2018年09月10日

“ブロードウェイの喜劇王” ニール・サイモンの“おかしな作品”たち


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 芝居を書くたびに、だんだんはっきりしてきたのは、私の作品に劇評家が求めているのはシリアスなコメディだということだ。シリアスなコメディとは矛盾した表現だが、私は文句なく納得した。《ザ・ニューハウス》新聞のウィリアム・レイディ氏が、これこそ私の意図したものだろうと察してくれた。「この芝居には笑いプラス・アルファがある。これこそサイモン氏が長い間捜し求めていたものだ」
── 『書いては書き直し ニール・サイモン自伝』 (酒井洋子訳、早川書房) p.372


 2018年8月26日、「ブロードウェイの喜劇王」とも呼ばれた劇作家のニール・サイモンが肺炎の合併症のため亡くなった。

 メル・ブルックスを崇拝してきた私にとって、ニール・サイモンの作品は『メル・ブルックス 珍説世界史PARTT』(1981年)や『スペースボール』(1987年)ほど慣れ親しんできたものではない。しかし、ジェイムズ・サーバー短編集の愛読者でもある私がサイモンの作品を嫌いなはずはない。
 そもそもの話、ブルックスとサイモンは、1950年代にシド・シーザー主演のコメディ=バラエティ番組『ユア・ショウ・オブ・ショウズ』(NBC)のコント作家として“同じ釜の飯”を食った間柄なのだ。サイモンの信奉者を自称するつもりはないとはいえ、私にも彼や彼の作品に対する若干の思い入れはある。そこで本稿では、私が特に好きなサイモン作品を記録しておきたい。




 ◆ “サイモン作品” 我が十選

 とにかく多作の人だった。テレビのコメディ=バラエティ番組の作家などを経て、1961年にブロードウェイの劇作家としてデビューしたニール・サイモンは、32本の戯曲、26本の映画脚本(うち自身の戯曲の映画化が14作、原作不在のオリジナル映画が12作)、8本のテレビ映画脚本(いずれも自身の戯曲の映像化)を執筆した。私の特に好きなサイモン作品は以下の通りである(発表年順)。


 ● 『おかしな夫婦』 (1970年) [オリジナル映画]

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 あらすじはこうだ。オハイオ州のサラリーマン夫婦がニューヨーク行きの飛行機に乗る。明朝9時に夫の栄転を賭けた面接が行われるためである。しかし、夫婦の乗った飛行機は悪天候のためなかなか着陸できない。やむなくボストンの空港に降り立つも、航空会社に預けたはずの荷物が届いていない。
 どうにか最終列車に乗って(ここでもいくつかのドタバタがある)ニューヨークに到着するも、ストライキのためバスは動いていない。ホテルの予約は遅延のためキャンセルされている。「空き宿を案内する」と話す親切な男についていくと拳銃を突き付けられ、財布を丸ごと盗まれてしまう。こんなのは序の口で……。
 まるで喜劇映画の教科書のような作品である。「物事が思い通りに運ばない」「選択が裏目に出る」という喜劇の鉄則を最後まで貫き、しかも何一つギャグが重複していないのだから惚れ惚れする。ある意味では、この作品こそは完璧な喜劇映画だと称えまいか。ジャック・レモンの演技が冴えわたり、クインシー・ジョーンズの音楽もキマりまくる、笑いあり笑いありの“単なる”コメディ映画だ。



 ● 『二番街の囚人』 (1971年)

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 「私は相変わらず喜劇を書きたかったが、それに暗いトーンを加えたくなったのである。幸せが一瞬のうちに苦悩に変わるようなこと。真夜中の二時、絶望的な惨事を知らせる電話で安らかな眠りが一瞬のうちに破れるようなこと。(中略) 自分にだけは起きないと思っているようなことが書きたかった」。
 これはサイモンが40歳の誕生日直前を回想して綴った文章だが、まさに本作も「暗いトーン」を孕んだスリリングな悲喜劇と言えよう。ニューヨークの高層アパートに住む中年夫婦。外は暑いが、室内は冷房のせいで寒すぎる。まもなく夫が会社をリストラされる。自宅には泥棒が入る。夫婦喧嘩は階上の住人との怒鳴り合いに発展し、夫は頭上から水を被せられる。夫はやがて精神を病む。
 あらすじだけを読むと気分が重くなるが、サイモンは本作をあくまでもダークコメディとして成立させている。不条理な悲劇の中身を追求することで、そこに喜劇性を見出すのだ。やや荒削りの感は否めないものの、全体的に勢いがあって笑える台詞も多い。幕切れは観客に静かなカタルシスをもたらすだろう。



