2011年12月31日

2011年12月28日〜31日の日記


今年もまた、色々なことがありました。
きっと来年もまた、色々なことがあるのでしょう。

またこういう形式で日記を公開してみます。
これが最後かもしれないし、また次があるかもしれません。

今年もこのブログをお読みいただき、ありがとうございました。
どうぞよい年をお迎えください。



<12月28日(水)>

 ついでに歯科口腔外科で歯を診てもらう。
 一年間ぐらいずっと歯の痛みを感じていたが、レントゲンを撮ったら、歯が悪いのではなく口内の筋肉が痛んでいるのだという。
 なんでも典型的な「咬合性外傷」だそうで、ものを食べていない時でも私は歯を強く咬んでいるらしい。らしい、というのは本人の自覚がないままクセになってしまっているから。

 医師によると、普通の人は普段、上の歯と下の歯が2〜3mm離れている。しかし、私の場合はいつでも歯を食いしばっているから、口内の筋肉が痛んでしまったとのこと。
 これは治療で治るものではなく一生続くもので、口内の筋肉をマッサージし続ける必要があるそうだ。自分で口内マッサージしてみると、なるほど歯ではなく筋肉が痛かったんだとよく分かる。これからはあまり空気を咬まないようにしよう。

 夜、TOKYO MXで、楽しみにしていた家元の追悼特番。
 見事な内容の2時間だった。
 私の思い出に強く残る『談志・陳平の言いたい放だい』の名場面集、陳平先生と松岡慎太郎さんのトーク、そして2005年の年末にスタジオ収録された『芝浜』ノーカット版。

 6年前にも見たMXTV用の『芝浜』に、また会えた。
 個人的に思い入れのあるこの『芝浜』(MXTV版)だが、懐かしい気持ちではなく新鮮な印象を受ける。そう、死してなお、家元の落語は常に進化しており、常に新鮮なのだ。竹書房の『新鮮組』というアダルト雑誌で連載をなさっていたぐらいだし……。
 なぜか、「かん、かん、『感無量』っていうの? いやネ、さっき隠居さんに聴いて憶えちゃった」というセリフにウルッときてしまった。「ザ・幸福」じゃなく「さりげない幸せの風景」を感じる場面だったからかもしれない。



<12月29日(木)>

 休養。先生に良くしてもらう。

 8代目柳枝師匠の『王子の狐』を聴く。
 柳枝は、7代目も8代目も大好きだ。7代目柳枝師匠はSPレコードでの落語録音がたくさん残っている。昭和初期、それだけ人気者だったという証しだろう。伝説のコメディアン、泉和助先生も7代目の大ファンだったという(立川談志『現代落語論』より)。
 7代目の『恋わずらい』は『越後屋』の前半部分だが、『越後屋』自体、今や演る人がいない。私はこれを大胆に改編してこの前の欅祭で演ろうかと思っていたが、現実にはそこまで手が回らなかった。いつかは演りたい(作りたい)ネタである。

 「柳枝」と耳にしてもせいぜい8代目を思い出す人がほとんどだろうが、私は7代目のことをこよなく愛している。言葉選びのセンスを含めて、まるっきし赤の他人とは思えない。
 本名、渡辺金太郎。昭和16年没。この時代の人にしては音源が多く残っているほうだと思う。



<12月30日(木)>

 一日中休養。
 食欲旺盛、麻婆豆腐でも焼き鳥でもなんでも食べちゃう。体重計に乗るのが怖い。

 昨日の続きで、家元が演った『王子の狐』も聴いてみる。平成16年9月、『談志百席』第一期のために収録されたものだ。

 夜、BS-TBS『落語研究会』絡みでの家元追悼特番。
 若かりし日の家元による『鉄拐』、ほとんど家元しか演らなかったし、家元しか面白くできなかった噺だ。
 小遊三師匠の『六尺棒』は今年の正月初席で偶然見たが、小遊三師匠が前座時分、家元から習った噺だという。あとは、小さん・談志・小三治(当時:さん治)での三人落語『蒟蒻問答』。

