2011年05月31日

「女って怖い」では片付けられない… ナイロン100℃版『黒い十人の女』


今日は、青山円形劇場で公演中の
「NYLON100℃ 36th SESSION
 『黒い十人の女 〜version100℃〜』」を観てきました。

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1961年に製作された市川崑監督の映画『黒い十人の女』を
ケラリーノ・サンドロヴィッチさん主宰の
ナイロン100℃」が舞台化したものです。
テレビ局の人気プロデューサーが、
本妻に加え、9人のお妾さんを抱えていて、
やがてその「十人の女」にひどい目に遭わされる、という物語。

まだ中学生になったばかりの頃だったかと思いますが、
映画版(オリジナル版)
黒い十人の女』を初めて観た時、
“白黒の邦画にも
 こんなに怖くて面白い作品があったのか!”と興奮しました。
この時代の邦画は
もっと静かな雰囲気の作品ばかりだと思っていたところに、
市川崑監督&和田夏十脚本の
『黒い十人の女』が、中学生の私に衝撃をもたらしたのです。

オリジナル版では、テレビプロデューサー役を船越英二さん、
本妻役を山本富士子さんが演じ、
お妾さん役には岸惠子さん、宮城まり子さん、中村玉緒さん、
岸田今日子さんなど、豪華な顔ぶれが並びます。
テレビ局での番組収録シーンで、
クレージーキャッツもカメオ出演しています。
人間ドラマであり、サスペンスでもあり、
この時代の邦画特有の「重喜劇」といった側面もあります。
しかしサッパリもしていて、お洒落な雰囲気も感じる作品です。

2002年には、小林薫さんがプロデューサー役を演じた
2時間(だか3時間だか)のテレビドラマ版が放送されました。
こちらも豪華な女性キャスト陣でしたが、
ドラマ放送中に「パ・リーグで××が優勝」という
ニュース速報のテロップが出たことだけを憶えています。



さて、現在公演中の舞台版(ナイロン100℃版)。

いつもこういうことばっかり書いてると馬鹿にされそうですが、
ナイロン100℃は、
というかケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)さんの舞台は、
いつもオープニング映像が凝りに凝っていて、
これを見ただけでも「ははぁ〜」という気分になれます。
美輪明宏風の謎の歌に乗せて
影絵のアニメが展開されていくところなど、
今回も実に美しいオープニング映像でした。



もちろん、本編のことも書いておかなくちゃいけない。

今回の舞台版は、オリジナル版の印象的な台詞はそのままに、
思い切った設定の変更、場面の新築なども行っています。
現代と「昔のテレビ局」を同空間でつなぐ場面、
映像としての「昔の架空テレビ番組」の挿入、
「11人目の女」の存在など、
KERAさんがこれまでに培ってこられた要素を吐きだしています。

脚本上で最も特徴的なのは、
「十人の女」がテレビプロデューサーを“殺害”してから、
彼を“監禁生活”させるシーンに時間を割いていることでしょう。
舞台前半までは
バラバラにしか登場してこなかった「十人の女」たちですが、
プロデューサーが車に轢かれそうになる場面で一同揃ってからは
積極的に一つの舞台上に同居するようになります。
そして、最後の最後でも
10人揃ってエンディングを迎えるというこの演出は、
なかなかにKERA的というか、舞台演劇的です。

それと今回、KERAさんが舞台設定を現代に変えたりせずに、
あくまで昭和のテレビ創世記の話にしたのは、本当によかった。
設定上の意義はもちろんのこと、
劇中の女性同士の会話、正妻とお妾さんの会話の“粋さ”などは、
「素敵な時代だったんだね」
ということでしか説明できない部分があります。
現代にこのウィットに富んだ会話は似合わなくなってしまったので。



そうそう、すっかり忘れていましたが、
この舞台版での主要キャストをご紹介しましょう(敬称略)。

テレビプロデューサーの男:みのすけ

女1(本妻、バーのようなレストランのようなお店の経営者):峯村リエ
女2(新劇の女優):松永玲子
女3(テレビ局の台本印刷会社社長):村岡希美
女4(新人女性歌手):中越典子
女5(テレビ局エレベーターガール):緒川たまき
女6(テレビ局コマーシャルガール):新谷真弓
女7(テレビ局の歌唱指導の先生):安澤千草
女8(人形劇番組のアシスタントディレクター):皆戸麻衣
女9(テレビ局食堂のウェイトレス):植木夏十
女10(テレビ局の事務員):菊池明明

