2012年11月30日

シリアスすぎず、淡白でもなく 一之輔流『富久』は心地よい


今日は、池袋演芸場 十一月下席 昼の部 へ行ってきました。

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 <本日の番組>

開口一番:(前座) 春風亭一力 『牛ほめ』
落語:春風亭一左 『真田小僧』
落語:春風亭柳朝 『黄金の大黒』
落語:桃月庵白酒 『新版三十石』
奇術:花島世津子
落語:橘家圓太郎 『短命』
落語:柳家小満ん 『時そば』

 〜お仲入り〜

落語:春風亭朝也 『干物箱』
落語:春風亭一朝 『尻餅』
ギター漫談:ペペ桜井
落語:(主任) 春風亭一之輔 『富久』



★一力 『牛ほめ』
一朝門下の前座、一力さん。
池袋11月下席は、「一蔵」で二ツ目に昇進した朝呂久さん以外、
一朝一門の落語家さんが勢揃いするという芝居でした。
声も大きく、聴き取りやすく、のんびりとした『牛ほめ』です。

★一左 『真田小僧』
こちらも一朝門下の一左さん。二ツ目です。
「平和な家庭に波風を立たせ」ようとする金坊に
お父さんも感化されておかみさんにねだってしまう、というような演出。
別に「真田」は出てきませんでした。

★柳朝 『黄金の大黒』
古典に忠実なギャグで笑いをつかみながらも
ところどころに“柳朝流クスグリ”を入れてきて、
柳朝師匠の幅の広さと奥深さには、毎度のことながら驚かされます。
「これからみんなで吞もう……」といった雰囲気のところでサゲました。

★白酒 『新版三十石』
白酒師匠の毒舌にはいつも心癒されます(?)。
「地方限定落語家」に関するマクラの後、
訛りに訛った浪曲師“小沼猫造”が登場する爆笑落語『新版三十石』へ。
ほんッと、面白いなあ。
ズーズー弁の『森の石松』、通しで一遍聴いてみたいものです(笑)。

★世津子
正装(?)の黒ドレスで登場。
実は、私の本日のお目当ては世津子先生だったりします。
最近、あまり寄席の高座にはお出になっていなかった世津子先生ですが、
もう、私は世津子先生が大々々好きで、本日、
相変わらずの「今日、調子いいみたい」「もう、大成功!」が聴けて満足。
「……日経(新聞)か……」のギャグも大好きなのですが、
本日はカードを使ったマジックが中心でした。
ああ……、もっともっと世津子先生の高座が観たいんだが……。
(でも、「青いポンポンと赤いポンポンが……」の手品は見れたよ!)

★圓太郎 『短命』
圓太郎師匠の『短命』は初めて聴きましたが、
意外と“気付く”のが早い(持ち時間の関係もあるでしょうが)。
しかも、“気付いた”ことをセリフとか手の動きではなく
顔で表現するところが“圓太郎流”。

★小満ん 『時そば』
寄席の重鎮、小満ん師匠。
どうして“名人”の食べるおそばは、
実際には目の前にない時でも、目の前に見えてしまうのでしょうか。
しかも、温かさや香りまで伝わってくるかのよう。
『時そば』という噺は、
「銭を誤魔化した」の部分をお客さんに説明しすぎると
なんだか品のない噺になってしまう。
その部分を、小満ん師匠は
「……あの、この部分、お分かりいただけますでしょうか」
といった具合に、上手〜く処理なさっていました。
情緒的に「二八そば」の説明は欲しくても、
「銭の誤魔化し」の説明は特別要らないんだよね。
やさしくて、あったかい小満ん師匠の『時そば』でした。

★朝也 『干物箱』
仲入り後は、一朝門下の二ツ目、朝也さんによる『干物箱』。
この芝居、本当に一朝一門勢揃いでございます。
若旦那の部屋で手紙を読んで、手紙にキレ始める“本屋の善公”。
すごく等身大の人物像でいいなあ。
落語を聴いていると、
笑いながらもこういうキャラクターから安心をもらう。

★一朝 『尻餅』
出ましたよ、「一朝一門寄席」(仮)のお師匠さんが!
演じたのは、『芝浜』と並ぶ“年の瀬落語”の名作(?)、『尻餅』。
ある意味、これほどバカバカしい噺もありません。
一人四役やっちゃう旦那さんと、それに付き合う女房。
傍から見るとマジキチ、でも本人たちは至って真面目。
バカバカしくも真面目に生きるって美しいネ……。