 ● 『ふたり自身』 (1972年) [オリジナル映画]

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 「映画は私の職人芸」と語っていたサイモンだが、決して脚本を安売りしていたわけではない。脚本を書き下ろしたオリジナル映画作品の多くは、舞台で彼と協働した経験を持つ演出家が監督を務めている。自分の脚本がどのように調理されるのかについて一定の安心感を抱いていたからこそ、「本をわたせば後はしばしば監督任せにして、最低限の関わりしか持た」ずに済んだのだろう。
 『二番街の囚人』と並ぶ“問題作”である本作も、サイモンの名パートナーであるマイク・ニコルズと長年お笑いコンビを組んできたエレイン・メイが監督を務め、初期サイモン作品で音楽を手がけたサイ・コールマンがテーマ曲を作曲した。
 ブルース・ジェイ・フリードマンの小説が原作だが、新婚旅行先で真の“運命の人”に出会ってしまうという筋書きは実にサイモン作品らしい。前半では新郎(チャールズ・グローディン)が新婦(ジーニー・バーリン)を疎ましがる様子がコミカルに描かれ、後半では新郎の暴走がシニカルに示され、ラストシーンでついにブラックユーモアは絶頂を迎える。人生の痛烈な現実を切り取った名作である。



 ● 『名医先生』 (1973年)

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 この戯曲を初めて読んだ時は興奮した。あまりにも面白かったからだ。もともと私は『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』(1972年)や『メル・ブルックス 珍説世界史PARTT』(1981年)のようなオムニバスコント作品を偏愛する傾向にあるのだが、本作を構成する9つのスケッチもいずれも風刺が利いていて目を見張った。
 アントン・チェーホフの短編小説群が原作なのだから面白くて当然だが、舞台化に際してサイモン流の味付けもしっかりと施されている。とはいえ最終的には両者の「シリアスなコメディ」的作風の類似を痛感させられ、結局のところ、本作はサイモンがチェーホフの正統な後継者であることを雄弁に物語ってもいる。
 初演時には合計24人の登場人物を5名の役者が演じ分けた。これは北野武の『監督・ばんざい!』(2007年)でも採用されたオムニバスコント作品ならではの妙手である。世界線が異なる各スケッチに同一の役者が登場することでメタフィクション性が高まり、作品全体に「笑いプラス・アルファ」の趣きが生じるのだ。



 ● 『名探偵登場』 (1976年) [オリジナル映画]

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 遊び心いっぱいのシチュエーションコメディである。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』(1939年)よろしく“名探偵”たちが豪邸に招集されるが、彼らはサム・スペードやミス・マープル、エルキュール・ポアロらのパロディなのだ。それでいて本作は品位を失わず、ウェルメイドな喜劇として光り輝いている。
 本作が“B級映画”にならなかった最大の理由は(私は“B級コメディ”のこともこよなく愛しているのだが)、ブロードウェイでサイモンと組んできたロバート・ムーアが監督を務めたからだろう。ムーアはシチュエーションコメディも“B級コメディ”も撮れる監督であり、作品ごとに異なる脚本の狙いをきちんと心得ていた。
 本作の愉しさはキャスト陣の好演を抜きにしても語れない。得意の扮装で中国人探偵になり切るピーター・セラーズ、『プロデューサーズ』(1968年)に続き怪演を見せるエステル・ウィンウッド、そして唯一無二の名優アレック・ギネスといった玄人好みの面々がワールドワイドな登場人物を活き活きと演じている。その光景はさながら“小粋な喜劇俳優”の国際博覧会のようでもある。



 ● 『名探偵再登場』 (1978年) [オリジナル映画]