 10時からは、TBSでたけしさんと鶴瓶さんの特番。第三弾。
 今回も家元のエピソードがあり、酔った家元が鶴瓶さんに抱きついている写真まで出てきた。
 ドラマ『タイガー&ドラゴン』の高座で、たけしさんが『野ざらし』を披露する。演らせてしまう鶴瓶さんもすごい。たけしさん、一人で隠れて稽古していたのがよく判る。生前、家元は一番好きな噺として「3代目柳好の『野ざらし』」を挙げていた。
 その柳好型をしっかりと継承しつつ、たけし流ギャグを入れての見事な『野ざらし』。いやはや、畏れ入った。

 やらなくちゃいけないことはいくらでもある。死んでもある。
 落ち着くのだけは御免だ。



<12月31日(土)>

 昨夜は、内藤陳さんの訃報を聴いてなかなか眠れなかった。
 エノケン(榎本健一)のことを「オヤジ」と呼んで慕っていた。演劇志向のコントを愛した人で、3人が演劇コントの基本人数だというのが持論、トリオ・ザ・パンチで活躍したコメディアンである。
 陳さんによると、オヤジ(エノケン)は「喜劇に悲劇はできるけど、悲劇に喜劇はできない」とよく言っていたという。金言だ。
 この時代のことを語れる最後のコメディアンが逝ってしまったのかもしれない。

 TBSラジオ所蔵、1990年収録の立川談志『文七元結』を聴く。
 家元は、吾妻橋の上でほとんど文七に喋らせない。それが、まるで映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のような幻覚要素を帯びていて、この噺を本格的にミステリアスでファンタジックなものにしていた。

 マイ“落語納め”にしたのは、家元の『やかん』(2007年収録)。
 先日発売された2枚組の自薦CDに収録されているものである。この一週間で3回ぐらい聴いているが、面白すぎてヤバい、という表現がピッタリくる。
 私自身、正直これまで『やかん』は“軽い噺”だと捉えていた節があったが、この家元の『やかん』を聴くと、これが「落語家・立川談志」の一つの到達点であり、集大成だったのだと思う。

 内藤陳さんは、一時期、泉和助先生(29日の日記にも登場)の弟子だった。
 その「和ッちゃん先生」が好きだったのが、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』のナンバー『運がよけりゃ(With a Little Bit of Luck)』である。
 1963年、今から48年前の『紅白歌合戦』には、立川澄人(立川は立川でも、落語立川流とは一切関係ない)が『運がよけりゃ』の訳詞版で出場している。

 運がよけりゃ 運がよけりゃ
 運がよけりゃ 思うままさ

 運がよけりゃ 運がよけりゃ
 運がよけりゃ 棚ボタだよ

 運がよけりゃ 運がよけりゃ
 幸せさ ご機嫌さ


posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 白黒日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |

2011年12月28日

よみがえった『談志・陳平の言いたい放だい』


今日は、TOKYO MX で放送された
『惜別!天才落語家 立川談志を偲ぶ』を見ました。

danchin_201112.jpg

世代的な関係で、紀伊國屋ホールでの『談志ひとり会』にも
『落語のピン』にも間に合わなかった私ですが、
2004年〜2008年に放送された、TOKYO MX の
『談志・陳平の言いたい放だい』は最初から最後まで見ていました。

そもそも、私にとって初めての本格的な「立川談志体験」は、
実は、落語でも著書でもなくて、この番組。
古参ファンからは冷たい視線を浴びてしまいそうですが、事実そうなのです。



今夜の2時間特番は、
『談志・陳平の言いたい放だい』名場面集、
野末陳平先生と松岡慎太郎さん(家元のご長男)のトーク、
そして、『芝浜』(2005年収録)のノーカット放送で構成されていました。

この『芝浜』は、2005年の大晦日に放送された
『談志・陳平の言いたい放だい 大みそかスペシャル』のために
スタジオ収録されたもので、スタジオ内に観客はいません。

