当しています。



印象的な場面をいくつか挙げると――

◆「明日の朝には……」
スパーキーが死んでしまった晩、お母さんがヴィクターに
「スパーキーは心の中に生き続けるわ。
 明日の朝には、あなたの気持ちもきっと落ち着いているわ」と
話しかけて慰める場面があります。
続いてヴィクターの悲しい表情が大きく映し出され、
ヴィクターの姿形だけを残して、背景が次々と変わっていく。
次の日の朝食風景へと、学校での授業風景へと――。
結局、「明日の朝」になっても
ヴィクターの気持ちは改善されなかったのですね。
愛するペット(家族)を失った者の“引きずる”心情が、
華麗なる映画テクニックで表現されていきます。

◆スパーキーとペルセポネ
生前のスパーキーと仲の良かった
隣の家のメス犬(“ペルセポネ・ヴァン・ヘルシング”)が、
スパーキーが死んだ次の日あたりに
スパーキーの家にボールを蹴り入れるシーンも印象的です。
スパーキーはもういないので、
当然のことながらボールは蹴り返されてこない。
スパーキーが生きていたころは、
庭と庭のあいだで“キャッチボール”していたのにね。
ボールが返ってこないことに「不思議」な感情を抱くペルセポネ。
ピュアな犬なので、「悲しみ」の一歩手前の感情です。
だから、スパーキーが蘇った時、ペルセポネは
「あ、生きてたんだね!」という単純なリアクションをします。

◆「なんかいけないこと」
そしてヴィクターは、スパーキーを“蘇生”させる計画を
お父さんやお母さんには打ち明けず、
コソコソ隠れながら独力でスパーキーを“蘇生”します。
「なんかいけないことをやっている」という自覚があるのです。
だから、見事にスパーキーが蘇った後も、
お父さんやお母さんにはバレないように
パーソナルスペースの屋根裏にスパーキーを隠し続ける。
ヴィクターが、スパーキーを甦らせることに一種の罪悪感を
“無意識に”抱いているというのが、この映画のポイントです。
別に「死者を蘇らすのはダメだ」と教育されているわけではない。
しかし、それが「なんかいけないこと」だと
少年ヴィクターは無意識に感じ取ってしまっている。
この作品の「科学への姿勢」を表す、実に興味深いところです。

◆モンスター映画へのオマージュ
やがて、同級生たちに
ヴィクターがスパーキーを蘇らせたということがバレて、
同級生たちが功名心から「蘇生実験」を真似し始めます。
その際、“変なモンスター”が次々に出てくるのも楽しい。
SFパニック映画、怪奇映画への素晴らしいオマージュです。

◆“自分の墓”の上で眠るスパーキー
極め付けは、蘇ったスパーキーが“自分の墓”の上で眠るシーン。
怖ろしいほど芸術的というか、哲学的というか、
「うわぁ!」となっちゃうカットではありませんか!
思わず、「スゴい画を見てしまったなあ」と感じました。
あれは、スパーキーが人間でもゾウでも猫でもなく、
犬であったからこそ成立したシーンではないでしょうか。



――この映画は、いわば「愛と科学」の映画。
「@愛とA科学」ではなく、
「愛×科学」(愛と科学の関係性)を描いた映画です。

ティム・バートン監督の“科学観”そのものは、
劇中に登場する化学教師が代弁しているものと思われます。
いわく、「科学自体は良いものでも悪いものでもない。
 良いほうにも悪いほうにも利用できるだけだ」
「その実験に『愛』は備わっていたか?」などなど。
当たり前のことだけど、科学は科学にすぎず、
科学以上のものでも科学以下のものでもないわけですね。



文明が発展し成熟するにつれ、
科学と倫理は常にセットで語られるようになりました。
「科学は何をどこまでやってしまってよいのか」
という問いを人類は自ら設け、自ら悩み続けています。
日夜、科学の限界を突破し続けておきながら、
科学に限界が来ることを願っているようにも見受けられます。

だからこそ、スパーキーが「2度目の死」を迎えた後、
ヴィクターが「もう蘇らなくて大丈夫だよ。
 君は僕の心の中で生き続けるから……」と
スパーキーに語りかけた瞬間、
スパーキーがまた蘇ってしまうというラストは、
実に皮肉めいた“ハッピーエンド”でありました。