「十人の女」の中には、しっかりした年齢(?)の女性もいれば、
まだ20代になったかなってないかみたいな女性もいて、
それぞれに感情移入できたりできなかったりするのですが、
今回の舞台版の場合、私が一番気になったのは、
「女2」と「女7」という、結構しっかりした年齢のお二人でした。

戦後の日本を強い女性として生きてきたのでしょうが、
でもどこかで可愛らしさが伝わってきて、
ある意味、見ているのが辛かった。
途中から“特別な存在価値”を持つ「女3」も可哀想だったけど……。

あとは、テレビ局の新人男性アナウンサー(小林高鹿)も
オリジナル版と比べるとだいぶ濃く描かれていて、
オリジナル版とはまた違う男性アナ像がくっきり表現されていました。
オリジナル版では
「黒い十人の女(と一人の男)」といった感じだったのが、
今回のナイロン100℃版では
男性アナやテレビ局の芸能局長、ディレクターなどにも
特別なキャラクター性が植え付けられていたのが印象的でした。



今夜の舞台では、客席からだいぶ笑いが起きていました。
舞台女優の「女2」が突然芝居口調でしゃべり出すシーンには、
なんともいえない松永玲子さんのおかしさがありました。
緒川たまきさんも、
得意の天然キャラ(?)で客席を沸かしていましたね。

しかしその反面、私はこの舞台を見て、
なんだか不思議なところでウルッと来てしまいました。
プロデューサーと本妻の2人が“殺害計画”について話すシーン、
幼いころ姉妹的な関係にあった
「女4」と「女5」が近寄って話すシーンなど、
脚本上なんてことはないような場面なのですが、
そのなんてことないはずの場面が、
それぞれのキャラクターの人間性を際立たせていて、
私はそこに感情のあらゆる場面を刺激されてしまったというか……。



一番印象的だった台詞は
(印象的だというわりにはうろ覚えなんですが)、
「男の人は『女はわからない』なんて言うけど、
 私からしてみれば、男のほうがわからないわ」
という「女5」の台詞。

オリジナルの映画版『黒い十人の女』を観た時は
私は「女の怖さ」しか感じなかったけど、
してみると、
男のほうも同じぐらい正体不明な生き物なのかもしれない。
正体不明と正体不明をなんとか辻褄合わせて釣り合わせて、
どうにかこうにか毎日をこなしている、
あるいはこなしているふりをしてるんだなあ、と感じました。

「黒い十人の女」たちは、
みんな自己正当化に走り、わがままに生きているようにも見える。
観客はそれを見て嘲笑するかもしれないし、
「女って怖いね」
「人間は狂うと怖いね」という感想を言えるかもしれない。
しかし、そこに描かれているのは、実に等身大の私たちであって、
いいとか悪いとかじゃなく、これが人間の正体なんだと思うのです。
その「人間の正体」からは誰も、
生きてる限り――いや、死んでも――逃がれられないのでしょう。


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公演パンフレット
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2011年05月29日

「芝居噺」の馬石と「骨董噺」の柳朝… 持ち味発揮の二人会


今日は、八王子市学園都市センターで開かれた
「第22回八王子寄席 馬石・柳朝二人会」へ行ってきました。
隅田川馬石師匠と春風亭柳朝師匠のお二人による落語会です。

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会場の「八王子市学園都市センター イベントホール」は
JR八王子駅前にあり、
八王子駅から会場までのアクセスは大変よいのですが、
私の自宅から八王子駅までのアクセスが大変悪いという……。
――予約する時は、
八王子が東京のどこら辺にあるかよく分かっていませんでした。
それでも私が今日の落語会に行きたかったのは、
私がいま惚れに惚れている落語家、
隅田川馬石師匠が出演しているからです。

チケットを引き取るまで知らなかったのですが
(このチケットを引き取りに行くまでが
 私にとっては一苦労だったのですが……)、
今回は「人情噺特集」ということでした。
でも終わってみると笑いがたっぷりの落語会で、元気が出ました。

それでは、今日の番組を感想とともにご紹介します。



★やえ馬 『つる』
開口一番は、鈴々舎馬風門下の鈴々舎やえ馬さん。
お名前通り「八重歯」がトレードマークの前座さんです。
今日は綺麗な緑の着物で、『つる』を演っていらっしゃいました。
それぞれの登場人物の演じ分けが面白かったです。
主人公はご隠居さんから
「つる」のデタラメな語源を教えられるのですが、
ご隠居さんから「今のは嘘だよ!」と言われても
「今さら言ったって遅いや」とその場を逃げ去る演出が、
不思議とよかったなあ。