この『芝浜』で、家元はカメラを意識しながら、
テレビの向こう側にいる視聴者に向けて落語を演じています。
よく「お客さんがいない会場で収録すると演者のノリが悪い」
「客なしスタジオでの落語収録は邪道だ」という意見も耳にしますが、
演者に実力があればそんなことはないということは、
この『芝浜』や『談志百席』を見れば(聴けば)、よく分かります。



6年前の大晦日にも見て、ビデオにも撮ったこの『芝浜』ですが、
懐かしさは一切感じませんでした。
むしろ、新鮮な印象を受けました。

家元の落語は常に進化し続けていましたから、
見る度、聴く度に私を新鮮な気持ちにさせるのですが、
それが「死してなお新鮮」だというのには、驚かされました。
“私の感受性の問題”?
それとも、他に何か理由があるのか――。

今日、このMXTV版『芝浜』を見て、最初にウルッとしたのは
噺の後半での「『感無量』っていうの?
 いや、さっきご隠居さんに教えてもらった言葉なんだけどね」
といったセリフ。
なぜかそこで涙ぐんでしまったのは、その場面から、
「ザ・幸福状態」ではなく
「ささやかな幸せの風景」を感じたからかもしれません。



それにしても、追悼特番がラジオ・テレビで続いています。

ニッポン放送の『よみがえる立川談志 その芸』(12月18日放送)は
橘家圓蔵師匠をゲストに招いて『談志・円鏡の歌謡合戦』傑作選を流したり、
未発表の『子別れ(上)』『らくだ』を流したりと、
聴き応えのある内容に仕上がっていたと思います。

CM明けジングルになぜか『オール・オブ・ミー』が使われていて、
個人的にとてもとても感激してしまいました。



長女、松岡弓子さんがお書きになった
ザッツ・ア・プレンティー 父・立川談志との最後の258日』(亜紀書房)は
まだ読んでいる途中ですが、家元の闘病記録が克明に記されていて、
家元が最期まで「立川談志」であり続けたことを証明しています。



そして、草柳俊一さんのキントトレコードからリリースされた
立川談志 公式追悼盤 家元自薦ベスト』は、本当に素晴らしい内容です。

ディスク2枚組で、それぞれに『やかん』と『天災』が収録されています。
『やかん』は2007年12月、『天災』は2008年2月に収録されたものですが、
どちらも家元にしか演れない、究極の「談志落語」とでも称うべきもの。

家元が亡くなってから、家元の落語はあまり聴きたくなかったのですが
(なんだか悲しくて怖い気持ちになってしまう気がしたので)、
「やっぱり聴いてみてよかった!」と思える『やかん』と『天災』でした。

一言でいうと、『やかん』も『天災』もあまりにも面白すぎて、
しかもその面白さというのが、
私の知的好奇心を強烈に刺激する面白さなのです。
『芝浜』のような人情噺だけに収まりきらない家元の魅力が
ものすごい迫力で伝わってくる『やかん』と『天災』だと感じます。



――正直、家元に関して私ごときが語るのは愚の骨頂で、
たぶん、正確に「立川談志」を評論できるのは家元本人しかいません。
ですから、家元本人が亡くなった今、
正確に「立川談志」を評論できる人はこの世に一人もいません。

ただ、それぞれに思い出はあります。
私の場合、それは『談志・陳平の言いたい放だい』で始まりました。

その番組で私が家元を大好きになった以上、
私の中で核心的な存在として生きている「立川談志」とは、
『言いたい放だい』で素敵なジョークを披露し、映画の魅力を心を込めて語り、
哲学的な視点で社会批評を貫いた人物のことなのです。

その人物を抜きに、「立川談志」は語れないのです。



posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 映画・TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |

2011年12月27日

2011年12月18日〜27日の日記


年の瀬も年の瀬。
いつもとは違った形式で、10日分の日記を公開します。

不都合な真実は書いてありません。



<12月18日(日)>

 H君と、日吉での慶應落研『自称!名人会』へ行く。
 ここの落研の名人会に行くのも、これで3年連続。私と慶應落研さんとは何の関係もないのに、こうやって秋の「三田祭」も冬の「名人会」も毎回行っているのは、自分自身でも謎。
 一言でいえば、それだけ惹き付けられる何かがあるのかもしれない。

