2012年01月25日

マンガを読むような面白さ… “笑い”にこだわる「昇々落語」


今日は、なかの芸能小劇場で開かれた
『第三回 春風亭昇々ひとり会』へ行ってきました。
(「今日は」とか書いておきながら、数日後に書いております。)

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昨年(2011年)、二ツ目に昇進した
春風亭昇太師匠の一番弟子=昇々さんの独演会です。

昨年9月の『第二回』は
台風直撃&都市交通マヒで伺えなかったのですが、
そのリベンジ(?)の意味も込めて、行ってまいりました。



本日の番組


落語:春風亭昇々 『パンダ先輩』
落語:春風亭昇々 『生徒と先生』
落語:瀧川鯉八 『暴れ牛奇譚』
落語:春風亭昇々 『別れ話』

〜お仲入り〜

落語:春風亭昇々 『お見立て』



★昇々 『パンダ先輩』
普段からボーっとした性格だという昇々さん。
自宅に鍵をかけ忘れて出かけてしまったというエピソードから、
中国から日本へ行くことになった“後輩パンダ”が
過去に日本で人気者となった経歴を持つ“先輩パンダ”に
「閉鎖的な社会の日本」でどう生きていくべきかを尋ねる新作落語へ。
着ぐるみじゃない動物そのものが主人公の落語って、なかなか珍しい。
前足を2本とも上げるパンダの姿が、
なんともふざけていて可愛かったです。

★昇々 『生徒と先生』
子どものころから一人でいるのが好きだったという昇々さん。
そんな性格を活かして(?)作られたのがこの新作落語です。
これまで聴いた昇々さんの新作落語の中で、
私はこれが一番好きかもしれない。
本当は気が弱いのに強がってる引きこもり男子高校生を演じさせたら、
昇々さんの右に出る者はいません!

★鯉八 『暴れ牛奇譚』
本日のゲスト=鯉八さんが登場、
ディスカバリーチャンネルの番組紹介マクラから、自作の新作落語へ。
これがまた、鯉八さんの独特なしゃべり方も相まって、
実に面白かった!
「副長老」「暴れ牛」「生け贄」などの語句で
終始シュールな世界が広がる中、
スゴいところを突くようなギャグが刺さってきます。
あまりにも面白くて、不思議な気持ちになりました。

★昇々 『別れ話』
まるで新作落語の会みたいになってしまったが、
新作を作ることが自分の一つの使命のようなものだと話す昇々さん。
大変素晴らしい決意だと思います。
これまで女性より男性に好かれることが多かったというマクラの後、
女性のストーカーが元カレの男性に付きまとう新作落語『別れ話』へ。
これも、『生徒と先生』と並んで「昇々落語」の傑作だと思います。
一途すぎる女性の挙動不審行為に、客席のこちら側も笑い戸惑いながら、
最終的にはきっちり楽しませていただきました。

★昇々 『お見立て』
仲入り後は、
古典落語をやるということで黒紋付きにて登場の昇々さん。
吉原の噺=『お見立て』を高座にかけました。
今夜がネタおろしということですが、
昇々さんの魅力がものすごく引き出された、
完成度の高い高座だったと思います。
この噺には、“喜瀬川花魁(いい加減な女)”と
“喜助(神経質な男)”と
“木兵衛(どこか抜けている田舎のお大尽)”
の3人が出てきますが、その三者三様のキャラクターを、
昇々さんは見事に自分のものにしていました。
笑える吉原の噺として、
昇々さんはこの噺のあり方をきっちり表現しています。



――設定のおかしさで魅せる新作にしても、
古典に結構忠実な古典にしても、
昇々さんは「キャラクター性」を強調して、
面白い高座を展開しています。
これは褒め言葉ですが、“マンガを読んでいるかのような落語”。
途中、「え?」「ん?」という
不思議な印象を与えることで客席を惹き付け、
演者と観客のあいだに和やかな一体感をもたらしてくれます。

そしてなにより素晴らしいのは、
昇々さんの高座がずーっと明るいこと!
(照明がよく当たっているという意味ではありません。)
現実の小さな悩み事なんか吹き飛ばすような明るさで、
終始、楽しい高座を貫いてくれるのです。
昇々さんが「笑い」を前面に押し出している点も、
本当にスゴいことです。
「笑い」にこだわり続けることは、
技術面はもとより精神面で大変なことだもの。

本日の演目を見ても分かる通り、
昇々さんは新作落語に力を入れています。
私が昇々さんの落語を初めて見たのは、一昨年(2010年)のこと。
場所は今日と同じ、
なかの芸小での『せめ達磨』(新作落語の会)です。
この時はまだ前座さんでしたが、新作落語をやっておられました。
昇々さんは前座時分からずっと、
自作の新作落語に努めているわけですが、私が見る度に、
昇々さんの新作落語はグレードアップしているように感じます。
きょう見た新作落語にしても、本当に笑える面白いものでした。

