2016年12月03日

やせ我慢、引っ込みつかず… “江戸っ子”の噺、可楽の『尻餅』


今日は、国立演芸場 12月上席 へ行ってきました。
主任は、三笑亭可楽師匠。

kokuritsu-201612kamiseki.jpg



 <本日の番組>

開口一番:(前座) 桂伸力 『道灌』
講談:(交互) 神田蘭 『トゥーランドット』
落語:(交互) 三笑亭夢丸 『権助提灯』
落語:三笑亭可龍 『桃太郎』
コント:コントD51
落語:桂伸治 『お見立て』

 〜仲入り〜

講談:神田紅 『大高源吾』
落語:桂歌蔵 『モンゴル公演記』
奇術:(代演) プチ☆レディー
落語:(主任) 三笑亭可楽 『尻餅』



★伸力 『道灌』
開口一番は伸治門下の伸力さん。
まっすぐな人なんだろうな、というのが伝わってくる。
笑顔をいつも絶やさない穏やかな“隠居”像が印象的。

★蘭 『トゥーランドット』
「真田丸」ネタと「トゥーランドット」ネタ、
どちらがよいかと訊ねてからの『トゥーランドット』。
イナバウアーを交え、「明日までに名前を」の段で降りる。

★夢丸 『権助提灯』
「一日だけの出演は前代未聞」と笑わせてから、
電車内から暗闇に手を振る「かっこいい」男の子の話。
夢丸版『権助提灯』は奇を衒っていないのにユニークだ。

★可龍 『桃太郎』
ホテルロビー落語会でのエピソードで場を暖める。
分かりやすさと遊び心が重なった、無駄のない『桃太郎』。
「ライオンが家来だったら喰われてるだろうけどね」。

★コントD51
香川タキ、オレオレ詐欺の被害に遭……いかけるの巻。
「すまんの、すまんの、まんのう町〜」。

★伸治 『お見立て』
芸協と鈴本の軋轢や、寄席の裏手の「お店」の話を
マクラで紹介するも、なぜか客席が引き気味だったので、
「そういう世界もある、という話ですからね」。
この師匠が演ると『お見立て』も嫌味なところが生じない。

★紅 『大高源吾』
和やかな雰囲気で紅先生が上がり、『大高源吾』。
気付いてしまった。もうすっかり年の瀬なんですよね。
お終いのほうで発揮されるメリハリの利いた語りはさすが。

★歌蔵 『モンゴル公演記』
今年も終わりということで、モンゴル巡業の想い出を。
気持ちをストレートに表すモンゴル人、BGM化する出囃子、
手に当てられたスポットライト、モンゴルのことわざ……。
私の笑いのツボに的中、個人的には大満足の一席だった。

★プチ☆レディー
マジックジェミー先生の代演。
リング→透明トランプ(途中で協力者変更)→剣刺し箱。
国立ならではの音響も照明も駆使した華やかなステージ。

★可楽 『尻餅』
「ここまでご覧になって面白いですか? 私は面白くない」。
終戦後、可楽師匠は映画俳優になろうと思ったという。
映画俳優と違って落語家になるのに試験はいらない、
可風は20年前に国立の楽屋前で弟子入りを志願してきた、
本気度を確かめるためまずは毎日電話するように言った、
そしてこの前真打ちになった、などのお話を嬉しそうに。
「今日は餅の噺を演る」ということで風物詩の『尻餅』へ。
「お前、借金を踏み倒す気か。言い訳ぐらいしたらどうだ」。
夫婦の「餅つき」よりも“借金取り”との掛け合いが
噺のメインになっているところが、なるほどこの師匠らしい。
やせ我慢、頑固、引っ込みつかず──。私の好きな江戸っ子。



──というわけで、本日は可楽師匠の落語を久々に拝聴しました。
大抵の演者は『尻餅』では「餅つき」の件をフィーチャーしますが
(というか、逆にそれ以外の盛り上げ方を聴いたことがない)、
可楽師匠が演ると、この噺は「江戸っ子」をめぐる噺に変貌します。
『尻餅』は夫婦の噺であるよりも先に「江戸っ子」の噺だったのです。