 2年前の秋、私を本格的に落語好きにしてくれた、16代目三笑亭空巣さん。
 私と同学年だから、これで慶應落研から卒業ということになる。
 今日、空巣さんが演ったのは『文七元結』。ギャグ満載で、どんな噺も空巣さんだったらどう演出するんだろう、見てみたいと思える。
 馬綱さん『佃祭』、女遊さん『胴乱の幸助』。上手くて、楽しかった。
 トリのおさんさんは『夢金』。「寒いの、寒くないの――」。この人も大好きだ。面白かった。

 映像コント、生パフォーマンスもたくさん挟まり、一切飽きずに4時間弱。
 “自称”放送サークルは「番発」と称して何かやっているが、「番発」としても今日の慶應落研のほうがはるかに面白い。はるかに真面目だし、はるかに情熱的だ。しっかりしているというか、中学生と大学生ぐらいの差はある。言いすぎかね。

 帰途、H君「昨年より面白かったね」。
 私も総合的にそう思う。みなさん上手かった。上手かったので、面白かった。
 今日出演されたみなさん一人ひとり、落研を卒業してからも楽しみだ。



<12月19日(月)>

 2限、Y先生の授業はいつも10分ぐらい遅刻してしまうが、とても刺激的で面白い。
 この2週ぐらいはパレイゾンの解釈学をやっていて、芸術(表現)と解釈(鑑賞)の関係性について。
 パレイゾンと私は、脳ミソの出来は違っても肌感覚は同じようで、言っていることにほとんど納得できる。というより、「ああ、これこれ。これ昔、私も書いた」というようなことばかりだ。
 もしかしたら、パレイゾンもいつかどこかで表現者をやっていたのかもしれない。

 北朝鮮の総書記が亡くなった。
 ビン・ラディン、カダフィ、金正日、立川談志――。
 今年は独裁者が立て続けに死んでいく。



<12月20日(火)>

 空き時間が少しでもあると、情報図書館のAVルームへ行くようになった。
 死に際が近付いた猫は人前に現れなくなるという。
 私の場合、人前に出ると一種の躁状態になるから、その分、後で疲れが返ってくる。AVルームだと人に会わず、気を遣わないからいい。だけど、それは渡辺光義としては悪い。

 コリン・ファースが出てる『ロイヤル・セブンティーン』と、ウェス・アンダーソン監督の『ダージリン急行』を途中まで観る。
 『ロイヤル・セブンティーン』みたいな映画は、まったく頭を使わずに観られるので楽だ。
 楽なものがどんなにいいか。『レ・ミゼラブル』もやりすぎると嘘になる。

 『ダージリン急行』は過去に観た気がしていたが、まだ観ていなかった。
 遅いテンポに最初は少しイラついたが、すぐに慣れる。スローモーションの使い方の上手さ、カメラだけを意識した登場人物の配置、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』を思い出して懐かしくなる。
 後に授業が控えていなければ最後まで観ていられていたのだが、そっちが本分なのでしょうがない。



<12月21日(水)>

 今日は家元のお別れ会。時間の都合が合わないのをいいことに、行かなかった。
 森田芳光監督が亡くなったことを午前に知る。
 「今年死なないで、お前はいつ死ぬんだ?」と神様から言われているかのよう。

 夕方から新宿で、元ラジオ部同期生と忘年会。
 新宿にパルコなんてないのに、幹事のマリアちゃんから「新宿パルコ横に集合!」とのメールが届く。
 マリアちゃんの適当な仕切りを見て、私もここまでいい加減でいいのかもしれないと安心させられた(皮肉ではない)。

 途中から薄井も合流し、もう一度漫才でもしようかという話になる。
 できるかどうか分からない状態だというのは自分が一番よく分かっているはずなのに、どうして私はそんなことを言うのだろう。でも、たしかにその時は本気で言ってしまっているのだ。

