2011年07月23日

ハイレベルな演技力! “得意技+α”の馬石流『牡丹燈籠』


今日は、池袋演芸場で開かれた
『第四回 奮闘馬石の会』へ行ってきました。

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私の大好きな隅田川馬石師匠が、
3〜4か月おきに開いている独演会です。
私がこの会に行くのは今回が初めてなのですが、
大入満員のお客さんでにぎわっていました。

今回ネタ出しされていた噺は、『牡丹燈籠(ぼたんどうろう) 』。
歌舞伎の演目としても大変に有名な怪談噺です。
『真景累ヶ淵』同様、何篇かに分かれていて、一つひとつが長講。
“落語の祖”と称われる三遊亭圓朝が、
中国の古典をもとに作ったとされています。

『奮闘馬石の会』では
普段の寄席ではかけられないネタが多いようで、
今夜の『牡丹燈籠』という落語も
寄席はもちろん、ホール落語でも滅多に聴けない落語です。
(とか言いつつ、立川談笑師匠が来月演ります。)

今日は、その『牡丹燈籠』から2篇、
『お露新三郎』と『お札はがし』がネタおろしされました。



 <本日の番組>

開口一番:(前座) 柳家いっぽん 『転失気』
落語:隅田川馬石 『牡丹燈籠 - お露新三郎』

 〜お仲入り〜

落語:隅田川馬石 『牡丹燈籠 - お札はがし』



★いっぽん 『転失気』
柳家獅堂師匠門下の前座さん、いっぽんさん。
今まで聴いた中で、一番面白い『転失気』でした!
随所に独自のクスグリが入っていたり、
いつもと違うオチが新鮮で、感心しました。

★馬石 『牡丹燈籠 - お露新三郎』
はじめに書いたように、
『牡丹燈籠』という落語は
全編を通してやると大変に長い時間がかかります。
その中から今夜、馬石師匠が選んだのが、
連続となっているこの2篇。
『お露新三郎』篇は、
お金持ちで純粋で内気な美青年“新三郎”が、
武家の一人娘で美少女の“お露”と恋に落ちる――
――というストーリーです。
以前から申し上げているように、
「純粋な若者」を演じさせたら
馬石師匠の右に出る者はいません!
いつもは内気な“新三郎”が勇気を出して、
手ぬぐいの上から“お露”の手を握るシーンに胸キュン(!?)。
別れ際、
「これからあなたと会えなくなると死んでしまう」
と言っていたお露は、
その後二度と新三郎に会えなかったので、
本当に「焦がれ死に」してしまいます。
そこから、夜な夜な、
新三郎の家を“燈籠を持った女”が訪れるようになり……。
『お露新三郎』では、
新三郎の純粋さが、良くも悪くも痛々しいほど伝わってきます。
お露も新三郎も、
自分たちは両想いだとお互い分かっているのに、
お互いがお互いの気持ちを伝えきれないまま、
この世とあの世に別れてしまう。
お露のその無念さが、だんだんと怨念じみてきて、
幸せなものとして始まったはずの秘めたる恋が、
結局は登場人物全員を苦しませるものになってしまうのです。
サゲの語りは、鳴り物付きでした。

★馬石 『牡丹燈籠 - お札はがし』
仲入り後、幕が開くとすでに馬石師匠が頭を下げて座っていて、
「続きを申し上げます」と、夏が舞台の『お札はがし』篇へ。
新三郎は、自宅の周りにお札を貼って
“燈籠を持った女”を寄せ付けないようにしていますが、
『お露新三郎』にも登場した
新三郎の「家来」とでも称うべき伴蔵&お峰の中年夫婦が、
「100両」という目に見える欲望に負けて、新三郎を裏切ります。
お札をはがし、
“燈籠を持った女”を新三郎の家の中に入れるように図るのです。
しかし、新三郎は自宅の周りにお札を貼っているだけでなく、
幽霊を寄せ付けないお守りを肌身離さず持っています。
これでは“幽霊=燈籠を持った女”は新三郎に近付けません。
そこで、伴蔵が「こう言っては失礼ですが、
 旦那様は汗臭いので行水なさったらいかがですか」と言って
(注:新三郎は「幽霊除け」のお経を唱え続けているので、
 夏の暑い中、何日もお風呂に入っていません)、
美青年・新三郎を無理矢理お風呂に入れさせます。
友蔵夫妻としては、その隙にお守りを盗んでやろうという魂胆です。
この時の目や手を使った馬石師匠の演技が、絶妙すぎるというか、
「落語でここまでの演技表現ってあるの!?」
というほどハイレベルなもの。
元劇団俳優の馬石師匠ならではの持ち味が
存分に発揮された場面でした。
「この夫婦、本当に悪い奴らだな」と感じました(笑)。
この『お札はがし』篇を通して感じたのは、
人間が他人を愛することの怖さ。
人間が人間を愛するのは、
愛する相手が他人だから愛せるのではないだろうか。
もしも愛する相手が自分自身だったら、
きっと愛せないのではないだろうか。
インターネット上なので
不適切かもしれない表現はやめておきますが、
少なくとも私の場合、
どうしようもない他人は愛せても、どうしようもない自分は愛せない。
そして結局、それは
愛する相手のことを考えていないということなのかもしれない。
――柄にもなく
そんなことを考えながら聴いていた『お札はがし』でした。