もはや「昇々落語」とでも称うべき
新作落語の世界を切り拓いた昇々さん。
「昇々落語」でのキャラクター表現が、
古典落語にも十分に活かされています。
「笑い」にこだわり、明るく楽しませることに特化した落語――。
さらなる昇々さんの挑戦を、
これからも楽しませていただくつもりです。

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2012年01月13日

談笑版『鰻の幇間』には、“美味い鰻”と“救い”がある


今日は、北沢タウンホールで毎月開かれている
『月刊談笑 1月号』へ行ってきました。

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ごとにテーマが設定されている、
立川談笑師匠の独演会シリーズです。
“今月号”のテーマは「幇間(ほうかん)の悲劇」でした。

「幇間」とは、今や絶滅危惧種となった“たいこもち”のこと。
「幇間」と書いて「たいこ」と読んだりもします。
お座敷で旦那や若旦那をヨイショする芸人のことですが、
21世紀の日本では、
落語の世界の中でしかまずお目にかかることはできません。

落語の中ではヒドい目に遭わされてばかりいる幇間
(噺の中では、なぜか名前は決まって「一八」ですね)の
悲喜こもごもが、談笑流に味付けされた一夜でした。



 <本日の番組>

開口一番:(前座) 立川吉笑 『狸の恩返しすぎ』
落語:立川談笑 『山号寺号』
落語:立川談笑 『たいこ腹』
落語:立川談笑 『愛宕山』

 〜お仲入り〜

落語:立川談笑 『鰻の幇間』
別冊付録 『談笑に訊け!』:立川談笑 × 広瀬和生



★吉笑 『狸の恩返しすぎ』
開口一番は、談笑師匠の一番弟子=吉笑さん。
“改作派”代表選手の談笑師匠ですが、そのお弟子さんらしく、
前座噺の『狸の恩返し』をロジカルなウィットで改作しました。
これがもう、文句なしに面白かった!
途中までは「少し手を加えた『狸の恩返し』」なのですが、
後半からは、「恩返し」の気持ちが強すぎる狸が
「気遣い」「恩返し」の感情をエスカレートさせていきます。
吉笑さんの『恩返しすぎ』では、主人公の男は一度も
「札に化けてくれ」とは言いません。
それどころか、“札に化けた狸”を金貸しが貰っていこうとする時、
男に「それは偽札なんだよ!」というようなことを言わせています。
あくまでも「恩返し」は、狸側の自主的な善意によるものなのです。
だからこそ狸の「恩返し」が空回りしている様子が、もどかしくも可愛く、
『狸の札』を現代にも通用する物語にしているのです。
吉笑さんの「噺のテーマの再構築」にかける思いを感じる、
「前座“にしては”」とかではなく、純粋に面白いと思える落語でした。

★談笑 『山号寺号』
開口一番の吉笑さんを「面白いですね」と褒めつつ(笑)、
「本日3席の予定なのですが、4席やってもよいでしょうか?」ご提案。
もちろん、客席は揃って拍手。
事前プログラムにはなかった『山号寺号』を演ってくれました。
これも幇間が出てくる噺です。
「俥屋さん 広小路」にはじまり「談志さん 冥土の旅路」、
「白木屋さん 大火事」などに至るまで、とにかく
「――サン ――ジ」という語呂でギャグがどんどんと飛び出してきます。
談笑師匠が前座のころに改作したものだそうですが、
当時はこの『山号寺号・改』をやって楽屋に戻ると
「前座は面白いギャグを入れるな!」と先輩方から叱られたそうな。
その場でただ一人、談笑師匠のギャグ精神を評価してくれたのが
兄弟子の志らく師匠だったんだそうです。

★談笑 『たいこ腹』
続けて、幇間が出る代表的な噺ともいえる『たいこ腹』へ。
幇間の「一八」がへっついの中からニュ〜ッと登場したり、
天井からニュ〜ッと登場したりと、
江戸の絵巻物『百鬼夜行図』とつながるような気味の悪い演出!
(私のこの喩えが万人に通じるとは思えないけれども……)。
『たいこ腹』に登場する猫は、
主人公の「若旦那」に針を打たれてしまいます。
ここを演者さんによってどう描くかが
個人的には気になるポイントなのですが、
談笑版『たいこ腹』では、この猫は死んでしまいました……。
ちなみに談志版では、
猫は若旦那をひっかいて逃げていくという演出でしたね。