★ペペ桜井
ペペ桜井先生はトークもものすごく面白いのだけど、
ギターの演奏技術にいつも感心させられてしまう。
エルガーの『愛の挨拶』を聴いて、不覚にも涙がこぼれそうになりました
(マジ不覚だよ!)。
だけど、サラッと
「この曲は、エルガーが奥さんに向けて作ったラブソングなんですよね。
 ……だから、この曲を私が弾くと、私はエルガーと三角関係になっちゃう」
という、「その発想すごい!」というギャグが炸裂したおかげで、
涙は急速に引っ込みました。

★一之輔 『富久』
一之輔“師匠”にとって、2012年は、
抜擢されて真打に昇進し、これまで以上に
落語界の時代を担う人気者として注目を浴びた一年でした。
本日がこの芝居千秋楽。
本日、別に私は重たい噺が聴きたい気分ではなかったのですが、
一之輔師匠はやってくれましたよ、年の瀬の大ネタ『富久』を!
もう、これが、本当に「ブラヴォー!」とでも叫びたくなるような、
ものすごく上出来な『富久』だったのです。
主人公の幇間持ち=“久蔵”の喜怒哀楽を
シリアスになりすぎる一歩手前で表現していて、
聴いていて本当に心地よかった。
旦那の町が火事と聞いて、旦那の家に駆けつける久蔵。
そこで再び出入りを許されるが、
来訪客からの差し入れである熱燗に、ついつい手を出してしまう。
その時に、周りの者たちみんなが、久蔵を黙って見つめる――。
「もう、よしてくださいよ、みんなでこっち見ないで下さいよ」。
――この演出がたまらなく切なく、哀しく、儚かった。
でも、「どうだ、この演出。スゴいでしょ!」って見せ方ではなく……。
見れてよかった、見れたことを自慢できるような、
一之輔師匠のすばらしき高座でした。



――聴いている私にとっても、
これまで『富久』という噺は難しい噺でした。
“久蔵”という幇間持ちの哀しさをオーバーに描きすぎると、
この噺は、聴いていてあまりにも重苦しい噺になってしまう。
だけど、その部分をあっさり済ませたら、なんでもない噺になってしまう。
その加減というか、塩梅というか、さじ加減というかが、
あまりにも難しすぎる噺だな、と感じたのです。

昔々、談志師匠の『富久』(録音)には深く感激した私ですが、
正直なところ、現役の落語家さんがやる『富久』には、
「スゴさ」は抱きつつも、割り切れない気持ちを抱いてきました。
“腑に落ちる”『富久』になかなかめぐり逢えず、
「年末の風物詩」
ぐらいの意味合いしか見出すことができなかったのです。

しかし、今日の高座で、一之輔師匠は、
「劇的に」でもない、でも「淡々と」でもない、
一之輔師匠にしかできない『富久』をやってのけました。
その一之輔版『富久』が、私には、とってもとっても心地よかった。
一言でいえば、“私にフィットした”。



芸人の哀しみ。不幸に直面する衝撃。
周囲からの目線と自己のプライド。
そして、脆いのかもしれないけど、信じてみたい他者との関わり――。

これまで、私は『富久』という噺を、
“辛い経験をした人が救われる噺”だと思ってきました。
でも今日、この噺を聴いて感じたのは、
“辛い経験を(現在進行形で)している人の周りには、
 実は、たくさんの人たちがいるんだ”ということ。

「捨てる神あれば拾う神あり」以前に、意外にも自分の周りには、
自分が辛い思いをした時のための支えとなる
“つっかえ棒”のようなものが設置されている。
『富久』の“久蔵”みたいに
パニックになっている時にはそんなことに気付きはしないけど、
別に気付く必要すらなく(本当は気付けたらいいんだけどね)、
私たちには「生きる道」だけが残されている。