 ブラックからは「落語の“質”が落ちたよね」と言われる。
 内容的にはむしろ良くなっているが、声量が落ちて暗くなったせいだ、落語は話芸だから、と言い訳しておいた。声量については、他のお客さんからも言われたことだ。自分でもそう思う。

 ほぼ終電で帰宅。深夜3時に目が覚め、トイレで吐く。
 少しのお酒を飲む体力すらなくなった。



<12月22日(木)>

 情報図書館のAVルームで『ダージリン急行』の続き。
 いつもはそんなことしないのだが、観終わって、紙切れにメモを残す。
 『ダージリン急行』で3人の兄弟は、思い通りの計画を果たせずに苦労する。しかし、観客はこの兄弟の姿を見て幸せな気分になるだろう。それは、不幸せな人々を見て優越感が生じるといった類から来る感情ではない。この映画を観れば、幸せでないことが幸せであるということだと気付くからだ。不幸せであることこそが幸せであるということなのだと。

 時間が余ったので、続けて『サンキュー・スモーキング』を観る。
 主演のアーロン・エッカートがいい。クセがあって、私の好きそうな役者だ。映画自体も面白かった。
 この映画が公開された当初、映画評論家の誰かが「実はこの映画には喫煙シーンが一度も出てこない」と言っていたのを憶えていたので意識して観ていたが、たしかに、ポスターも劇中ビデオも含めて、一切喫煙シーンはなかった。
 それなのに、この映画は皮肉の効いた“タバコ映画”になっている。

 5限の社会心理学には、内容に対する興味という意味で、もう少したくさん出ておけばよかった。
 「自分の言っていることは正しいかもしれないし、正しくないかもしれない」と発言する教師は、圧倒的に信頼できる。この先生の授業がこれで最後になってしまうのは寂しい。



<12月23日(金)>

 朝から授業に出たが、特に書き残すようなことはなし。

 4限のメキシコ政治は好きな授業なので、前期からほぼ毎回出席している。
 だから今日もちゃんと聴いてちゃんと板書したが、それでも終始体調が優れず、この授業にしては注意散漫になってしまった。
 最近、そんなことばかりである。



<12月24日(土)>

 午前中はのんびりし、夕方からクリスマス・パーティーへ向かう。
 わざわざ地元のお店でチキンを予約しなければよかった。しかし、食べてみれば美味しいので、やっぱりこのお店でよかったのだと思う。「住めば都」ならぬ「食べれば料亭」だ(料亭の飯が美味いかどうかは別として……)。

 いくら陰口だからと言って、それも度が過ぎると嫌だ。
 ましてや先輩のことを「あいつ」などと呼べる神経は、私には理解らない。一生理解らなくていい。
 というより、私はいつでも合格点以上のものを創れるので、他人の陰口を言う必要がない。自分自身の環境の悪さを嘆く必要もない。純粋でいられるからだ。ある意味、恵まれているのだと思う。

 23時、喜一さんの出演する『Vドリーム』をみんなで見る。面白かった。
 この番組自体、なんだか“ミニ番発”を見ているかのようで、番発の見方、在り方についても考えさせられるところがあった。

 その後は、ニコニコ生放送で楽しい時間を過ごす。
 ニコニコ生放送で放送をしている人って、意外に優しい人が多いのかもしれない。



<12月25日(日)>

 朝、どうしても歩く気になれず、少し遅れて家を出る。
 私はいつまでステッキなしで歩けるんだろう。まだ使いたくない。
 歩くのが少し辛くなってから、むしろ歩くのが好きになった。天邪鬼な性格が良い方向へ向かうといいのだが。

 帰り道、ショウちゃんからのメールに救われる。
 過去に自作した「みんな悪気があって生きてるわけじゃない」という格言も思い出す。
 私はこういう人間なので、私から離れていってしまった人も多いが、誰が偉いって、ショウちゃんほど偉い人間はいない。
 あらゆることへの才能がある私だが(ただしミキサーだけはダメ、苦手)、ショウちゃんの表現者としての魅力を引き出したというのが、私の一番の才能だと思う。