★馬石 『権助芝居』
開演ギリギリに会場に到着したという馬石師匠。
たしかに、
私と同じタイミング――開演10分前での会場入りでした。
「落語は“生”が一番。
 なにごとも“生”が一番。お肉はそうとは限らないけど……」
というマクラのあと、馬石師匠の一席目は、
田舎者の奉公人が
故郷での役者経験をバカバカしく話す滑稽話『権助芝居』。
これが実によかった!
今日の会は「人情噺特集」ということでしたが、
私はこの『権助芝居』がたまらなく面白かったです。
訛りのある権助の演技と、
それを半ば受け流す番頭のかけ合いが最高におかしかった。
馬石師匠の滑稽話は聞いたことがなかったけど、
バカバカしさの中にも品があって、
もっともっと馬石師匠の滑稽話を聴いてみたくなりましたよ。

★柳朝 『井戸の茶碗』
柳朝師匠は私と同じ大田区にご自宅があるということで、
八王子まで私と同じようなルートでいらしたのかと思うと、
少し感慨深かったです(?)。
本日のテーマ「人情噺」である『井戸の茶碗』を、
笑いの量たっぷりで演っていらっしゃいました。
正直者の屑屋が、浪人武士の家と武家屋敷を
行ったり来たりさせられるシーンがとても笑えました。
もしかしたら、今までに聞いた『井戸の茶碗』の中で、
私の好みと最もフィットした『井戸茶』だったかもしれない。
細かい演技も、独特のフラも含めて、
柳朝師匠は注目すべき面白い落語家さんだと感じました。

★柳朝 『猫の皿』
仲入り後、柳朝師匠の二席目は『猫の皿』。
大師匠である先代柳朝師匠は、
当代柳朝師匠の師匠・一朝師匠に対して
「芸人は『知らない』と答えてはならない」と教えたそうです。
マクラではそんなエピソードや、
大師匠の師匠・林家正蔵(彦六)師匠の逸話などを交えて
「落語家は骨董品の価値も知っておかなくちゃいけない」と、
おなじみの古典落語『猫の皿』へ。
今日の柳朝師匠は、“骨董品落語”が続くなあ(笑)。
柳朝版『猫の皿』では、主人公の道具屋に猫がなついていました。
分かりやすくて面白くてハズさない柳朝師匠――
本日の会を受けて、自分の中でかなり注目度上昇中です。

★馬石 『淀五郎』
馬石師匠は落語家になる前、
石坂浩二さんの劇団で役者さんをやっていました。
その時代石坂さんから厳しく指導を受けたこと、
役者時代の馬石さん最後の公演で
準主役から降ろされたことなどを、マクラでお話しされました。
本日、馬石師匠がトリにかけた『淀五郎』は、
歌舞伎界の厳しい師匠と
誠実な若い役者(淀五郎)を描いた噺なのですが、
心情たっぷりに、馬石師匠はまじめな淀五郎の心苦しさを好演。
舞台役者の経験を持つ馬石師匠ならではの感情注入が
噺の中に現れていたような気がします。
馬石師匠の落語はあまりしつこくなく
人情噺でも結構さっぱりしているのが一つの特徴かと思うのですが、
馬石版『淀五郎』は、
師匠の厳しい言動は、弟子を育てたいという愛情表現であって、
それはあくまで皮肉っぽく受け取られてしまうだけなのだ――
ということをさりげなく提示していました。
淀五郎の師匠の「鬼っぽさ」を強調するのでなく、
こういう風に描く演出は、もしかしたら
「人間は二面性ある生き物」というテーマよりも重たいもので、
そういった観点から、馬石師匠は
「人情噺特集」の会の最後にこの噺を持ってきたのかもしれません。



――落語の解説なんてあまり好きじゃないし、
しかもそれが
上から目線で批判めいたものだと読みたくもありませんが、
こうやって私の感じたことを無理矢理メモに残そうとすると、
それぞれの落語家さんのよい部分を再確認できる気がします。

馬石師匠は「誠実」なキャラクターを演じるのが非常に上手いし、
柳朝師匠は「調子のいい正直者」を演じるのが上手いと感じました
(この表現は全然上手くありませんが……)。