★談笑 『愛宕山』
途中、数秒だけ座布団の上を降り、舞台脇で水を飲む談笑師匠。
「『会場内では飲食禁止』と言っておきながら自分は飲む。
 どこか罪悪感を感じております」と触れてから、『愛宕山』へ。
談笑版『愛宕山』は、オーソドックスな古典の流れに忠実ながらも、
それぞれのキャラクターに現代性を感じさせる仕組みとなっています。
中でも、「一八」の後輩=「シゲ」の個性が豊かに表現されていて、
良い役どころでもないのに、「シゲ」に愛着が湧いてしまいました。

★談笑 『鰻の幇間』
仲入り後、マクラで
「私は、前座も面白くていいと思うんです」と語る談笑師匠
(もしかしたら、違う噺でのマクラだったかな?)。
本当に、私もまったくもってその通りだと思います。
前座だからといってウケちゃいけないということはないと思う。
「無個性」「無感情」が前座のデフォルトとされている状況は
客席のためになっていないから、結局演者のためにもならないような。
こう思うのは、私の思考回路が安直だからなのかもしれませんが、
談笑師匠が「前座も面白くていいと思う」と話してくれたのを聞いて、
「だから、談笑師匠は抜群のエンターテイナーなんだ」と確信しました。
それで、噺の本編=談笑流『鰻の幇間』ですが、
「イラサリマケー」な店員が働く某焼肉屋のような鰻屋が登場。
部屋にオシメが干される中、どぶろくのようなマッコリが出される中、
漬物のようなキムチが出される中、
片隅で在日韓国人の老人が眠る中、なぜか鰻だけは本寸法。美味い。
「池之端の『伊豆栄』並みに美味い」という台詞が、噺の伏線となります。
後半は古典のお決まり通りに“してやられてしまう”ワケですが、
「俺、これを過去にも何度もやられているんだよな〜」という
幇間のセリフが、爆笑と哀愁を誘いつつも、観客をサゲへと誘導。
『鰻の幇間』はこれまでただの悲劇にしか思えなかったのですが、
談笑版では、“幇間”と“旦那”の関係性が最後に明かされることで、
粗忽者としての幇間個人をも描き、見事な構成力を表していました。

★トーク 『談笑に訊け!』 談笑×広瀬
談笑師匠と、この会のプロデューサー=広瀬和生さんによるトーク。
『鰻の幇間』では、鰻の不味さが描写されることが多いのですが、
談笑師匠はあえて鰻だけは「美味い鰻」にしています。
これは、談笑師匠ご本人によると、
落語の世界の鰻が不当な扱いを受けていることへの
アンチテーゼ的な意思が込められているということなのだそうです
(……そのような言い回しではありませんでしたが)。
過去の「月例独演会」で披露したという
『鰻の幇間』〜『死神』のコンボは、ぜひ見てみたかったなあ。
談笑師匠は、論理性を用いて人間の感情を浮き彫りにするという、
とても高度でユニークな技術を使いこなせる落語家だと思います。
「野暮な話」としては、落語立川流の今後についてなど。
公式発表がそのうちあるのでそれまで待ってほしい、
色んな人が方々で喋ったら混乱が生じかねないから、ということでした。
ただ、談笑師匠の一番弟子=吉笑さんは、春の二ツ目昇進が決定。
世間では異例の“スピード昇進”と評されていますが、
「二ツ目が落語家のスタート地点」
「才能は早いうちから世に出してあげないと」という
談笑流哲学に基づいての判断です。
そしてこの判断は、
厳しい基準を持った談志家元の考え方とも実は共通しています。
「空気(とされているもの)」に反論を提示するためには
多くのエネルギーが必要だと思うけど、
ぜひ吉笑さんにはますます頑張ってもらいたい!



――というわけで、年が明けても相変わらず、
談笑師匠は破壊力抜群の高座を展開なさっていました。
トリネタの『鰻の幇間』は、最後にきちんと“救い”が用意されていて、
心地よい気分で帰宅の途につくことができました。

生まれる前から「落語ファン」である人なんていません。
バカバカしいほどに当たり前のことですが、
どんな落語ファンも、
生まれてから落語を聴いて「落語ファン」になります。
だから、まず最初に「落語って面白いじゃん!」と
思わせてくれる人がいないといけないのです。
そして、きっとそういう人こそが“真の実力”を持った落語家なのです。

「『上手いけどつまらない落語家』と、
 『下手だけど面白い落語家』だったら――」という話を
今日、談笑師匠はおっしゃっていましたが、
いま、私も同じことを感じています。
現代に通じるエンターテインメントであることは、
落語にとっての絶対的な必要条件なのではないでしょうか。
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2012年01月09日

明るく楽しく奥深い! “レビュー”満載の『ラ・カージュ・オ・フォール』


今日は、日生劇場で今月29日まで公演中の
『ラ・カージュ・オ・フォール 〜籠の中の道化たち〜』を観に行きました。

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この作品は、私が敬愛するジェリー・ハーマンが作詞・作曲を担当した
1983年初演(2004年・2010年リバイバル公演)の
ミュージカルコメディです。