一之輔師匠の『富久』は、
私がこれまで聴いてきた『富久』の中で、一番よかった。
大げさでなく、
落語という芸能が好きで本当によかったと思わされました。

人間ドラマをより深刻に、より深刻にと表現することは、
かえって人間を馬鹿にすることになりやしないか。
かといって、それをただ淡白に表現したところで、
その空間には何が生まれ、何が残されるというだろう。
そんな長年の疑問を浮き彫りにすると同時に、見事に解消してくれた、
一之輔流『富久』でした。

……っていうか、ああ、もう、屁理屈は横に置いといて、
とにかく、実に幸せな時間であった!
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2012年11月28日

深い秋、おぼろ月夜、「圓蔵一門寄席」


今夜は、江戸川区総合文化センター 大ホールで開かれた
『八代目 橘家圓蔵を励ます会 平成二十四年度 総会
 第二十六回 圓蔵一門寄席』に行ってきました。

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 <本日の番組>

落語:月の家鏡太 『子ほめ』
落語:橘家富蔵 『大安売り』
チャンバラコント:サムライ日本
落語:鈴々舎馬風 『ひばりメドレー』

 〜お仲入り〜

落語:林家木久扇 『明るい選挙』
漫才:青空球児・好児
ご挨拶:橘家圓蔵
大喜利:圓蔵&直弟子一同



★鏡太 『子ほめ』
以前、寄席で拝見した際は、往年の圓蔵師匠を彷彿とさせるような、
メタ視点の効いたブラックな『猫の皿』をやっていらっしゃいました。
今夜の『子ほめ』は、
“色黒の番頭”を褒めたところで「冗談言っちゃいけねぇ」とサゲる、
『子ほめ(序)』とでも称うべきもの。
今夜の高座を聴く限りは、“正統派”の落語家といった印象です(笑)。
そういえば、ある口演録音で、30数年前の圓蔵師匠が
「『冗談言っちゃいけねえ』っていうサゲが
 私は一番好きなんですよ!」とおっしゃっていたのを思い出しました。

★富蔵 『大安売り』
弱くて弱くてたまらないお相撲さんが出てくる噺。
次から次へと、期待を裏切らずに「弱さの程」を示してくれます。
富蔵師匠のたしかな話芸に、大いに笑わされました。

★サムライ日本
トリオでのチャンバラコント。
刀を抜いたり、振り回したり、頭を叩いてドガチャガと。
テンポよき、ベテランのコント芸がそこにはありました。

★馬風 『ひばりメドレー』
病気休演の三遊亭圓歌師匠の代演として、馬風師匠が登場。
なでしこジャパンネタはもとより、
吉田沙保里選手の国民栄誉賞受賞、乱立する小政党など、
最新の時事ネタをぶちかます姿勢が素晴らしい!
そして、“ひばりチャンチャカチャン”的『ひばりメドレー』。
馬風師匠ならではの完成された一人芸です。

★木久扇 『明るい選挙』
仲入り後は、「総会」を挟み(江戸川区長の挨拶を含む……)、
木久扇師匠と“選挙”との関わりを
漫談風に一席モノとして仕立てたネタ『明るい選挙』へ。
談志師匠の選挙を手伝った際のエピソード、
石原慎太郎氏の応援演説にまつわるエピソード、
そして、彦六(8代目正蔵)師匠の応援演説エピソードなどを、
モノマネをふんだんに交えながら。
緻密に計算された話芸で爆笑をかっさらう木久扇師匠、カッコいい!

★球児・好児
「ゲロゲ〜ロ!」でおなじみ、球児・好児先生が膝代わりに登場。
とてもじゃないが活字にはできないような「芸能界の“カツラ”ネタ」、
そして「時代劇のセリフを逆から言ってみるネタ」。
コンビ歴40年を優に超えて、エネルギッシュ&パワフルな漫才。
いやはや、畏れ入ります……。

★圓蔵
前座代わりの鏡太さんによって高座に湯飲み茶碗が出され、
本日の主役、圓蔵師匠が登場。
お見かけしないうちに、ずいぶんとお痩せになりました。
「毎年、この会は天気には恵まれるんですよね」
「芸歴も50年を超えちゃって、自分でもナニ喋ってるかわからなくなる」
「今夜は自分の会だから、時間を気にせず喋れる……」とお話になった後、
「小噺を一つ!」と、こんな小噺(?)をお始めになられました。
男A「猫を拾ったんだよ」
男B「へえ、猫を拾ったの」
男A「猫をね、拾ったんだけどね」
男B「で、なんて鳴くの」
男A「この猫ね、『ワン』って鳴くんだよ」
男B「バカ言っちゃいけない! 猫は『ワン』とは鳴かない」
男A「いやね、鳴けばいいなと思ってね」
……談志師匠の“イリュージョン落語”を愛する私でも、
ちょっとついていけなかった。