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 スタッフとキャストの大部分が共通しているが(なおかつ邦題も紛らわしいが)、『名探偵登場』と内容的なつながりはない。本作はメル・ブルックス作品や後年のZAZ(ザッカー兄弟&ジム・エイブラハムズ)作品を彷彿とさせる“ギャグ映画”である。出演者の顔ぶれも、マデリーン・カーンやドム・デルイーズといった“ブルックス組”の面々に加え、サイモンがかつてテレビ番組の作家として仕えていたシド・シーザーやフィル・シルヴァーズなど、“B級コメディ”色が濃厚だ。
 サイモン作品らしい状況喜劇的な笑いも含まれてはいるが、もはや本作は“仕掛けのギャグ”連発のサイモン版『裸の銃を持つ男』(1988年)と呼んでしまったほうがいい(時系列的にはその逆なのだが)。この映画を初めて観た時、私は「サイモンはこんな脚本も書けるのか」と驚いた記憶がある。
 ただし、正体不明の女(カーン)が私立探偵のルー・ペキンポー(ピーター・フォーク)から名前を聞かれてある人物の名前を口走るという“大オチ”は、ブルックスともZAZトリオとも違う、実にサイモンらしい小洒落たギャグだった。



 ● 『昔みたい』 (1980年) [オリジナル映画]

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 脅されて銀行強盗の片棒を担がされる作家(チェヴィー・チェイス)、その作家とかつて交際していた公選弁護人(ゴールディ・ホーン)、その夫である地方検事(チャールズ・グローディン)の偶発的“三角関係”がこの映画のコンテントだ。
 冒頭からテンポよく物語が進行し、チェイスお得意のスラップスティックあり、登場人物がベッドの下に隠れるといった古典的シチュエーションコメディありで、観る者を十分に楽しませてくれる。個性的な脇役の応用法もプレストン・スタージェス作品並みにソツがなく、主人公夫妻が犬をたくさん飼っているというギャグ的な設定までもがちょっとした伏線になっているのには恐れ入った。
 ターナー・クラシック・ムービーズの解説によると、サイモンはケーリー・グラント主演の『希望の降る街』(1942年)から本作の構想を得たらしい。1940年代のスクリューボールコメディの空気感を現代(といっても40年近く前だが)に復活させた本作は、メインキャラクターを演じた3名のコメディ役者のおかげもあって、清潔かつハートフルなコメディ映画として今なお大衆に愛されている。



 ● 『スティーブ・マーティンのロンリー・ガイ』 (1983年) [オリジナル映画]

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 『ふたり自身』に続きフリードマンの原作をサイモンが“移植”した作品だが、脚本としてクレジットされているのは、テレビのバラエティ番組やシットコムの台本を書いてきたエド・ワインバーガー&スタン・ダニエルズのコンビである。
 サイモンが本作で果たした役割はさしずめ“翻案”程度に留まるのだろうが(他の映画作品と違って本作には「Neil Simon's」という冠が付いておらず、自伝でも本作は一切言及されていない)、「捨てられる」ことへの恐怖がテーマだったり、酒井洋子が言うところの「痛み」や「共感」に満ちていたり、ギャグが決して下品ではなかったりと、本作からはたしかにサイモンの“香り”がする。
 サイモンを敬愛する誠実な脚本家コンビが“サイモン風”の作品を仕上げたというのが正確なところだろうが、サイモンの貢献の度合いにかかわらず、本作が一個の作品として傑作であることに変わりはない。スティーヴ・マーティンとチャールズ・グローディンの好演はもとより、心理学者:ジョイス・ブラザーズ博士(本人役)の存在を見事に活用したドラマ映画としても特筆に値する。



 ● 『ビロクシー・ブルース』 (1985年)

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 私が最も好きなサイモンの作品かもしれない。第二次大戦下、ミシシッピー州ビロクシーの新兵訓練所での青年たちの物語である。といっても、本作は単純な“軍隊コメディ”でも“戦争ドラマ”でもない。あえてジャンル分けするなら“喜劇”となるだろうが、そう割り切るにはいささかビターである。まさに本作は、喜劇も悲劇も超越したサイモン流の“青春シリアス・コメディ”となっている。
 露骨な下ネタも少なくないが、序盤から性的な会話が散りばめられているおかげで、観客は第二幕での“フェラチオ”をめぐるシリアスな展開を自然に受け入れることができる。サイモンは実にしたたかな劇作家だと称えよう。
 とともに、やはり気になるのはヘネシーという登場人物の位置付けである。この常識的な青年は、結局は主役5人組のうちの“第6の男”でしかない。ネタバレになるので詳しくは書かないが、作者は劇的なドラマで観客を動揺させることを意図的に避け、観客が登場人物に感情移入しすぎないように仕向けているのだ。それゆえに様々な効果が生み出されるのだが、解説するには紙幅が足りない。