実を言うと、私は「粋で鯔背な」江戸っ子にはそれほど憧れない。
むしろ、「粋」な振る舞いを強いられたせいで弱っている江戸っ子や、
言いくるめられて悔し涙を流している江戸っ子に愛着を抱きます。
例えば『芝浜』なら、真人間として店を構える前の“勝五郎”が好き。
ちゃんと弱くて、ちゃんとバカで、ちゃんと優しい人間に惹かれます。


kokuritsu-2016-12-kamiseki-endai.jpg



帰りに、国立演芸場の平成29年度版カレンダーを購入しました。

kokuritsu-2017-calendar.jpg


米丸師匠、「鹿芝居」、正蔵師匠、貞水先生、小遊三師匠、
昇太師匠、小三治師匠、歌丸師匠、市馬師匠、鳳楽師匠、
喬太郎師匠、圓歌師匠(掲載順)の高座写真が収録されています。

一部1000円。 郵送販売のお問い合わせは (株)文化堂 まで。
posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 落語・笑い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |

2016年11月28日

女たちによる“全然悪くない”リブート作 『ゴーストバスターズ』


先日、TOHOシネマズ川崎で
映画『ゴーストバスターズ』(2016年)を観ました。

ghostbusters.jpg


 <あらすじ>
素粒子物理学者で大学教員のエリン(クリステン・ウィグ)は
かつて「オカルト本」を出版していたことが発覚し、大学をクビになる。
原因をつくった元親友の科学者アビー(メリッサ・マッカーシー)に
抗議するため、エレンはアビーの「超常現象研究所」を訪ねるが、
思わぬ成り行きからゴースト退治に参加することになってしまい……。



本作は、1980年代にアイヴァン・ライトマン監督によって制作された
名作SFコメディ映画『ゴーストバスターズ』シリーズのリブート版です。
本作をめぐっては、「主要キャストが女性であること」をめぐって
映画ファンらの間で──相変わらずの──「論争」が起こっていました。
しかし、『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』(2011年)の
成功を知る我々からすれば、無意味な議論としか言いようがありません
(本作は『ブライズメイズ』チームが再結集した作品なのだから尚更)。

むしろ話題とされるべきは、「リブート作品」の在り方に関してでしょう。
本作の製作にあたっては、キャストの第一報がもたらされた段階で
「『ゴーストバスターズ』は主人公が男たちのチームだからこそ成り立つ。
 女性たちにあの世界観は再現できない」という批判が寄せられました。
私自身は依然として「女性(たち)にしか表現できない笑い」や
「男性(たち)にしか表現できない笑い」が存在する考えているので、
「女性たちにはあの世界観を再現できない」という指摘には同意します。

しかし重要なのは、本作が『ゴーストバスターズ』のリブートであって、
1980年代版の再現(モノマネ)を狙っているわけではないということです。
そもそも男たちの「世界観」を再現しようとしてはいないのだから、
「再現できないからって、それがどうした」という話でしかありません。
問われるべきは、この2016年版が1980年代版の代わりになっているか
(4人の女性が4人の男性の代わりとして機能しているか)ではなく、
あくまでも、本作が単独の作品として「面白いかどうか」であるはずです。



本作では「下半身ネタ」に限らず、女性のチームにしか表現できない、
あるいは21世紀ならではのギャグがふんだんに盛り込まれています。
マッカーシーが「女性にゴースト退治は無理」という声に腹を立てたり、
YouTubeのコメントに躍起になったりするギャグは自虐的ですが、
実際に本作は「全然悪くない」(劇中の台詞)仕上がりになっているので、
それらの自虐ギャグは女性たちの「勝利宣言」のように輝いていました。

メインキャストの4人全員(「ゴーストバスターズ」)に見せ場や持ち味、
特別な役割が与えられているのも、2016年版の特徴です。
ケイト・マッキノン演じるマッドなサイエンティストはカリスマ性が高いし、
ムードメーカー的存在のレスリー・ジョーンズも得意の個性を発揮。
実質的な主役であるウィグも単なるツッコミ役、マジメ役に留まらず、
男性秘書(クリス・ヘムズワース)にハマる変態キャラを魅せています。
(ちなみに、セシリー・ストロング演じる市長秘書も素敵なキャラ付け!)