「さあ、何の落語をしようかと、考えてはいるんですけどね……、
 たまに何言ってるか、自分でも分からなくなっちゃう。
 何でもリクエストおっしゃってください!」。
思わず客席から「『猫金』(『猫と金魚』)!」と
声をかけたくなる私でしたが、ここはグッと我慢。
かけてはいけないと感じてしまったのです。
楽屋に向かって「おーい、ネタ帖持ってきてくれ」と叫ぶ圓蔵師匠。

ちょうどそのタイミングで、下座から、
6代目月の家圓鏡師匠はじめ、(主に)直弟子のみなさんが一斉に登場。
圓鏡 「さあ、ここからは大喜利に参りましょう」
圓蔵 「(弟子たちに)ちょっと待ってくれよ、落語やらせてくれよ」
圓鏡 「師匠、大喜利に行きましょう、大喜利に」
圓蔵 「嫌だよ、落語やらせろよ……。(演目は)何がいい、何が?」

--- 圓蔵師匠の落語口演を“認め”ざるを得ない雰囲気に。 ---

お弟子さんのどなたか 「……師匠、私は『無精床』が好きです」
圓蔵 「…………。」
そして、おもむろに『無精床』を語り始めた圓蔵師匠。
高座の上では、圓蔵師匠を7人のお弟子さんたちが囲んでいます。

――お弟子さんによる
「師匠、私は『無精床』が好きです」という発言を耳にして、
私は少し悲しくなりました。
たしかに、『無精床』という噺は、
圓蔵師匠にとっては若手時代からの得意ネタです。
それと同時に、ここ1〜2年、圓蔵師匠が頻繁に高座にかけたネタ――、
というか、この1〜2年、高座において
圓蔵師匠はほとんど『無精床』しかかけませんでした。
何かこだわりがあって『無精床』ばかりかけてきたのか、
それとも、『無精床』は体力をあまり使わないネタだから……。

私は、この1〜2年の圓蔵師匠が『無精床』に“こだわった”、
あるいは“こだわらざるを得なかった”理由を知りません。
しかし、私はこれだけは断言できます。
「圓蔵師匠は、いつも、漫談で降りようとせずに“落語”にこだわった」
「“落語”=“噺”を演じることにこだわった」。
その姿勢は、この1〜2年、寄席の高座で、
圓蔵師匠の『無精床』を何度聴いても感じたことです。
こればかりは、私の目に狂いはないと断言させてもらいます。

結局、今日の『無精床』は、
「床屋の親方が客の顔に熱々のタオルをかけて、客がアッと驚く」
というワンシーンを演じただけで終わってしまいました。
私は、『無精床』のサワリでもサゲでもない、
途中のワンカットだけが突然演じられたことに驚くと同時に、
あれほどにまで“噺”を演じることにこだわった圓蔵師匠が、
このワンカットを演じるのみで『無精床』を
中断せざるを得なくなった状況に衝撃を受けました。
これが、一人の芸人が、芸人として生き切るということなんだ――。

★大喜利
その流れのまま、
総領弟子の6代目月の家圓鏡師匠、橘家半蔵師匠、橘家富蔵師匠、
橘家蔵之助師匠ら合計7人の(主に)直弟子のみなさんが、
圓蔵師匠とともに、客席からの「なぞかけ」に応じます。
お弟子さん一同がそれぞれのカラフルなお着物を身にまとい
ズラッと並んだ光景は、実に美しい光景でありました。

客席から見て圓蔵師匠の右隣には、蔵之助師匠。
圓蔵師匠は蔵之助師匠の着物の袖を時折引っ張っていて(?)、
蔵之助師匠はお師匠さんに
「師匠、袖を破こうとしないでくださいよ!」とツッコんでおられました。
弟子から師匠への“芸人であるからこそ”のこのツッコミにも、
思わず、何か胸に感じるものを抱かざるを得ませんでした。