 ● 『ロスト・イン・ヨンカーズ』 (1991年)

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 第二次大戦中のお話。母親を亡くした15歳と13歳の兄弟は、父親が出稼ぎに出るあいだ、ニューヨーク州ヨンカーズにある父方の実家へ預けられる。そこでは母(すなわち兄弟の祖母)とその末娘(すなわち兄弟の叔母)が今なお洋菓子店を営んでいる。祖母は厳しいどころか恐ろしく、叔母は知能が年相応ではない。
 こんな薄暗い設定から始まるにもかかわらず、本作はサイモン作品の中でもとびきり感動的な作品だ。もちろん、本作は衝撃的な展開で観客を泣かせにいくような作品ではない。むしろその逆で、この作品は(というよりもサイモンの作品は総じて)深いけれども重くはない。テーマを大上段に構えることなく、登場人物たちの会話を豊かに積み重ね、観客の心を少しずつほぐしていくのだ。
 サイモンはこの作品で念願だったピューリッツァー賞を受賞した。この作品には名場面がいくつもあるが、ベラ叔母さんが少年たちにアイスクリームを振る舞おうとしたり、子どものころに自宅のアイスクリームを盗み食いしていたことをルイ叔父さんが懐かしんだりするような場面こそが、私には印象に残っている。



 ● 『23階の笑い』 (1993年)

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 1950年代、劇作家デビューを果たす前のサイモンは、コメディ番組『ユア・ショウ・オブ・ショウズ』(NBC)のコント作家として働いていた。この番組では若き日のメル・ブルックス、カール・ライナー、マイケル・スチュワート、ラリー・ゲルバート、ウディ・アレンらも、テレビ局内の一室で賑々しくコントの台本を書いていた。錚々たる面々が“同じ釜の飯”を食って修業時代を送っていたのである。
 アメリカンコメディ版“トキワ荘”の実態を当事者が(虚実ないまぜにして)暴いた本作は、私のような“コメディ狂”にとってはそれだけで歴史的価値があるが、もちろん本作は一本の演劇作品としても素晴らしい。冒頭からウイットに富むコミカルな掛け合いが続く一方で、すべての物事には始まりがあれば終わりもあるという人生の(おそらくは唯一の)真実を浮き彫りにしている。
 劇中ではマッカーシズム(赤狩り)の存在が底流しているものの、それはモチーフとして表れるに留まり、決して物語は“社会派”には成り上がらない。この戯曲はサイモン作品と政治的・社会的問題の関係を象徴する一本でもあろう。




 ◆ “戦友”たちからの悼む声

 現代の演劇界を代表する「ブロードウェイの喜劇王」の訃報を受けて、青春時代の“戦友”だった(そして今や極めて数少ない“生存者”である)カール・ライナーとメル・ブルックスは、Twitterに哀悼のコメントを投稿した。


 両者ともサイモンが多作だったことを真っ先に評価しているのが興味深い。実際、喜劇作家であることを基本としながら、これほど幅広いジャンルの作品を手がけたブロードウェイの劇作家は他に類を見ない。かつて立川談志は“天才”の条件として「質と量」を定義したが(そして談志はレオナルド・ダ・ヴィンチと手塚治虫の名前を挙げるのだった)、その基準に従えば、多種多様な秀作を発表し続けたサイモンも「真の天才」(カール・ライナー)と呼ぶにふさわしい。

 私は誰からも頼まれていないのに「好きなサイモン作品」を10作選んでみたわけだが、やはりその劇作領域の広さには感心させられた。もっとも、上記10作は私の好みで選んだものにすぎないので、「なぜおかしな二人(1965年)が入っていないのか」「笑劇が好きならば噂−ファルス(1988年)を選ぶべきだろう」などといったクレームや抗議の電話はご容赦願いたい。人間の嗜好はかなり繊細なもので、“好き”と“嫌いではない”には本質的な違いがあるのだ。

 さて、ここでは挙げなかったものの、私がとても大好きなサイモンの“作品”がもう二つある。それは書いては書き直し ニール・サイモン自伝(早川書房)と『第二幕 ニール・サイモン自伝2』(同社)だ。おなじみの酒井洋子による翻訳の美しさも手伝って、面白くて読み応えのある自伝となっている。かつてコント台本を提供したジェリー・ルイスとの逸話に始まって、『昔みたい』の脚本を書いた記憶が欠落していることなど、本人にしか書けない率直な記述が目白押しである。