――そんなわけで、
私が『牡丹燈籠』という落語を
しっかり聴いたのはこれが初めてでしたが、
これまでの馬石師匠が得意とする
(と、私が勝手に思っているだけですが)
「純粋な若者」「ささやかな両思い」といった要素に加え、
今夜は「欲望に負ける悪い人間」が
圧倒的な演技力で描かれていて、感激しました。

もちろん、怪談噺ですから、
「カラン、コロン……」という下駄の音など
とっても怖い演出もあったのですが、
私が馬石師匠の『牡丹燈籠』から感じたのは、
純愛が怨念じみてしまったことの悲しさ。
苦しいラヴ・ストーリーが、
馬石師匠の気品ある高座から見えてきました。

会自体もアットホームな雰囲気で、
馬石ファンの温かさを感じるような会でした。
客席はお客さんでいっぱい、文字通り満席だったなあ。
やっぱり、客は馬鹿じゃないね。私は馬鹿だけど。

圓朝作品などの「噺」も聴ける『奮闘馬石の会』。
次回は11月30日、ネタは『三軒長屋』だそうです。


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――ところで、
(社)落語協会による「インターネット落語会」7月下席号に、
その馬石師匠がついに登場!
本日より、「馬石師匠って、どんな人?」という説明が
私の駄文なしで可能となります。

馬石師匠が「インターネット落語会」に登場するのは、
私が知る限り、今年に入ってからは初めて!
初めてインターネット上で馬石師匠の落語を聴きました
馬石師匠プロモーションビデオ内の『時そば』を除く)。

今回のビデオで馬石師匠がかけているネタは、
滑稽噺の『粗忽の使者』。
『粗忽の使者』というネタは
そこまでポピュラーではないと思うのですが、
私にとっての“キング・オブ・江戸落語”=桂小金治師匠
演っているヴァージョンをCDで聴いたことがあります。

「芝居噺」「長講噺」「廓噺」のイメージが強い馬石師匠ですが、
意外にも私が一番好きなのは、
滑稽噺(笑えるネタ)の『権助芝居』。
こう言っては失礼ですが、天然キャラを演じる馬石師匠が
……とっても……キュート、なのです……。
馬石師匠の滑稽噺をもっと見たいので、また寄席にも通おうっと♪


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2011年07月21日

テラワロ音頭 (歌詞)

~ 『皇紀2671年のテラワロス夏祭り』 テーマソング ~

あの町この町 歩いてみたけれど
ロクなもんじゃない 家畜ばかりだし
牛や豚には ワカラナイ
キツネ タヌキの 騙し合い
ホレ グーチョラ! パーチョラ! チョンチョコラ!
テラワロ音頭で 世紀末

あの人この人 話してみたけれど
たいしたもんじゃない 自慢ばかりだし
をんな 子どもにゃ ワカラナイ
気狂いピエロの 茶化し合い
ホレ グーチョラ! パーチョラ! チョンチョコラ!
テラワロ音頭で 崩壊だ

あの人この人 みんな死んだけど
お盆の季節には 帰ってくるんだし
野暮な奴には ワカラナイ
出世なんぞは バカバカシイ
ホレ グーチョラ! パーチョラ! チョンチョコラ!
テラワロ音頭で 敵討ち

ホレ グーチョラ! パーチョラ! チョンチョコラ!
ホレ グーチョラ! パーチョラ! チョンチョコラ!
ホレ グーチョラ! パーチョラ! チョンチョコラ! .........