(もっとも、このラストは1984年版を踏襲したもので、
 「皮肉」として用意された結末ではなく
 少年時代のバートン監督の安らぎを反映したものだけど。)

――“重大なテーマ”を、あくまでも
エンターテインメントとして表現する『フランケンウィニー』。
見ているだけでなんかワクワクしちゃうような、
ティム・バートン監督の魅力がたっぷり詰まった映画です。
それにしても、スパーキーが本当に可愛いんだよなぁ……。


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映画パンフレットの裏表紙。

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2013年01月12日

あんたはエライ! 『小松政夫vsコロッケ これでいいのかニッポン!?』


今日は、北千住・シアター1010で
『小松政夫vsコロッケ これでいいのかニッポン!?』を観てきました。

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日本喜劇人協会の第10代会長でもある小松政夫さん。
生まれた年の関係によりリアルタイムでは存じ上げませんが、
“伊東四朗&小松政夫”コンビの『電線音頭』は
神々しき聖なるコント(?)として、私の心の中で輝き続けています。

だって、『電線音頭』のコントって……
番組内で普通にミニドラマやっている最中に、何の脈略もなく
“ベンジャミン伊東”と“小松与太八左衛門”が登場し、
コタツの上で踊りだす……、という謎の儀式(?)なんだもの。
歌詞は冒頭から意味不明。コタツの上で踊る必然性もなし。
伊東さんは周りの人たちを囃し立てておきながら、
いざ周りが盛り上がると「うるさい、静かにしろ!」と逆ギレする
(←いや、うるさくさせたのはアンタだろ……)。

デンセンマンとは何者なのか。そもそも『電線音頭』を踊る目的とは。
「これは何なのです? 結局、何がしたいのです?」という時間が続く。
もう、シュール以外のなにものでもありません。
それなのに、収録スタジオのみなさんは大盛り上がりという……。
――このキ×ガイじみた狂気の笑いこそが、私の愛すべき笑いです(笑)。

(2:22頃〜 本編)



前置きが長くなってしまいました。

最近、小松さんは
ものまねタレントのコロッケさんとよく組まれているそうです。
正直、コロッケさんにはほとんど興味がない私ですが、
“小松の親分”はマイ☆ボス・マイ☆ヒーロー。
愛する小松さんを観に、北千住(≠北朝鮮)まで行ってきましたよ!

舞台は、意外にも演劇スタイルで進行されていきました。
新人芸人・メンチカツオ(コロッケ)が
ワイドショーのコーナーにゲスト出演することになり、
テレビ局の控室でベテラン芸人・小松原政夫(小松)と談義する。
その中で、小松さんの往年のギャグ(淀川長治モノマネ含む)や
コロッケさんのものまねが連発されていくというスタイルです。
まさか開演5分で
「ワリーネ、ワリーネ、ワリーネ・デートリッヒ」が出るとは!
出し惜しみゼロ。“しらけ鳥”は何度も飛び立っていた(涙)。

小松さんの『電線音頭』があったり、
お二人によるAKB48ダンスがあったりと小ネタが盛り沢山でしたが、
全体的な濃度としてはちょっと消化不良を覚えたかな?
でも、アンコールでの小松さんの
「やっぱり私は、生でお客さんを楽しませることが大好きで、
 いい年齢(トシ)したオヤジたちが
 ふざけたことを真剣にやっている姿を若い人にも見てほしい」
といったお言葉には感激させられました。

繰り出されるプレミアム・ギャグの数々と、
自分が興味のない話題は露骨にスルーする姿勢(笑)、
そして、頭の回転が速く、
観客対応を含め、何事にも一切自己を動じさせない姿勢。
“小松の親分さん”は雲の上すぎる存在だなあ〜。
返す返すも、「あんたはエライ!」。



<おまけ>

疲れた時にこの曲を聴くと、頭がおかしくなって癒されます。
作詞・作曲:小松政夫。放りっぱなしのナンセンス。
一つの動画の中に、君はツッコみどころをいくつ見つけられるかな!?


……何が「イエ〜〜〜イ!」なんだか(笑)。
posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
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