 余談ながら、私が最も気になっているサイモンの作品はGod's Favorite(1974年)という戯曲だ。未邦訳の作品だが、私は『第二幕』を読んでその存在を知った。以来、この作品こそが私の演出すべきサイモン作品ではないかと勝手に思い込んでいる。高級住宅地に暮らす一家が信仰心を試されるというブラックコメディが日本でヒットしそうな気配はないが(ブロードウェイ初演も約3か月で打ち切られている)、いつか手がけてみたい作品ではある。

(文中敬称略)
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2018年09月03日

上質な“ブラックユーモア”目白押し 『スターリンの葬送狂騒曲』


先日、川崎チネチッタで
映画『スターリンの葬送狂騒曲』を観ました。

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 <あらすじ>
舞台は1953年、ソビエト社会主義共和国連邦。
独裁者スターリン(アドリアン・マクローリン)が脳溢血で死去し、
側近だった共産党幹部たちは次期指導者レースに打って出る。
スターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズボロー)に
取り入ろうとする者、策略によって政敵を陥れようとする者──。
最高権力者の座をめぐり、狂気の“イス取りゲーム”が始まった。



この作品で監督と共同脚本を担当しているアーマンド・イアヌッチは、
1990年代からテレビ・ラジオで政治風刺コメディを放ち続けてきた、
現代イギリスが誇るコメディ界の“ビッグネーム=大看板”です。
英米の政治家はもとよりビンラディンなどをもネタにしてきた一方で、
ジュリア・ルイス=ドレイファス主演の『Veep/ヴィープ』(HBO)など、
風刺的な連続コメディドラマの脚本や演出、製作も手がけています。

不動の地位を確立したイアヌッチの長編映画第二作目にふさわしく、
本作にはスティーヴ・ブシェミ、サイモン・ラッセル・ビール、
モンティ・パイソン”のマイケル・ペイリン、ポール・ホワイトハウス、
ジェフリー・タンバーといった実力派のベテラン男優が集結しました
(ペイリン出演作が日本で公開されるのはかなり久々のことですが、
本作でもペイリンは往時を彷彿させる“怖ろしさ”を滲ませています)。

この作品では、旧ソ連の独裁者スターリンの死をきっかけに始まる
コミカルな権力闘争劇と並行して残忍な処刑シーンが描かれますが、
実際には処刑シーン自体が喜劇的に処理されることはありません。
劇中でコミカルに提示される“人間の死”はスターリンの死のみです。
本作は何百万人もの人々が命を落としたという事実に配慮しつつ、
喜劇の視点を忘れることなく貫いた“絶妙な”作品だと称えるでしょう。



この映画にはいくつもの秀逸かつ王道的なスケッチが存在します。
神経質な笑いが展開される“ラジオ番組の舞台裏”でのドタバタ劇
(パディ・コンシダインをわざわざ配役する力の入れよう!)に始まり、
代演指揮者の誤解、スターリン(アドリアン・マクローリン)の“尿”、
スターリンの“最期の伝言ゲーム”、モロトフ(ペイリン)の妻の帰還、
古典落語『船徳』の一節を思わせるアイスホッケー場での勘違い──。

さらには、政権幹部会での挙手したりしなかったりさせられたりなど、
緊迫感漂う状況から生じる上質のブラックユーモアが目白押しです。
しかも、各場面を演じるのはタンバーやブシェミ、ペイリンといった
個性的なコメディ演技の達人ばかりなのだから、“実にたまらない”。
それぞれのキャラクターを際立たせる名優たちの好演を観ていると、
今さらながら、“俳優”という存在の意味に恐れ戦かされるほどです。



念のため記すと、これらのスケッチは本筋を逸脱するものではなく、
むしろ本作のメインテーマど真ん中に位置しているものです。
すなわち本作は、愚かな者たちが真剣に行動すれば行動するほど
皮肉にも状況が気まずくなるという喜劇の古典的構造を通じて、
最終的にはごく自然に独裁政治の狂気性を露わにしているのです。