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2011年07月16日

素晴らしすぎた、さん喬師匠の『井戸の茶碗』 @「柳家と立川」


今日は、草月ホールで開かれた
『rakugoオルタナティヴ vol.5 「柳家と立川」』に行ってきました。
なんだかよく分からないタイトルですが、落語会です。
柳家さん喬師匠と立川志らく師匠の二人会。

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「柳家」と「立川」という2つの流派による二人会は、
しかもさん喬師匠と志らく師匠の二人会は、
かなり画期的というか、革命的というか、
落語界的には少し“ヒヤヒヤする”落語会です。

詳しく書くと長くなるので書きませんが、
落語立川流家元の立川談志師匠(志らく師匠の師匠)と
落語協会で特別な影響力を持つ柳家さん喬師匠は、
もともとは、5代目柳家小さん門下の兄弟弟子でした。
しかし、談志師匠が落語協会を飛び出して小さん師匠と袂を分かち、
1983年に落語立川流を創設してからは、
「柳家」と「立川」は犬猿の仲となってしまったのです。

落語ファンがこれを読んだら怒りそうですが、大雑把に書くと
さん喬師匠は「反・立川流」の一員とみなされており、
志らく師匠は「反・『反・立川流』」の主張を続けてきた人物。
そんな2人の落語会、どうなることやら……。

しかし数年前、ある落語会の楽屋で
談志師匠とさん喬師匠が“会談”していた
という噂も聞いていましたので、
きっと今回の二人会も、緊張感のある落語会というよりは、
前向きな落語会になるのではないかと思っていました。

それでは今夜の番組をご紹介しましょう。
(ちなみに、めくりの前座さんは立川がじらさんでした!)



 <本日の番組>

開口一番:柳家さん弥 『夏泥』
落語:立川志らく 『らくだ(完演)』
落語:柳家さん喬 『井戸の茶碗』

 〜お仲入り〜

対談:さん喬・志らく (司会:チケットぴあの人)



★さん弥 『夏泥』
「落語協会のレレレのおじさん」ことさん弥さん。
出囃子が『梅が枝の手水鉢』だったので少し驚きました。
文左衛門師匠の『夏泥』を
『夏泥』のスタンダードとして生きてきた(?)私としては、
今まで聴いたことのないような『夏泥』。
『夏泥』も色々あるんだなあ……。

★志らく 『らくだ(完演)』
「今回の『柳家と立川』は『さん喬・志らく二人会』なのに
 次回(9月)の『柳家と立川』は『喬太郎・談笑二人会』。
 あっちのほうが伸び伸びやれそうじゃないか!
 本当なら次回は『談志・喬太郎二人会』でなくちゃいけない!」
というマクラの後、
志らくクレイジー落語の決定版『らくだ(完演)』へ。
志らく師匠の『らくだ』は、「丁の目の半次」が
“今まで見たことのないような怒り方(by 屑屋)”をするところや、
後半、「丁の目の半次」が「屑屋」のことを
「屑屋のアニさん」と呼んでへりくだるところが魅力的です。
私が『らくだ』という噺の中で一番好きなのは、
「丁の目の半次」と「屑屋」が
「らくだ」宅で酒を酌み交わしながら“通夜の真似事”をする部分。
そこでの2人の会話が、
その落語家さんの“ヤバさ”を表すような気がします。
談笑師匠の場合は「らくだが屑屋の娘を拉致・監禁」でしたが、
志らく師匠の場合は「砂に描いた絵を買え」。
併せて、「屑屋」が「大家」に腹を立てる演出も素晴らしいです。
その後、「らくだ」の死体を火葬場まで持っていくのですが、
そこで登場人物全員を酔っ払いにする設定が実にニクい!
志らく師匠の『らくだ』は、クレイジーでありながら、
見事なまでに緻密な演劇的リアリティを持つ『らくだ』でした。