印象的だったのは、ある客からの難しい“お題”に対して、
圓鏡師匠が「それは却下」みたいなことを言って
本当にスルーしようとした時、圓蔵師匠が
「ダメだよ、何でも答えなきゃ!」とマジな顔でおっしゃっていた場面。
この一言に、圓蔵師匠の芸人としての本質を垣間見たような気がします。



――正直、今日の「感想」をブログに書くべきかどうか、数日悩みました
(なので、このエントリは公演数日後に掲載しています)。
プログラムでは、当初から、
圓蔵師匠の割り当ては「落語」ではなく「ご挨拶」となっていました。
しかし、圓蔵師匠は、
「ご挨拶」なんかじゃなく「落語」をやろうとしていた。
そのことだけでも、私はこのブログで記録に残しておきたいと思います。

「何をやろうか考えてるんですけどね……、
 何か、リクエストあればおっしゃってください」。
圓蔵師匠が高座でそうおっしゃった時、
客席の誰も、圓蔵師匠にリクエストのかけ声をしなかった。

あの時、私が客席から「『猫金』!」と叫んでいたら、
圓蔵師匠は『猫と金魚』をやってくれたでしょうか。
それとも、仮にやってくれたとしても、
大変に酷な表現ですが、“グダグダ”になっていたでしょうか。
この1〜2年、あれほどにまで演じ続けた
(あるいは、演じ続けざるを得なかった)『無精床』でさえ、
今夜の高座ではあのような調子だったのだから……。

声をかけなくて、結果、よかったんだ。
この文章を書いている今は、そう思うことにしています。



私は、8代目橘家圓蔵師匠ほどにまで
「笑い」という側面から落語に迫った落語家を、他に知りません。
新幹線レベル、いや“TGV”レベルのハイスピードで、
天才にしか発想することが許されないギャグが飛び出してくる。
次から次へと飛び出してくる。
どこからどこまでが計算なのか、それともほぼ全篇アドリブなのか――。
まあ、いずれにせよ「天才」ですね。

江戸川区総合文化センターから新小岩駅までの帰り道、
一人歩きながら、色んなことを考えました。
ファンの想い。お弟子さんたちの想い。そして、師匠ご本人の想い――。
もう少しで涙がこぼれそうになった。

それで、『上を向いて歩こう』じゃないけど、
夜空を見上げてみたら、星は一つも出ていない。
現代の東京の夜の空、星が見えなくても別に不思議ではありません。

でも、今夜ばかりは
「ちくしょう、星が一つぐらい出ていてもいいじゃないか」と感じました。
一つでも出ていれば、その星に“願いを託す”と言わないまでも、
何らかの想いを重ね合わせることができたというのに……。
ちなみに、お月様は“ご出勤”で、優しいおぼろ月でござんした。


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2012年11月21日

“やさしさ”を抱えて、談志版『つるつる』 @一周忌特番


今年に入ってから、とある事情で、杉浦日向子さんの
うつくしく、やさしく、おろかなり ― 私の惚れた「江戸」』(ちくま文庫)
というエッセイ集を読みました。

元来、“座右の銘”というものをあまり持たない私ですが、
「うつくしく、やさしく、おろかなり」というフレーズには
ハッとさせられました。
杉浦さんは、この本の中で、江戸の時代に生きた人々のことを
「うつくしく、やさしく、おろかなり」と定義しているのですが、
この言葉はまさに落語の世界、
そしてそこに生きる者たちを言い表しているように感じます。



去る18日、BSフジで、立川談志師匠の一周忌記念番組が組まれ、
『つるつる』(2006年、国立演芸場にて収録)という古典落語が
(マクラなしではあるものの、一応)ノーカットで放送されました。

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『つるつる』の時代設定は、明治〜大正期、あるいは昭和初期。
古典落語におなじみのキャラクター、
“幇間=たいこもち”の一八(いっぱち)が主人公です。

一八は、芸者のお梅という女性に、3年も4年も惚れ続けています。
もうこれ以上片想いもしていられなくなって、
なんだか遠回りに、わかりやすく照れ隠ししながら“プロポーズ”。