それぞれの落語家さんに持ち味があり、
その持ち味がいかんなく発揮される噺があるんだよなあ。
今日、馬石師匠は“芝居噺”を二席、
柳朝師匠は“骨董噺(?)”を二席演りましたが、
お二人の持ち味が見事に提示された、実に楽しい落語会でした。


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2011年05月28日

バスター・キートン、哲学的な“真の喜劇王”


最近、なんだか無性に遺言めいた文章を書きたくなって
死期がいよいよ近付いているということなのかと思うのですが、
実際にはもう少しは生き永らえてしまいそうなのが怖いです(?)。

ま、それはさておき、
――いや、さておきじゃなくそんなわけで、今日は、
“真の喜劇王” バスター・キートン の素晴らしいトリビュート動画を
YouTubeでいくつも見つけたので、ご紹介します。
YouTubeには本当にたくさんのキートン関連動画がありますね。
どれも、もう100年ほど前のキートン主演映画を編集したものです。

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キートンのプロフィールについては、Wikipediaをはじめ
多くのホームページや書籍などで詳しく解説されていますので、
ここではごく簡単に触れておきましょう。

バスター・キートンは、1895年、米国カンザス州に生まれました。
子どもの頃にヴォードヴィリアンとしてキャリアを積んだ後、
数多くのサイレントコメディ映画に主演し、銀幕スターとなります。
短編・中編がほとんどとは言え、主演映画は50本を優に超えるほど。
1940年代からは不遇の時期もありましたが、現在は、
同時期に活躍したチャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドと並んで
「世界三大喜劇王」の一人として評価されています。

チャップリンとロイドについては別の機会に語ることとしますが、
彼らの映画についてざっくりといえば、
チャップリンは「情緒的」、キートンは「哲学的」、
ロイドは「都会的」な作風だと称えるのではないでしょうか。
コメディ屋の私が一番好きなのは文句なしにキートンであり、
そもそも、チャップリンとキートンを
一つの同じ括りの中で語ることにはあまり意味がないと思っています。

――余談ですが、私はキートンの写真を部屋に飾っています。
私が部屋に飾っている人物の写真は、後にも先にもキートンだけ。
疲れた時にキートンの写真を見ると、
勇気が出るような、心が癒されるような気持ちになるのです。
さらに書いておくと、バスター・キートン、マルクス兄弟、
モンティ・パイソン、メル・ブルックス――彼らが私のすべてです。
(まあ、それはさすがに誇張しすぎた表現かもしれないけど……。)



チャップリンの作品ほどではないとしても、
キートン作品は日本でも比較的容易に観賞できると思います。
DVDもだいぶ発売されていますし、
都内の名画座でもたまにキートン作品が上映されていますよね。
ほとんどが短編の無声映画で、長編でも100分ほど。
著作権切れなのでコソコソ言わなくても大丈夫だと思いますが、
YouTube』や『ニコニコ動画』でも多数の作品を視聴可能です。

キートンの最大の特徴は、何と言っても、
クールな無表情で危ないアクションをしているところでしょう。
『トムとジェリー』のようなドタバタ漫画の世界を
生身の人間が実演しているのです。

もちろん、1920〜30年代にCGや3D技術などはありません。
すべてがキートン本人によるスタントです。
ジャッキー・チェンを2人足しても敵わないような身体能力――。
今後、これほどの超人的アクション神経を持ったコメディアンは
絶対に現れ出ることがないと断言できます。

危ないアクションシーンが連続するキートン映画ですが、
作品からは、緻密な計算尽くの舞台効果などが見受けられます。
細かい設計や計算の上に
高度なアクロバティックギャグが成立しているのですね。
身体的センスに加えて頭脳を武器としているところに、
キートンとキートン作品を支えたスタッフたちの凄さがあります。

それからもう一つ、これは私見ですが、
ただのドタバタやスラップスティックではない特徴として
(「ただのスラップスティック」はそれはそれで最高なのですが……)、
キートンの行動がとても「哲学的」だということが挙げられます。
一言も台詞を喋らないけれど、細かい演技やその佇まいから、
何とも言えない「哲学的」な要素を感じるのです。
それをペーソスにまで転化するのがチャップリンなのでしょうが、
キートンは最後までコメディにこだわるところがカッコいいんです。