 さらに帰り道、渋谷のタワーレコードで、家元の自薦CD(キントトレコード『立川談志 公式追悼盤 家元自薦ベスト』)を買う。
 2枚組で、『やかん』と『天災』がそれぞれのディスクに収められている。他の落語家にとっては“軽い”噺かもしれないが、談志師匠にとってはどちらも特別な噺だ。

 家元が亡くなったら家元の落語を聴く気にならないだろうことは自覚していたので、貯めた音源を、夏ごろから毎日聴き続けていた。談志師匠のCDはあまりにも多いので、全然追い付かないうちに11月23日(家元が死んだと公表された日)を迎えてしまった。
 案の定、私は家元の落語を聴けなくなる。聴くのが何だか怖くて悲しくてしょうがなかったのだ。でも、連日テレビのワイドショーで家元の高座シーンが流れてしまい、私もついつい見てしまうので、怖くて悲しくてしょうがない気持ちもどっかに吹っ飛んでしまい、12月の上旬にはもう、家元のCDを聴けるようになった。

 家元逝去後、一番最初に聴いたのは、『ひとり会』第3期に収録されている『火事息子』(1974年1月)。
 『火事息子』は、家元の演出が一番いい。主人公の徳三郎が「小太り」とされているのが個人的には気にかかるが、その一点以外はパーフェクトなまでにパーフェクトである。
 ちなみに、個人的には、徳三郎は「男っぷりが良くて、背が高くて、力があって、江戸っ子」(圓生師匠の演出)であるほうが好みだ。“好みだ”なんて書いてもしょうがないが……。

 それで今日、家に帰って聴いた『やかん』(2007年12月)と『天災』(2008年2月)。
 素晴らしかった。面白すぎた。これについては、またブログに書きたい。



<12月26日(月)>

 一日中休養する。
 医学の力で、人体の調子が驚くほど良くなる。大助かりだけど、なんだか情けない。

 借りといたCDで、文楽師匠(先代)の『按摩の炬燵』を聴いた。
 これを現代で演るのは無理があるような気がしてならない。もし私が演るなら、ボディタッチが大好きなゲイばかり集まるゲイバーに、若い営業のサラリーマンが来て、断れないまま「炬燵人間」にされてしまう――、という設定に作り直すと思う。でも、そんな改作をしてしまったら、もはや『按摩の炬燵』の本質(エッセンス)は伝わらない。
 『按摩の炬燵』で唯一好きな場面は、めくらが「提灯」の話をする場面だ。談志師匠があそこだけ演ったのを見たことがあるが、震えた。

 深夜、小太刀さんに電話。お元気そうでひとまず安心。



<12月27日(火)>

 M君たちと忘年会。
 4人それぞれから少し早めの誕生日プレゼントをもらう。日常生活に役に立たない変なものばかりだったが、事前に知らされていなかったということもあり、とても嬉しい。
 誕生日プレゼントをもらうのなんて何年ぶりだろう。……1年ぶりか。でも、こうやって用意して祝ってもらったのは、本当に何年かぶりというような気がする。

 その後、お決まりコースでカラオケ。
 アン・ルイス、堺正章、和田アキ子、ペドロ&カプリシャスなどを歌う。
 この人たちとカラオケに行くと、いつも変な唄を歌わされる。今日はフィリピンの唄。もちろん初めて聴く唄、歌う唄、存在すら知らなかった唄だが、アドリブできちんと歌いこなせてしまう自分の才能が怖い。

 この人たちとは付き合っても何のメリットもデメリットもなく、付き合う必要なんて一切ないのに、付き合いを続けてしまう。
 こういう人たちのことを「友人」と称うのだと思う。

 今日は吐かないで済んだ。吐きそうにもならなかった。
 ほとんど飲まなかったからだが、気を付ければ飲める、飲むほどの体力はまだあるということに気付かされ、少し明るい気持ちになった。


posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 白黒日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
(C) Copyright 2009 - 2017 MITSUYOSHI WATANABE