そうしたら、意外にもお梅は「女房になっていいよ」と返事をする。
「『愛』や『恋』じゃなくて、
 私はお前さんという『人間』が好きなんだよ」
というお梅のセリフが、これまた泣かせるじゃありませんか!
ただし、この“婚約”には一つ条件があって、
「今晩、深夜2時に必ず迎えに来ておくれ。
 仮に1分でも遅れたら、この話はなかったことでよろしく」。

「大丈夫ですよ、必ず深夜2時に伺いますよ!」と応じ、
有頂天でお梅の部屋を出ていく一八。
しかし、将来を喜びながら道を歩いていると、
偶然、ご贔屓の大将に
「今晩、酒に付き合え!」と声をかけられてしまい……。



――私は、『つるつる』という噺は、
先代(8代目)桂文楽師匠の演じたものしか聴いたことがありません。
今日、あまり演り手のいない噺のような気がします
(もっとも、文楽師匠の持ちネタには、
 今日では滅多に高座にかけられない噺が少なくないですね……)。

文楽版『つるつる』は、『鰻の幇間』『幇間腹』よろしく、
最後には一八が失敗じって
「一八は可哀想だねぇ〜!チャンチャン!」
みたいな仕上がりとなっております
(超いい加減な解説で申し訳ありませんが)。
もちろん、そこでは幇間の哀しさも描かれてはいるのですが……
“救いのない噺”と言われればそれまでです。



談志師匠は、
「たまには一八を幸せにしてやってもいいじゃねえか」と考え、
この『つるつる』という噺に独自の解釈を織り込みました。
そのため、サゲ……というより、結末そのものが大幅に変更されています。

談志版『つるつる』を聴いた時に私の脳裏に浮かんだのが、冒頭の
「うつくしく、やさしく、おろかなり」というフレーズでした。
文楽版『つるつる』に文句を言おうなどというのは愚の骨頂ですが
(天国の安藤鶴夫先生に呪い殺されてしまいます)、
しかし、誰が何と言おうと、
私は文楽版『つるつる』よりも談志版『つるつる』のほうが好き。

なぜなら、談志版『つるつる』では、
「『色』や『恋』を超えた約束」という“うつくしさ”、
「一八の芸人としての哀しみ」「酔って寝ちゃう」という“おろかさ”、
そして、
「それだけじゃあ、一八があんまりじゃないか」という“やさしさ”が
溢れんばかりに表現されているからです。



「古典落語の完成形」とでも称すべき“文楽落語”と比較すると、
談志版『つるつる』(2006年)は、
途中、言葉がつっかえるし、淀みない語り口でもないし、
「上手いッ!緻密なる名人芸ッ!」と評されるような高座ではありません。
しかし、私は、家元演ずるこの一八が愛しくてたまらず、
“やさしさ”の演出一点をもって、
個人的に文楽版『つるつる』よりも談志版『つるつる』を好むのです。

単に幇間を演らせたら、
談志師匠よりも“上手い”落語家はいるでしょう。
“上手い”という判断基準に縛らなくても、
現に、当代(8代目)橘家圓蔵師匠が演じる幇間は絶品です。
しかし、談志流アレンジがなされた『つるつる』での
あの一八は、談志師匠にしか演れない一八。
ふと、「8代目春風亭柳枝師匠(1959年没)でもハマるかも?」
などと思いましたが、
それだと“うつくしく”が強くなりすぎるかもしれない……。

“うつくしく”と“やさしく”と“おろかなり”が絶妙にマッチし、
ハッピーエンドだとは確定させないまでも、
従来の『つるつる』が背負ってきた消化不良な気持ちを、
じんわりと、あたたかく解決してくれる。
それが、談志版『つるつる』なのです。



誰よりも落語のことを愛し、誰よりも落語のことを考え、
誰よりも落語の、そして人間の本質に迫った芸術家、5代目立川談志。
あの日から一年。
まだまだ――
――いや、ますます、“家元”立川談志はファンを虜にし続けています。

家元の『つるつる』は、2012年11月現在、三席がDVD化されています。
立川談志 ひとり会 第二期 落語ライブ'94~'95 DVD-BOX (1995年8月9日収録)
立川談志 古典落語特選 DVD-BOX (2001年7月23日収録)
談志大全(上) DVD-BOX (2006年11月13日収録)

また、「読む落語」として書籍化もされています。
談志の落語 六 (静山社文庫)

※私は竹書房の回し者でもなければ、静山社の回し者でもありません……。
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