私は、キートンこそ「カッコいい」人なのだろうと考えています。
ルックス的にも二枚目だし(そう思いません?)、
「貴公子」というあだ名が似合いそうな顔立ちだし、
そういう面だけでも十分「カッコいい」のですが、
古典落語で言うところの「与太郎」的なカリスマ性があるのです
(……うーん、我ながら喩えが上手くないな……。)

人間らしい愚かな行動をしているのだけど、
単に「白痴」だったり「阿呆」だったりするわけじゃなく、
行動の根っこには独自の「倫理」や「哲学」があるから、
キャラクターとしての軸が最初から最後までブレないという……。
劇中の本人はとてもまっすぐで、とても純粋なんですよね。
だから、アクションもキャラクターも全部ひっくるめて、
私は「バスター・キートン」という存在そのものを愛しているのです。



それで、ここからがようやく本題(?)。

YouTubeにアップロードされている
キートンの“トリビュート動画”をいくつかご紹介します。
「ああ、キートンってこんな感じの人なんだ」
「キートンの笑いって、こういう笑いなんだ」というのが、
短いビデオを通して何となく伝わるのではないかと思います。

これらの動画を見て少しでも面白く感じたら、
動画投稿サイトなどでキートンの作品をご覧頂けると幸いです。
(見てくれなくても私に不利益が生じるわけではないけど……。)







私は、ラヴロマンスが含まれるコメディ映画が大好きで、
名作コメディの条件の一つは
ロマンス性があることだと思っているぐらいなのですが、
キートン映画の多くにもたくさんのラブロマンスが含まれています。

ちなみに、これは私の中では確信に近いのですが、
「情愛」と「ラブロマンス」はまったく違うものだと思います。
チャップリンの映画は情愛、『タイタニック』も情愛。
キートンの映画はラヴロマンス、
ヒッチコック作品や古典落語の『宮戸川』もラブロマンス。
これは、コメディ作品にとっては大事な線引きだと思うのですが……。

だから、結婚して子どもまで作るハロルド・ロイドの映画は、
私にとっては「描きすぎ」で、少しだけ引いてしまうのです
(ロイドの笑いが、私の作りたい笑いにかなり近いとしても)。
キートンにも『文化生活一週間(One Week)』という
新婚夫婦が主人公の短編作品がありますが、
この作品は夫婦生活をテーマにしているのではなくて
その設定を背景にあくまでもギャグを表現しているわけですからね。

――そう考えると、
キートンが『文化生活一週間』の主人公を“新婚”夫婦にしたのは、
それなりにベテランの“夫婦”を主人公にしてしまったら
「笑い」が生活感あふれる「テーマ」に誤変換されかねない、
という意識があってのことだったのことだったのかもしれません。

では、そんなキートン映画の中から、ラヴロマンスシーンを。
1928年にアメリカで公開された
『キートンのカメラマン(The Cameraman)』のトリビュート動画です。
ストーカーじみていてちょっと怖い(笑)。
でも、こんなBGMを付けられちゃうと、一途すぎる主人公に感動します。



こちらはニコニコ動画から。
キートン映画のラヴロマンスシーンと
『アイドルマスター』というゲームの曲をかけ合わせた動画なのですが、
もはや笑えばいいのか泣けばいいのかわかりません!




――ちなみに(本日何度目だ!)、
全盛期はライバルとして活躍したチャップリンとキートンですが、
1952年、チャップリンの
アメリカでの最後の作品『ライムライト』で共演しています。

この作品でのキートンの役どころは、
主人公の喜劇俳優・カルヴェロ(チャップリン)の大昔の相棒という、
現実を連想させるような役柄で、
2人によるコントのシーンは歴史的な「遺産」となりました。
この時、キートンは55〜57歳ぐらいだったと思われますが、
若かりし頃の面影はしっかりと残っていますね。




無表情で「笑い」に人生を捧げ、
無表情で「笑い」を追い求め続けたキートン。
彼の笑いは「哲学的」でしたが、それをペーソスに転化することも、
説教臭くストーリーに組み込むこともありませんでした。
それってものすごくお洒落だと思うし、
その姿勢を貫いたキートンは本当にカッコいい人だったと思います。

観客にウケる・ウケないというのはありますが、
「ただ笑えるだけ」のコメディはなかなか評価されにくいものです。
「ただ笑えるだけ」のコメディに、
後から「意味」や「テーマ」をこじ付けたがる人もいるし……。
これ、昔からの個人的な悩みなんですが……、それはまた別の話。
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