★さん喬 『井戸の茶碗』
「屑屋仲間で、正直者の清兵衛さんという方がおりまして……」。
『らくだ』に続き、まさかの屑屋が主人公の噺!
二人会が「特撰・屑屋噺の会」みたいになってしまいました(笑)。
冒頭、清兵衛が間違えて「らくだ」の横丁に入ってしまったり
(「しかし清兵衛さん、そこは何事もなく通り抜けまして……」)、
「『砂に描いた絵を買え』って言われるのかと思いました」
という台詞があったりと、
ついさっき初めて聴いたであろう志らく師匠の『らくだ』を
自分の噺にスポーンと取り込み、綺麗に笑いにする芸術力。
……というより、
今夜聴いたさん喬師匠の『井戸の茶碗』は本当に素晴らしく、
「最高」という二文字以外の表現は当てはまりません。
「最高」とは「最も高い」という意味です。
これをライヴで聴けたということは、
2011年、もうこれ以上の落語を聴くことはないのだから、
今年はもう落語を見に行く必要はないのかな?――と思うほど、
最高に笑い、最高に面白く、最高に感激した『井戸の茶碗』でした。
終盤、清兵衛さんが「孫の代まで自慢できます」と言った時には、
私も自然に涙がポロリとこぼれてしまいました。
さん喬師匠の高座を拝見したことはあまりありませんが、
今夜、確実に「芸の神様」が降りていたと感じます。
志らく師匠の『らくだ』もとっても面白く、
どっちかと言わなくても
私は志らく師匠目当てで今日の二人会を訪れたのですが、
それでも今夜のさん喬師匠は「別格」でした。

★対談 さん喬、志らく
高い高座の上に椅子が置いてあり、
“高・高座”にさん喬、志らく両師匠が座ります。
さん喬師匠「まるで皇室の会見みたい」。
司会進行役としてチケットぴあの方が登場してきて
全然不快な方というわけではないのですが、
「お二人だけで喋らせてほしいのだが」と思ったのは
私だけではないはず……。
ここでお二人が話した内容――あまりにも釘付けだったので、
逆に内容覚えていないのですが(すみません)、
どんなことを会話されていたかを箇条書きにして書いてみます。
個別のご発言については、ありがたすぎて書けません。
☆立川流には勢いがある
☆さん喬師匠が「反・立川流」である理由
☆寄席で育つ意味
☆立川流の問題点と課題
☆5代目小さんの「立川流」容認
☆立川談志という人間
☆志らくと喬太郎(さん喬師の弟子)は似ている?
☆落語家の「個」と「集団」
☆「ケレン」――その場限りの落語、また聴きたいなと思う落語
☆言葉で笑わせるのか、心で笑わせるのか
☆組織論
☆自惚れ――客と芸人の関係
☆落語界のこれから、落語家のこれから
……実に刺激的なトーク内容でありました。
さん喬師匠の偉大さ、志らく師匠の精鋭さが光っていて、
「柳家と立川」といっても
原理原則としてそれを大事にしなくてはいけない部分と
現実的には時代は変わっているという部分とで、
さん喬師匠のような大御所の落語家でも苦悩しているのですね。
その事実をしっかり知ることができて、
すっかり私はさん喬師匠のことが大好きになってしまいました。



――というわけで、今夜はとにかく
さん喬師匠の芸と人柄の素晴らしさが光る二人会となりました。
言うまでもなく、もちろん志らく師匠も面白かったです。
ただ、さん喬師匠の『井戸の茶碗』を前にしては、
志らく師匠の『らくだ』ほどのクレイジー落語も
記憶としては薄まったというのが、一観客の偽りない感想です。

「柳家と立川」というテーマは落語ファンには刺激的だけど、
正直、一観客としては、
さん喬師匠の『井戸の茶碗』を聴けたことに対する感激が
ブログに書き残したい感想としては勝りました。

もっとさん喬師匠の高座を見たい!
対談コーナーで、さん喬師匠が
「ぜひ寄席に来ていただきたい」と言っていたのが印象的だなあ。
さん喬師匠は、単なる「寄席礼賛」でない意識があるからこそ、
こういう発言をあえてしたのだと思います(邪推すぎますが……)。

あと、さん喬師匠は「自分は『アンチ立川流』とみなされているが、
 それは周りが勝手に言っているだけの話で、
 特に談志さんのことは大好き」ともおっしゃっていました。
『柳家と立川』と題された会だったためかもしれませんが、
こういったトークで必ず名前の上がる談志師匠という存在は、
やはり落語界において特別すぎる存在なのだなと感じた次第です。

それにしても、さん喬師匠の『井戸の茶碗』は素晴らしすぎました。
そして、さん喬師匠のおっしゃっていた
「落語は、というより、すべてのパフォーマンスは――」
という言葉の意味を、自分なりにナイ頭で考えてみたいと思います。
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