本作のキャストとスタッフたちは、「女性にコメディは務まるのか」という
吐き気がするほど古めかしい論争に完全な決着をつけただけでなく、
オリジナルとリブートの関係をめぐる論争にもケリをつけました。
1980年代版に最大限の──文字通り「最大限の」──敬意を払いつつも、
2016年の女性たちにしか表現できない独自の笑いを追求した本作は、
複数回の鑑賞に堪える(=観る度に面白い発見がある)娯楽作品です。
一言で言うなら「おすすめ」。二言で言うなら「ぜひ、ご覧ください」。



 <追記>
それと、この映画を観に行ったら最後まで席を立ってはなりません!
1980年代版『ゴーストバスターズ』のファンを喜ばせる趣向が待っています。
本編中でも1980年代版のメインキャストがカメオ出演していますが、
とりわけ嬉しかったのは、かつて受付嬢を演じたアニー・ポッツの登場。
俳優業を引退したリック・モラニスの登場はあり得ないにしても、
ポッツという名女優を忘れていないところに「最大限の敬意」を感じます。


▲ 『ジミー・キンメル・ライヴ!』 (2016年6月8日放送)



 <追々記>
本編冒頭を飾る「幽霊屋敷」ツアーガイド役のザック・ウッズは
テレビドラマ『シリコンバレー』(2014年〜)でおなじみのコメディ系俳優。
本作での尿漏れキャラで人気が爆発しそう(……なんてことはないか)。

▲ 『Conan』 (2015年4月28日放送)
posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 映画・TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |

2016年10月13日

「吊り橋の真ん中」へ連れていく前に



 先日、お酒の席で、ある話が始まりそうになった。私自身と直接関係がある話ではなかったが、私は「その話をするのはやめてほしい」と言ってしまった。これから始まるその話は、いまの私にはきっと耐えられない、怖い話だと思ったからだ。でも、結局その話は始まり、私は思わずトイレへ「避難」した。

 それがテレビから聞こえてくる発言ならば、私は電源を消すことができる。それが新聞や雑誌に掲載されている文章ならば、私はページをめくることができる。だが、目の前の相手はテレビでも雑誌でもない。あの時の私は恐怖を避けるため、相手が話している途中でもその場を離れるしかなかった。

 他の人の目には、私が急に不機嫌になったように見えたかもしれない。あるいは単純にトイレへ用を足しに行っただけに見えたかもしれない。でも、実際はそのどちらでもなかった。あの時、私は怖くて逃げた。

 相手はその話が私を怖がらせることを知らなかった。私が逃げたのは誰のせいでもない。しかし、そのことを相手に説明するのは難しい。「私に謝ってほしいということなのか」と誤解される可能性がある。「あいつの『地雷』が何なのか分からないから、あいつともう関わるのはやめよう」と思われる可能性もある。



 私がなぜこんな話をしているのかというと、「人によって怖いものは違う」(宮地尚子)からだ。結局のところ、残念ながら、私たちは相手が何を怖がっているのかよく知らない。よく知らないまま相手と接している。悪意はなくとも、私たちは、高所恐怖症の人を吊り橋の真ん中へ連れていっているかもしれない。

 そして実は本人も、自分が何を怖がっているのか、あらかじめ把握できていなかったりする。だから、「ああ、このまま連れていかれると怖いな」と感じた時点で、「その話は怖い」と言い合えるようでありたい。そうすれば私もあなたも、相手の怖がる話をしないで済む。相手を吊り橋の真ん中へ連れていかずに済む。

 どうしてもその話をしなければならなかったり、その話をすることが理に適っていたりすることもある。そういう環境に私たちがいることもある。ただし、そういう環境下でも、せめてトイレへ「避難」することは許されていてほしい。私にも、あなたにも、すべての人に許されていてほしい。

 「その話は怖いからやめて」と言う人や、トイレに「避難」する人のことを面倒くさがる人もいるかもしれない。でも、不機嫌になっていると誤解されたくない。会話の途中で突然席を立つ失礼なやつだと片付けられたくない。どうせ面倒くさがられるとしても、本当のことで面倒くさがられたい。――そう思うときはある。

posted at 23:59 | Comment(0) | TB(0) | 白黒日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする |
(C) Copyright 2009 - 2016 MITSUYOSHI WATANABE