一例を挙げると、フルシチョフ(ブシェミ)とベリヤ(ビール)の政争が
血腥く緊迫する中で、政権トップのはずのマレンコフ(タンバー)は
自らのパフォーマンスに役立つ少女を探し続ける──というギャグは、
無能な政治家の“ズレてる感”を表す重要なモチーフでもあります
(ちなみにこの一連のギャグには、ついに選出された少女が結局は
パフォーマンス上の価値を失うという粋なオチが用意されています)。

もちろん笑いと恐怖は背中合わせなので、例えば終盤における
“臆病な”マレンコフがベリヤと目を合わせたがらないという演出は、
一片のギャグであり得ると同時に、最上級の緊張を醸成します。
独裁政治の恐怖を喜劇として表現するという難題に応えた本作は、
“政治風刺の達人”イアヌッチが最高の出演者とともに完成させた、
他に類を見ないほど理想的なブラックコメディの大々傑作なのです。



▲ 『スターリンの葬送狂騒曲』 (2017年) イギリス版 予告編



 <追記>
さて、本作の邦題が『〜狂騒曲』とされているのは、言わずもがな、
モロトフ役を演じたペイリンが所属するコメディグループの映画
『モンティ・パイソン 人生狂騒曲』(1983年)へのオマージュでしょう。
本作の上映時間が『人生狂騒曲』と同じ107分であるというのは、
何とも奇妙な(そして意味のない)偶然としか言いようがありません。


▲ 『モンティ・パイソン 人生狂騒曲』 (1983年) より #私の中学時代の愛唱歌
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2018年08月12日

“自分らしい古典”で歌丸追悼! 昇太の“可愛い”『鷺とり』


今日は、国立演芸場 8月中席 へ行ってきました。
主任は、春風亭昇太師匠。

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 <本日の番組>

開口一番:(前座) 三遊亭金かん 『魚根問』
落語:(交互) 春風亭昇吉 『七段目』
落語:(交互) 桂歌蔵 『師匠と国立演芸場』
落語:(交互) 桂歌助 『代り目』〜踊り「奴さん」「姐さん」
太神楽曲芸:(交互) 鏡味正二郎
落語:(交互) 桂歌春 『強情灸』

 〜仲入り〜

コント:コント山口君と竹田君
落語:(交互) 桂小南 『ん廻し』
漫才:東京太・ゆめ子
落語:(交互・主任) 春風亭昇太 『鷺とり』



★金かん 『魚根問』
開口一番は金遊門下の金かんさん。
語源が「群馬訛り」などとして紹介される『魚根問』。
声はもう少し大きくてよいと思うが、落ち着いている。
「(鰻は)ひっくり返さないと“焦げる”」がサゲだった。

★昇吉 『七段目』
「その昇太がうちの弟子です。じゃなくて師匠です」。
いつの間にか“実力派”な語り口へと熟達している。
“歌丸電気毛布”を経て「演芸場側は納屋」と笑わせ、
『七段目』を漫画チックな“キャラクター落語”として。

★歌蔵 『師匠と国立演芸場』
「8月になってようやく思い出話を語れるかな、と」。
最期の歌丸師匠は看護師にもキツくあたったという。
「ハーゲンダッツを食べさせてあげればよかった」と
面白おかしく後悔を述べ、地方独演会エピソードへ。
「師匠は国立で味をしめた怪談噺を演ったが……」。
追悼興行にふさわしい、愛に満ちた“爆笑譚”である。

★歌助 『代り目』〜「奴さん」「姐さん」
教師になるため上京し、寄席にハマって歌丸門下。
「うちの師匠は酒を呑まなかった」と述懐してから、
“俥屋”ではなく“亭主”のほうが扉を叩く『代り目』へ。
最後の独白部分では“亭主”は目を瞑りながら話す。

★正二郎
お手玉→五階茶碗→傘廻し(毬・茶碗・升)。
初めて曲芸を観たと思しき観客からは歓声も湧く。
──太神楽曲芸を観る度に私の脳裏に浮かぶのは、
芸の最中に地震が起きたらどうなるのかということ。

★歌春 『強情灸』
「お盆は連日満員。連日と言っても昨日からだが」。
歌丸師匠に関する逸話などはこれといって話さず、
浅草の銭湯の“江戸っ子”に触れてから『強情灸』へ。
灸の熱さが廻ってくると声色もだいぶダイナミックに。