日本では1985年に初演がなされ、2008年からは
鹿賀丈史さん&市村正親さんコンビで日本語訳版が上演されています。



主人公は、南フランスのゲイ劇場「ラ・カージュ・オ・フォール」で
支配人を務めるジョルジュ(鹿賀さん)と、
その“妻”=ザザ(市村さん)。
この劇場では、ザザを看板“女優”として、毎晩、
素敵な「レビュー」(歌やダンスによるショー)が展開されています。

ある日、ジョルジュと前妻とのあいだにできた息子=ジャン・ミシェルが、
とある女性と結婚したいと言い出しました。
そのとある女性というのが、
“ゲイ撲滅運動”の代表格・ダンドン議員の一人娘だというから、さあ大変!

「親子とは」「夫婦とは」「人生とは」という深刻になりがちなテーマを、
明るく楽しめる脚本と、華やかで馴染みやすい楽曲で仕上げているのが、
この『ラ・カージュ――』という傑作ミュージカルコメディです。



公演プログラムの中で、ジェリー・ハーマンの友人でもある歌手、
マイケル・ファインスタインが語っているように、
ジェリーは、一つのミュージカルの中で
何度か同じ楽曲(ナンバー)を繰り返しています。
これは、無駄に楽曲数だけ多い近年のミュージカルとは対照的に、
一曲一曲を観客の心に
深く刻みつける効果を持っていると言えるでしょう。

ジェリーが作ったナンバーの場合、一曲一曲の完成度がとても高いから、
それらが繰り返し使用されても舞台がマンネリ化するどころか
むしろミュージカルとしてのカラーを根強くすることに成功しています。
単に楽曲数が多いことと、
ミュージカルとして完成度が高いこととはまったくの無関係なのです。



今回の『ラ・カージュ――』では、
第一幕のラストを飾る
『ありのままの私(I Am What I Am)』が圧巻でした。
市村さん演じるザザがパフォーマンスするこの歌は、
同性愛者であろうとなかろうと、
すべての“生きる”人の胸を鷲掴みする歌です。

第一幕のオープニングとラスト、第二幕のフィナーレで展開される
ナイトクラブ「ラ・カージュ・オ・フォール」での「レビュー」パートは、
たくさんの女装ダンサーの歌と踊りであふれていて、
見ても聴いても明るく楽しく、見事なショーステージだったと思います。

「レビュー」はジェリーの“原点”ともいえるショースタイルですが、
その“原点”が、ジェリーの実質的なブロードウェイ“最終作”である
『ラ・カージュ――』の一つのテーマになっているのを見て、
ジェリーを尊敬するファンとしては、実に感慨深いものがありました。



しかし、あえて厳しいことを書かせていただくならば、
アマチュアの“日本語ミュージカル”制作者として思うのは、
やはり「ミュージカルナンバーの訳詞」について。
正確に意味を訳そうと努力なさっているのは大変よく判るのですが、
その思いが先行しすぎるあまり、
アクセントやイントネーションが崩壊しているナンバーもありました。

私は、アクセントが異常になっている日本語詞よりも
多少は意訳が過ぎている日本語詞を採用したほうが、
ミュージカルとしての完成度ははるかに高くなると考えています。
歌詞とメロディーがズレて違和感が先行してしまっては、
メッセージもエンターテインメントも成立するはずがありませんから。

もちろん、版権などの複雑な問題もあると思いますので
私ごときが適当なコメントをしても鼻で笑われるだけかもしれませんが、
「私だったらこう訳そう!」というのを頭のどこかに置きながら、
今日の舞台を見ていました。

これらの“日本語ミュージカル”ならではの課題をカヴァーする鹿賀さん、
市村さんたちキャストの歌唱力は「さすが」と言うほかありません。
議員夫人役=森公美子さんの“体を張った”演技も面白かったです。



――そんなわけで、最後は「日本語訳詞」について
少々厳しいことを書いてしまいましたが、
全体的には「超」が付くほど満足のミュージカルコメディでした。

20代からの盟友である鹿賀&市村コンビの息の合った演技、
真島茂樹さんをはじめとする“踊り子”たちの華麗な歌とダンス、
そしてなにより、
奥深くもエンターテインメント性あふれる脚本と音楽――。

新年一発目のミュージカルとして、
本当に素晴らしい作品を観させていただきました。
いま、私の頭の中では、ジェリー・ハーマンが作り出した
“哲学的で明るい世界”の楽曲たちがリプライズしています。






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プログラムにジェリーへのインタビューは収録されていませんでしたが、
ファインスタインが彼の病気について語っている箇所などがありました。
posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
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