★コント山口君と竹田君
おなじみの「温泉旅館の客と番頭」のコントだが、
新ギャグや新設定が入り、結構アレンジされている。
竹「トイレットペーパーのトイレットペーパーが……」
山「二枚重ねですか」「あなたトイレに固執しますね」。

★小南 『ん廻し』
毎年恒例、過去&今年分の大入り袋を披露する。
「昨年の小南襲名時も歌丸師匠が後押ししてくれた」。
“癖色々”を経て、奇術&曲芸要素もある『ん廻し』へ。
そして最後には「引くかもしれないけど」と言いながら
手紙を取りだし、歌丸師匠への感謝の言葉を述べる。
「大入り袋の数だけもらうよ。なぜなら、“こなン”……」。

★京太・ゆめ子
「色んなことがある」と切り出し、「夫婦」→「習い事」。
駅名と同じ名字の友達が次々と繰り出されるのだが、
間が空きそうな時点でゆめ子先生が先に名前を出す。
のんびりしているようで、かなり集中力の高い漫才だ。

★昇太 『鷺とり』
「歌丸師匠は今年は事情があって出られないんです」。
7月2日は会見→独演会→会見→打ち上げ→取材で、
神妙↔陽気の「気分の切り替えが難しかった」と明かす。
芸協としての会見ではまず小遊三師匠が笑いを獲り、
「落語家は横一列に並ぶと面白いことを言おうとする」
「他の人がウケていると自分もウケたいと思ってしまう」。
フォトセッションで米助師匠はVサインまでしていたが、
「芸人なんだからこれでいい。僕の時は紅白幕でいい」。
「甲子園の高校球児は羨ましい。落語家の場合は……」
「自分に落語家以外の仕事は無理だった」と話してから、
珍妙な“仕事”がテーマのややブラックな噺『鷺とり』へ。
冒頭の「雀とり」の件からして“雀”の所作が可愛らしい。
さすがは動物落語『愛犬チャッピー』の生みの親にして、
夢みる小犬ウィッシュボーン』の日本語版声優である。
頭を金槌で殴られた“鷺”の「アァン……」という鳴き声や、
羽ばたこうとする“鷺”の所作なども、たまらない面白さ。
小動物を演じさせたら昇太師匠の右に出る者はいまい。
(奇しくも展示室では「落語の所作」特別展が開催中)。
人間のほうはというと、主人公の“男”は意外と意地悪で、
逃げる“鷺”に対しては「また捕まえるからな!」と叫ぶ。
昇太師匠の人格をも含む個性が凝縮された一席だった。



── というわけで本日は、歌丸師匠のいない国立演芸場8月中席で
「桂歌丸追悼」と題されることになった日替わり興行を拝見しました。
今席の顔付け自体は歌丸師匠の生前中から決まっていましたが、
期せずして歌丸師匠を“追悼”する10日間となってしまったわけです。

国立演芸場客席のロビーでは歌丸師匠を偲ぶコーナーが設けられ、
多くのお客さんが歌丸師匠の高座写真やお着物を眺めていました。
かくいう私も、特設された追悼の記帳台で名前を記してきましたよ!


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今日、私が永田町駅のホームを降りて会場へ向かいつつ思ったのは、
「もう二度と歌丸師匠を聴きに行くことはできないのだな」ということ。
歌丸師匠を聴くためにこの道を歩くことはもうあり得ないのかと思うと、
自分の人生の一かけらが喪われたような気がして、切なくなりました。

そして、いざ国立演芸場に到着して、緞帳が上がって──。
それぞれの芸人が、それぞれなりのアプローチで“追悼”をしている、
その光景を目の当たりにして、私は演芸の力を改めて確認しました。

歌助・歌蔵両師匠は直弟子だからこそ抱いてきた思いや逸話を語り、
歌春師匠はむしろ歌丸師匠について言及しないことで自我を示し、
小南師匠は“大入り袋”ネタをやってきたが故の趣向で客を感動させ、
昇太師匠は自分らしい古典を演じ、歌丸師匠の死をあえて超越する。

歌丸師匠がお亡くなりになったことはたしかにとても悲しいことで、
私でさえもしばらくは“歌丸ロス”を痛感せざるを得なくなりそうですが、
多様な芸人が、それぞれの個性で観客を愉しませている光景に接し、
私は“寄席演芸好き”としての自分の将来をとても明るく感じています。


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